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Ⅸ.俺が魔法少女的なこの世界に存在しない訳がない!

「ち、遅刻しちゃうのだー!!!」


 少女の名前は中村ララ。

 黒い短髪に、桃色のメッシュ。小柄な体に、セーラー服。そして、口の間できらりと光る八重歯。


「もう、ララは本当に仕方がないにゅー」


 全速力で走るララに誰かが話しかける。だが、彼女のそばに人影は見当たらない。いったいどいういうことだろうか。


「ニャモリンもどうして起こしてくれないのだー!? ニャモリンが起こしてくれてれば、今頃こんなに走らなくてもよかったのだー!」

「ニャモリンはちゃんと起こしたにゅー! でも、ララが起きなかったんだにゅー」


 必死に腕を振り上げながら、それでもララは何もいない宙に声をかける。いや、何もいない訳ではない。確かに周りの人間から見れば、そこにいるのはただ一人の少女だけ。だが、いる。彼女の目にだけ映る、謎の生きもの。

 見た目は小さなうさぎのぬいぐるみ。首には赤色の宝石が散りばめられた金の首輪をはめている。しかし、首輪の下に胴は見えず、てるてる坊主のような柔からかな布が伸びていて。そんな生物が風船のようにふわふわと空中を泳いでいる。


「うちが起きるまで起こすのだ! そうじゃないと、意味がないのだ!」

「そんな、むちゃくちゃだにゅー」


 ララはうさぎに似た不思議な生きもののことをニャモリンと呼んだ。

 そのニャモリンは首を横に気だるく振りながら、やれやれといった表情で溜息を漏らした。


「で、でも。このペースなら何とか時間に間に合いそうなのだ」


 景色がずいずいと流れ、視界の先に小さく白い建物が見えてくる。ララの通う中学校だ。

 そこは極めて平均的な偏差値を持つ学校で、たまに部活動が県大会に出場したりしなかったり、ときどき生徒が何かのコンクールに選ばれたり選ばれなかったりする。突出している部分はないが、取り立てて悪い要素も見当たらない。そんなごくごく普通の学校だ。ちなみに高校への進学率も並みである。


「よーし、スピードを上げるのだ!」


 そう言ってララは脚に更なる力を込めた。次いで、加速していく周りの風景。少し前かがみになった彼女の体が、風をどんどん切り裂いていく。


「ん? ちょっと待つんだにゅー!」


 だがその瞬間、隣を飛んでいたニャモリンが叫んだ。


「え? え? 急にどうしたのだ?」

「あれ! ララ、あっちの道路を見るんだにゅー!」


 ニャモリンが示したその先。そこには一人の老婆がいた。しかし、どこか様子がおかしい。


「あのおばあちゃん、倒れてるのだ!」


 そう。ララの言った通り、老婆は横断歩道の真ん中でうつぶせに倒れていた。どうやら車はまだ来ていないようだが、いつまでその状態が続くかは分からない。

 そうしている内に、歩行者用の信号がちかちかと点滅し始める。老婆の周囲にはタイミング悪く人がいなかった。


「ララ、変身だにゅー!」

「分かったのだ!」


 ララはそう言って学生鞄から小振りのステッキを取り出す。

 色はピンクで持ち手はハート。そして上へと伸びるバーの先には、ニャモリンの首輪のそれと同じ宝石が飾られている。


「スウィート・ラビット! ジュエル・フォーゼ!」


 ステッキを新体操のようにくるくると回し、最後に天空へと掲げるララ。すると、先端の宝石からピンク色のきらきらとした光が溢れ出し、彼女の体をすっぽりと覆う。そして、花のつぼみのような形になったそれがポンと弾けると、そこからリボンたっぷりの可愛らしいドレスのような衣装を着たララが現れた。


「世界を愛で包み込む、ラブリー・エンジェル! スウィート・ラビット!」

「そういうのはいいから、早くおばあちゃんを助けに行くんだみゅー!」


 ドヤ顔で決めポーズを決めるララを、ニャモリンが急かす。


「も、もう! これは魔法少女として大事なことなのだ!」


 ララは不満げにそう抗議しつつ、アスファルトを蹴った。途端、普通に走っていたときとは比べ物にならないほどの大きな推進力が彼女の元に飛来する。イメージは鳥。走ると言うより、飛び立つような勢いで彼女の体がリリースされた。


