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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

片目の約束

作者: 七屋

 古い戸の隙間から暖かな光が射し込む。

暗い部屋を照らしだすその光はとても心地が良くて、みつるの寝起きの鈍い頭を起こしてくれた。

 ぬくぬくとした柔らかい布団に包まれていると安心するのか、ついついここから抜け出るのも億劫になってしまう。

寝なおそうか……なんて思っていると、ふと玄関のあたりからコンコンと控えめに戸を叩く音が響く。


(ああ、来たか)


 少し名残惜しいながらも、もぞもぞと布団を抜け出て戸の前へ行く。

すっかり建て付けの悪くなってしまった戸を一気に開け下の方へ目をやると、いつもの様にちょこん と子狐が座っていた。

その頭をそっと撫でてやってから、ゆっくりと抱き上げて挨拶を交わす。


「おはよ、いつもご苦労様!」


 それに答える様に少し首を揺らしてから、子狐はピョンと腕の隙間から飛び降りた。

そのまま茂みの方へ行くと、その体より少し小さいか……という程度の袋を引きずってきた。


「今日もありがとね! え、おやつ? ……しょうがないなあ」


 一生懸命にくしくし とその短い前足でみつるの足元を撫でてねだる様に、思わず笑みがこぼれる。

ちょっと待って と一言告げると家の中に戻り、いそいそと木の実の入ったクッキーをとってきて子狐に差し出した。

それをぱくりと頬張った後、小さい頭を少し下げるとまたピョンと茂みに入っていく。


「またなー!」


 それをニコニコと見送りながら大きく手を降った後、森の奥へ目をやる。

がさがさという木々と茂みの擦れる音は、だんだんと聞こえなくなっていった。

 ……しんと静まり返った森をみると、急に寂しい気分にさせられる。

感傷に浸りながら呆けていると、寝相によりぼさぼさになっている耳と尾とを風がふわり と揺らしていった。



 そう、みつるは妖狐であった。 ……正確に言うと半妖なのだが。

早くに同じ妖狐の母を亡くし、度々訪れて面倒を見てくれていた人間の父も数年前に他界してしまった。

隠れるように住んでいる山奥のこの家も一人で住むには大きすぎて、時たま寂しくなってくる。

そんな時は、山の妖怪達の所へちょっかいをかけにいったり、父が教えてくれた紅茶を一人飲んで気を紛らわせるのであった。



(……はぁ、散策でもしよっかな。

着替え、しないとなー)



 少し癖の強い淡く小金色をした髪と尻尾を整えつつ、寝間着から着替えるために、部屋へ戻る。

箪笥を開けると、古い木材のこれまた感傷を思い出させる香りがした。





 がさがさと茂みをかき分け獣道を進む。 暫く進んでいくと、色とりどりの野菜が育つ見慣れた畑が視界に広がった。

所謂家庭菜園と言うやつだ。


 別に人に化ける事もできるし人の使うと言う硬貨もあるのだが、如何せん人里に降りるのは怖い。

人と言うのは異端を嫌う、万が一妖怪だなんてバレたら八つ裂きにされるだろう。

 ……狐鍋はなるべく勘弁して頂きたい。


 しかしながら、木の実で生活するには流石に限界がある。

昔であれば父に頼んで買ってきてもらう事もできたのだけれど、今はそうは行かない。

 どうしたものか、何か無いか…試行錯誤しながら蔵を調べると、ふいに地下への扉がある事に気付いた。

……思えば父は、常に先を考えて行動する人だった。

そこには沢山の肥料と種、畑の作り方と料理のレシピのいくつか、そして父からの手紙が残されていた。

 そんな経緯で手探りで作った菜園も、ありがたい事に今や大豊作である。


「おーおー今日はトマトが食べごろだな!

