大人のやり口
あおいを仲間にできれば無敵。
へいへい、あなた様の言うことは何でも正しいですよぅ。といって、もみ手で近づき、へりくだりながら、うまく取り入って、いろいろと消してもらえれば、ほとんど負けることはありえない。そこに加えて、矛盾を貫く能力も、うまく使えば……いや、もう必要なくね? 矛盾がどうとか、めんどくさいだけじゃね?
とか考えていたら、あおいは大の字に寝ていた。
いびきをかきながら。
お腹をかきながら。
はしたない格好で。
「うああっ」
計画が頓挫し、膝から崩れ落ちた。
しかも、また未由という気難しい女の子と二人っきりという拷問的な状況に追いやられてしまったのである。あおいのような、ほんわか系の天使のような女の子がいれば、緩和されるかもしれないと思っていた状況が、まったく緩和されなかった。命の恩人である以上、へりくだるのは容易かった。褒め倒せるところなど無限にあった。だが、終わったのである。眠っていたら能力は使えない。
すべては終わったのである。
あの夏の敗戦。
いや、この教室の敗戦。
家に帰りたかった。
ただ、すこし事態が変わっていた。
あおいをよっこらせと背負い、未由と一緒に廊下を歩く。
なぜか無言になって、未由の態度が変化しているような気がした。すぐに、飛び降りようとしていた雰囲気とは違って、すこし大人しくなって、これといって暴力も振るわなくなっている。従順になったといえるかというと、どうなのか分からない辺り、まだまだ油断はできないので、とりあえず大切な質問をぶつけみることにする。
やはり、これは更生したのか?
確かな叫びが届いたのか?
可能性は高いぞ。
必要としてくれる人間として認めてくれたのかもしれない。
「自殺とかしようとしてたけど、いきなりなんでやめて、その、なんていうのか、更生したんだ?」
未由は唇をとがらせながら、窓の方角を見て。
「気が変わっただけだし」
「どういうふうに?」
「あんた殺してから死ぬって」
未由は極めて冷淡な口調だ。
――まったく、更生してねぇええ。
元鞘じゃねぇえかよ。元々の形に戻ってる。明らかに戻ってる。いや、悪化してる。最初は生かしてもらえる可能性はあった。でも、今は確実に殺すつもりだ。ああああぁああ、デレかけてたんだから褒めておけばよかった。褒めてさえいれば、こんな最悪な事態にならなかった。
いや、でも、むりっしょ。
褒めるのとか、どんだけハードモード。
だって、自分を殺そうとしたヤツだし、手首切断されてみろよ。どんだけ可愛い子でも、心のどっかでやっぱり怖いし、嫌だ。生きるためにそりゃ、大人は汚くねぇとだめなんだよ。大人への階段なんだよ。へいこらへいこらしながら、生きなきゃなんだよ。でも、自分には無理だ。
――自分に嘘をついてまで、生きたくないから。
未由の狂気を帯びた視線が窓際からこちらに向かう。
瞳が真紅に見えて、一本の赤い線を描く。
闇夜に光る、バンパイア様の目に見えます。
「いつ、殺そっかなぁ」
嘘つきまくって生きたいです。
汚らしい大人に成り下がってでも、生きたいです。豚とののしられながらでも、生きたいです。鞭打たれながらでも、生きたいです。土下座量産マシーンとして、西日本一になってでも、生きたいです。
大人のやり口。
現状を冷静に分析しようじゃないか。とりあえず今、分かってるここのルールを明らかにしよう。最終目的もはっきりしているといい。単に、未由に殺されないっていうのは第一関門に過ぎない。自分の最終目的はこの異世界から脱出すること! そのためには、現状を何よりも整理しておかないとダメだ。生存率を一パーセントでも上げるために。
現状で確実に分かってるルール。
一 能力者が死んだら、その能力の効果も消える。
二 矛盾を貫く能力では、能力を封印できるだけで以前に使われた能力の効果を消すことはできない。
三 未由の我思うゆえに我ありは、何でも作れる(最強。封印済み)
四 あおいの実証主義は何でも消せる(最強。封印できてない)
当面の目標 未由に殺されないこと。
最終目的 この異世界からの脱出。
大切なこと 命の恩人あおいの保護。
絶対目標 シノシノと仲良くなる。
武士道である。
ここだけは日本人として譲れぬ。
今は、未由の能力を封じているとはいえ、決して戦闘能力では優っているとはいえない。走っても、あおいを背負っている以上は逃げ切れないのである。しかも、殴り合いでも勝てないことは右ストレートで分かった。腕力でもたぶん、負ける。めっさ負ける。生徒机を背負えたぐらいじゃ勝てるわけがない。何か、根本的に別の生物なんじゃないかと思う。あおいには期待できない今、何か他の方法を模索せねば。
未由は何かを想像しているのか、ニヤニヤしている。
分かる。分かるぞ。
君が考えていることは、だいたい分かるぞ。
「ふふ、どうやって殺そっかなぁ。くり抜くところを決めないと」
いや、やっぱ分からんぞ。
分かりたくないぞ。
ぞ、が語尾につくのは仕様です。
怖いから仕方がないのですぞ。
とか、考えて、意味不明な現実逃避をしていると、廊下の先に誰かが立っているのが見えた。出っ歯のメガネをかけた学生服が似合いすぎるぐらい似合う、勉強を極めんと欲するであろう、本性はオタクと推察できる。そんな、メガネ君なのであるが。
どうする?