「あ!」


 けれど、その瞬間。ニャモリンの紅い眼に、横断歩道へと侵入してくる大型トラックの姿が映る。老婆の体は車体の影に隠れて、運転手からは見えていない。


『ドルルルン』


 空気を揺るがす重たいエンジン音。まるで、冷徹な死神がその鎌を振り上げるかのように、トラックが老婆目がけて無造作に突っ込んだ。そして――。


「のだー!!!」


 間一髪、スウィート・ラビットことララが老婆を抱えてそこを駆け抜ける。まさにギリギリの紙一重のようなタイミング。あと一秒でも助けるのが遅れていたなら、老婆は無事では済まなかっただろう。


「大丈夫なのだ!?」

「……ありがとう……ねぇ」

「おばあちゃん、どうかしたのだ!? お腹が痛いのだ!?」


 しかし、まだ予断は許されない状況下。老婆は小声で何とかお礼を言いつつも、額には脂汗を浮かべており、しきりに服の胸元部分を掴んでいる。 


「たぶん、何かの病気だにゅー! 病院まで連れていくにゅー!」

「わ、分かったのだ!」


 そして、ララは老婆を近くの病院まで送り届け、そこから改めて学校へと向かった。だが、そのとき既に始業の鐘は鳴っていて。結局、彼女が教室の扉を開いたのは一時間目の授業が終わったあとだった。


「あーもー、また遅刻なのだ―」


 担任の教師にひとしきり怒られたあと、ララは机に突っ伏しながら不満を漏らす。


「まぁでも、おばあちゃんが大丈夫そうでよかったにゅー」

「それは確かによかったのだ。でも、結局今日も遅刻して、ここ最近ずっと怒られっぱなしなのだー」


 ニャモリンが明るい声でなだめるも大した効果は見られない。それどころか、ララは溜息をつきながら更にぶうたれる。


「というか魔法少女って損なのだ。今日だって、学校に遅れたのは本当は道端で倒れていたおばあちゃんを助けてたからなのだ。でも、それを言っちゃうとうちが魔法少女だってことがばれちゃうかもしれないから、寝坊だって嘘つかなきゃいけないのだ!」

「う、うーん。寝坊が本当に嘘かどうかは置いておいて。ララは魔法少女、嫌なのにゅー?」

「え? そ、そう言われると困っちゃうのだ。うち、人を助けるのは大好きだし。それでスウィート・ラビットととしてだけど、町で表彰されたこともあるし。魔法少女の衣装は可愛いし。魔法で空も飛べちゃうし……」

「そうだにゅー。魔法少女には楽しいこともあるんだにゅー」

「う、うぅ。まぁそうなんだけど、何か納得いかないのだ!」


 ララはそう言いながら、両手を上に振り上げた。他の人間からは、ララが机でうなだれながらぶつぶつと独り言を呟いたかと思うと、いきなり脈絡もなく大声を上げて起き上がったように見えただろう。なにせ彼らにはニャモリンの姿が見えないから。そして、だとするならばそれは言うまでもなく不審な行動で、周りから心配されたり、あるいは何らかの病気を疑われたりしても致し方のない流れである。

 だが、意外にもララを見るクラスメイト達の目は優しい。まるで、子どもか小動物に向けられるような穏やかな視線。どうやらララの突飛な行動は、彼女の無邪気なキャラクターの一要素としてこのクラスでは受け入れられているらしい。


「それよりも、そろそろ次の授業が始まっちゃうにゅー。準備はできたのかにゅー?」

「あ、そうなのだ! 次は国語なのだ。頑張るのだ」


 そして予鈴が鳴った。

 その拍子に、今まで遊んでいた生徒達が一斉に席に着く。また、うしろを向いておしゃべりをしていた者も、机の上で寝ていた者も授業に備えて教室前の黒板に視線を移した。だが――。


「あれ? 先生が来ないのだ」


 それから数分立っても、授業を行う教師が一向に現れない。次第に教室内がざわつき始め、休み時間のような空気が戻る。


「もしかして、先生も寝坊なのだ?」

「あはは。ララじゃないんだから、それはありえないにゅー」


 にやにやとするララを、ニャモリンは鼻で笑った。

 それを聞いて、むっと頬を膨らませるララ。そんなとき、彼女の鼓膜に誰かの放った叫び声響く。


「きゃー!!!」


 驚いてララが音の出所を探ると、それはどうやら教室の外。運動場で体育の授業を受けているクラスから聞こえてきたものだということが分かった。


「な、なんなのだ!?」


 ララは机から立ち上がり、窓から外の様子を覗いてみる。追随するように数人の男子が、彼女に続いて窓を開けた。

 すると、何やらそこにいる生徒達が皆同じようにこちらの方を指差していて。いや、正確にはもっと上。ララが今いる教室よりも2、3階ほど高い場所を彼らは不安そうに眺めている。そして。


