表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/10

4:水晶の記憶 ~memory of crystal/前編

「って、なんか偉そうなことを言っちゃったけどさぁ、良かったのかなあ……」


 うだるような晴天の日差しが窓から注がれるリビングで、ぐったりと頬をテーブルに押し付けて、リィズリットは言った。


「まだそんなことを言っているのですか、ご主人様? あれからもう五日ですよ」

「だってぇ。半人前のくせにさ、自分のことを棚に上げて説教みたいなこと言うとか。思い返すだけで恥ずかしいんだもん……。ああ、師匠が聞いたら馬鹿笑いされそう……。あうう、ロナのパン美味しいよう……」


 むしゃり、と突っ伏したままリィズリットはパンを齧る。ロナージュが先日置いていったパンだった。


「はぁ。でしたら、好きなだけ落ち込んでください。いっそこの際ロナージュ様のパンでたっぷりと贅肉を増やしてほしいものです」

「ううぅ……エイプリルのいじわる……」


 あれからロナージュは足しげくこのリィズリットの家に訪れていた。最初は『魔法』の対価としてパンを貰うのがほとんどだったが、今は持ってきたパンをおやつに長いお喋りをするのが日課となっている。


「別にそう気にするほどの事ではないと思いますよ。ロナージュ様とも仲良くなれたではないですか」

「うぅーそうなのかなあ」


 手遊びをするように、パンを小さくちぎっては、それを口に運ぶ。たちまち口の中に甘みが広がった。その美味しさに感動してしまう。ロナージュはかつて自分が何もできない、リィズリットが羨ましい、と言っていた。そんなことは全然ないのにな、と思う。


(あたしは、こんな美味しいパン作れないもん。結局、ロナのことも、ロナ自身が解決したようなものだし……)


 憂鬱は止め処なく広がって行く。答えのない自問自答だけが頭を埋めていた。


「そー言えば、クラークはもう少ししたらイシャーウッドに戻ってくるらしいぜ」


 同じようにロナージュのパンを齧りながら、アーウィンは思い出し笑いに口角を上げる。


「いつもは大人しいロナがあれだけ取り乱すのは、って面白いぐらい慌ててたな。とは言え、すぐには帰れないから、今の仕事が終わってからって言ってたがな」

「……ロナも言ってたよ。夜には電話して、早く帰って来いって急かしてるみたい。半分は冗談で言ってるみたいだけど、すごく楽しそうに言ってた」


 あれからロナージュは変わった、と思う。とは言え、一朝一夕で人の性格は変わるわけがない。根底の部分にあるネガティブさは、まだ会話をしていると節々に見えてくる。ロナージュが変わったのは、自分が変わろうとすることに前向きになったことだ。


 それはロナージュ自身の強さだ。『魔法』なんかに頼らない、前に進もうとする意識のことなのだ。リィズリットは、純粋にそれが羨ましく、そして眩しく思えた。


「ロナは、すごいなぁ……なんだろう、あたしって何ができるんだろう。『魔法の道具』を作ること……本当に、それだけ。それも、師匠みたいに上手くできないし」

「いいんじゃねーのー? お前がおやっさんみたいに上手く立ち回れたら、驚きだよ」

「うー……」


 自分が半人前であることぐらい、言われなくても重々承知している。それでも、こうして『魔女』を継いだ以上は、前任者である師匠に追い付くとまではいかなくても、その背中を目指したいとは思ってしまう。


「ま、お前にできることと言えば、ロナのパンを栄養に変えるぐらいさ。分かったらその貧相な胸を立派に成長させろ」

「うっさいなあ、もうっ! ってか食べないでよね。それ、あたしが貰ったんだから!」

「別にいいだろ。連れて来たのは俺だし。第一、お前一人でこんだけ処理できんのかよ」


 ひょい、と半分以上残っていた大きなパン切れをアーウィンは一口で頬張った。そして、まだ湯気の立つ紅茶をぐいと飲み干すと、満足そうに息を吐いた。


 確かにパンはまだ山のようにある。いや、むしろ山がパンだった。白パン、麦パン、黒パン、その他様々なパンが重なる様はまるでグラデーションだ。これだけの量は、ここ数日の間でも最大だ。と云うのも、今日明日は用事で来れないと、ロナージュが数日分をまとめて置いていったのだ。