この男子が現状を変えてくれるか。
案外と、こういうヤツは強かったりするぞ。
未由と戦わせよう。
うまく、やろうじゃないか。
能力が使えないことも暴露してやればいい。
で、二人とも死んでくれるとありがてぇ。
ありがてぇ。ありがてぇ。
「あの、この未由って子は能力が」
「あっ?」
ふぅー何もない何もない。
いったい、どんな風に未由は相手にするつもりだ。
メガネ君は、か細い声でこちらに話しかける。
「あ、あの……」
距離がどんどんと狭まる。
「えっと、その……」
しかし、未由は廊下の天井を見上げて、首を時折かしげている。
メガネ君が弱々しく右手を差し出そうとする。
「で、ですから……」
攻撃をしかけるのか?
その右手は未由に近づくものの、宙をかすめる。
為す術なく、通りすがった。
普通に、過ぎた。
未由の隣で平行して歩く自分も、当たり前のように通り過ぎていく。
「ちょっ、ちょっと」
メガネ君が戸惑う声を放つが、どんどんと小さく聞こえなくなっていく。
今の未由は、自分だけの殺戮世界を妄想し、話しかけても反応してもらえなかったのである。そして、自分はそれに戦慄を覚え、メガネ君に助けを求めることができなかったのである。刺激すると妄想が実行に移る。生きるために仕方がなかった。
いや、むしろ今ならば熱心に妄想しているから隙があるんじゃ。
「たっ……たすけ」
「あっ?」
未由は、一瞬で怒気を含みながら問い直してくる。
しまいには角を曲がってしまい、振り返っても誰も見えなくなっていた。
終わった。
外部に敵がいるんじゃない。
最大の敵は、内にあり! いや……隣にあり!
未由は、呪い上げるように連呼する。
「逆さまに吊るし上げたい。あんたのことを逆さまにしたい」
「そっそんな、うらまれることを俺がしたか?」
「私のことを騙したじゃん。逃げたじゃん」
お互いの亀裂は決定的なものになっていた。
友達になろうなんて、そんなことができる状況じゃなかったんだ。
この子は、もう自分に対して不信感をもっている。
しかし、まだ払拭する手立てはあるはずだ。何か、ないのか。何か、そう、うまいこと口でごまかせないのか。それこそ、他に手立てを見出せるはずだ。今までだって、そうしてきたように、己の弁舌能力を信じようじゃないか。
まずは手始めに神妙な表情で。
「まだ可能性はある……君の生きる意味を探すことはまだできる」
「口先だけの逃亡野郎が!」
もう、罵られるレベルに達していた。
いま、生きていることがキセキなのだ。
明日、今日よりも……とかなんとかいってたら、著作権の問題が出そうだから、やめておけという声が聞こえたのでやめておく。
確信をもっていえることは、信頼回復不可能。
今の政治不信並みに不可能。
この状況を覆すことができたならば、政治家として国民に信を問えるレベル。口先の逃亡野郎と罵られるほどに忌み嫌われた状態から、オアシスのごとき、信頼を回復できることなんて不可能じゃないか。もしも、そんなことができたならば、それこそ指導者にふさわしい。人々の信頼を集め、優秀な人材を集い、この国を変えられる。
まぁ、ざっと、その、つまり、今の状況を簡単に言うと。
絶対絶命。
背中で、あおいは寝息を立てて、すやすやと眠っている。赤ちゃんのような、無邪気な寝顔と、死にそうな顔をしている自分との強烈な対比が、前衛芸術を生み出すかもしれないし、戦争映画のワンシーンに匹敵するほどの緊迫感を物語る。隣には、鬼畜な軍人が銃をつきつけ……いや、女子高生が殺意の眼差しを自分に向けている。ただ、それだけなのだ。あおいを起こして、取り入ることができていない今、それだけなのに、もうアウト。
未由と目が合いそうになるたびに、顔を逸らして苦笑いする。
「まぁ、いつでも殺せるじゃないですか。もうちょっと散歩しましょうや」
商人風の口調で何とかごまかそうとする。
未由は両腕を組み、無言で歩く。
何を躊躇している。
この子は、今でも可能だろうが。
自分を殺せるはずだろうが。
なんらかのアクションを起こせるはずだろう。にもかかわらず、なぜ、攻撃してこない? さっきの言葉には、どういった意味が含まれているのか。自分を拘束したい。そして、逆さまにしたいといっていた。
それは、何を意味する?