「飛び降りだ!」


 誰かが叫んだ。


「ニャモリン!」


 そう言うのが早いか、否か。ニャモリンが宙に浮いたまま窓から飛び出して、屋上の状況を確認する。


「た、大変だにゅー! 国語の先生が屋上にいるにゅー! 今にも飛び降りちゃいそうだにゅー!」


 ララはそれを聞いてすぐに教室を飛び出した。何人かのクラスメイトの視線が、反射的にララの動きを追いかけたが、自然と教室の外で高まる喧騒にまた注意が戻る。だから、彼女は誰に止められる訳でもなく、スムーズに女子トイレの個室に辿り着くことができた。


「スウィート・ラビット! ジュエル・フォーゼ! 世界を愛で包み込む、ラブリー・エンジェル! スウィート・ラビット!」


 魔法少女への変身を早々と終わらせたララは窓のサッシに脚をかけ、そのまま一気に外へと飛び立つ。そこから地面までは割と高さがあったのだが、彼女は問題なくふわりと降りることができた。しかも、着地の瞬間にはデフォルメされた星のような物体がぴこんと発生し、彼女の可愛らしさを強調する。何ともあざとい。


「あ! スウィート・ラビットだ!」

「本当だ! スィート・ラビットだ! 来てくれんたんだ!」


 ララがそこに現れると、生徒達が歓声を上げた。


「私が来たからにはもう安心なのだ!」


 それに笑顔で応えるララ。

 町でも活躍してかなり有名になったせいか、周りの反応はとても友好的だ。


「頑張れー! スウィート・ラビット!」

「ラビットさん! ファイトー!」


 次々にララへと贈られるエール。

 気をよくした彼女は、自分で考えた決めポーズを一通りやってみた。それがまた生徒達にウケるウケる。


「ラビちゃん、可愛い!」

「こっち向いてー!」


 そして、どんどん活気づくその場の空気。まるでお祭り騒ぎ。いつの間にか校舎の窓からも生徒達が声援を贈っている。


「……」


 それを見てララは思わず口元を両手で隠しながら、にやにやと笑ってしまった。


「や、やっぱり魔法少女になってよかったのだ!」

「もう、ララ! そんなことしてる場合じゃないにゅー!」


 そんな状況に活を入れたのは、そこまで飛んでやって来たニャモリン。

 ララはその声ではっと我に返る。


「あ! 先生のこと忘れてたのだ!」


 屋上の方へララが視線を向けると、幸いにも国語の教師はまだ飛び降りていなかった。


「ふ、ふぅー。よかったのだ」

「よかったのだ、じゃないにゅー。先生のことを忘れてどうするんだにゅー」

「ご、ごめんなのだ。で、でも結果オーライなのだ!」


 ララはそう言いながら、周りの空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


「先生! どうして、そんな所にいるのだー!? 危ないから、早く降りてくるのだー!」


 そして屋上の金網の外で佇んでいる教師に声をかける。

 彼はそれに返事をするようにぼそぼそと小さく何かをぼやいた。とてもじゃないが運動場までは届かない微かな声で。

 だが、ララの耳には届いている。彼の漏らす痛ましい囁きが。


「……僕は誰からも必要とされていないんだ」


 彼は確かにそう言った。


「……僕は誰をも必要としていないんだ」


 とも。

 その声は抑揚を極限まで欠いていて、もはや声というより物音のような。

 彼はそんな悲しい言葉を吐き終えると、ついに一歩を踏み出してしまう。


「きゃー!!!」


 また、悲鳴が響いた。


「させないのだ!」


 しかし、そこにはララがいた。魔法少女スウィート・ラビットがいた。

 彼女は魔法のステッキをくるくると回し、教師の落下地点に向かって振り下ろす。


「フィッフィー・キャロット!」


 すると、『ぼんっ』という破裂音と共に巨大なスポンジ状のニンジンが出現した。宙に投げ出された教師の体は、その柔らかな生地に包まれて地面との接触を免れる。


「ふぅー、何とかなったのだ」


 額の汗を拭きながら、ララは言った。また、『ひゅっ』と風を切る音を生みだし、彼女は駆ける。


「先生、いったいどうしたのだ?」

「……」


 そして、目の前には巨大ニンジンケーキからずり落ちて、がっくりとうなだれている教師の姿があった。


「何か嫌なことでもあったのだ?」

「……さっき、言った通りだ。僕は誰からも必要とされていないし、誰も必要としていない。だから、生きる意味はない」


 彼はそう捨てるように言う。淡々とした口調だが、どこか切なくて。無理矢理感情を押し込めているような、そんな声。


「どうしてそう思うのだ?」

「……」


 ララの声はそれとは対照的だった。まるで、どこまでも空を駆けていく鳥のような。豊かな野に芽吹いた、元気な花のような。


「誰からも必要とされていないなら、僕は周りから見て僕が生きている理由はないし。僕が誰も必要としていないなら、僕から見て僕が生きている理由がない。つまり、外からも中からも僕が生きる理由がなくなった。だから……」