「あうぅ、ロナぁ。美味しいけど、おいしいけど……もう、お腹いっぱい……」


 そんな時、こんこん、と玄関からノックの音がした。


「来客か?」

「……そう、なのかな……?」


 膨らむお腹を押さえ、呻くようにリィズリットは言った。


「とにかく……エイプリル。出て、もらえる?」

「了解しましたご主人様」


 丁寧にお辞儀をして、足音も立てずにエイプリルが玄関へ向かう。

 だが、それを待てないのか、エイプリルが玄関へ辿り着くより早く、扉をノックする音が室内に反響する。いや、それはノックするというよりは、焦りを秘めた叩き付けるような音で、次第にその強さを増していく。


「あらあら、せっかちなお客様ですね。はーい、只今。……あら? きゃあー」


 エイプリルの半ば棒読み気味の短い悲鳴に続いて、どたどたと走る音が響いた。


「……エイプリルさん、わざと入れたな」

「……なにやってんのよ」


 突っ伏したまま、リィズリットはリビングから玄関へと続く扉を眺める。どたどたと廊下を叩く音は次第に大きく、近くなっている。

 リィズリットは侵入者にさほど警戒をしていなかった。訪ねてくるような知り合いに心当たりこそ無かったが、エイプリルが――あの様子から感じ取るに、面白半分で――招き入れた相手である。これから起こることに対しての心の準備こそ必要であれ、気を張る必要はない。


「誰だろ。アーウィンの知り合い? また、女の子に手を出したとか?」

「んー。今のところ心当たりはねぇなぁ。あーいや、待てよ。薬屋のクーリィちゃんはデートに誘ったな。あと、エーニャちゃんと、リリスラちゃん、ニールちゃんにアルタちゃんも食事に誘ったっけな」

「……死ね女の敵」


 そんな呟きに次いで、ばたん、とリビングの扉が力強く開け放たれた。そこに立っていたのは――


「……女の敵さん。誰?」

「や、待てリズ。睨むな。止めろ。怖い。さすがに俺もこれには手は出さない。信じてくれ」


 そこに立っていたのは、大きく肩で息をして、ひらひらのスカートに、ふわりとした金色の髪を揺らす少女。その幼さは、リィズリットの半分の年齢ほどに思えた。


「はぁ――はぁ――」


 可愛らしい、息が部屋に響く。額に流れる汗を、その少女は上等そうな服の袖で豪快に拭って、リィズリットを見ると、


「おねえちゃんが、まじょ? わたしの……おにいちゃんの『まほう』をなおして!」


 と叫んで、泣き出した。





「え、え、えええええっ!?」


 大粒の涙を流しながら泣く少女に、リィズリットは思わず叫んでいた。


「ちょ、ちょっと! え、えええ? なんで、泣いてっ」


 椅子から立ち上がったものの、リィズリットは近づくこともできず、その場で足踏みをしてしまう。


「えとっ、ちょとっ、落ち着いて! ねぇ、何もしないから、ね! 落ち着いてっ!」

「馬鹿。お前が落ち着け」


 ぱかん、と後頭部が叩かれた。アーウィンはリィズリットの横を通り抜けて、泣き叫ぶ少女の元まで行く。


「お嬢ちゃん。少しお話をしようか。泣いてちゃ何もわからないよ。名前は?」

「……うううう、ミリア」


 中の人間を完全に入れ替えたかのようなアーウィンの声と対応に、リィズリットは先程までの混乱を忘れるほどに驚いてしまう。こうして見ると完全に優しいお兄さんそのものだ。ミリアと名乗った少女も、泣くのを落ち着けてアーウィンの話に集中している。


「そうか、ミリアちゃん。俺の名前はアーウィン。よし、これで俺たちは友達だ。じゃあ友達になったばかりのアーウィンお兄さんから質問だ。どうやってここに来たんだい?」

「あるいて」

「あ、歩いてっ!?」


 思わずリィズリットは叫んでいた。歩いてやってくる、という行為を想像しただけで体から血の気が引いていく気分だった。


「そんなに、とおくなかったよ」

「……う、うそ」


 リィズリットは顔が真っ青になる。気を抜けば膝から崩れ落ちそうなほどだ。

 ロナージュも最近は歩いて遊びに来ていると聞いて、始めは信じれなかった。思わず「……馬鹿?」と言ってしまったほどである。嘘をついている様子のないロナージュに渋々信じることにしたが、あれだけの距離を歩くなんて無駄もいいところ、最近ではアーウィンの〈魔法の箒〉の超簡易版である〈自転車〉(バイク)をロナージュにやろうかと考えていたほどだ。


