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部屋にもどると、 PCデスクの椅子にどかりと座った。
サチは、持ってきた、封筒とビール缶をデスクにおき、 頭にはタオルを被って、まだ濡れていた髪をわしゃわしゃと拭いた。 ついで、ビールで、ゴクゴクと喉を潤した。
それから、一息つくと、デスクの右上にあるPCを引き寄せ、電源を入れた。
PCが立ち上がるまで、封筒をながめながら、またビールを飲んだ。
立ち上がったPCで、『神国』に関するキーワードを幾つか入力し、検索をしてみた。
昨日までのサチにとって、『神国』は、外国だった。
巫女の記憶は三百年前で途絶えている。現代の状況は一般知識としては、知っていたが、そこまでだった。
サチは、検索できた膨大な件数の中から、目についたものを適当に開けて、ざっと目を通した。
『オキムオージュ』、通称『神国』。
王家の紋章は、女性が両手を広げ、五振りの剣を抱き抱えるような図柄。
この女性が、王家の始祖の女神であるとか、じつは封印の巫女であるなど、諸説がある。
それぞれの剣の柄の部分には、白・黒・赤・青・碧の宝石が描かれていた。
そして、この宝石こそ、神国の『力』の秘密だ。
神国の主産業は、宝石の採掘、加工、販売。
神国で産出される多種多彩な宝石の中に、『魔』の封印の力が宿った石、封印石が取れるのだ。
石は五色あり、それぞれ自ら淡い光を放っているのが特長だ。
この封印石が、はるか昔から世界各地に運ばれていった。
古くから、『魔』のあるところには、その国や土地の宗教や習慣にのっとり、鎮めのために、建物が建てられ、その中に偶像や崇拝対象が安置された。
その偶像の装飾品や崇拝対象に、神国の石が使われ、『魔』封印の力を発揮してきたのだ。
では、『魔』とは、何か。
『魔』は、世界の至るところから噴出する瘴気。
人が触れれば、精神を病み、健康を損ない、死に至る。植物なら、死滅。動物なら、人間と同様、中には狂暴化し死に至るまで暴れまわる。
もっと濃い場所は、『魔』が集まり異形となって歩き回り、そこには生命がなくなる。
『魔』の正体は、現代になっても解明出来ないでいた。人類の負の感情の集まり、人類の誕生以前に存在した者たちの遺物など、様々な説がある。だが、成分を採取することもできず、ましてや、その土地を掘り返すことも、できるはずはなかった。
どこでも土地を掘れば、『魔』が噴出するわけではない。
人類は長い長い年月をかけて、噴出場所を把握し、一つずつ封印してきた。現代に至るまで、多くの国が興亡を繰り返したが、封印場所は、厳重に管理し続けられてきた。
サチが住むイツシの国にも、大型の『魔』の噴出場所があり、管理されたその場所の周辺は、広大な範囲が立ち入り禁止のため、樹海と化していた。
『力』の宿った封印石も、その効力を永遠に保つことはできない。さらに、封印石さえあればいい、と言うわけではなかった。
神国でなければならない、もうひとつの秘密。
『力』ある人の存在だ。
運び、発動し、力を補う。 彼らは、封印師と呼ばれる。
この『力』ある人は、神国の民の中からしか生まれない。国外で生まれれば、その人の家系が神国にルーツがあるということだ。
そのため、神国には、『力』ある人を教育する組織があり、そこで認められると、封印師として世界各国に派遣される。
その組織には、世界各国からの出資金や企業・個人からの寄付金により莫大な運営資金が集まっていると言われている。
この組織に入ることは義務ではないが、封印師と認められれば、多くの特権を持ち、高額の収入が約束される。
望んでなれるものではないため、世界中の尊敬と憧れの職業だ。
このように、世界中の『魔』は封印石により封じこめられているが、例外はどこにでもある。
世界には、政治が不安定で内戦状態であったり、あるいは、辺境の国々もまたある。
それらに存在する『魔』の噴出口は、敵陣営との境界線にするためだけに、封印石が安易に破壊されたり、管理不足で、宝石の効力が切れたまま放置されたりしていた。