「そんなことは聞いていないのだ」

「え……?」

「うちが聞いているのは、『どうして自分が誰からも必要とされていないって思うのか』ってことなのだ」

「……それは。だって、誰からも僕が必要だって言われていないから」

「うちは先生のことが必要なのだ」


 それは当たり前のように響いた。ごくごく自然に。吹き抜けるように。

 そうしてララは無邪気に笑う。


「そ、そんなその場しのぎの言葉なんて信用できない。どうせ、僕を騙すためについた嘘にきまってる……」

「嘘じゃないのだ」


 ララはそう言って手に持ったステッキで空中に丸を書く。すると、ピンク色の花弁体を包み込み、次に彼女が現れたときには魔法少女の衣装ではなく、普通の制服を身に着けていた。


「君は……中村ララか」

「うちは先生の国語の授業が好きなのだ。テストの点数は悪いかもだけど、勉強自体はすっごく楽しいのだ。今日だって教室で、授業が始まるのを楽しみに待ってたのだ。だから、うちは先生のことが必要なのだ」

「……だが、僕自身が。もう、誰も必要としていない。だから……生きる意味なんて」

「だったら、先生はうちのために生きればいいのだ」

「へ?」

「今日から先生は、うちが魔法少女に変身する度に応援しに来るのだ。学校でも町でもどこで変身しても先生は駆けつけるのだ。そして、うちの活躍をノートにまとめたり、それを皆に宣伝したりするのだ。つまり、スウィート・ラビットのファンなのだ。スウィート・ラビットを必要とするのだ。そうすれば、それが生きる意味になるのだ」


 そして、ララは悪戯っぽい表情を浮かべながらステッキを振る。すると、再びピンク色の花がつぼみが彼女を包み、次の瞬間には人差し指を唇に当てたスウィート・ラビットが立っていた。


「ただし、スウィート・ラビットの正体がうちってことは誰も知らないから、それは先生とうちだけの秘密なのだ!」


 その瞬間、ニャモリンの慌てた声が彼女の耳に届く。


「ララ、大変だにゅー! 町にアドラーが現れたにゅー!」

「マジなのだ!? すぐ行くのだ!」


 ララは最後にもう一度だけ教師の方を振り返った。


「先生、うちは体調不良で早退したことにして欲しいのだ!」


 呆然とする教師を置いて、ララはその場から一気に空へと飛び立っていく。

 取り残された彼はというと、なんだか不思議と垢ぬけた顔をしていて。


「……ファンねぇ」


 教師は右手で頭をかきながら苦笑いした。




「着いたのだ!」


 ララが現場に到着すると、既に現場は酷い有様で。普段は人通りも多く、活気の溢れた商店道がしんと静まり返り、壊された建物の破片があちらこちらに散らばっている。


「これは酷いにゅー! アドラーの奴、町をこんなにするなんて許せないにゅー!」

「本当なのだ! あそこの和菓子屋さんなんて、うちのお気に入りの店なのだ!」


 涙目になりながら悔しそうに地団駄を踏むララ。


『ドカーンッ!』


 そのとき大きな爆発音が響き渡った。


「ララ、あっちから音がしたにゅー! 行ってみるにゅー!」

「分かったのだ!」


 音のした場所に、ララは一目散に駆けつける。

 すると、そこにはぶくぶくと太った豚のような生物がいた。しかし、ただの豚ではない。全身に浅黒い鎧を身にまとい、当たり前のように直立二足歩行で立っている。また、自由になったその右前足には禍々しい形をしたこん棒が握られていて。顔はにやにやと下品に歪んでいた。おそらくこれがララ達の言う、アドラーなのだろう。