あ、玉ねぎも……昼は何を作るかなあ……」



 顎に手をあて、記憶の中のレシピをあれやこれやと思いだす。

こうやって料理を作るために悩むのも、みつるの毎日のささやかな楽しみの一つなのだ。

そんな事に集中していると、ふいに ガサッ という茂みの音がした。

びくりと体が跳ねる。 何だろうか、こんな滅多に人など来る事もない山奥に。

 狼?それとも猪か? 恐る恐る音のした方へと近づく。

その瞬間、もう一度茂みの揺れる音がした。 思わず全身の毛が逆立ってしまう。

揺れは今度は一向におさまらない。 きっと実際の時間よりも長く感じる揺れの後に、その何かは顔を出した。


……それは、人間だった。


「……っ!!」



 迷わず飛びのいて臨戦態勢をとる。

――大丈夫、見た限り大人しそうな人間だ、きっと勝てる。


 そう、一考した後地面を蹴って相手に向かう。 武器である爪を伸ばし、魔力を乗せると思い切り心臓をめがけ突きたてた。

…が、しかし来るはずの肉の裂ける感触はまったくせず、その代わりに柔らかい草花が裂ける感触がした。


(……避けられ、た!?)


 素早さには相当の自信があったのに。

悔しさで顔が歪むが、もう遅い。 この体勢からでは反撃することも難しいだろう。

 次に来るであろう痛みに備えてぎゅっと覚悟を決めて目を瞑る。

しかし、想像していた痛みはいつまで経っても訪れなかった。

変わりに訪れたのは、


「そんなに不安がらなくても、大丈夫ですよ。」


という優しい声と、温かく包みこまれる感触だった。







 かたかたとやかんの震える音がする。

新しくくべた薪を奥へ追いやりつつ、今日も来客を待った。


 先日の彼は、恵一と言うらしい。 ……父と母以外のヒトガタと話すなんて事は、彼が初めてだ。

片目を覆うその紅茶の色の様な艶やかな髪の毛とそれよりも少し薄い綺麗な目、そして泣きぼくろが良く似合うふわふわとした笑顔がとても優しくて……印象的だった。

最初はこちらも警戒していたのだけれど、そんな彼と話すうちに、気付けば良い茶のみ友達になっていた。

 恵一が言うには、どうやら趣味の"ふらわーあれんじめんと"とやらに使う花を探しに来たところ迷い込んだらしい。

思い切って聞いた『妖狐である自分が怖くないのか?』と言う質問には、『まったく』と即答をし、くすくすと笑い始めた。

何がおかしいのか分からなくて頭に疑問符が浮かぶのだけど、何故かちっとも悪い気はしない。 ……本当に変な奴だ。

なんて、ついついニヤけて来てしまう頬を叩いて表情を戻す。


 不意にしたトントンと戸を叩く音に反射的にびくりと体がはねる。 ……恵一だろうか?

