第一章 動きだす歯車1
教会がある。すでにボロボロで、壁に絡み付いた木の根がその古さと不気味な雰囲気を醸し出している。教会と言うよりは悪魔の館と言ったほうが適切かもしれない。しかし、内部の事情に至っては、悪魔の館とはかけ離れていた。
老爺が連結した長い椅子に横たわり、それを十数人の者達が囲むようにして立っている。ある者は涙し、ある者は絶望、或いは諦めの表情を浮かべながら、弱々しい呼吸を何とか続けている老爺を見つめているのだ。横たわっている老爺は、まもなく訪れるであろう己の終焉に、これまでの人生を振り返っている。
辛い人生だった。
この世に生を受けてから約九十年……。普通の者とは違うものを持って生まれた自分は、他とは違うが故に蔑まれ、人間の輪に入ることも許されないまま生きてきた。生死の狭間を彷徨いつつも何とか水分を得て、必要最低限の栄養を痩せこけた体に与えた。大人になり、己の一般とは違うものを隠した上で、ようやく仕事に就いた。
それからしばらくして、あることを知った。自分と同じ力を持った者達がいると。
それを知ると、自分は世界全国に散らばっている、自分と同じ力を持った者達に会いに行った。世界に住む約六十億もの人間の中にいる者を探して、世界を飛び回った。そして悟った。我々を待っているのは滅亡だということを。
その力を持った者は、通常よりも早く体が脆くなる。力を持っていることが、肉体に負担をかけているのだろう。少ないケースの中で平均すると、寿命は五十歳程度だ。
それでもどこかの貧しい国に比べれば充分長い命だが、それを計算に入れても、滅亡は免れない。
力を持つ者達を初めてこの教会に集めた時、自分以外の者達の年齢が、一部の例外を除いて一致したのだ。偶然と言ってしまえばそれまでだが、この状況を把握した我々は、ある結論に辿り着いた。
力を持つ者が生まれるのは、ある一定の年に集中しており、これ以上増える見込みはなく、今集っている者達が最初で最後である……。つまり、力を持っているのはこの教会にいる者が全てである可能性が非常に高いのだ。
親から子へは遺伝しないのかと言うと、今までそれが確認されたのはたった一つ。可能性は0ではないが、あまり期待はできないと言うのが我々の考えた結果である。
待っているのは滅亡……しかしこのまま消えていくと言うのも癪だ。そう思った我々は、ある計画を立てた。我らの存在を世界に示す計画を……!
「フィル……」
「はい」
薄く目を開けると、老爺は一番近くに立っていた少女の名を呼んだ。膝まである長い金髪をした少女は、すぐに老爺の近くに膝を就き、皺だらけの細い手を握る。
彼女もまた、『力』を持った者の一人である。
その整った顔立ちに、苦しさは見られない。しかし、これまでどのような人生を少女が送ってきたのかはわからない。ただ、老爺に寄り添っている少女は美しかった。
「わしの死後は、お前が同志達の指揮を執れ。我が人生をかけて立てた計画……その行く末を見届けることはできぬが、お前なら成功させることができると信じておる」
老爺の言葉を、少女は黙って聞いている。その心の内では、何を思っているのだろうか……。
「異端とされる我らだが……この計画を成功させることでそれも変わる」
老爺の立てた計画は、ただ『力』を持った者達の存在を示すだけのものではない。もっと悲惨な……少女には残酷すぎる計画だ。
そのことは少女も重々承知しているが、一途な彼女を見る度、老爺を初めとする者達は申し訳ない気持ちになった。
自分達が少女を見つけていなければ、彼女がこのような計画に参加することはなかった。うまく力を隠し、一般人としての人生を送ることもできた。普通に生きる権利を奪ってしまった罪悪感が、彼らの心から離れることはなかった。
「もはや後戻りはできん……。結果としてお前の命を奪ってしまう我々を、どうか許してくれ」
