6
サチは、差し出された封筒を、息を詰めて見つめていた。
そんなサチを、母親が、「早く入りなさいっ! 」と急かし、リビングのソファーに座らさせた。
サチの前に置かれた、A四サイズの上質で、真っ白い封筒。
封筒の上部には、金色の豪華な装飾に囲まれて、王家の紋章が、これもまた金色の輝きをはなっていた。
右隣りには母親が座り、ペーパーナイフの刃の方をサチに向けて、早く開けろと言うように、渡してきた。
かなり興奮しているようだ。
左側には、弟がスツールに座り、サチの方に体をむけて、何が出てくるのか、期待に輝いた目をして待っている。
父親は、すでに帰っていたようで、ラフな服装で、夕食もほぼ食べ終えた様子だった。
みんながいるソファーの方を向いて、食卓の椅子に、片足だけを胡座に組んで、片手に缶ビールを持ち、何が始まるのか待っていた。
サチは、せめてビールを一口飲ませてくれと言いたかった。
封筒を裏返すと、赤い封蝋がされていた。
みんなの注目を一身にうけ、ペーパーナイフで、出来るだけ綺麗に慎重にあけた。
中には、書類が二枚と、手紙が一枚入っていた。
母親と弟はよく見ようと、さらに身を乗り出した。
父親も好奇心に負けて、缶ビールを持ってソファーに移動し、サチの正面に座り直した。
封筒と二枚の書類を、横一列に綺麗にテーブルに並べた。
書類は賞状の様な様式で、文字は、横書きの流麗な筆記体で書かれていた。
四人は一斉に賞状のような書類に視線を落とし、そして、両親と弟が一斉にサチを見た。
目が、「「「何? 」」」と、言っている。
サチは、三人に、待て待て、と両手でジェスチャーをし、二つ折りになっていた手紙をひろげた。
サチにも何がなんだかわからないのだ。
神官長からも、昨日の今日で、何も聞いていない。
手紙を読もうとすると、弟が何かに気付いたようだった。
「姉ちゃん、姉ちゃんっ! 」
サチは、視線を手紙に落としたまま、左手で、まあ、ちょと待て、とまたジェスチャーをした。
弟は待ちきれなかった。
「姉ちゃんって……、言葉できるの? 」
その言葉に、えっ! となって、弟の顔をみた。
サチは、何気に手紙を読もうとしたが、大陸の共通語は、島国のものにとっては、第二外国語として、勉強しなければならない言語だ。サチも学生時代は散々苦しめられた。しかし、いまは、母国語のように、内容が読み取れた。
サチは、忘れていた。
巫女には、あらゆる国のあらゆる言葉が扱えることを。
サチは、あと十年早く、いや、せめて、就活の時にこの能力欲しかったっ! と、手紙を持つ両手に、力を込めたのだった。
手紙の冒頭部分を少し声に出して読んでみた。
完璧な発音!