「あのな、リズ。お前はもう少し体力を付けろ。ぶっちゃけ、イシャーウッドからは余裕で歩いてこれる距離だ。ミリアちゃんぐらいの歳でもな」

「いしゃーうっど?」

「ん。ミリアちゃんはイシャーウッドから歩いて来たんじゃないのか?」

「ちがうよ」


 ぶんぶん、と首を振ってミリアは否定する。


「いーべるへるからきたんだよ」

「「イーベルヘル!?」」


 それには二人声を合わせて驚いてしまった。


 百歩譲ってイシャーウッドから歩いてくることはできなくもないだろう。だが、まだ十にもなってないように見える子供ミリアには殆ど不可能と云っても差支えない。


「いーべるへるからは、ばしゃにのってきたの」

「ああ、馬車か……びっくりした」


 ほっとリィズリットも胸を撫で下ろす。万が一にもイーベルヘルからずっと歩いて来たとは思ってなかったが、本当にそうだとしたら、この少女の体力が自分より遙かに優れていると証明されてしまうところだったのだ。


「や、リズさんよ。お前よりミリアちゃんの方が体力あるからな。イシャーウッドまで歩けないだろ、お前」

「……あう」

「リズの体力も胸も子供並だと分かったところで、えーと話を戻そうか」

「ちょっと聞き捨てならないわ! 誰が幼児体型のガリガリつるぺたよ!」

「そこまで言ってねえよ! 自意識過剰か!」


 くすくす、と小さな笑い声が聞こえた。見れば、ミリアが口を押えて笑っていた。


「馬鹿アーウィン! あんたのせいで笑われてるじゃないの!」

「いやどう考えてもお前の自爆だろ」

「あははははっ」


 もう一度、今度は先程よりも大きな、笑い声だった。ミリアの顔を覗き見れば、笑顔に緩んでいる。まるで、夏の花のような輝かしさだった。それに釣られたのか、アーウィンとリィズリットは顔を見合わせると、小さく笑い合ってしまった。


「ミリアちゃん。あの、どうしてここに来たのか、聞かせて貰える? お兄ちゃんの『魔法』って、何?」


 ミリアは少しだけ考える様子を見せると、背負い袋に入れていた小さな箱状のものを取り出した。ミリアはとことことそれを抱えてリィズリットの前までやってくると、壊れ物を扱うかのような丁寧さで手渡した。


「……これを、見ろってこと?」


 こくりと喉を鳴らして、ミリアは答えた。リィズリットは手渡されたものを改めてまじまじと見る。それはなめされた革で作られたケースだった。一見して傷みは少なく、よく手入れが行き届いているのが見て取れた。


 リィズリットはケースを開く前にミリアを見た。ミリアは頷いて無言でその先を促した。


「これって……」


 ケースの中から出て来たものに、リィズリットは思わず声が出る。


 直方体の形をしたそれは、それぞれの面に幾つかの突起が付けられている。中でも特徴的なのは、丸い円状のガラスが正面の筒に嵌め込まれていることだった。

 そのシルエットに、リィズリットはどこか見覚えがある気がした。だが、それはまどろみに見る夢のように、手繰り寄せようとしても儚く宙に溶けていった。


「おにいちゃんは、〈すいしょうのはこ〉ってよんでた。おにいちゃんの、だいじな『まほう』。……でも、わたしが、こわしちゃった」


 じわり、とミリアの目元に涙が浮かぶ。


「わわわ、ええととと!? ミリアちゃん、な、泣かないで。えーと、もうちょっと、お話聞かせて貰えるかな? そう、例えば、この〈水晶の箱〉はどんな使い方をするの?」

「……ううぅぅぅぅぅぅ」


 まるで水飲み鳥のおもちゃのように、頭を下げるとミリアは声を押し殺して泣き出した。


「え、えええええ!? なんで!? あたしそんな変な事聞いたっ?」

「……そりゃあ、壊したときの事でも思い出しちまったんだろう。ほんと、お前ってテンパると悪い選択ばっかりするよな」

「あうう……」


 言い返す事のできない真実に、リィズリットも泣きそうだった。人付き合いはまだ勉強中なのだ。もう少し多めに見て欲しい。


 リィズリットは口をへの字に結んで、手元の〈水晶の箱〉を眺めた。幾つかの部品はバラバラと外れ、角には削れた跡がくっきりと残っている。また、中央のガラスは蜘蛛の巣めいたひび割れを走らせており、完全に機能を失っていると、簡単に予想させた。