「いたのだ! 倒すのだ!」

「ちょ、ちょっと待つにゅー!」

「ん? どうしたのだ、ニャモリン!? 早くあいつを倒さないと、また町が壊されるかもしれないのだ!」

「ち、違うにゅー! あいつのうしろを見るんだにゅー!」

「え? って……あれは、クリスティーぬちゃんなのだ!」


 視線の先には山田=クリスティーぬが倒れていた。

 流れるような長い金髪に青い瞳。そして、今にも透けてしまいそうなほど白い肌。もちろん髪型はツインテールで、真っ赤なリボンをつけている。

 クリスティーヌの母親はイギリス人で、父親は日本人。つまりハーフだ。だから顔立ちは驚くほど整っている。いや、更に言うと父方のおじいちゃんがフランス人で、母方のおばあちゃんがドイツ人である。また、血筋を辿るとブラジル人もいたようで、そのサンバ独自のナイスバディが見事に彼女にも遺伝していた。つまり、おっぱいがでかい。


「ニャモリン! クリスティーぬちゃんがロープで縛られてるのだ!」

「たぶん、アドラーにやられたんだにゅー! 助けるにゅー!」

「合点承知なのだ!」


 クリスティーぬはララと同じように、可愛らしい装飾の施されたドレスのような衣装を着ていた。しかしアドラーとの戦いのせいか、その節々が無残にも破れ、生地の間で麗しき肌を覗かせている。


「くらえなのだー!」


 ララがそう言いながらステッキを回すと、彼女の周りに急速にピンク色の光が集まってくる。そしてそれが互いに合わさり、重なり合い、一つの巨大な球体を頭上に生成した。


「マジカル・ボマー!」


 呪文と同時に、アドラーに向けて自動車ほどに収束された光が放たれた。光は周りの空気を切り裂きながら、一直線にターゲットへと向かっていく。だが。


「げへへ」


 アドラーは嫌らしく笑った。そして余っていた左前足でクリスティーぬの髪を掴むと、強引に自身の前まで持ってくる。


「な! やばいのだ!」


 それを見て、ララはアドラーに向けて真っ直ぐ伸ばしていたステッキを力任せに持ち上げた。すると、それに呼応するように光の塊は途中で急激に進行方向を変え、クリスティーぬに当たるすれすれで上空へと飛ばされていく。


「はぁ、はぁ……。ぎ、ぎりぎりだったのだ」

「あいつ、クリスティーぬを盾にしたにゅー! これじゃあ、こちらから攻撃ができないにゅー!」


 無理な魔法の使い方をしてしまい、一気に体力を持っていかれたララ。アドラーの行動に動揺するニャモリン。

 そんな彼女達に追い打ちをかけるかのようにアドラーが口を開く。


「げへへ。おで、お前達の仲間捕まえた。だから、おで、お前殴る。お前、反撃できない」

「……な」


 アドラーは口から汚らしく涎を垂らしながら、ララ達の所へやってきた。左前足には気を失ったクリスティーぬ。


「好きにするがいいのだ」


 ララは力なくそう答えた。そうして握っていた魔法のステッキも静かに地面に置く。


「ララ!」

「……仕方がないのだ、にゃもりん。クリスティーぬちゃんを見殺しにはできないのだ」


 次に見えた光景は、大きく振りかぶられた無骨なこん棒。それが手加減なしにララの体に落ちてくる。


「うぐぅ!」

「ララ!」


 吹っ飛んだ、まるで紙切れのように。殴られた勢いのまま、そばの建物にぶつかっていく。


「げへへ」


 アドラーは笑っていた。笑って、立っている。どういう訳か、殴ったのは一度だけ。ぼうっと突っ立ったままで、飛ばされたララの元へ行こうとはしない。行こうとはしないで、また口を開く。


「おで、ここで待つ。お前、ここに来る」


 それは宣言だった。攻撃を耐えるだけでなく、「ララ自身の足でここまで殴られに来い」という。


「はぁ、はぁ。……分かったのだ」


 足元をふらつかせながらララは立ち上がった。

 変身するとそれまでよりも肉体が強化される。だから彼女は魔法少女時、通常では考えられないパフォーマンスを行えたり、大きな衝撃に耐えることができたりできるのだ。しかし、それでも敵からの防御不能、それもフルパワーの攻撃を受けるのには分が悪い。

