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Ⅵ.そんな訳ないです。

 編集長は額に青筋を浮かべながらではあったが、割りかし丁寧な動作で手にした原稿の端をぽんぽんと叩いて揃える。その姿からは、仮にも一つの作品を全て読み終えることへの達成感があったのか、先ほどよりも幾分冷静さを取り戻しているかのように感じられた。感じられたのだが、それもつかの間。


「どういうことだあああああああああ!!!」


 編集長は、今日何度目かになる絶叫をその場に放った。


「え? どういうことって、編集長分からないんですか? 魔王ですよ、魔王。最近業界内で流行ってるでしょう? 魔王が出てくるライトノベル」


 熱いお茶が入った湯呑みに口づけながら坂田は言う。それは先ほどの社員が淹れてくれたもので、彼女は空になった編集長のコーヒーカップを代えるついでに自分の湯呑みも代えてくれた。とても気がきく人だなぁ、と坂田は思う。

 部署内に視線を配ると、周りの人間もさすがに編集長の怒号に慣れてきたようで、通常通りの仕事を淡々とこなしているのが分かった。


「まーおーう? ああ、魔王ね。そりゃあ知ってるさ! 最近はたくさんそういう作品が出てるよなぁ。そして確かに売れてる。まぁ、小説家ならそういう傾向もチェックするべきだ。でもな。いくら魔王をテーマにした小説でも、話の途中で何の脈絡もなく魔王が出てくる作品なんてないんだよ、コノヤロウ! ああ!? 読者置いてけぼりか、バカヤロウ!」


 しかし、その編集の長である人間がこうも見事に取り乱しているのにはいささか考えさせられるものがある。確かに小説の締め切りは2日、つまり明日だ。それも何度も印刷所に期限を延ばしてもらったあとでの、泣きの締め切り。そんな切羽詰まった状況下で、全くもって小説としての体裁をなしていないものを提出され、慌てふためく気持はよく分かる。よく分かるが、もうちょっと人の話を聞いた方がいいのではないだろうか。坂田は相手に聞こえないようそっと溜息をつきながら、そんなことを考えていた。


「てゆーか、どうしたんだよ! ボルケイノ=松本は! いったい何に目覚めちゃったんだよ!? さっきまでめちゃくちゃではあったけど、一応楽しい高校生ライフ送ってたじゃん! 何、いきなり魔王に就職しちゃってんの!? 進路は安定か!? 安定なのか、バカヤロウ!」

「まぁ、まだ高校生なのにしっかり自分で進路を決められる松本君は立派だと思います。私なんて、大学卒業してもしばらくふらふらしていましたから」

「そうだよなー。俺も自分が高校生だったときは、まだ雑誌編集の道に進むなんて思ってもいなかったよ。いろいろ社会のこと経験して、いろんな所で失敗して。それで人間は大人になっていくんだよなー……ってアホかぁ!!! そんな現実的な話してんじゃねーよ! これは、小説。小説なんだよ!? フィクションなんだよ!? 読み手に夢を与えなきゃ駄目だろうが!!!」

「ええ、ですから。夢を与えるために、小説に魔王を組み込んで――」

「魔王に頼るなー!!! もう分かったから。お願いだから安易に魔王に頼らないでくれ!!! 小説はそんなに簡単じゃねえんだよ! 魔王出しときゃ読者に夢が与えられるなんて思うなよ、バカヤロウ!」

「はぁ、そういうものですか」

「そういうものです、コノヤロウ!!!」


 そこまで言うと編集長は、まだ白い湯気の立つコーヒーをふんだくるかのように手に取った。

 そして、一息入れたのもつかの間。手に持つ原稿用紙の一部分を糾弾するかのように指差して、また小説に対する罵倒を再開する。


「てか、ここだよ、ここ! 鎧とか剣とか戦場とかディアちゃんとかの部分! 二度二度、二度二度、うるせーよ! 主人公が鎧とか剣を二度と持つとは思わなかったって描写だけでもお腹いいっぱいなのに、そこに戦場まで付け足して、最後はディアちゃんでダメ押しって、もういったい何がしたいんだ、アホ! ラップかよ! こんな鬼気迫る状況で主人公は呑気にラップに勤しんでんのか、バカ!」

「ああ、言われてみれば確かにラップっぽいですね。ただ、リズム感にかけるので歌にはしづらそうです」

「しなくいーよ!!! てか、すんな! ここで主人公のラップなんて聞かされたら、俺もうちゃんと理性を保てるか自分でもちょっと自信ないよ! それに、何だこの魔剣ジハードって! ジハードは日本語で聖戦だろ! 聖なる戦いなのに『魔』剣って、いったいこの剣にはどんな過去が隠されているんだよ! 俺はもう個人的にボルケイノ=松本の今後よりも、この魔剣についての興味が止まらないよ、バカヤロウ!」