慌てて戸の前に行くと、思い切りそれを開けた ……と思ったのだが、力を入れすぎたらしい。

一瞬にして引き戸だったはずの物が大きな軋む音と共に勢い良く前へと倒れてゆく。

 バン! という鼓膜に響く音とともに体に衝撃が走った。 目の前には、地面と戸。

余裕で横に避けていた恵一の笑う声に我に返ると、一気に羞恥やら痛みやらが襲ってきた。

……これは、恥ずかしい。 顔に熱がどんどんと集まっていく。

思わず顔を上げられないでいると恵一は笑うのをやめて、『大丈夫ですか?』とすっと手を差し伸べてくれた。



 居間に招き入れて、お茶を注いて茶菓子をだす。

今日は、和菓子が好きだと言う彼の為にこの時期に取れる木の実を使った練りきりを作って見た。

恵一は本当に美味しそうに食べてくれるので、それを眺めているだけでこちらまで幸せな気分にさせてくれる。


「みつるさんは、耳と尻尾を隠せたり化かしたり出来るのですか?」


 茶菓子を食べ終わってお茶を啜っていると、不意にそんな事を聞かれる。

……きっと人間にとって妖狐と言えばそんなイメージなのだろう。


「うーん、俺は妖狐って言っても所詮半妖だからなー。

耳は隠せるけど、完全に姿を変えるのは無理!」

「へぇ……」


 納得したのかしないのか、恵一は考え込んでいる。

人間にもこういう好奇心旺盛なのもいるんだな なんて考えながら、冷め始めたお茶を汲み直すために腰を上げた。

ふいに、ぎゅっと尾を掴まれて思わずびくっとする。


「えっ、何!?」

「ああ、すみません。

……本当に体の一種なんだなと思いまして」


 そう言って遠慮無しにふにふにと尻尾を触られる。

心地良い様なくすぐったい様な妙な感覚がして気持ちが悪い。

思わず笑いそうになるのをこらえるのだが、恵一はそれがどうも面白いらしい。

こちらをちらちら見上げながらふにふにと触っている。


「恵さん……」


 名前だけ呼んで訴えると、ぱっと手を離しながら ああ、すみません と一言謝る。

……その顔に反省と言った感じは全くなかったのだけれど。


 ため息をつきながら台所に行くと、すっかり出が悪くなった茶葉を捨て新しい物を捜す……と同時に思い出す。

……先ほど淹れた分で、使い切ってしまっていたのだ。

これではお茶は淹れられない。 馴染みの妖怪の店へ買いに行ってくるか?と悩んでいると、視界の端に青色の葉と思わしき物の入った袋が映る。

 不思議に思い棚を探ると、そこには色とりどりの……紅茶と共に父の趣味だったハーブティの葉。

母お手製の物の劣化を防ぐまじないのかけられた袋にいられられたそれたちは、緑茶とはまた違った綺麗な色をしていた。


 料理人だったという父のもう一つの趣味は、ハーブティーのブレンドをする事。

紅茶については教えてくれるのに、これだけはいつも『もう少し大きくなったらな』と言って教えてくれなかった。

……まあ結局教えてくれずじまいだったのだけど。

 そんな物思いにふけっていると、ふと袋にメモが貼り付けてあることに気付く。 父の覚書かなにかだろうか?