 アドラーの攻撃を受ける度、彼女の小柄な体に深刻なダメージがどんどん蓄積されていく。


「……ララ!」

「大丈夫……なのだ、ニャモリン。こいつが気が済むまでの我慢なのだ」


 そして、やっとのことでアドラーの元へと辿り着くララ。腹部を右手で押さえ、粗く呼吸をしている。

 そんな彼女にまた、配慮のない一撃が放たれた。


「あがぁ!」


 ララの体が無造作に空中へと投げ出される。それが、固いコンクリートとの衝突でやっと止まる。


「うぅ……」


 手足を曲げ、体を抱きかかえるようにして、ララは必死でその苦痛に必死に耐えた。額を粘り気のある汗が伝い、歯は痛々しいほど食いしばられている。


「速く来る。じゃないとおで、こいつ殺す」

「……今、いくのだ」


 絞り出されるような小さな声。ララは顔を伏せながら、体を引きずるようにしてアドラーの所へ向かう。


「げへへ」


 また、殴られた。それが何度も繰り返される。ごつごつと硬いこん棒がララの小さな体を何度も殴打する。人形のように吹き飛ばされる。そして、その度に彼女は立ち上がり、アドラーの元へと歩いていく。それが何度も。


「ララ……ぁ」


 ニャモリンは泣いていた。いや、正確にはぬいぐるみのようなその目から涙が流れ出すことはなかったが、ララの名前を呼ぶその声からはありありと悲痛な想いが伝わってくる。目の前でララが苦しんでいるのに、ただ見ていることしかできない自身の無力さが。その悔しさが。


「大丈……夫なのだ。ニャモ……リン。うちは平気……なのだ」


 そんなニャモリンにララは明るく笑いかけた。それはどれほどの苦痛だろうか。想像を絶するむごい被虐の中、彼女はそれでも笑う。自分ではなく、他者を気遣って。


「……」


 そして、またアドラーの目の前に立つ。弱々しく、だがしっかりと敵の目を見つめながら。


「げへへ」


 アドラーは醜く笑った。笑いながらこん棒を振り上げる。

 けれど、そのとき。


「ぶぎゃっ!」


 無様な悲鳴を上げてアドラーが倒れた。

 ララの眼に、ひらりと黄色のドレスが舞うのが映る。


「あんた、馬鹿じゃないの!?」


 クリスティーぬだった。意識を取り戻したクリスティーぬが、隙をついて縛られたままアドラーを思い切り蹴り飛ばしたのだ。


「あぁ……クリスティーぬちゃん。よかった……のだ。気が付いた……のだ」


 そうしてふらふらのララが笑う。優しい安堵の表情を浮かべて。


「もう、馬鹿! なんでそんなぼろぼろになってんのよ、馬鹿!」


 クリスティーぬはララに詰め寄った。感情の起伏のせいか眼は淡く潤み、声は震えていて。


「だって、クリスティーぬちゃんが捕まえられてたから」


 そんなクリスティーぬにララは強い視線を送った。


「そんなの私なんか無視して攻撃しなさいよ!」

「それは、できないのだ……」

「あんた、馬鹿なの!? もし攻撃できないんなら、せめて逃げなさいよ!」

「それこそできないのだ。だって……クリスティーぬちゃんはうちの大事な友達なのだ。見捨てることなんてできないのだ」


 ララは当たり前のように言う。何てことのない言葉を、何の飾り気もなく。


「……っ! 馬鹿! あんたって本当に馬鹿!」


 ララを罵倒しながらも、真っ赤にした顔を背けるクリスティーぬ。そのやり取りから、二人の間にはしっかりとした絆があることが分かった。どういうことだ。


「ララ! クリスティーぬ!」


 そしてニャモリンが二人の元に飛んできた。ニャモリンはくわえていた魔法のステッキをララに渡し、クリスティーぬを縛っていた縄を噛み切る。


「ニャモリン、ありがとうなのだ!」

「行くわよ、ララ!」


 二人は同時に魔法のステッキを天に掲げた。

 すると、ララのステッキからはピンク色の光が、クリスティーぬのステッキからは紫色の光が放出され、そのまま遠く空を泳ぐ雲を貫く。いや、それだけではない。輝きがその場に戻って来る。二つの色が混ざり合い、大きなエネルギーとなって。


「……げへへ」


 アドラーの方を見ると、相変わらず嫌らしい笑みを浮かべながらよろよろと立ち上がろうとしていた。

 そこを目がけて落ちてくる光の塊。


「「ダブル・ラブリー・ストライク!!!」」


 声が重なり一つになる。


「うがああああああ!!!」


 そして光がアドラーの体に降り注ぎ、一片残さず全てを呑み込んだ。


「……やった。勝ったのだ」


 ララは強張っていた体から力を抜き、そのまま尻もちをつく。


「もう、結局勝てたけど……私のために敵の攻撃を受けるなんて二度としないでよね! 今回なんて、もし私が目を覚まさなかったら、あんた今頃死んじゃってたかもしれないんだから!」


