隣に存在
おうおうにして問題は想像以上にわかりやすく隣に存在している。
つまり、なにが問題かといえば……
それ以前に、眠りにふける、あおいという女の子を背負いながら、廊下を歩いていた。すやすやと寝息を立てながら、やすらかな眠りについている。思っていたよりも体重は軽く、簡単に彼女は持ち上がった。
命の恩人であるところのあおいを置いていくのは忍びなかった。眠っているところを攻撃されたら危険だったし、睡眠中は当然だがあの反則的な能力も使えないようだった。しかしまぁ、物のようにあおいは女子トイレで眠っていた。手洗い場の鏡の前の洗面器に、まるで吸い込まれるような形にして、眠っていた。相当眠かったようである。いや、眠かっただけでは説明が付かないかも知れない。
ヨガのポーズで眠っていたのだから……
万歳の格好で、斜めに体を伸ばしながら眠っていたのだから。
もう、やだ。この世界。
それに。
他の問題も深刻ですもん。
未由の冷たい態度に対して、必死に自分は声を張る。
「同情なんかで友達になろうって言ってるわけじゃねぇ!」
「う、うん?」
未由が勢いに押されている。
やはり、こいつは押しに弱い。
すべて、見切ったとおりである。
このまま。
うまいこと。
ごまかしてやる!
もしも、ここで敵対したら、刀が無くなったとはいえ、たぶんおそらくであるが、鈍器で襲われる。イスで殴られる。机を投げつけられる。校舎から突き落とされる。あるいは目の前で飛び降りられる。
そんなことされて、たまるかぁあああ。
「確かに性格きついし、俺を殺そうとしたことをこころよく思ってねぇよ。でも、お前にはお前の良さがある! 気付いてないだけだ」
まだ、自分も見つけてないけど。
未由が顔をそらして、腕を組む。
この冷たい態度は、精一杯の抵抗。
「実はお前にも優しいところがあるだろうが!」
はったりである。
どこにあるのか自分が聞きたい。
人を当たり前のように殺せるヤツのどこにあるんだい。母さん。
「クールなところとか、たぶん、裏返しだろ。それは、お前の優しさの裏返しで、冷たく当たってるだけだ。優しくする方法を知らないだけだ。つり目なところとか、可愛いと思う」
未由のかすかに見える丸い頬と耳は、徐々に赤くなっていく。
「ま、まぁ、そりゃねぇ。あんたなんかと友達になりたくないけどさ、どうしてもっていうなら、まぁしょうがなく? みたいな感じでなってあげてもいいけど、タダってわけにはいかないからね。普通に考えて、あんたみたいなヤツとかと関わりたくないし、そもそも隣にいること自体、私からしたら、それはもう、なんていうのか屈辱的なことだし、だから、まぁ、その」
未由は、デレかけていた。
ちょ、お前。
普通に。
「惚れてまうやろ」
なんて。
「って言うと思ったかぁ!!」
ぎゃっと言って、未由はたじろいだ。尻餅をついて、パンツが見えそうになるスカートを押さえた。意外にも足が長く、女子の中では身長が高いことにいまさら気付く。
なんか、いい加減にして欲しかった。
自分を殺そうとした人間に揉み手を使うなんて嫌だった。
「死にたいか、そんなに死にたいか。お前ら、バカだろ。どんだけ恵まれてると思ってんだ。アフリカでは生きたくても生きれないヤツがいるんだよ。毎年、何万人も飢え死んでるんだぞ!(テンプレート)」
「アフリカに生まれたわけじゃないし」
「日本に生まれても世界は繋がってる。世界は一つ」
我ながら苦しい。
案の定、未由は強く返してくる。
「意味わかんないよ。日本人なのにさ、アフリカ人のこと考えて、ご飯残すなって言う人いるけど、アフリカ人だって日本で生まれたときから暮らしてたら、ご飯残すよ。戦前の人も平成に生まれたら、ご飯残すよ。それと同じように、その環境で変わるに決まってるじゃん」
「じゃあ、アフリカ行け。生きる意味を探すためにアフリカ行け」
「アフリカ、やだ」
もう、こいつら全員、爆発しろ。
ついでにリア充も爆発しろ。
爆弾もって、屋上から飛び降りてくれ。死んでくれ。確実に二度死んでくれ。一度じゃだめだ。二度死んでくれ。いや、むしろ、リア充こそ優先的に死ぬべきである。こいつらよりも、リア充のほうが憎い。圧倒的に憎いぜ。内臓を引きずり出してやりたいぐらいだ。あれ、矛先が変わってね? めちゃくちゃ変わってね? 冷静に考えろ。一切のひいきを抜きにして、公正なる目で見るのである。いったい、誰が死ぬべきなのか。神のごとき、采配を振るうべきなのだ。
あおいは例外である。
命の恩人であるから、例外である。
シノシノも例外である。
たれ目が可愛いから、例外である。
それ以外のリア充爆死しろ!
