第二章 力の有無2
風の障壁が消えた時、四人は教会の礼拝堂にいた。高い天井、それに達しそうなほどの高さのパイプオルガン。綺麗に並んだ長椅子。
実際に来たことはなかったにも関わらず、想像していたものと全く同じであることに、テリオスは驚いた。
「ここが拠点?」
イメージとのギャップにではなく、むしろイメージ通り過ぎることに驚愕させられる。いくら神術師って言っても、ここまでキリスト教徒でなくてもいいのになぁ……。
微妙な顔をしているテリオスとは対照的に、フィルはさも当然であるかのような顔をしている。
「はい、ここが我々神術師の本拠地、そして……」
フィルがゆっくり歩を進め、テリオスの前に立つ。彼女が振り返った時、礼拝堂の扉が開いた。
人がいた。神術師達だ。十数人の神術師達が、礼拝堂に現われた四人を見つめている。彼らの存在を確認し、フィルは満面の笑みでテリオスの目を見てこう言った。
「私達の家です!」
ワアァァァァッ!
途端に教会中が騒がしくなった。仲間の帰還を、神術師達はある者は笑顔で、ある者は涙を流して喜んだ。
さて、この状況を理解できない人間が、一人だけいるのを忘れてはいけない。
待て待て待て待てぇっ!!何、一体何なんだこの状況はぁっ!?誰か説明できる人はいないのか!? 気付けば他の三人はテリオスの側を離れている。金髪の氷女はジュース片手に仲間と語り合っているし、緑髪の風女は疲労困憊らしく、長椅子の上で横になっている。残るはあの……。
「期待に応えて説明してやってもいいぞ?」
この赤髪の炎男だ。
ん〜、何故かな?どうしてそんなに楽しそうなのかな?そうか、僕が困っているのを見て楽しんでいるんだね?あぁそうですかそうですか。いいですよ。あんたの手なんて絶対に借りな……。
「……お願いします」
心の中で散々罵倒しておきながら、あっさりと頭を下げてしまう自分を憎んでしまう。
仕方ないさ、だって見てよ、この状況。置き去りだよ、完全に。僕だってそれなりに覚悟を決めてここにきたんだ。なのに放置は酷過ぎませんか?ねぇ、そう思うよね!?
テリオスの心の暴走をよそに、ガルベスは優しさ溢れる表情でドンチャン騒ぎを眺めている。「騒ぎたくもなるさ」
一言だった。その一言でテリオスの心は冷静ななり、言葉の続きを聞く準備を整え始めている。それほど真剣に聞くべきことだと、ガルベスの言葉が訴えてきたのだ。
ガルベスは先程まで横になっていたセレーナに目を向ける。多少は回復したらしく、今は長椅子に座り、数人の仲間達とゆったり話をしている。
「お前との交渉している間、お前から警察の注意を引きつけるため、セレーナはわざわざ警察署に近い場所で戦いに臨んだ。それがより確実だからだ」
テリオスの方も、フィルに聞いたことなのでそこまでは理解している。分からないのは……。
「恐らく、お前の疑問は二つあるはずだ。一つ、今言ったことが何故この状況に繋がるのか。一つ、何故そうまでして我々がお前を必要としたか……。そうだな?」
全くもってその通りだ。仲間が帰って来たのを喜ぶのは当然かもしれない。しかし、どうしてこれ程の騒ぎになっているのだろうか。そしてもしその理由が分かったとしてもそれはそれで、何故そんなにも自分が求められたのかが分からない。自分はそれ程重要な人間なのだろうか?