折りたたまれた紙をカサカサと戻すと、そこにはズラズラとハーブの名前が書かれていた。 多分、ブレンドの一覧表だろう。

どれか試しに入れて見ようか? ……と、一つ袋を取るのだけど、その袋にはハーブの名前は一切書かれていなかった。

見た目で判断しろとでも言うのだろうか……。 元の草花も見た事がないのに、こんなの分かるわけがない。

しかたなく諦めて棚に戻そうとすると、ぺたぺたと後ろから足音が聞こえてきた。


「どうしたんです?」


 どうやらあまりに遅いので見に来たらしい。

実は。 と簡単に事の経緯を話すと『なるほど』と頷き先ほど戻した袋を手に取った。


「ああ、これはレモングラスですね。 こっちはローズマリー、ペパーミントもある。

……これなら何種類かのブレンドが出来そうです。」


 答えが分からないので正解なのかは分からないけれど、恵一はすらすらとハーブの名前を答えていく。


「恵さん分かるの?」

「ええ、知人に詳しい人がいまして少し教えて頂きました。

私にはセンスが無いのでオリジナルブレンドは出来ませんけれど……」


 その言葉を聞いて、思わず飛びつく。

そのいきなりの動作にビックリしたのか、驚きと疑問できょろきょろと目線がせわしなく動いている。


「みつるさん?」

「ねえ、恵さん! 俺にこれ教えて!!」


 これ?とハーブを指差す恵一に向かって何度も首を縦に振る。

恵一は、少し考え込んだ後頷いて、にっこりと楽しげな笑みを浮かべた。








 その後も恵一は、用事のない日はいつも来てくれた。

その度にわざわざ買って来たであろうハーブやブレンドに関する本を持ってきてくれて、いつのまにやら本棚はそれ関連の本でいっぱいになっていく。

 そうやって教えてもらって淹れたお茶を飲みながら聞く人里の事は何もかもが珍しく、聞く話の一つ一つが面白くて、ついつい質問攻めにしてしまう。

それでも嫌な顔ひとつせずにニコニコと答えてくれる恵一に、段々と信頼感を抱いていった。


……いや、信頼感と言うよりこれはきっと。



 淡く芽生えた気持ちを自覚し始めた頃、何故かぱたりと恵一は来なくなってしまった。

最初のうちは『病気にでもなったのだろうか?』等と心配していたのだが、それも二週間、三週間……一ヶ月と続くと別の不安が浮かんでくる。 


 ――自分は何かしたのだろうか? それとも飽きられてしまった? ……もしや、嫌われたのか。

そんな考えがぐるぐると頭を巡って離れない。

気分転換をしようとしても、ソレばかり考えてしまって気分は落ち込む一方だ。


(……悩んでても、仕方ないよな。 これはもう)




(――恵さんに、会いに行こう)





 いざそう決めると、気合が入る。 思い立ったが吉日とばかりにすぐさま準備を始めた。

みつるにとって人里は怖い。 だけれど、それ以上に恵一に会いたい。 ……何かしたのなら謝りたいし嫌われたならさよならを言いたい。

その思いだけが、今のみつるを行動させる原動力なのである。

 幸い恵一の家や学校とやらへの行き方は聞いていたし、良く行くところも教えてくれた。

……実際行ったわけではないので少々不安はあるのだけど、そんな事など今は言ってはいられない。

迷ったら、その時はその時だ。


 ある程度の支度が済むと、仕上げにすこし緊張しながら人に化ける。

昔、母が生きていた頃に練習しただけだったので、長くは持たないとは思うけれど……恵一と話をするくらいなら大丈夫だろう。

そう自分にいい聞かせながら、ゆっくりと目を閉じた。 ……集中してまじないを唱えると、頭上と背後にいつもあった馴染みの感覚が無くなるのがわかる。

 成功したのだろうか?

 ゆっくりと目を開けて鏡を見ると、そこには父や恵一と同じ、人の姿になったみつるが映っていた。

しかし、ここで気を抜いてはいけない。 気が緩んで狐に戻ってしまったら意味が無いのだ。

急いで父のものだった箪笥を開けると、上から数枚服を取り出した。

 今まで洋装など来た事が無いので、着方が……分からない。

うろ覚えの記憶を頼りに、ボタンへと手をかける。

……父はどうやって着ていただろうか? 恵一は……。


「…………恵、さん」


 恵一の姿を思い出してしまい、思わず泣きそうになる。

それをぐっとこらえて、少しこぼれた涙を着物の袖で拭う。 ……大丈夫、きっと会える。

 なんとか洋装のボタンを外すと袖を通してさっきとは逆の順序で着てゆく。

全部着終わると軽く鏡で確認してから一目散に玄関へと駆け出し、家を飛び出した。


 人里へつく頃には澄み渡っていた空もすっかりと夕方になり、綺麗な茜色に染まっていた。


(……にんげんが、いっぱいいる。 当たり前か)


 バレないかと緊張しながら道を歩いて行く。

その度すれ違う人 人 人。 恵一の行っていた冒険者学校が近い為か、ちらほら武器を持っている人物も見かける。

『狐鍋』の二文字が頭をよぎるけれど、振り払う。


(恵さんはどこだろ。)