心の底からの謝罪だった。横たわった状態では頭を下げることもできないが、その意思はしっかりと少女に届いている。
初めてこの教会に来た時から覚悟はしていた。自分は『普通』をいきることなどできないと。どうせ無理なのであれば、この命が美しく散ることのできる道を進みたい。
「我々に勝利はない。だが、勝利が必ずしも成功と言うわけではない。敗北が失敗と言うわけではない。お前達の生きざま、しかと世界に伝えるがよい」
「……はい」
少女が強く手を握る。この老いぼれにも、その暖かさが伝わってくる。素晴らしい同志達に巡り合えた。我が人生、一片も悔いはない。
「同志達よ、諸君の未来に幸あれ……!」
それが、老爺の最期の言葉となった。
「……」
もう力のない老爺の手を、少女は無言で握り続ける。彼が『力』ある者達が集うことはなかった。ひたすら光のない人生をいきているしかなかった。彼がそこから救い出してくれたのだ。
どうか、私達の英雄に安らかな眠りを……。
「計画を実行に移します。彼を連れてきて下さい」
老爺の冥福を祈った少女が言い放った。その言葉に『力』を持った者達の間に波紋が広がる。
「何を考えているんだ、フィル!奴は裏切り者……」
老爺の見つけた『力』ある者達が完全に集ったわけではない。ただ一人、彼の誘いを断り、一般人として生きることを選んだ男がいたのだ。
ただならぬ覚悟を持って集まった者達から見れば、その男は同志を裏切った卑怯者でしかない。しかし、その主張を少女が制した。
「気持ちは分かります。しかし、今は一人でも多くの人材が必要なのです」
少女とて納得しているわけではない。可能ならば、裏切り者の力など借りずに事を進めたい。だが、それができるほど容易い計画ではないのだ。
借りれるのであれば、裏切り者だろうがなんだろうが借りるしかない。正しく猫の手も借りたいと言う状況なのだ。
「計画の第一段階です。私が彼の元へ行きます。その間、何とか時間を稼いでください」
そう言うと、他の者達の意見も聞かずに少女は去った。
「くそっ!何故あのような卑怯者のために……」
わかっていたことではある。しかし納得がいかない。わざわざ時間稼ぎに力を回す必要があるほど、あの裏切り者に価値があるとは思えないのだ。
奴の力が優れているとは聞いたことがある。それでも……。
「そう怖い顔するんじゃないよ。決めただろ、皆で計画を成功させるって」
未だ遺憾の色を隠せない青年の肩を、姉御肌の女性が叩く。
女性は『力』持つ者達の中でも人を纏める能力に長けており、同志達からの信頼も厚い。そしてこの青年とは一線を越えた仲である。
「セレーナ……どうしてそんなにも落ち着いていられるんだ!?第一段階の時間稼ぎは、お前の役目なんだぞ」
青年が第一段階に対して否定的な態度をとるのは、裏切り者のことが許せないだけではない。セレーナと言う人物が、そんな事のために自らを投げ出さなければならないことが納得できないのだ。
彼女はこんなにも早い時期に散るべき人物ではない。それをわかっているから、彼女にこの役目が回ってきたことに腹を立てている。
「あたしは納得してるよ。なのにあんたが笑顔で送り出してくれなきゃ、安心できないじゃないか」
どうしてそんなに冷静なのだ……。普通なら俺じゃなく、お前が怒るべき状況のはずだ。
青年の心とは対照的に、セレーナは微笑みを絶やさない。
「まーた辛気臭い顔してる。絶対に死ぬって決まったわけじゃないんだから、そんなに必死にならなくても……」
嘘だ。この計画の全貌を理解している青年からすれば、この計画に参加することはイコール死と言っても過言ではない。生きて還ってはこれない……。そう思えば思うほど、自分の無力さに嫌気がさした。
自分は強くない。セレーナを守れるほどの力はない。何故自分はこんなにも無力なのだ……!