フィルの方を見ると、こっちに気付いた彼女が笑顔で手を小さくない振った。その動作一つからでも、彼女の気品が伝わってくる。
「一つ目は簡単だ。時間を稼ぐにあたって、敵は国の軍事力。神術師と言えど、簡単に退けられるものではない。だからセレーナは、それこそ決死の覚悟で戦いに臨んだんだ。しかも、下手をすればあいつだけじゃなく、お前を含む俺たち全員が殺される可能性もあった。そんな中で、全員が生きて、しかも殆ど無傷で帰ってこれたんだ。それがどれだけ難しいことか、賢いお前なら分かるだろう」
彼らとの交渉を終えてすぐ、セレーナさんが時間を稼いでくれていることをフィルから聞いた。その時、大変だとか、早く助けないととか、そう言う感情はあったけれど、死までは頭に浮かばなかった。それはきっと、神術師だと聞いていたことや、僕自身の考えが甘かったことが、死という発想がなかったことに繋っていたんだろう。
恐らく、他の神術師達は良くてもセレーナさんは死に、最悪の場合僕ら四人が全滅することまで想定した上で、フィル達を送り出したんだ。それがどれだけ辛いことか、説明しなくてもわかる。 ところがどっこい、誰一人死ぬことなく帰還することに成功してしまった。これは神術師達にとっても、全く予想していなかったうれしい結果なんだ。それらのことを含めて考えると、この馬鹿騒ぎも妥当なもののように思える。
「そして第二点。お前の必要性……。これに関しては俺もよくわからない。恐らく、俺達のの姫が知っているはずだ」
ガルベスがフィルに目を向ける。こちらの様子が気になるらしく、短時間の間に何度も目線が重なる。その度にフィルは目を背ける。フッ、とガルベスが笑んだ。
「隠し事が下手でな。あれでも神術師達のリーダーなんだ。それ相応の力も人の上に立つ素質もある。しかし、自分のこととなると途端に奥手になる。元々大人しいからかもしれないが……」
あの歳でこんな強烈な軍団を率いるのは大変なことだろう。子供に一人で十トントラックを引っ張れと言っているようなものだ。
しかし彼の言葉を聞く限り、彼女は今のところその役目を見事に果たしている。誰にでもにできることではない。 背負った役目が大き過ぎるせいか……?そう呟くガルベスの姿が僕には娘の将来を心配する父親のように見えた。いや、事実父親と変わらないくらい大切におもっているのだろう。彼だけではない。今この場にいる神術師全員が、彼女を娘のように想い、しかもリーダーとして慕っている。人に愛される素質……それも又、人の上に立つのに必要な要因なのかもしれない。
彼女が何か知っているか……。なら、直接聞きに行くしかないな。
テリオスが歩み寄ると、フィルは周りの神術師に席を外す様に頼んでくれた。要件が分かっているのだろう。
「……あなたをこちら側に引き込もうと言い出したのは、私です」
引き込むなんて人聞きの悪い……。他はどうか知らないけど、僕は彼女に引き込まれたなんて思っていない。むしろ……。
「あなたは……御両親の神術師として生きていた時代のことを、全く聞いていないでしょう。でも、私達の間ではあの御二人……ヘリオス・ギルハートさんとエルタナシア・ギルハートさんはとても有名な方々なんですよ」 なんですよと言われても、どんな感じで有名だったのか、僕には見当が付かない。僕の知る二人は、普通と言う以外に表現が見当たらない程、目立つわけでもなく、地味なわけでもなかった。きっと下手に動くと僕にも面倒がかかると思って、出来る限り普通に徹していたのだろう。
早く真実を話してくれていたら、僕ももう少し楽だったのになぁ……。
テリオスの心情を知ってか知らずか、フィルは話を続ける。
「御二人は幼少期から、他とは比べ物にならないほどに神術に優れていたそうです。どっちが一番であるか、いつも勝負ばかりしていたとか」
何をやっていたんだあの二人は……。さぞかしお互いに勝ちたかったのだろう。神術師同士の戦い……その場に居合わせなくて良かった。
