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何もない暗い空間のなか、二人は適度な間をおいて、向かい合って座りなおした。サチは正座で、ユンベルグは長くゆったりとした神官服のなかで胡坐をくんだ。
先に話しだしたのは、サチのほうだった。
「えーと、それで、ですね。」
サチは先ほどとは一転して、緊張していた。
たとえ、自分が大層な巫女だとしても、「サチ・コーソン」としての人生の厚みは、たかだか二十四年。社会に出てまだ日の浅い若い娘だ。
あらためて神官長と向き合ってみると、会社の重役と話しているような気分になった。いや、相手は、中堅企業の重役どころか、世界の中でも特別な国で、神官の長を任されている人だ。緊張で汗が出てくる。
サチは、まずは自己紹介をすることにした。
「あらためまして、私の名前は、サチ・コーソンといいます。」
名前からはじまり、自身や家族のこと、仕事のことなど、簡単に説明した。
ユンベルグは、相づちをうちながら、聞き漏らさないよう聞いていた。
仕事の話しをしているときに、ふと思い付いたので、サチはその話をユンベルグに言ってみた。
「ところで、そちらへの入国時期なんですが……。」
ユンベルグはすぐに話に食い付き、サチが仰け反る勢いで言ってきた。
「早急に! 早急に、お願いいたします! 」
サチにもユンベルグの逸る気持がわかったが、こちらにもこちらの事情が、ある。
「いままでお世話になった場所に、出来るだけ迷惑をかけたくありません。それに、家族や親しい友人との時間も大切なんです。一か月の猶予をもらえませんか?」
退職願いは最低一か月まえが、この国の社会人として常識だ。さらに、家族への説明や親しい友人へ挨拶もしておきたいと思い、そう言った。だが、ユンベルグの反応は、眉を八の字にして不満げなものだった。
その顔は、以前、営業から急ぎの仕事があり、課長からの仕事を、すぐには取りかかれないとサチが言ったとき、 「それ、ホントに重要な仕事なの?」と言った課長の顔と同じだった。
サチのなかで、神官長ユンベルグは重役から一気に課長級になった。
サチは、思わず、先程ちらりと確認した神官服につく装飾の意匠をもう一度見た。そこには確かに、神官長の位を表す、それぞれ色が異なる五つの宝石と五振りの剣がデザインされていた。この人はやはり神官長だった。サチの眉が情けなく八の字になる。
「では……、二十日でどうです? 」
サチは、脱力気味に譲歩してみた。
神官長ユンベルグは、ゆっくり首をふった。
「三日で、お願いします。」
「二週間。」
「五日。」
「十日! 」
「……。」
「一週間、一週間で! これ以上は、まけれません! 」
サチは、人差し指をビシッ! と立てて言い切った。
「はぁ……。わかりました。では、一週間後にお迎えに上がるということで。」
神官長と巫女の会話とは思えない、値切りのようなやり取りで、期日については決定した。
ユンベルグはため息を吐きながらも、他にご要望は? と聞いてきたので、これは是非にと、強い口調で言った。
「マスメディアへの私に関わる露出は、一切なしです。――今後、活動の支障になりますので。」
この件については、ユンベルグも直ぐに意図を理解し納得したが、ただ、ぽつりと、残念そうにつぶやいた。
「本来なら、国をあげて祝い、世界中に発表するべき慶事ですのに……。」
サチは心のなかで、目を剥いた。
「と・ん・で・も・な・い! 」
そんなことをしたら、世界中大騒ぎだ。テレビでは、小学校や中学時代の拙すぎる作文や文集が紹介され、高校や大学時代のもっさい卒業写真をデカデカと引き伸しパネルにされて晒されるのだ、きっと!
自分でも忘れようと努力して、ほんとに忘れてしまったような過去があらゆるメディアを使って暴露されるのだ、想像するとあまりにも恐ろしすぎた。
活動の支障云々も本当の事だが、作文や文集云々の阻止がサチにとっては、最優先だった。
「そこのところは、くれぐれもっ! 頼みますよ! 」
今度はユンベルグが仰け反る勢いで、サチは念を押した。
「承知しました。」
ユンベルグも大きく頷き、安心させるように微笑んだ。
さすが、神官長の貫禄の微笑みだった。
それを間近で見たサチは、実際、神官長にまでなってる人だ、仕事はできるのだろうと、脱力気味だった気分を少し浮上させた。
話も一区切りついたところで、今度はユンベルグが話しはじめた。
「……肩の荷が降りました。これで、漸く退官できます。」
「……。え……? 退官? 」
サチは耳を疑った。
「はい。覚醒した巫女を捜すのは、その時代の神官長位についた者の最大の仕事です。成し遂げた後は後継に後を譲りたいと思っていました。私の後継はまだ若いですが、仕事のできる男です。ご心配なく。」
サチは慌てた。
「え……。で、でも、あなたは知識も経験もおありのはずです。私は、今後もあなたに力になって頂きたい。」
だがユンベルグは静かに首を振った。
「ありがとうございます。しかし、申し訳ありません。私は市井に降りたいと思っております。私にも少しばかりの『力』が、あります。巫女には比ぶべくもありませんが。しかし、世界の辺境で『魔』に苦しむ人々の少しは助けになると思っています。」
神官長の言うことは素晴らしいことで、もちろん賛成したいとサチは思った。
だが、何故今なんだ! もうしばらく先でもいいじゃないか!
サチはユンベルグに縋った。
「神官長、たとえ私に力があり、役目もわかっていたとしても、今の時代の国や世界のことは右も左も分からないただの小娘です。どうかその知識と経験で私を助けてくれませんか? お願いします! 」
自分のためにサチも必死だ。
だが、ユンベルグは全く譲歩してくれなかった。
「国にはあなたを助ける多くの者がいます。あなたなら大丈夫です。どうか、つつがなく役目を果たされますように。」
ユンベルグは晴れやかな表情だった。
その顔は、以前、新入社員――たしか名前はロイ君。彼が就業時間を過ぎてから任された仕事がたいへんそうだったので、手伝ってあげようかとサチが言ったとき、「僕、用事があったんで助かりました。あとお願いします。」と言って、仕事を丸投げして帰った時の顔と同じだった。
サチは何も言えず、唖然とユンベルグを見ていることしかできなかった。
ユンベルグは、スッと立ち上がると、サチに丁寧に礼をした。
「では、早速、陛下にご報告いたします。詳細は、近日中にご連絡いたします。」
そう言って、現れたとき同様、神官長ユンベルグは淡い光に包まれて姿を消した。
何もない暗い空間で、サチは深く深く、長い長い溜息を吐いた。