まさか。
逆さまな態度を求めているのか。自分の口先だけの、態度なんかじゃなくて、もっと信頼のおける逆さまの。本当は見つけて欲しいんじゃないのか。探しているんじゃないのか。生きる意味を。それこそ、友達を。
どう考えても無理だろうが。
未由が不信感を持っているように、自分も未由に対して不信感を持っている。信頼できる人間は、最低でも刀を振り回さないぞ。殺される可能性を考慮に入れて、自分から優しくするなんて聖人クラスの慈愛が必要だぜ。
確かに死にたい理由を認めた。それで、母親が幼い頃からいないっていうのも、なんか想像できないけど、不遇だっていうのは分かった。だからって、それだけで愛するなんて無理だろうが。こちとら、ただの男子高校生だ。しかも、死にたくねぇ高校生だ。ちきしょう、死にたくねぇよ。死にたくねぇ。家帰ってゲームしてぇ。マンガ読みてぇ。意味もなくネット徘徊したい。ゆっくり、グタグタ寝転がりたい。もう、何もしたくない。
そんなこと考えていても、解決されないって分かってるのに。
逃避することでしか現状を捉えられない自分が嫌だ。
逆さま……引っかかるのはこの言葉。
これが、自分の中でずっと重たく残っている。
何か、それが導いてくれるような気がして仕方がない。
そんなことを考えながら、二人で歩いていると、窓から校門前が見えた。最初に現れた男子が惨殺された現場である。いまだに死体が転がっているはずである。血しぶき飛び散り、それこそ無残にも脳髄をさらした男子がいるはずなのである。
だが、現実は違った。
綺麗さっぱり何もなくなっていた。
血痕ひとつなく、死体自体がなくなっていた。
「どういうことだ?」
「さぁ?」
考えろ。考えるんだ、自分。
これが、すべての分かれ目だ。
エンジン全開、すさまじい勢いで頭が回転していくのが分かる。
なんらかの変化。そう、決定的な変化があったはず。あの男子は確かに刀で惨殺されたんだ。未由が作り出したもので。そして、自分は矛盾を貫く能力で、物質化の能力を封じ込めた。それでも、刀はなくならなかった。死体もなくならなかった。あくまでも、能力の発動を抑えただけ。
その後だ。
原因がなければ、結果はない。
絶対の因果律。
ああ、そうか。
やっと、理解した。
あおい、お前の実証主義だ。お前が刀を消滅させた。刀が原因で、男子は死んだはずだったんだ。その刀を失くしたことによって死んだ原因が無くなり、男子は蘇った。丁度、切り落とされた右手が治ったように。それは、この異世界では因果律が現実世界よりも、もっと鮮明に機能していることを意味する。
証拠は無い。
他の能力者がいた可能性も高い。
だが、賭けるしかない。
そう、保身を捨てろ。
逆さまに目指せ。
「分かった。分かったよ。俺を逆さ吊りにしてもいい。それで頭に血のぼって死のうが、てめぇになぶられて殺されようが受け入れてやろうじゃねぇか」
「っ?」
「その代わり、あおいだけは助けてくれ……」
この子が生きていれば、もしかしたらすべての問題が。
未由は冷め切った顔で目を細めて答える。
「それは無理な相談かな」
二人、立ち止まって、にらみ合う。
ビチィっという火花が、お互いの間に飛び散るのを体感した。
「あ、あの……」
それを割って入るように、メガネ君の申し訳なさそうな声が聞こえたが、そんなことは何もなかったかのようにお互いに、にらみ合っていた。もはや、戦闘は……メガネ君の空気化は避けられるものではなかった。