 クリスティーぬも同じくその場に崩れ落ちた。崩れ落ちて、ララを責める。


「でも……もし、クリスティーぬちゃんがうちの立場だったら、たぶん同じことをすると思うのだ」


 しかし、ララは嬉しそうに言葉を返した。

 クリスティーぬの方を見ると、ララに負けず劣らず傷だらけで。そんなぼろぼろの自分よりも、ララの心配をしてくれる。


「し、しないわよ、馬鹿! 私なんてもう、あんたも敵もまとめて粉砕よ、粉砕!」

「クリスティーぬちゃんは嘘が下手なのだ」


 だからララは笑った。幸せそうに。満たされたように。

 だが、そのとき。


「げへへ」


 その場にあの嫌らしい声が響く。


「二人とも、うしろだにゅー!」


 ニャモリンの叫び声。

 それに反応して飛び退くと、二人が元にいた場所がアドラーのこん棒で抉られる。


「そ、そんな、どうして!?」

「倒していなかったのだ!?」


 アドラーは生きていた。それも全くの無傷で。二人の協力攻撃を受けたにもかかわらず、飄々と立っている。


「げへへ。おでにも、仲間いる」


 ふと、その後方へ視線を動かすと、赤黒く焼け焦げたアドラーそっくりの生きものが倒れていた。どうやら、アドラーはそれを仲間と呼んでいるようで。奴は自分が受けるべき攻撃を、仲間を犠牲にすることで逃れたのだ。


「うち、なんだかあいつ許せないのだ」

「外道ね」


 二人はステッキを強く握りしめた。


「げへへ。おでの仲間、一人だけ、違う」


 しかし、アドラーのその一言で状況が変わる。


「な、なんなのだ?」

「これは、骨が折れるわね」


 アドラーの言葉に呼応するように突然、周囲の建物の陰から奴と同じ豚のような生きもの群れが現れた。それも一匹や二匹ではない。百は越そうという群生が、まるで巣から出てくる蟻のようにうじゃうじゃと、瞬く間にその場を埋め尽くす。


「げへへ、お前達、ここで死ぬ」


 嫌悪感を煽る声でアドラーが笑った。同時に、他のアドラー達が一斉にララ達に襲いかかってくる。


「ホーリー・アロー!」

「ラビット・ファイアー! なのだ!」


 二人は背中を合わせ、互いに呪文を唱えた。しかし、多勢に無勢。ステッキから打ち出された魔法は、先頭の二、三匹を倒すだけ。群れの行進は止まらず、前のアドラーが倒れると、すぐにそのうしろから新しいアドラーが現れる。


「……っく、エンジェル・ダスト!」

「キャ、キャロット・バズーカ!」


 せきたてられたかのように、強力な呪文を唱える二人。それは広い範囲を光で包み込み、先ほどよりも多くの敵を打ち払った。けれど、この巨大な群れの総数を考えると、それも微々たる戦果で。

 二人はどんどん追い詰められていく。


「こ、このままじゃ押し負ける……」

「や、やばいのだ」


 二人は更に多くの魔法を使って応戦した。だが、群衆の数は減ることを知らず、ますます増えていく。どれほど二人が敵を薙ぎ払おうとも、それを超える供給がその場に放たれ、空間を埋めていった。


「げへへ」


 アドラーの発する笑い声もどんどん大きくなって。まるで不快な音だけで構成されたオーケストラ。汚らしい声が、洪水となって二人の元に降り注ぐ。


「も、もう限界」

「これは無理なのだ……」


 そして一際耳障りな声で、最初のアドラーが笑う。


「げへへ、これで、終わり」


 群れが二人を呑み込んだ。あたかも、荒れ狂う津波のように。


「ララ! クリスティーぬ!」


 ニャモリンの悲鳴がその場に響き渡った。だが、それも下品な豚達の合唱にかき消されてしまって。

 そのときだった。


「……ゴースト・プロトコル」


 小さく可憐な声で呪文を囁く声がした。


「うがっ」

「ごべぇ」

「ぐぶ」


 次いで、足元に発現した巨大な影がアドラーの群れを次々と包み込んでいく。包み込まれたアドラー達は悲鳴と共に一瞬で消失し、周囲を取り囲んでいた群衆が急激にその規模を減らしていって。