 キョロキョロとあたりを見回すと、大きな門の所に以前本で見た『学生』と思わしき人達が沢山歩いていた。

恵一もここに通っていると聞いていたので、ここなら会えるんじゃないかと目を凝らして探して見る。

……その様子がおかしいのか通りすがりの人たちに好奇の目で見られているけれど、今はそんな事はどうでもよかった。


 探し始めてから30分程経っただろうか? そろそろ場所を移動しようかと思い始めた頃、視界の端に目的の人物が映る。


「……けい、さ……」


 声をかけようとするが、次の光景をみて、声が詰まる。


 そう、確かに恵一はいた。

……――淡い黄色の髪をふわふわとゆらす、可愛らしい女の子と楽しそうに話しながら。


 ……分かってはいた。 思いを寄せるのは自分だけという可能性を。

それ以前に、あの容姿なら恋人だっているかもしれない。 それは、今までずっと考えない様にと目を逸らしてきた事。

 だけれどもこの瞬間分かってしまった、それが杞憂ではなかったという事が。


 足が、動かない。 頭も上手く働かない。

呆然としていると向こう側がこちらに気付いた用で、ゆっくりと近づいてくる。


 だけど今は、かける言葉も、みつからない。 声なんて聞きたくない。 ……でも、動けない。

喋らなければそんな考え伝わるわけもなく、無常にも慣れ親しんだ声が聞こえた。


「ああ、みつるさん、来てたんですか。 いい機会だから紹介しますよ、私の……」





――彼女、です。





 その言葉が聞こえるか聞えないか否か、足は自然と動いて……逃げ出していた。

それは、一番聞きたくなかった答え。 しかもそれを当の本人から、大好きだった笑顔で。

……その表情は時に、残酷だ。










 あれからどれ位の時間が経ったのだろうか? 闇夜にまぎれて、ぼうっと考える。

夜の街は静まり返って綺麗だ。 人里を怖がっていたのが嘘の様にそう思える。


 ……ソレと同時に、今は以前とは別の理由で嫌悪しているのだけど。


 そうだろ? と同意を求めて語りかけるが、語りかけた先は返事をしない。

少し顔を上げると、鉄のような独特の匂いと、なんとも表しがたい生臭い匂いを含んだ風が鼻腔を掠める。

……それもまた、心地よい。


 けれども返事の無い塊に語りかけるのもだんだんに飽きてきて、勢い良く投げて転がす。

ごろごろと転がったソレはこつん、と音がして何かにぶつかったようだ。 ……あちらに当たるような物は何も無かったはずだけれど、何かいるのだろうか?