そのため、その国々に住む人々は、間近にある『魔』の恐怖に常に晒されている。
そういう土地では、神国の組織に入らず、地域に密着して、『力』を使うものや、引退した封印師や神官の善意で活動がされていたが、『魔』の規模や紛争による妨害で、そういった活動でも手に負えない場所は、放置せざるをえない状況だ――。
「神国の王位継承と『封印の巫女』」について。
神国の王位の継承と同時に起こる巫女の覚醒は、先代までは、ただただ神秘な出来事だった。
だが、現代になると、三百年に一度、王位の継承の際に、巫女の覚醒が起こるのではなく、王位の継承がそれに合わされているということは、誰もが気付くことだ。
要は、王位継承と巫女覚醒が同時であれば、イベント性が高く、それだけ、王家の権威も増すということだ。
これについては、全くその通りだ。
サチの記憶でもいつかの時代からかそうなっていた。
巫女の記憶を引き継ぐといっても、いちいち、いつ何が起こったかなどの日常の出来事を覚えきれるものではなかった。
時代が古くなるほど、重要な記憶以外のものは薄れていた。
しかし、神国側としては、俗世間の声など聞こえないというふうに、古くからの慣わし通り、巫女の覚醒に合わせて二年前も式が執り行われた。
大幅な時間を割いて生中継されていた。
サチもテレビで見たのを覚えている。
世界中が『封印の巫女』の覚醒は本当に起こるのか、と注目した。
前回の覚醒から長い年月を経ているため、現代になると、歴史家や研究家の中では、『封印の巫女』の実在を疑問視する意見が多かった。
三百年も時間を経れば、『封印の巫女』は、伝説の域だ。
その説によると、実際に三百年毎の封印を行ったのは、神国の『力』ある人たちであり、『封印の巫女』とは、彼らが結集した大きな『力』そのものをそう名付けたのでは、というものだ。
そのため、二年前に、結局、巫女の覚醒が報告されなかったことはこの説を裏付けた格好になり、俗世間では、これが定説になりつつある。
実際、世界各所に蔓延る『魔』を、一々再封印して回っているのは、そういった人たちだった。
三百年毎の大封印も、彼らが行うものと言われたほうが、よっぽど説得力も馴染みもある。
一方、神国側では、歴史家や研究家が騒がしくしていることに、無関心に静観しているようだったが、内心は、巫女が見つかっていない状況で、実在を信じろと言うわけにもいかず、動揺し、歯痒い二年間を過ごしていたのだろう。
ただ、サチからの、世間から隠してほしいという希望は、定説になりつつある風潮に乗れば、容易なことなはずだ。
事情を知るものは、たいへんなジレンマを感じているだろうと、サチは、思った。
サチは、PCの画面から目をはなし、ぼんやりと正面の壁をみつめながら、またビールをゴクゴクと飲んだ。苦味と刺激が喉を通る。
サチは、椅子の背もたれに体重を預けた。
「……なかなか複雑な状況。」
サチは、画面をみながら、ふうと深く息をはいた。
先代までは、単純明快だった。
仲間と共に諸国を巡り、『力』を奮う。その国やその土地の人々に感謝され、また次へ移動する。敬われることにプレッシャーは感じたが、ただひたむきに自分に与えられた仕事をこなすだけでよかった。
現代の状況に助けになる記憶はなかった。
その場で、大きく手を上げて伸びをすると、体を一気に脱力させ、首をコキコキと左右にストレッチさせた。
「とりあえず、神官長に連絡とるかな。明日の昼休みならあっちの時間もちょうどいいし。」
この現代の複雑なしがらみなんか、全部理解なんてできっこないと、早々に諦めた。
サチは、本人が聞けば強く否定するだろうが、繊細さに欠ける、出たとこ勝負な性格だ。
翌日、仕事の引き継ぎや、その資料作りなど、忙しい合間を縫ってやっと取れた休憩時間。
サチは、神官長に連絡をとるため、休憩用のラウンジのカウンター席に座り、カウンターに右肘で頬杖をつくと、ゆっくり目を閉じた。
「―――…神官長、神官長……。サチです。」
淡い光に包まれて、神官長ユンベルグは、姿を現した。サチの姿を捜して辺りを見回していたが、サチの姿を認めると、破顔して近付いてきた。