(……中央のガラスが曲面になってるってことは――レンズ? 光を集めるためかな。それで、ここがスイッチになってる。押すことで……レンズから中に光を入れる? あ、もしかしてピンホールみたいな……そうか……なるほど)


 パズルのピースが埋まっていくように、リィズリットの頭の中で〈水晶の箱〉は本来の姿を取り戻していく。


「ミリアちゃん。これ、風景を映すもの?」


 ミリアは袖で涙を拭いながら、こくり、と頷く。リィズリットは「やっぱり」と納得する。


「風景を映す? なんだそりゃ?」

「このレンズ、割れてるけど外からの光を焦点を変えて中に入れれる機能があるの。でも、レンズの内側は塞がれてて光は通らない。その中には一瞬で焼きつく様な感光材料をセットする。そうすると、このボタンを押すことで瞬間的に像を取り入れて、投影する」

「……全くわからん」

「要するに、見た風景を一瞬で切り取って保存ができる」


 そう言ってリィズリットは足早に自分の部屋へと向かうと、棚の上に置かれていた、自分と師匠の写った精細な絵を持ってリビングへと再び戻る。


「こんな感じにね」

「……なるほど。こりゃすごい。確かに『魔法』だわ」

「どこかで見たことがあるな、って思ってたの。たぶん、昔師匠が持ってたんだ。なんとなく、だけど師匠が同じようなのをいじってたのを、覚えてる。師匠はこれをカメラって、写したこの絵を写真って呼んでた。これをいつ撮ったかは、覚えてないんだけど」

「おやっさん、か。ま、こいつがここにあって、やったのがリズじゃねえってなるんなら、犯人はおやっさんってのが簡単に予想できるところだな」

「……うん。初代のばーちゃんは、あんまり人付き合いが無かったみたいだし」

「それで、直せんのか?」


 リィズリットは考え込んだ。そして、じっくりと〈水晶の箱〉(カメラ)を眺めて、破損場所を確認する。


「……分からない。師匠が作ったのなら、設計図も残ってると思うけど……」


 確証はなかった。内部の構造や機構は理解できるとは云え、何しろ、リィズリット自体初めて触れる『魔法』なのだ。判断を下すにも時間がかかってしまう。


「……おにいちゃんはね、おえかきがすごいすきだったの」


 顔が髪に隠れてしまうほどに俯いたまま、ぽつりとミリアが言った。


「でもね、わたしがちいさいときに、おにいちゃんがけがしちゃって、おえかきできなくなったの。おにいちゃん、すごいかなしかった、って。そんなときに、『まじょ』にもらったって」

「『魔女』……その人は、どんな人だった?」

「……わたしはおぼえてない。でも、おにいちゃんはよくはなしてて、いいひとでおもしろいひとだった、っていってたよ」

「なんか、やっぱりおやっさんぽいな」

「……うん」


 目に浮かぶようだった。困っている人に、その見てくれに似つかわしくない優しさで接する。師匠らしい、姿だ。


「そう言えば、そのお兄ちゃんはミリアちゃんがここに来てることは知ってるの?」


 ミリアは口を真一文字に閉ざすと、いやいやをするように頭を振った。あちゃー、とリィズリットは額に手を当てる。


「……ま、だとは思ってたが」

「どいうこと?」

「クラークのフルークブラットや、俺の仕事で『魔女』のイメージもだいぶ変わっては来てるが、それでも世間じゃまだまだ『魔女』なんて得体不明の、できればお近づきになりたくない人種なんだぜ」

「……あう。やっぱり、そうなんだ」

「ま、『魔法』を以前おやっさんから貰ったんなら、そこらの警戒心はないんだろうが、イーベルヘルからこんな小さい子を一人寄越すってのは、まぁ『魔女』だの『魔法』だのを除いても普通は考えられないな」


 内容こそ完全に理解できないながらも、自分の話をしていると予想したのだろう、ミリアはキョロキョロと会話するリィズリットとアーウィンを交互に見ていた。そんなミリアをアーウィンは見やり、ミリアもそれに気づいて目を合わせる。