 まあ、見られたら口封じをするだけなのだけど。


 そう思いながら夜目の聞く目を向けると、そこにいたのは……恵一だった。



「……恵さん?」

「こんばんは。 ……おやおやこれは随分と、物騒ですね」


 あーあと言わんばかりに周りを見渡している。

この状況で良く落ち着いてられるものだ、と関心するのだがそれはもうどうでも良い。

恵一は先程みつるが投げたソレを乱暴に持ち上げると、じっと見つめた。


「あれ、そんな扱いしてもいいの? ……ま、もうただの物だけどさ」


 そう言って笑う。 自分でも分かるくらいに、狂った様に。

恵一は……何も言わない。


「ほら、邪魔者はいなくなった。 次は恵さんの順番」


 そう言って爪に、魔力を乗せる。

乗っていたぶらぶらと揺れる器具を思い切りこぐと、今まで座っていた部分を蹴り込み、その勢いに載せて恵一の所へと飛び込む。


「……危ないですね、全く」


 思った通りに余裕の表情で避けられる、だがそれは想定済みだ。

そのまま地面を踏み込み蹴ると、ぐるりと回り爪を向ける。 今度の動作は、相手にとっては予想外のものだったらしい。


「っ!!」


 爪が、かする。

恵一の柔らかな頬に当たる。 傷がつき、血が噴出す。 ――綺麗だった。

一瞬見せた驚いた表情はまた、いつもの物に戻る。


 ……その妖艶な光景が、妖狐の戦闘本能を掻き立ててゆく。

コレガジブンノモノニナレバイイノニ。


「ねえ恵さん、ほら……! さっさと俺の物になれよ!!」


 そう叫んでもう一度その懐へと飛び込んでいく。

恵一は、笑っている、くすくすと。 ……何がおかしいのか。

ガンッ!! と特有の音が響き、爪が掲げられた手甲に当たる。 衝撃でぴき とひびが入ると、すぐさまそれは一気に崩れ去った。

けれども……ソレに対しても、顔色一つ変えてはいない。


「おや、これは随分と情熱的なプロポーズですね」


 こんな状況でも本当に楽しそうに、笑い続ける……不気味を通り越して、もはや小気味の良い程に。

でもそれは、こちらの苛立ちをどんどんと募らせてゆく。


「……余裕、って事か」


 相手の一瞬の不意を探って、先程より強く、魔力のこめられた爪を心臓を目指して一気に突きたてる。

がつん と今度は爪に骨の当たる感触がした。


……――これは、殺ったか。


「よく役にたってくれましたよ、彼女は」


 その言葉に顔を上げると、そこには骨が粉砕して無残になった、あのときの女の頭があった。

先程投げた……"物"。

 恵一はその物をゆっくりとみつるの爪から引き剥がすと、地面に向かって放り投げた。

くるりとこちらに向き直すと、いつもの声色で、喋る。


「それじゃあ、そろそろ終わりにしましょうか。 みつるさん、あなたは本当に思い通りに動いてくれますね」

「何……」


 言葉を言い切る前に、後頭部に強い衝撃が走った。 ぐらり、と世界が揺れる。

どうやら……殴られたらしい。

ここまでか と死を覚悟して恵一を見ると、――最後にもう一度口を開く。


「ねえ、嫉妬……してくれました? 本当に、面白い」


 そのままぎゅっと、いつかの様に抱きしめられる。

……どうやらこれは全て、恵一の"お遊び"のシナリオの通りだったらしい。

先程よりも消え入りそうな笑い声を聞きながら、意識は闇の中へと落ちていった。











 次に目が覚めたのは、見慣れた家の布団の中だった。 全身が、痛い。

横を見るとそこには、何事も無かったかの様に恵一は座っていた。


「恵……さん?」

「ああ、起きましたか。 おかゆでも作りましょうか?」


 そう言って立とうとする恵一の服のすそを、ぎゅっと握る。


「……」


 思わず見上げて顔色を伺うのだが恵一は無言だ。 表情は、少し怖い。


「状況、良く分からないんだけど?」


 記憶の整理が追いつかない。 あの時は、必死だったから。

恵一がいなくなってしまうのが嫌で、それなら殺してでも傍に置きたい……。

だからまずは夜道で彼女だと言う女を待って殺した、邪魔だったから。

でもそこに恵一がきて。 ……どうやらあれは、全て彼の思い通りのシナリオだったらしい。


「……ああしたら、みつるさんの嫉妬してくれる顔がみれるだろうかと思ったんです。

私はもう、みつるさんしか見えてませんよ、……彼女なんて作るはずが無い。

もう一度……言いますね、ふふ、あなたは本当に私の思い通りになってくれる人だ」


ゆっくりとしたいつもの口調で一度に告げられた台詞を、一つ一つ理解しようとしていく。

それはつまり、と言うことは恵一も……? ぶわっと顔が真っ赤になる。


「おやおや? ……昨日は私の今の言葉より情熱的なプロポーズだったのに、みつるさんってば赤くなるんです?」

「……いやなんか、言われ返されると恥ずかしい」


今更の事ながらも赤く染まった顔を隠したくて思わず俯きがちになる。

そんなみつるに恵一はしゃがみこんで、真っ赤になった顔を冷たい手でふわりと包みこむ。

するとそのまま、唇に自分のそれを触れさせる。


「け、恵さ……!」

「あなたはもう私の物です。 嫌って言っても手放しません。 もし、私から逃げたその時は……」


「殺してでも、あなたを傍に置いてみせますから」


 微笑む恵一に、今度はこちらから口付けをして、それを無言の同意に変える。

どうやらお互い気持ちは同じようで安堵が広がってゆく。


(恵さんは……俺と一緒にいてくれるんだ)


ついつい嬉しくなり、顔がほころんでいく。 それに、答える様に、恵一もふわりと髪を揺らす。

お互い顔を見合わせたところで、ふと恵一の表情が思いだしたような物に変わった。


「ああ、ところでですねみつるさん、気付いてるとは思いますが」


 そう話を変えながら、そのままとんとん、と自分の右目をさす。


「みつるさんの種族ってね、昔は思い人同士で眼球を交換する風習があったらしいですよ」


 とても良い、笑顔だ。

……先程からジンジンと痛む包帯の巻かれた自分のソレに、まさかとは思っていたのだけど。

 ゆっくりと、恵一が右目に被った髪の毛を手で上げる。 そこには……――自分のソレと、同じ、朱色の瞳があった。



「凄いですね、妖狐の目って。 もう馴染んでますよ。

……ふふ、ね、これで、ずっと……一緒です」



 これは、妖怪よりも凄い人物に好いてもらったのではないのだろうか?

