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異国の青年は、近付いて来る四人に気付くと、サングラスを取りスーツの内ポケットにしまいながら、サチ達に向かって颯爽と歩いてきた。
もたつくことのない流れるような動作。
四人の前で立ち止まると、家族の先頭にいた弟に、神国語で尋ねた。
『コーソン様ですか? 』
『は、はい。あなたは、姉の迎えの方ですか? 』
サチの弟は、一瞬たじろいだが、直ぐに立ち直り、聞いた。
彼も現役大学生だ。日常会話程度は、神国語が話せた。
異国の青年は、『はい。』と、丁寧にうなずいた。
それを聞いて、サチの弟は、体を少し右にずらした。
サチが、異国の青年の前に立つ。
異国の青年は、一瞬目を見開くと、サチの目を見つめながら、微笑んだ。
目元は想像以上の美しさだった。
甘すぎない切れ長の目。
瞳の色は、青色。それも、日の光を受けた海の色のような明るい青だ。
『 初めまして。ヴィルアムです。サチさんを迎えにきました。』
異国の青年は、名前をヴィルアムと名乗ると、軽く会釈をした。
サチが、家族にも『封印の巫女』であることを隠している事情を知っているのだろう。
軽い挨拶にとどめたようだった。
挨拶するヴィルアムを間近に見た母親は、頬に両手をあてて、ボウっとしていた。
父親は、一瞬呆気に取られたが、なんとか立ち直り、会釈を返した。
挨拶を受けたサチはというと、ホッとしていた。
物凄い美形な青年だが、サチを見て、微笑んだ目が優しかった。サチは、遠目で見た印象と違い、なかなか感じのいい人じゃないかと思った。
サチは、流暢な神国語で答えた。
『初めまして。サチ・コーソンです。お世話になります。』
サチが、軽く頭を下げてからヴィルアムを見上げると、ヴィルアムは、じっとサチを見ていた。
そして、目が合うと、微笑んで頷いた。
サチは、その視線に戸惑いながら、曖昧に微笑んだ。
ヴィルアムは、小さくクスリと笑うと、『早速まいりましょう。』と、コーソン一家を促した。
気が付くと、人が人を呼び、先程からギャラリーがかなり増えていた。
四人は、促されるまま、ヴィルアムの後に続いた。
歩いて移動しているの間、誰もがヴィルアムの姿に目をとめた。
一八五センチを超えるほどの長身でスタイル抜群の美しい異国の青年だ、当然だろう。
そして、その後ろをちょこちょこ付いていく、ごく普通の家族は、対照的すぎて随分滑稽に見えているだろうと、サチは思った。
サチは、後ろからヴィルアムの広い背中を見つめながらつくづく思った。
チャーター機にしてもらってよかった、と。
そして、こんな人と一緒に旅客機に乗ったら、視線の矢に晒されて、精神的に死んでいただろう、と。
見送りとを隔てるゲート前に着くと、家族とはここでお別れだ。
と言っても、今の時代、連絡手段など様々なのだが、なんとなく、しんみりしてしまう。
母親と父親が、サチの健康を気遣って声をかける。
ヴィルアムも、片言のイツシ語で、両親に心配しないよう声をかけていた。
その間に、弟もサチに声をかけてきた。
「姉ちゃん、……気を付けてな。」
「うん。着いたら連絡するね。お母さんたち、頼んだよ。」
一週間前に神国から手紙が来て以来、弟は、何か言いたげだった。だが、本人もどう尋ねればいいのか分からないのだろう。
サチは、気付かないふりをした。だが、しばらくして落ち着いたら、弟だけには、本当のことを言おうと心に決めた。
手を振って家族と別れると、サチは、ヴィルアムと共にゲートに入って行った。
ゲートを入り、サチの家族から完全に見えなくなってから、ヴィルアムは、出国の手続きをする多くの人の流れとは別の方向にサチを促した。
その方向に進むのは、サチとヴィルアムだけだ。
しばらく歩くと、多きなガラス張りの広い通路に入った。
駐機されている多くの飛行機が遠くに見えた。
さらに遠くには、離陸する飛行機も見えた。
サチは、その光景に目を奪われながら、顔を横に向け、足だけを前に進めていた。
だから、気付かなかった。
ヴィルアムがサチの方を向いて立ち止まったのを。
サチが前のヴィルアムに気付いたときには、遅かった。
歩みのままヴィルアムの胸に飛び込むことになってしまった。
『ご、ごめんなさい! よそ見して……っ!! 』
サチは、ヴィルアムの胸に手をついて、あわてて謝罪しようとした。
だが、体に無遠慮についた手から仕立てのいいスーツの手触りと、その下の逞しい胸板を感じて、さらに慌てて手を引っ込めようとした。
だが、ヴィルアムは、サチの慌てた姿に優しく微笑むと、サチの両手を自分の両手で包み込むように持った。
そして、膝をつき、サチを見上げた。
『ど、どうしたんですか!? 』
サチは、思わず前や後ろをキョロキョロとみて、自分たち以外誰もいないか確かめたが、ヴィルアムがサチの名を呼んだので、視線をヴィルアムに戻した。
『サチ様……。改めまして。オキムオージュより神官長ユンベルグの代理として、『封印の巫女』サチ様をお迎えに上がりました、神官ヴィルアムと申します。サチ様にお会いできる日を心待ちにしておりました。私と、ご帰国頂けますでしょうか? 』
朝の光がヴィルアムを照らし、サチに返事を請う瞳の青が自ら発色するように美しく輝いていた。
『……はい。』
サチは、小さいながらも、はっきりと返事をした。
神国に行くことは、決まりきったこと。
ヴィルアムが、「帰国」と言う言葉を使って聞いてきたのは、これ以降『封印の巫女』として、神国で生きて行く誓いの言葉のようだった。
サチが返事をすると、ヴィルアムは、安心したように微笑んで、サチの手の甲に軽く口づけを落とし、そこを手のひらでそっと包み込むと、一瞬、ぎゅっと握った。
サチが反応する間もなく、ヴィルアムは、さっと立ち上がると、またサチを促し歩き始めた。
サチもまた歩き出したが、心臓がドキドキして、顔が熱い。
脳内では早口で捲し立てていた。
「何! いまの! 胸にドンって! 手にキスして、ぎゅって! さっきの挨拶の時もそう! 見つめられたり、触れられたり、どんな顔したらいいのよ! さらに、こんなに色気ダダ漏れで神官って! 」
ヴィルアムの態度が、『封印の巫女』に対してのものでも、男性からこんな風にされたのは、初めてだった。
『封印の巫女』の記憶の中で、神国と周辺の国々ではスキンシップを大切にしていた。時代が過ぎてもそれはかわらないようだ。手の甲にキスなど、女性に対する挨拶程度のことだ。
しかし、現実で今生きているのは、サチという女性だ。
サチは、今まで恋をしたことがない。
ヴィルアムに恋をしたわけではない。男性のこういう行動に全く免疫がなかった。
そもそも、この国にそんな習慣はないし、こんな美形もいない。
ものすごく恥ずかしかったのだ。
年齢は、充分大人だが、心は、十代の初々しさだ。
今後、こんなことは度々あるだろうことは予想できたが、どういう顔をして対応していいのかわからない。
サチは、動悸の激しい胸を押さえて、ヴィルアムの後ろを悶々と考えながら歩いた。
「いい人そうなんだけどな。スキンシップは遠慮したい。でも、郷に入れば郷に従えか……いやいや、ない。ないな。無理だわ。絶対無理。」