「巫女?! おぉ! よく呼んでくださいました! 」
ユンベルグは、矢継ぎ早に話を続けた。
「手紙は、受け取って頂けましたかな? 使いの者が、直接お渡ししなかったと報告しましたので、叱責しておきました。」
ユンベルグは、苦々しい顔でそう言うと、サチには、すみませんと頭を下げた。
サチは、 叱責したとの言葉に、顔も知らない、手紙を届けてくれた人をとても不憫に思った。
そして、使いの人について、フォローしつつ、気になっていたことを聞いてみた。
「叱責なんて、とんでもない! 大丈夫です。しっかりと受けとりました! ……ところで、使いの方は、一泊して帰られたんですか? こちらまで遠いですしね。」
神官長は、目を大きく開いて、意外そうに言った。
「まさか。」
「えーと、まさか、とんぼ返り? 」
「いえ、いえ。」
首をゆっくり振ると、次の言葉で、サチをへたらせた。
「そのまま滞在し、あなたの護衛をしています。」
「……護衛、ですか。」
へなへなと座り込んだが、ユンベルグは、「はい。」と言って、自分も胡座を組んで座った。
サチは、昨日から今日の今までに視線なり、気配なり全く気づかなかった。
神国のある、大陸北西部周辺の国々は、男女ともに背が高く、顔立ちもハッキリしている。
髪や瞳の色も様々だ。
世界で活躍する有名モデルや俳優たちは、主にそういった国々の出身だ。
黒髪黒目で平均身長もそこそこの、この国でウロウロしていれば目立つはずなのに、全然気づかなかった。
神官長は、さらりと言った。
「プロですから。しかし、メッセンジャーとしては、やはり不合格。」
ユンベルグは、まだ何か言っていたが、サチは、もう、「はぁそうですか。」としか言えなかった。
チャーター機のことも、贅沢すぎると言ってみたが、にっこり微笑んで「お気になさらず。」と、軽くいなされた。
サチは、神官長のこの微笑みにどうも弱いようだ。
もう子供のように、こくこくと首を縦に振るしかなかった。
それから、昨日、自分で調べたことなど、世界の複雑な状況に不安になったことも正直に話してみた。
神官長ユンベルグは、またもにっこりと微笑んだ。
「分からないことは、いちいち周りの者たちにご質問ください。あなたが尋ねられることを厭わしく思うものは誰もおりません。」
神官長のこの微笑みと言葉で、サチの心に決まりがついた。
「もう、どーんと飛び込もうじゃないの! 」
***
瞬く間に、日にちは過ぎ去り、きっちり、一週間後の日曜の朝。
サチは、見送りの両親と弟と共に空港に来ていた。
時間通り、指定された場所を見つけた。
見つけたが、近付けない。
何故ならそこには、素晴らしく美しい異国の青年が立っていたから。
立派な体格に、高い身長、黒に近いダークな色のスーツをしなやかに着こなし、スタイルも抜群だ。少しウェーブのかかった金髪を綺麗になでつけ、目元はサングラスでわからないが、鼻筋、唇、そして顔の輪郭からかなりの美形が想像される。
これで、目元が不細工なら詐欺だ。
右手をズボンのポケットに軽く入れて、時計を気にする姿からオーラが放たれ、近付けない。
実際、周辺にいる人たちは、一定の距離をおいて、キャーキャーいったり、目が釘付けになっているが、声をかける勇者は誰もいなかった。
サチたち四人は、ひそひそと確認しあう。
「サっちゃん。待ち合わせ場所って、あそこよねぇ? 」
サチが、何回も見た手紙を思い出し、母親に頷いた。
「うん。あそこだね。」
「あの人がいるから、近付けないじゃない。」
母親が、困ったように頬に手を当てた。
「あの人が、迎えの人だろ? 」
弟の言葉で、サチと両親は、顔を見合わせた。
母親は、はっと気づいたように、手を口許にあて、父親は、うんうんと大きく頷いた。
「やっぱり、そうだよね……。」
サチは、長時間一緒にいるのだから、もっと気さくな感じの人がよかったと、若い女子らしくないことを考えていた。
しかし、「よし! 」と気合いを入れると、弟を先頭にして、四人は恐る恐る近付いていった。