家族からは、おぉ! と感嘆の声があがった。
書類の内容は、受けた記憶のない、王宮職員採用試験の合格通知と、王宮職員への採用証書だった。
手紙は、やはり、神官長からで、王宮の首席補佐官の計らいで、サチの身分を王宮職員とすることで、メディアから隠すこと。出国にあたり、サチが在住する都市の最寄りの国際空港に、チャーター機を手配するので、迎えの者と搭乗してほしいことなどが、書かれていた。
物証を見せられれば、両親が信じない訳がなかった。
サチは、家族に、新しい仕事が決まったこと。今の会社を退職することを、内心冷や汗をかきながら、不味い部分はふせて、辻褄が合うように、身ぶり手振りでペラペラと説明した。
弟は信じられないようだった。
「此処って……、あの『神国』だよな? いつの間に……そんな試験って……。それに言葉も……。」
神国、正式名称は、オキムオージュ。
世界には一つの大きな大陸があり、それを中央大陸。その東西南北に、大小様々な島国が点在していた。
神国は、中央大陸の北西部に位置する、小国だ。
西は海に面しているが、他の三方はいくつかの国に接している。
中央大陸の共通語は、神国の公用語。つまり、神国の言語が、世界の共通語として使われている。
国内は、王家を頂点とした貴族社会だが、伝統を守りながらも、貴族・民間人の差別なく、企業活動をし、経済的にも発展していた。
『神国』という通称は、『魔』封印の力を持つという神秘性から、そう呼ばれ、世界中の多くの人々が、神国を崇拝の対象としていた。そのため、王宮前や見学者用に開放された神殿前の広場には、世界各国から日々多くの観光客が訪れていた。
母親は、娘を現地ガイドにして、海外旅行に行けると喜んだ。
父親は、でかした! というふうに、ビールの缶をサチの方に掲げて、祝杯のように、グビグビ飲んでいた。
弟だけが、まだ混乱していた。
「あ! それに、母さんが、預かったって言ってたけど、王宮から直接持ってきたってことか!? 」
それを聞いて、浮かれていた母親が、得意気に封筒を受け取った状況を話し始めた。
「そうなの! 宅配かと思って出たら、外人さんがいてね。スーツをビシッと着て、若くてかっこよかったわー。 それでね、片言でね、『サチさんは、いらっしゃいますか? 』って、聞いてきたんだけど、仕事ですって、言ったら、渡してくれって、封筒を渡されたのよ。こんな立派な封筒でしょ? よく見たら、その紋章! お母さんにだってわかるわよ。もう、ビックリして! 」
弟は、拳に顎を置き、なるほどと頷いた。
「……人間宅配便か。今では、業者もあるけど、母さんが会った人の雰囲気からだと、直接持ってきたんだろうな。神国からだと、時差が九時間くらいか……飛行機だと……だいたい十二、三時間かな。」
「あの人、本物の王宮の人ってこと? すごいじゃない! でも、そんなに時間がかかるのね。お茶でも出せばよかったわ! 」
サチは、二人の会話を黙って聞いていたが、弟の言葉に、焦った。
神官長は、近日中に連絡するとは言っていたが、早すぎる。
メディアに出たくないと希望する自分のために、首席補佐官という偉いさんらしい人がすぐに手配したのだろう。書類を持たされたのは、多分、王宮の若い事務官か外交官か。さらに、事情も聞かされていないはずだ。時計一回り以上かけて飛行機に乗って、電車を乗り継いで、着いてみれば普通の民家、さらに、相手は留守中。そして、またとんぼ返り。
サチは、土下座して謝りたい気持ちだった。せめて、一泊付きの出張であってほしい。さらに、神官長からの手紙には、『チャーター機に搭乗』とあったはずと、文面を確かめた。金額がいったいいくらかかるのか、想像出来ないことが、怖かった。
弟は、まだ混乱していた。
「いくら、神国でも、職員の採用通知を直接持ってくるか? 神国だから特別なのか? …… 何なんこれ。あれ? え? 姉ちゃんって……何なん? 」
「あんたが、何なんよ! もう大人でしょ? わーわー言わないの! 」
うろたえているが、何か勘づきそうな弟に、さらに焦った。
サチは、この話はお仕舞いとばかりに、テーブルの上の書類を手早く封筒にしまった。
唖然とする弟をよそに、用意してあった夕食をさっさと食べた。それから、風呂に、ぱぱっと入ると、冷蔵庫からビールを一缶とって、まだリビングにいた家族に「おやすみー。」と言い、とっとと、二階の自室に引っ込んだ。
サチ自身が、「何なん、これ! 」と聞きたかった。
口頭で済むような偽りの内容を、丁寧に偽装してわざわざ持ってくるとか、飛行機をチャーターするとか。
『封印の巫女』という存在に対して、自分と神国側との温度差がかなりあることに、サチは、頭を抱えたくなった。