「げへへ……な、なんなんだぁ?」


 ついには最初にいたアドラーを残して、全てを消し飛ばしてしまった。


「ディア・ファントム! 来てくれたのだ!?」


 豚の群れから解放されたララが叫ぶ。彼女の視線を辿ると、建物の屋根の上に一人の小柄な少女が立っていた。

 少女は二人と同じく可愛らしい装飾が施されたドレスのような衣装を着ており、色は黒。だが、顔は舞踏会で用いられるような白いベネチアンマスクに覆われいてて、表情を確認することはできない。


「……あとは、二人で頑張って」


 そして、ディア・ファントムと呼ばれた少女はすっと身を翻し、姿を消した。


「うん! ありがとうなのだ、ディア・ファントム!」

「べ、別に助けて欲しいだなんて言ってないんだからね!」


 二人はそう言うと、一匹だけ寂しく取り残されたアドラーを振り返る。


「それで、よくも手こずらせてくれたわね」

「きついお仕置きが必要なのだ」

「げ、げへへぇ……」


 高圧的に睨まれたアドラーが笑った。だが、今回のそれは今までと違い、どこか怯えたような色合いを含んでいて。


「げ、げへえ!」


 悲鳴のような笑い声と共に、アドラーは二人に背を向けて走り出した。

 対する二人は力強く魔法のステッキを天に掲げる。


「聖なる力!」

「世界を丸ごと包み込む愛!」

「「二つを合わせて無限の力へ! プリティ・マジカル・カタストロフィー!!!」」


 そして、凄まじい爆風と神々しい光が嵐のようにその場を包み込み。


「げへえええええええ!!!」


 今度こそ全てを終わらせた。


「勝った……」

「勝てたのだ……」


 もつれ合いながら、お互いを抱きしめるように倒れる二人。


「ララぁ……っ! クリスティーぬぅ……っ!」


 すると、ニャモリンが涙声で飛んで来た。


「あはは、心配させてごめんなのだ」


 ララはそんなニャモリンの頭を撫でながら優しく微笑む。


「あーあ、お腹が空いたのだ」


 そして淡く沈む夕日の中で三つの笑い声が重なった。




「ただいまなのだー!」


 ララが玄関の扉を開けると、そこには既に食欲をそそる香ばしい匂いが漂っていて。


「……おかえり」


 リビングまで行くと、華奢な体格の少女がひょこりと顔を出す。

 彼女の名前はディア。ディアゴスティーニ=松本。呼びにくいから、俺はディアと呼んでいる。ララとは血の繋がっていなくて。妹で。いや、義妹で。昔、親父が連れてきて。って、あれ。


「いやー、今日も大変だったのだ」

「……どうかしたの?」


 何だこれ。何かおかしい。何かが間違っている。


「いや、アドラーの奴が――」

「アドラー?」

「い、いや何でもないのだ! それよりも今日のご飯はなんなのだ!?」


 ララは慌てて、ディアに訊ねる。横でニャモリンが溜息をついた。どうして。


「……ハンバーグ」

「おお、うちの大好物なのだ! 嬉しいのだ!」


 どうして。ディアがこいつとこんなに仲よさそうに。いや、義妹だから当たり前だ。でも、どうして。


「……もう、お義姉ちゃんは私がいないとダメなんだから」

「ん? 何か言ったのだ?」

「……ううん」


 どうしてこいつがクリスティーぬと一緒に闘ってたんだ。どうして。どういうことだ。


「……お待たせ」

「ありがとうなのだ!」


 ほかほかと柔らかな湯気の立つ料理を食器に乗せて持ってくるディア。それをララは嬉しそうに受け取る。けど、こんなのおかしい。


「いただきまーすなのだ!」


 そしてララは笑顔でハンバーグを頬張った。ディアの手作りのハンバーグを。


「……おいしい?」

「おいしいのだ!」


 違う。ディアはこいつにこんなこと訊かない。


「……よかった」

「ディアの作る料理は何でもおいしいのだ!」


 クリスティーぬもこいつに笑いかけたりしない。違う。


「……じゃあ、サラダも……食べて」

「う。や、野菜は苦手なのだ」


 違う。こんなの違う。こんな世界は。こんな世界は。


「……」

「わ、分かったのだ! 食べるのだ! だから、そんなに睨まないで欲しいのだ!」


 こんな世界は間違ってる。


「……よろしい」

「あはは……なのだ」

 

 そこで俺の意識はまるで糸が切れたかのように、ぐにゃぐにゃと形をなくしていく。


「……よ」

「……のだ」


 深く深く沈みゆく混沌。捻転する虚飾の世界。その中で俺は必死にもがいて、大きな力に懸命に抗って。何かとても。そう。とても大切なことを思い出そうとしていた。


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