「……え? うーん、困りました。魔剣ジハードについての設定集なんかは用意してないんですよね。作った方がいいですか?」

「ああ、もう作れよ! そんで作ったらちゃんと俺に見せに来いよ! 絶対覚えとくからな、バカヤロウ! あと、他に言わなきゃいけないことはクリスティーぬだよ、クリスティーぬ! こいつの登場シーンで何で前と同じ紹介文を繰り返してるんだよ!!! フランス人だの、イギリス人だの、外国の血を混ぜればいいと思いやがって! てゆーかこいつの血筋の多様性も、おっぱいのでかさも、もう十分伝わったから、ここだけは本当に勘弁してくれ!」

「お、おっぱいのでかさ……? 編集長、それってセクハラですか?」

「もうどうだっていいよ! これがセクハラなら、むしろ俺がモラルハザードでこの作品を訴えたいわ! というかうちで出してる商品はみんな全年齢対象なんだよ!? 小学生だって読むんだよ!? それなのに、こんなにおっぱい強調された小説を出版したら、保護者からの抗議の声で会社の電話がパンクしちゃうだろーが!」

「ああー、最近の保護者の方はうるさい人多いですからねー。モンスターペアレンツとかって」

「分かってんなら少しは考えろー!!!」


 編集長は、叫んだ勢いのままばんと机を叩いて立ち上がった。そして、じろりと坂田を睨みつけたまま静止する。だが、しばらくすると急に支えを失ったかのようにぐにゃりと体を曲げて、自身の椅子へ力なく座り込んだ。その様は例えるなら、まるでくたびれた泥のよう。それに加えて、目の下にできていた隈が余計に広がった気がする。


「あ、あの、大丈夫ですか? 編集長」


 坂田は一応、気を遣ってみた。

 だが、編集長のストレスの大本とも言える彼女がいかに労りの言葉をかけようと意味はなく。彼は肺に瘴気でも溜まっていたんじゃないかと思えるような重い溜息をついて、その場に座り直す。


「……まぁ、今言ったことは別にいいんだよ。別段大した問題じゃないから」

「え?」

「いやな、二度とかジハードとかの話だ。二度が多いのは少し文章をいじればなんとかなるし、魔剣ジハードはおかしく思われないよう名前を変更したっていい。お前だってそのぐらいの軌道修正はやむを得ないって思ってるだろう?」

「あ、まぁ。はい」

「魔王の話自体はそこそこできてるし、もう時間がないから駄目でもこれでいくしかないが。もし出すとしたらあれだな、短編集みたいな体裁にして出せばいい。ああ、そうか。そうすれば、いいんだ」

「……編集長?」


 編集長は口元をひくひくと引きつらせながら、今までとは打って変わって陰気に何かを呟き始めた。その視線は酷くまばらで落ち着きが見られない。いつもきびきびと部署を回している、彼の敏腕ぶりはいったいどこへ消えてしまったのか。現在の覇気が失われたかのようなその姿からは影も形も見つけられない。

 ふと、坂田は自身の手首に目を落とす。はめられているのは去年の誕生日に自分で買った、シックなセピア色のお洒落な腕時計。その短針は以外にもまだ、1と2の間を指している。


「……はぁ」


 先は長そうだ。彼女は気分を切り替えるつもりでゆっくりと瞼を閉じ、そしてゆっくりと目を見開いた。


「編集長」

「ああ、そうだ。そうしよう。」


 編集長はまだ独り言を続けていた。

 現実逃避したい気持ちも分かるが、そろそろ彼にも覚悟してもらわなければならない。そう坂田は思う。


「編集長」

「そうだ。魔王編は主人公達の名前も変えよう。そうすれば少なくとも、意味不明な突然の場面転換だけは誤魔化せる」


 坂田の呼びかけに応えない編集長。いや、応えられないのかもしれない。雑誌の締め切り前にはときたまこういう姿も見られたが、それほどこの小説が彼に与えたダメージは大きかったのか。彼女は体力を全て浪費してしまったかのような彼を目の当たりにして、少しだけ気の毒になる。

 だが、それでもなお。例えそんな状態だとしても、こんなことでへこたれてもらっては困るのだ。何故なら。


「編集長!」

「……何だよ。もうここまで読んだんだからいいだろう? クビとかの件はなしにしてやる。俺も大人げなかったよ。だから、もう放っておいてくれよ……」

「あのですね、一つ編集長にお伝えしておかなければならないことがあります」


 そう言って坂田は椅子の脇に置いていた自分の鞄を膝の上へと持ってくる。そして優雅な動作でチャックを開き、そこから厚みのある茶封筒を取り出した。何故なら。


「それ、続きがあるんです」


 この物語はそこで終わりではないから。


「編集長が言いましたよね? 『最後まで読んで、面白くなかったら』って。だから約束通りきちんとラストまで読んでもらいます」


 いや、むしろやっと幕が開いたにすぎないから。


「な……」


 そうして坂田は最初に渡していた原稿用紙の、およそ倍以上は厚みがある封筒を編集長に差し出した。

 それを目の当たりにしたときの彼は、まるで大型犬に吠えられた仔犬のような表情を浮かべていて。彼女は少し、笑ってしまいそうになった。


「ごゆっくりどうぞ」


 会社の外ではたくさんの人々の陽気なおしゃべりが行き交っている。そんな穏やかな喧騒がゆっくりと街の中を流れ、平和な午後を彩った。


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