「それに、ミリアちゃんが自分で言ってたからな。「わたしがこわした」って。それぐらい、壊したことに責任を感じてた。だから、黙って一人でやってきた。ってところかね」


 ミリアは何も答えなかったが、ばつが悪そうに俯いて目を逸らした。それが暗に間違っていない事を示している。


「……そっか。ミリアちゃん、頑張ったんだね。一人で来たのは、あんまり褒められたこと、じゃないけど」


 ミリアは俯いたままで何も答えなかった。おそらく、責められている気持ちが強いのだろう、とリィズリットは何となくだが、理解できた。


 この小さな少女の胸の中にあるのは、美しい光輝く純粋な気持ちだ。一人で長い道のりを越えるのがどれだけ困難か、それは想像に難くない。それでも、この少女はそれを乗り越えてここに居る。強い想いがあるからこそ、それが成し遂げられたのだ。


「……おにいちゃんの『まほう』、なおして。だいじな、『まほう』、なの」


 潤んだ瞳がリィズリットを射抜く。リィズリットは水晶のような金色の(まなこ)に、少女の姿を見た。


 黒髪に黒い瞳の、痩せっぽちな少女。

 疎まれ、嫌われ、こんな風に泣いてばかりいた、少女。

 そんな所を、大柄の男の『魔女』に救われた少女。

 そして、今――その『魔女』を継いだ少女。


『――何ができるのか』


 自問自答は鳴り止まない。

 あの大きな背中に、どれだけ近付けているのか、不安は募るばかり。

 涙に溺れていたあの日から、成長できているのだろうか。


「――分かった。なんとかしてみる」


 何かに押し出されるように、リィズリットは言った。


「ほんと?」

「うん。本当」


 小さな二つの光から目を逸らさない。


 ――背けることなんてできやしない。


 この少女は自分だ。『魔女』に助けてもらう前の自分なのだ。

 それならば――『魔女』となった自分が助けない道理はない。


「ただし、ミリアちゃん。あたしは『魔女』。『魔法』を作るのに、対価をもらいます」

「たいか……?」


 言葉の意味が解らないのだろう、ミリアはオウム返しをする。


「お代金をいただく、ってこと」

「わたし、おかね、もってない……」

「だから、ね。ミリアちゃんには、あたしが〈水晶の箱〉を直すのを、手伝って欲しいの」

「わたしに、できるの?」

「うん。ミリアちゃんにしかできないことだよ。こうして、一人でここまでやってきた、ミリアちゃんだから、できることだよ」


 おずおずと、ミリアはリィズリットの手を取った。暖かな、ミリアの体温が伝わってくる。そうして、二人ともに頷いて、笑った。


「うん。じゃあミリアちゃん。先にあっちに行っててもらえるかな。あたしは修理の準備してから行くね」


 リィズリットはリビングの先、自分の工房を指差した。ミリアはこくりと力強く頷いた。

 椅子を飛び降りて、ミリアはとてとてとリビングを駆け抜けて、背伸びをするようにドアノブを掴んで扉を開くと、その向こうへと消えていった。


「……いいのか?」

「なにが?」

「ミリアちゃんを、このままここに置いてることだよ」

「えへへ」


 リィズリットははにかんで目を逸らした。


「おい。まぁ、お前がどうしようが俺は別に構いやしないんだがよ。さっきも言ったが、『魔女』の評判はそこまでいいもんじゃねえぞ。このまま子供を連れ込んだって噂が流れりゃまだいい方だ。子供を『魔女』が誘拐した、ともなりかねねえ」

「珍しく優しいじゃん」

「ばっか、おま――『魔女』が悪く言われるとこっちも困るんだよ」


 やれやれ、とアーウィンは呆れ顔を浮かべ、盛大に溜息を吐いた。それが消えるだけの時間を待って、アーウィンはリィズリットの頭を乱暴に撫でまわして、びしり、と指を突きつけた。


