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予想外

 こっちを見ていた小さな女の子は、あおいと名乗った。とても、同年代に見えないくらい幼く見えた。飯をちゃんと食ってんのかっていうくらい細身の、明らかに貧乳の、小柄な子だった。奥二重で黒ぶちメガネをかけていて、髪は肩下セミロングで前髪ぱっつんだった。くせ毛なのか頭の上で髪の毛が一本たっていた。

 何より、不可解だったのは眠たそうにこっちを見ていたこと。なんで、こんな状況に遭遇しているのに眠たそうにできるのか理解できない。

 死期を悟った自分も、冷静に、本当にひどく冷静に、その子を見返していた。

 助からないことはわかってたから、なんかどうでもいいことをつっ込んだ。

「なんで、男子トイレにいんだよ……」

「あれ、ここ男子トイレなん?」

「いや、どう見ても見間違うわけねぇだろ。とりあえず、入る前に標識っていうかなんか見るだろ」

「え、女子トイレやと思うんやけど」

「いや、普通に、ここにもこれが」

 そうやって、改まってふと男子専用の小便器を見ようとしたら、なぜかそれ自体がなくなっていた。きれいさっぱり跡形もなく、なくなっていた。あるのはタイルの壁だけだった。

 意味がわからない。

 自分は確かに男子トイレに入ったはずなのに、女子トイレに変わっている。いや、それ以前に動転していて、女子トイレに入ってしまったのか。血が抜けすぎて、意識が朦朧としていたのか。

 いったい、何が起きている。

 いや。

 動揺するな。

 ただ。

 問えばいい。

「お前の命題は?」

 あおいは、その問いに答えなかった。

 くせ毛ネコのように、眠たそうに目を細めると。 

「それ、治したろか?」

 問い直してきた。

 意味がわからない。

 だが。

 身の毛もよだつような笑い声とともに、廊下の向こう側、おそらく三階の階段付近から、完全に正気を失った人間の声が、けたたましい反響によって運ばれてきた。

「ぎゃはははは。もうすぐ時間切れだよ。どこに隠れたってわかるんだよ。早くしないと、殺しちゃうから」

 もうすぐ側にまで、未由が迫っている。

 十数秒後にはここに辿り着くだろう。

 血痕を頼りに。

 もう、唯一の助かるチャンスだった。

 ひねり出すように啓介は言った。

「どういうことだよ」

 その問いすら、あおいは無視して。

「その怪我、どうやってしたん?」

「いや、刀で切り落とされて」

「その刀は、どこにあんの?」

「未由って子が生み出した刀で」

「そもそも、そんなもの実在したん?」

「むっ?」

 実在した? 実在したって、どういう意味だ。いや、そもそもこの世界の出来事は現実の出来事なのか。どうやって説明したらいい。それ以前に、あの刀が存在したってことをどうやって証明すればいいんだ。能力自体も封印してしまったし、証明のしようがない。この怪我が、現にあるから、それを基にして。いや、でも、この怪我自体もどうやって証明すればいい。ここに見えているから? これが単なる錯覚で、自分が見ている幻想だったら? 脳が発生させている錯角だったり、イメージに過ぎなかったから?

 あおいは、言った。

「実証してみ」

 こいつ。

「もうわかったと思うんやけど、あたしの命題は……」

 イカれた。

 気づいたら、右手が完璧なほど元に戻っていて、トイレにあったはずの血痕がすべて消えてなくなっていた。朦朧としていた意識もはっきりと戻って、最悪な状況から脱していた。

「実証主義やねん」

 あおいは、あまりにも眠たそうに時間差で言った。

 おそらく、実証できないことを無かったことにする能力。

 消極的だが、とてつもなく強力な、ちからだと思えた。

 未由の困惑の声が廊下から聞こえた。

「刀どこ? なんで刀がなくなったの?」

 攻撃手段を完全に奪えた。

 勝負は、ついていた。

 成すべきことはひとつ。

 本当の意味で。

 やっと。

 話し合える。

 そう思っていたけど。




 たぶん、自分は廊下に出たときのとまどいを一生忘れることができないだろう。

 刀を失った未由は、ただの頭のおかしな子に過ぎないし、無視してもいいはずだった。それこそ、相手にしなくてもいいはずだった。自分を何度も殺そうとしていた人間だったし、恐怖を覚えるものだと思っていた。あるいは嫌悪するものだと思っていた。

 だが。

 違った。

 未由は無言のまま、突っ立っていた。さっきと打って変わって、子供のように突っ立っていた。何かを待っていたのか、それとも誰かを迎えに来たのか、わからない。わからないけど、これだけはいえた。

 不可解だ。

 どうしてって。

 泣いていたから。

 声もなく涙を頬に伝わせていた。

 力なく、啓介は言った。

「なに、泣いてんだよ。そんな泣きおどし、俺には効かねぇーから」

 ――泣きながら俺なんか探すんじゃねーよ、くそったれ。

 全然、理解できない。

 こいつら、全員理解できねぇ。

 なんなんだよ。本当に。

 もう、知らねぇーよ。

 話し合う気が失せた。

 でも、どうして、なんで、こいつらは生きる価値とか生きる意味とかわからないって、そんなこといちいち嘆いてるんだ。そんなに意味とか価値がわからないんだったら、考えなければいいのに。それすらできないなら、勝手に死ねばいいのに。

 なんでだよ。

 それになんでそんなに知りたいんだ。

 なんで。

 その意味を知った先にあるのは。

 そう考えた末に、ふっと言葉が出てきた。

 啓介は静かに問いかける。

「本当は生きたいんだろ?」

 未由はハッとした表情に一瞬だけなって、それから徐々にもう一度無表情になっていった。うつむき加減になると、ぶつぶつと呟き始めた。

「お前は何もわかってない……お前は何もわかってない」

 未由は廊下の窓に突然、手をかけると思い切り扉を開いて身を乗り出した。ほとんど無意識に近い反応で啓介は未由に飛びついて廊下に向かって投げ飛ばしていた。未由は驚きの表情で座り込んだ。

 一瞬の出来事だった。

 でも、ひどく、心が痛くて。

 言葉が止まらなくなった。

「俺はジャンプが読みたいから生きてるし、モンハンの発売日を楽しみにしてる! ポケモンだって最新作買ったばっかりで、クリアしてないんだよ。お前ら、生きる意味とか価値とか、うるせーぞ。だまって、漫画読んだりゲームでもしてればいいんだよ! なんでそんなこといちいち考えてんだよ!?」

 啓介は顔をくしゃくしゃしながら、半泣きになりながら叫んでいた。

 未由は、ただそっけなく答えた。

「私にはそんなのないし」

 その言葉が絶望的なほど重く感じた。自分が今までに覚えていた違和感が今、目の前にさらけ出されたような気がした。まるでなだれを打って、せき止められていたひどい現実が、姿を現したようだった。彼ら全員に共通して言えることは、現実世界そのものに対して、興味をもってないどころか失望してるってこと。どんな過去があったのかわからないけど。

 でも。

 なぜか。

 それがわかっただけで、啓介はちょっとだけ穏やかな表情になった、ほんのすこしだけ目を細めて、でも力がふっと抜けた顔になっていた。なぜかわからないけど、ここにいる奴ら全員をちょっとだけ許せたから。

「だったら俺がともだちになってやるよ……」

 啓介は自然に出たその言葉に身を任せながら、そっと未由を見直した。

 未由は声を荒げて。

「はぁっ!? なに調子に乗ってんの?」

「えっ」

「あんたなんかと友達になりたくないし」

 予想外の答えだった。


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