「ガルベス、お願いだからそんな顔しないで。決意が鈍るでしょ。あんたが何を言っても、あたしは行く。けど、フィルを責める事だけはやめて。彼女がいてこその計画なの」
「……わかってる。だが……!」
自分への怒りを込めて、思い切り壁を殴る。セレーナの言うとおりだ。フィルがいなければこの計画は成立しない。計画の真意はもっと深いところにあるのだ。
「お前を失いたくない……いかないでくれ、セレーナ!」
本心からの訴え……届かないことはわかっている。しかし言わずにはいられない。この計画から外れてほしい。生きてほしい。愛する者を失うのは嫌なんだ。
「……ありがとう。ガルベス」
彼女は俯き、そのまま走り去った。彼に涙を流す姿を見られたくなかったのだろう。
こんな時、慰めてやることもできない。胸を貸してやることもできない。やはり、無力な自分が歯痒い。
「畜生っ!」
広い教会に、ガルベスの声が響き渡った。
フランス、パリ。
早朝、社会人は生活のために会社に出勤し、学生は面倒臭がりながらも学校に登校する。何の変哲もない、町の様子である。
その普通な人通りのなかに、一人の少年がいる。他の学生と同様にカバンを担ぎ、穏やかな緑色の目で学校へ行く途中にある信号が青になるのを待っている。
勿論、信号待ちをしているのは少年だけではない。左には老人、右には女性が立っており、少年同様、青になるのを待つ。
そして信号が青になった。それを合図に、立ち止まっていた者達が歩きだす。
『……?』
何か落ちている。ペンダントだろうか。位置から考えて、恐らく女性のものだろう。
「あの、落としましたよ!」
落下物を指差して言うが、女性は気付かずに歩いていく。直接渡そうと、少年はペンダントを拾い上げた。
綺麗なペンダントだ。大事なものなのだろうか……自分には関係のない話なのだが、つい色々考えてしまう。そんなことよりも、早くこれを渡さなければ。もし大切なものだったら大変だ。
女性に駆け寄り、自分の頭より高いところにある肩を叩く。すると女性は振り返り、少年に目を向けた。
「あのこれ……貴女のものですよね?」
そう言い、掌のペンダントを見せる。
「えぇ、そうよ。わざわざありがとう、坊や」
ペンダントを受け取り、少年の頭を撫でる女性。何とも姉御肌な感じのする人だ。こういう人が近くにいてくれたら心強いだろうな……。
第一印象だけでしか判断できないが、こんな人が近くにいてくれる人を羨ましく思う。僕の周りにも、こんな人がいてくれたら……そう言う叶いもしない願望を抱かずにはいられない。
「坊や、名前は?」
「テ、テリオスです。テリオス・ギルハート」
少年の名を聞き、女性が一瞬目を見開く。しかし、余裕のないテリオスはそれに気付かなかった。
「いい名前ね。坊や、両親は?」
自然な問いであるが、女性は平常心を保とうと必死だった。まさかこのようなところで収穫があるとは……彼は今、どうしているのだろうか。
しかし問うた途端、テリオスの表情が暗くなった。しまった、怪しまれたかな……女性は不安になる。
「父も母も……数年前に」
女性は心の中で驚愕した。目的の人物はもうこの世に存在していない。だが、今更引き下がることもできない。大丈夫だ。彼女なら正しい判断を下せる。そう信じよう。
そうする以外に自分にできることは何もない。
「……坊や、いいことを教えてあげる」
テリオスは学校へ行く気だろう。それではいけない。
「今日の学校はなくなるから、家にいた方が得よ」
「え……どうしてそんなことを」
学校側からそのような連絡はない。それは即ち、普段通り登校しろということだ。それが変更になる……何かが起きるのだろうか。何故それをこの女性が知っているのか。
改めて見てみるとこの女性……他の人達とは身に纏った雰囲気が違う。姉御肌とか、そう言う違いではなく、もっと根本的な違いだ。まるで、存在そのものが違うような感じがする。
「いい?家から出てはダメよ」
そう言うと、女性は有無を言わさずに去る。これでいい。彼に教える必要はない。それを知る理由も、自分の名も。理由については嫌でも知ることになるだろうし、名を教えても意味がない。
どうせ、彼と会うのはこれが最初で最後なのだから……。