「……ったく、仕方ねーな。俺が伝言運んでやるよ。これは貸し一つだからな」


 テーブルの上からパンを一つ引っ手繰る様にして奪い、「前金貰って行くぜ」と言い残して、アーウィンは足早に部屋を後にした。ややあって、外から風を切る音が響いてくる。


「さって、あたしも頑張ろう」


 一人呟いて、リィズリットはテーブルの上の〈水晶の箱〉を掴み、工房へと向かった。





「確か、このあたりにあったはず……」


 工房の本棚の傍ら、高く積まれた紙束の塔にリィズリットは頭を埋めていた。


「けほっ、けほっ」

「ああ、ごめんね。埃っぽくて」

「全くです。ご主人様は放っておくとすぐ掃除を怠るのですから。それなのに、私が掃除をしようとするとお尻に矢が刺さったように怒り狂いますし」

「だってしょうがないでしょ。この場所でどこにあるかって覚えてるんだから、他の人に触られると分かんなくなるの」

「それは片付けない人の決め台詞ですよ、ご主人様」


 そんな風に言って「ミリア様はこんな大人になってはいけませんよ」とエイプリルは囁いていたが、突っ込む余裕もなくリィズリットは探索を続ける。


「んー? あったと思ったんだけど……最後に見たの、結構前だからなぁ……」

「ほら。覚えていないではないですか。それに、それだけ大切な物ならちゃんと保管をしておくのが正しいのです」

「あーもう! エイプリルは黙っててよね……って、あったー! ぎゃーっ!?」


 紙束を引っこ抜いた途端、どさどさ、と紙の塔は倒れ雪崩のようにリィズリットは埋もれてしまう。がさがさと紙を掻き分け、這い出ると、リィズリットは手にがっしりと掴んでいた数枚の紙束をミリアに掲げて見せた。


「〈水晶の箱〉の設計書あったよ! これがあれば、修理できると思う」

「お、おねーちゃん、うしろ、すごいことになってるよ……?」

「ああ。後で片付けるからいいの。あ、あと、あたしのことはリズ、でいいよ」

「う、うん……リズおねーちゃん」


 顔をやや引きつらせてミリアは言った。その光景にエイプリルはやれやれと溜息を吐くと、黙って崩れた紙の山を整理し始めた。リィズリットはそれには何も言わず、設計書を広げながら作業用のデスクに着くと、壊れた〈水晶の箱〉と設計書を見比べ始めた。


「――ええと。うん、構造は殆ど予想通り。想定よりシンプルな構成になってるんだね。あ、でも、なかなか細かな調整もできるんだ。なるほど、レンズ周りでシャッタースピードと絞りを……ここのつまみで感光材料に合わせた調整もできるんだ。わ、それに、自動撮影もできるの……すごい、こんなの、見れば簡単だけど、自分じゃ思いつけないや。修理は……細かい傷なんかはパテで埋めて……それ以外の壊れてる部品は……いくつかは修復できそうだけど、代替品を探すしかないかな。最悪、手元にある物を加工して使う、ってのも視野に入れておいた方がいいかも」

「り、リズおねーちゃん……?」

「あ、ごめんね。えへへ、ちょっと面白くなっちゃって。うん、ちょっと調べた感じだけど直せそう」

「ほんとっ?」

「うん。簡単に見ただけだから、まだ最終的なところはわかんないけどね。これから、もうちょっと詳しく調べてみるね」


 リィズリットは机上に広げた設計書と〈水晶の箱〉を見比べながら、部品を確認していく。時折り別の紙を取り出しては、殴り書くように線を引いて文字を入れる。その光景をミリアはぽかんと眺めていることしかできなかった。


(……うん。大体どうにかなりそう。……でもレンズだけは、割れててどうしようもない、か。どうしたものかな……。流石にレンズを加工できるだけの設備はないし……。どこかに代用品があればいいんだけど。やっぱりクズ山、かな。うーん、でも……)


「……ん、これ」


 かちかち、と回せるつまみを引き上げかけて、リィズリットは中に入っているものに気が付いた。それが感光材料フィルムだと理解すると即座に開きかけた裏蓋を閉め、つまみを回して中のフィルムを巻き取る。あっという間にフィルムは巻き取られ、つまみは空転した。リィズリットは裏蓋を開けると、光が当たらないように中に丸まったフィルムを確認して、テーブルの上にあった紙で簡単に作ったケースに入れて封をした。あっという間に終わってしまった一連の動作に、ミリアはきょとんとしてしまう。


「リズおねーちゃん、なにをしたの?」

「ん。撮影済みのフィルムが残ってたから、取り出しておいたの。光に当たると、撮ったものがダメになるからね」


 そう言って、リィズリットは頭の中に引っ掛かりを覚えた。


「……あれ、残ってたってことは……ねぇ、ミリアちゃん。これ、壊れた時からそのままなの?」

「……うん、たぶん」

「そっか」と、小さく相槌を打って、リィズリットは改めて封をしたフィルムを見る。


 感光に注意を払った結果、ちゃんと確認こそできなかったが、フィルムは最後まで使い切られていたようだった。つまり、最後まで撮影を終えてから、〈水晶の箱〉は壊れたことになる。その小さな事実は疑問としてリィズリットの意識を逸らしてしまう。