なんて今更そんな事を思いながらその体にぎゅっと抱きつくと、今度は先程よりも深く、キスを交わした。










------------------


 ――あれから、何年が立っただろうか。

庭の花々が綺麗に咲き誇る午後、恵一は屋敷の小さな主人の一人とお茶を飲んでいた。

もう一人いる主人は、きっとみつるに紅茶でも習っているのだろう。


 学校を卒業した後、恵一は長年バイトをしていた屋敷の主人に誘われこうして住み込みの庭師として働いている。

その際に、山里から上京したがっている者がいまして、と人里に下りたがっていたみつるの事を主人に相談すると、

『それなら、ここで働けば良い』と事情も聞かずに快く招きいれてくれた。 ……本当に、この人には頭が下がるものだ。

 そんな古い思い出に浸っていると、ふと少年の皿が空になっている事に気付く。

そっと自分の皿から分けてやると、驚いた様に見つめられた。


「恵一さん? ……いいの?」

「ええ、子供は沢山食べるのが一番なんですよ。」


 そう言うと、きょろきょろと皿と恵一の顔を見比べてから人懐こくて明るい笑顔を見せる。

……まるで小動物の様なその姿に、思わず頬も緩む。


「……ねえ、恵一さん、一つ聞いても良い?」


 少し不安そうに尋ねられる。

まだ完全には懐かれていないのだろう。 ……そんなに不安そうにしなくてもいいのに。


「なんです?」

「恵一さんって、片目赤いよね? ……カラコン?」


 きっと隙間からちらちらと見える色の違う瞳が気になっていたのだろう。

じぃっと髪の掛かった目を見つめられる。 それがおかしくて、我慢できずについついくすくすと笑いがこぼれる。

何がおかしくて笑われているのか分からないのだろう、ぽかん とする様がまた可愛らしい。

 ……このおかしく思えたり可愛らしく思うとついつい笑ってしまうのは、恵一の昔からの癖だった。


「これは、約束なんです」

「約束?」

「そう、大事な人との、ね」


 そう言って、自分の物である薄茶の瞳を瞑ると、目の前には暗闇が広がっていた。

おそらく、向こうも同じ事を尋ねられて恵一と同じように目を瞑ったのだろう。

それに気付くとまた緩みそうになっている口元を、ぎゅっと引き締める。


 ……あの時交換した眼球は、相手の本来の眼球で見ている物が見える。

それは、みつるも同じ。 もう暫く目を閉じていると、そこには厨房の様子が広がる。

 どうやら何か失敗したらしく、自分より小さな主人に呆れられてるようだ。 ……後でからかってやろう。

ゆっくりと目を開けると、目の前には質問していた当人が不思議そうにこちらをみやっていた。


「恵一さん?」

「ふふ、きっとあなたにも分かる日がきますよ」


 にっこりと微笑むと、相手は疑問符を浮かべながらも良く分かってない、と言った笑顔を浮かべる。



――この景色は、私とみつるさんとの約束。

きっと、どちらかがこの世から消える時は、共に。



 そう心に誓いつつ、愛しい人の入れたハーブティーを啜るのであった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] なんか綺麗です。 [一言] とても好みです。 とくに、あの交換のとことか。 そうゆうの好きです。
[一言] ほんのり暖かい話が逆転し、色鮮やかで恐ろしいものに一変するのがなんとも印象的でした。怖いものと綺麗なものって表裏一体なのかもしれない……そんなふうに思えてきます。 好きな人を心配するあまり…
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