「周りから見ると、喧嘩というより殺し合いに近かったそうです。でも御二人はいつも本気じゃないと言って止めなかったと聞いています」
その時既に人間離れした戯れ合いをしていたと言うことか……。よくどっちも死ななかったな。
「その優れた能力によって、神術師のリーダーは事実上ヘリオスさんとエルタナシアさんになりました。御二人も協力して神術師を導こうと決めていたそうです。と言っても、ほんの一瞬のことだったようですけど……」
「? どうして?」
優れた二人が協力して神術師を率いる……集団の体制としては問題ない。それが何故、長くもたなかったのだろうか。
その答えは、テリオス自身にあった。
「あなたが御二人の間産まれたからです。その頃ちょうど、神術師と軍事勢力の争いが激化していました。あなたを危険な目に遭わせたくなかったのでしょう。御二人はあなたを連れて神術を捨て、普通の人間として生きると仲間に告げ、この教会を去りました。当時は彼らを裏切り者と呼ぶ人もいたそうです」
嫌だなぁ、そういうダークな感じ。まぁ、神術師にとっても重要な時期だったみたいだから、仕方ないと言っちゃ仕方ないけど。
さて、二人のことを聞いたところで、本題に入ろう。
「……神術師は滅び行く者です。子をなすことで同志を増やすことは出来ません。尤も、親の片方が一般人であれば……ですが」
「?」
フィルは真剣な目でこちらを見ている。混血では神術は継承されない。では純血ならば……?
「父母共に神術師であった時、神術が子へ継承されたケースが、一つだけ確認されています。もしかしたらあなたもそうかも知れません」
だから仲間になってもらいたかったってわけか。両親が強大な力をもっていたのだから、神術が継承されてさえいれば、それ相応かそれ以上の力があるはずだと踏んだのだろう。
親の七光とはまさにこの事じゃないか。まぁ、そんなのに頼らないといけない程、彼らは崖っぷちだと言う事か……。
「もしあなたに神術が備わっていたら、とても危険な戦いに巻き込む事になってしまいます。その……本当に申し訳ありません」
深く深く頭を下げる。神術師の長として、一人の人間として、彼に詫びなければならない。これから彼を自分達の勝手な『敗北の戦い』に巻き込まなくてはならない。それがいかに罪深きことか……。
彼が何か言葉を発するまで、フィルは頭を上げない。それはテリオスにとっても微妙な状況だった。
「あ、その……何て言うか、まだ僕が神術を使えるかどうかは分からないんだし、仮に使えたとしても、それは僕自身の運命みたいなものだから、君が責任を感じる必要はないよ」
フィルがゆっくり顔を上げる。うわ……よく見たら泣きそうじゃないか。責任感じすぎだよ。放って置けない人って、こういうタイプの事を言うんだな。
「その……一緒に頑張ろう」
その言葉で、フィルの表情がこれ以上なく明るくなった。今まで見たことのない、可愛い笑顔だった。
「……はい!!」
良かった……何とかなったみたいだ。それにしても可愛いなぁ……。
普通に生きていたらきっと幸せになれただろうに……。そう思うと、テリオスは残念でならなかった。
「そう言えばさっき、継承されたケースが一つだけ確認されたって言っていたけど、それって誰なの?」
「あ、はい。それは……」
バァンッ!
フィルが答えようとした時、教会の扉が強く開かれた。神術師達の目線が扉に集中する。
「誰も動くな」
入って来たのはコートを着た男だった。態度からして、神術師ではないらしい。あの髪や目の色は東洋――日本人?
いや、それよりも何だ……この重圧は!?一般人とは思えない圧迫感だ。
まるで鬼にでも遭遇したかのように体が動かない。この圧倒的な気迫……一体何者なんだ!?
「お前達が神術師だな?」
誰も答えない。だが男は彼らが神術師出あると確信していた。コートの内ポケットから蒼い手帳を取り出し、皆に見えるように開く。 男の写真と金色のマーク……あの印は確か……。
「東京警察特種刑事育成課、神崎正義だ。」
教会全体が、一瞬にして凍り付いた。