「ミリアちゃん、どうして壊れたのか、って聞いていい?」

「え……」

「ごめん、ちょっと気になっただけなの。あんまり気にしないで」

「……ううん。いいよ。リズおねーちゃんになら、いっても、いいよ」


 ぽつり、と雨上がりの軒下に滴る雨垂れのような静けさでミリアは口を開いた。


「はじめは、おともだちといっしょに、しゃしんをとってもらってたの」

「友達と?」

「うん。さいしょは、ひとりずつとってた。いっぱいきれいなふくをきて、かわいくうつるように、っておけしょうもしたの」


 ミリアの視線は、その日を思い出しているように遠く、切なげだった。そこには、まるでもうその日が戻ってこないような儚さが含まれていた。


「すごくたのしかった。わたしも、ソニアちゃんも、おにいちゃんも、わらってた。それで、さいごにみんなでとろうって。でも……」


 まるで雨が止んだ様に言葉はそこで区切られる。そして、代わりに小さな手元を濡らしていたのは涙だ。


「わたしが、わるいの。さいごのいちまいって、わかってたのに、めをつぶっちゃって、うまくうつれなかった、だけなの。それなのに、わたし、おにいちゃんにいろいろ、いっちゃって……おにいちゃんは、なにもわるくない、のに、おにいちゃんのだいじな『まほう』をこわしちゃった。それから、ソニアちゃんもいなくなって、とりなおすことも、できなくなって……わたし、わたし……」


 それはほんの些細なこと。きっと誰にでも起こり得る、優しい衝突だ。


 リィズリット自身、経験はある。かつて師が隣にいた時、似たようなことに幾つも泣いて、幾つも笑った。そう、まるで――

「あ――」


 ちり、と喉の奥が焼けた。痛みは信号として、心臓へ至ると、血液と共に流転する。


(――そうだ、似たようなこと、なんかじゃない)


 胃を揺さぶられるような嘔吐感が湧き上がる。それは、忘却していた自分自身への嫌悪に近い。


(全く、同じことだったんだ)


 既視感は形を得て、目の前の少女に自らを重ねさせる。


「……ミリアちゃん。あたしもね、ミリアちゃんと同じことを昔しちゃったんだ」


 胸に湧き上がる、過去のちりちりとした苦い思いを、今を生きるための呼吸に乗せて吐き出していく。


「あたしが初めてここにきた時のこと。師匠に拾ってもらって、暖かい服も、暖かいご飯も、暖かいベッドも貰ったけど、どこかあたしは師匠に心を開けてなかった」


 それは今よりもまだ子供だった頃の話だ。人の優しさに触れるのが怖くて、それでも欲しいと強請って、それなのにいつか失う日がくるのが怖くて、結局何も変わらず――変えれず泣いてしまっていた、子供の話だ。


「師匠はいろいろあたしを楽しませようとしてくれたの。あたしもそれが分かってた。『魔女』にならないか、って言われたけど、『魔女』になるってことがどんなことか、『魔法』が何なのか分からなくて、結局何もできない自分が嫌で、優しくされるのが怖くて、どうすればいいか分からなくて、師匠を困らせてばかりいた。……まぁ、今も分かってないんだけどね」


 面倒な子供だったと思う。思い返せば、師匠には謝りたいことばかりだった。見離されていても仕方なかったのかもしれない、とも思ってしまう。

それでも、飽きもせず、必要以上に怒りもせず、親身に――まるで本当の家族のように、師匠は接してくれた。いや、むしろ――


「あたしと師匠は家族だった。だから、だと思う。泣いてばかりいるあたしに、師匠は、これ――〈水晶の箱〉を持ってきたの」


 リィズリットは机の上に置かれた、〈水晶の箱〉を見やる。夢の中のような不確かさはもうない。かつて師匠がそれを持っていたと、幼い自分自身が見たことがあると断言できる。


「それでね、言ったんだ。「リズ。写真を撮るぞ」って。あたしは絶賛反抗期の真っ只中。もちろん嫌がって、絶対にそんなの撮らない! って言って逃げた。今思えば別に写真を撮ることぐらいなんでもないのにね」