もはや、神に公正など存在しなかった。
天変地異で善人も含めて殺戮する以上、この判断こそが神に近かったのである。
何度も、うんうんと頷いていると。
「なに、ひとりで納得してんのさ!」
未由の右ストレートが容赦なく、あごを打ち抜いていた。
視界が、ゆがむ。境界線がドロドロに変わる。
意識が落ちていく。
まずい。
こんな劣悪な状況で気絶したら。
未由だって、自分のことを許してるか分からないのに。
他にも意味の分からないヤツがいるかもしれないのに。
恩人を背負ったまま、こんなところで。
それは、死を意味していた。
「ちぃいっ」
啓介は目が覚めたら、生徒机に縛り付けられていた。反対側には、あおいが眠りながら縛り付けられており、身動きをうまく制限するように……できてる? そんな疑問を抱きながらも、つまるところ、囚われの身になっていた。
どうやら、新たな敵は現れなかったようである。
唯一の救いはそれだけ。
今、目の前は自殺生中継のごとき、形相と化していた。
未由が窓を開けて、片足を掛けている。
あと一歩のところで死ぬ。
ここは確か三階である。二階なら、まだしもこの高さなら死ぬ確率が上がっている。あきらかに歓喜すべきことであろう。あきらかにこの出来事を歓待すべきことなのである。幾度とも無く、自分を殺そうとした宿敵が、勝手に自滅しようとしている。生存確率が限りなく、上昇し、なおかつ、報復さえも完成させてしまう。ある種の、抱腹絶倒ものの勧善懲悪だ。
なのに。
「やめろぉおおおおお」
なぜか心の底から叫んでいた。
未由は声を荒げて、にらみつけてくる。
「なんで止めんのさ!?」
「それは……」
かつて啓介はテレビ番組のインタビューで答えていた。
『あなたは同級生の自殺を止めますか?』
『基本、止めませんね。勝手に死んどけって思いますよ。自由じゃないですか。ていうか、無理。絶対、見えないところは止めるとか無理。まぁ、だからといって僕も鬼畜ではありませんから、止める場合もありますよね』
啓介の顔には重厚なモザイクが入れられ、元犯罪者特有の異常なほど低い声に修正され、テレビ画面上に映し出されている。
『どういった場合、止めるんですか?』
『目の前にいたときですね』
『普通の場合は死ねと思うのに、どうしてその場合は止めるんですか?』
『後味悪いですやん』
インタビュアーは思った。
こいつ、自分のことしか考えてねぇ。
まさに外道。
未由はゆっくりと、空中に足を差し出していく。体が傾いて、あとちょっと、体重を踏み込めば落ちる。徐々に窓際に全身が飲まれていく。
「止める理由……」
啓介は顔を上げて叫んだ。
「お母さんが悲しむからだろうが!」
嘘である。
思いっきりの嘘である。
だが、古巣の刑事が犯人を説得するために使う常套手段。まさにほとんどの犯罪者たちは号泣しながら、母のことを思い出す。ある者は自白し、ある者は投降し、ある者はカツ丼をむさぼり食らう。この方法こそが、王道。
「私、小さい頃にお母さん死んでるし」
「あっ」
「てか、刑事ドラマもの見すぎじゃん」
「いっ」
「何年前の人間だよ」
「うっ」
「もういい。死ぬ」
「えっ」
あと、ちょっとで「うっ」が言えるところで、未由は応答しなくなった。ちきしょう、あいうえおが完成してたのによう。理由なんて、理由なんて、いらねぇだろうが。って何考えてんだ。自分。本当に胸糞悪い夢を見ることになるぜ。
あおいの方角を見る。
鼻に丸い丸い鼻水の風船をふくらませながら、穏やかに眠っている。
こいつの能力があれば、縄なんて解けるのに。
起きろ。
さっきから叫んでるのに、なんで起きねぇんだ。
夜更かししすぎたのか?
「ちきしょぉおおおお」
全力で立ち上がろうとした。圧倒的重量を持つであろう生徒机ごと、あおいを抱えて立ち上がるなど不可能に近いことなのである。縄で両腕を拘束されている以上、ほとんどの力は制限されている。
と思っていたら、普通に立てた。
二足で立てた。
今度は未由が目を見開く。
「あっ」
「そりゃ、軽い机の重さがプラスアルファされただけだし」
「いっ」
「俺の怪力をもってすればねぇ」
「うっ」
「あと、愛の力ってヤツ」
「えっ」
「とりあえず、手を取り合おうぜ」
「おっ」
言わせてしまった。
おっを言わせてしまったのである。
深い後悔と悲しみと嫉妬心の中、驚く未由に近寄り、服に噛み付いて窓から引きずり下ろした。未由の白いシャツのえりは、くっきりと自分の歯形が付いていた。犬に噛み付かれたかのような跡だ。未由はそれを何度もじろじろと見やりながら、跡を触っている。後ろのあおいは、ぶらんぶらんと揺れている。まるでシーソーに揺られて、わーいわーいと楽しむ子供のようだった。
つまり、あおいは起きていた。
最大の敵、目覚める。
今思ったら、お前じゃねぇか。
あおい、ラスボス的な強さを誇るのはお前じゃねぇか。
実証主義、最強説。
注 実証できなければ、簡単に何でも誰でも消せる。