 『魔法』に対する不安がなかったと言えば嘘になる。でも、それはほんの些細な、風が吹けば飛んで行ってしまうほどの、気にかける必要もないことだ。あの頃のリィズリットは、ただ変わってしまうことが怖かっただけだった。


「それで、どおなったの?」

「結局、撮ることになったよ。でも、二回」


 リィズリットは棚の上に手を伸ばすと、小さな額縁を取って、ミリアに見せた。中にはリィズリットと大柄の男性が揃って笑う写真が収められている。


「リズおねーちゃん、笑ってる」

「うん。これが二回目に撮ったやつ。一回目はね、ほとんど無理やり撮ることになったの。師匠、言い出したら絶対に引かないから、なし崩しにそうなった。でも、嫌なのは全然変わらなくてね、あたしはむすーってずっと不貞腐れてたまま写真を撮られた。それが余計に嫌でね。あはは、勝手だよね。撮る前は散々、嫌々駄々をこねてて、いざ撮ったら撮ったで撮った写真に満足がいかなくて怒るんだから。それで、思いっきり蹴飛ばしたの」


 ミリアは目で「何を?」と訴える。リィズリットは〈水晶の箱〉を指差して少し恥ずかしそうに「これ」と言った。


「えへへ、今思い返しても、酷いことしたなって思う。当たり前だけど〈水晶の箱〉も壊れて、師匠が修理することになった」


 リィズリットは目を閉じた。瞼の裏には、大きな背を丸めて修理に没頭する師匠の姿がある。


「最初は何とも思ってなかったよ。でもね、何も言わずに黙って修理をする師匠を見てね、どんどん後悔するようになった。『魔法』が大事なものだって、最初から分かってたし、何より師匠があたしのことを考えて「写真を撮ろう」って言い出したって、気づいてたから。本当だったら、そんな気持ちを裏切ったあたしは、怒鳴られて家を追い出されてもおかしくないのに。それでも師匠は怒らないで、「悪かったな」って逆に謝ってくれて」


 ただでさえ大きな背中が、あの時はとてつもなく大きく見えた。だからこそこの人は『魔女』なのだと、真に理解できた。そして、そんな背中に追い付きたいと、真に願えた。


「ねぇ、ミリアちゃん。壊しちゃったこと後悔してる?」

「……うん」


 充分な時間を持って、ミリアは頷いた。それは、思案し迷うものではなく、自分の中で噛みしめる儀式だと、リィズリットは分かる。かつての自分がそうだったからだ。


「じゃあ、大丈夫。あたしが言えた義理じゃないけど、そう思えるのなら、きっとどうにかなるよ。やり直すことはできないかもしれないけど、代わりになる何かは見つけれると思う」

「……うん」


 か細い声を、リィズリットは笑って支える。ミリアもそれに、顔を赤くしながら笑って答えた。その笑顔はこの写真の笑顔に繋がっている。それならば、あの日の師匠に貰ったものを、この少女に渡すのが自分の役目だと、リィズリットは自分に喝を入れた。


「うっし。じゃああたしは修理を再開するとしますか――っていきたいところなんだけど……」

「けど?」

「レンズの修復方法だけが、どうしても思いつかないんだよね」

「裏山から代用品を探すというのはどうなのですか?」


 エイプリルの提案に、リィズリットは首を振った。


「最初はそう思ってたけどね、たぶん難しいと思う。このレンズ、少しでも傷が入ってたらピント調整が出来なくなって、意味ないんだ。あのクズ山にあったとしても、傷が入ってる可能性が高いし……」


 リィズリットは頭を抱えてしまう。師匠のようにと意気込んだ矢先にこの始末だ。記憶の中には、迅速に修理をする師匠の姿が鮮明にあると云うのに。師匠なら、この程度の問題を簡単に解決するに違いない。今の自分には、それをなぞることすら――


「っ! そうだ! 師匠の工房!」


 はたと気が付いて、リィズリットは叫んだ。そして、壁の向こうを鋭く見据える。


 記憶の中の師匠は、自分の工房で作業をしていた。この、リィズリット専用に作られた工房ではない。師匠の残した設計図などは移してきたものの、それ以外にはほとんど手を付けれず放置したままだ。つまり、師匠の使っていた道具も揃っているのだ。運が良ければ、かつて修理に用いた予備の部品も残っている可能性がある。


「ミリアちゃん、エイプリル! 行こう!」


 決断は早く、リィズリットはそう言い切るや否や席を立つと、もう二人に見向きもせずに工房を飛び出していた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