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眠い

 九時三十五分、二階の教室。

 最初から答えは見えていた。

 わかりきっていた。

 未由は相変わらず啓介の首元に刀を当てながら、机の上に座っていた。啓介は隣の席のイスに深く腰掛け、なにひとつ表情を変えずに菩薩のごとく、目を細めている。

 啓介は悟りきった表情で問いかけ始める。

「なんで、お前は生きる価値とか意味を見出してないんだ?」

「死ねば終わりだから……」

「どういう意味だ?」

「死んだら無になるなら、何をやったって最後は同じ。意味がない。どんな地位を得ても、どんな財産を築いても、どんなに立派な家に住んでても、最後は死んで、ハイ終わり。むなしくない?」

「そういう意味ではむなしいかもしれない……だが」

 向かうべき答えは、たった一つであり、ゆるぎない真実があった。真理とも言うべき、その方向性に向かって舵を切り、せっせと船を漕いでいる自分が居た。わかりきっている。まったく、考えるまでもない。近代哲学は出発地点からおかしかった。だから、無限ループ地獄に陥って、まともな結論ひとつ出せずに、ニーチェとか言うヤツが振りまいたイカれた超人思想に染まる愚か者を量産してしまったのだと、そんなことを思いながら、フフと不敵に含み笑いする。

「お前は根拠のないことを言っている」

「なにが?」

「死んだら無になるということ」

「じゃあ、あんたは死んだら幽霊になるとでも思ってんの?」

「その問いが答えだよ。愚か者めが!」

 啓介はクワっと声を上げそうになりながら、立ち上がった。

「死んだら幽霊になるということに根拠がないように、死んだら無になるってことにも最初から根拠がなかったんだよ! つまり、どちらも証明されていない以上、お前の無になるという前提での考え自体成立してない。もしかしたら死後の世界はあるかもしれないし、ないかもしれない。それが今の人類の正しい見解であり、無になるという断定も幽霊になるという断定も根拠がなかったんだよ!」

 論理的に考えれば。

「人類は、まだ知らない。それが今の結論だ」

 啓介は人差し指を立てて、窓の向こう側にある空を指した。

「その前提を無視して考えを進めたから、おかしくなったんだ。まだ、お前は断定すべきじゃない。わからない、それでいいのさ」

 ささやかな実証主義。

 だから、いえること。

 その先にあるひとつの答えとして現状を打開するために、選ぶべき最善。生きる価値を見出せない、未由に対して自分がとるべき行動。それがなんであるのか、あまりにもあまりにも明確だった。

 まさか。

 勘違いしていないだろうな。

 愚か者どもめ。

 土下座じゃねぇ!

 未由は何かに気づいたのか、冷たい声で問いかけてきた。

「答えになってないよね? ていうか、時間稼ぎしてない?」

 未由の表情が陰りを帯びる。

 鋭い眼差しで睨みつけてくる。

 つり目のせいで、余計に威圧される。

 心臓をわしづかみにされた気分。

 体中の血がわきたつようだった。

 自然に呼吸が荒くなった。

「ヒューーーヒューヒュー」

 時計を見ると信じられないくらい時間が進んでいた。

 十時三分。

 もう、それほど時間が残されていなかった。

 未由が座る机の脚に、自分の足をかけていた。

 答えは至ってシンプル。

 生きる価値?

 知らねぇえよ!

 トンズラこくに決まってんじゃん!

 つまり、最初から逃げるしか無かったってこと!

 逃げるチャンスを探すための時間稼ぎ万歳だよ。




 今居る場所は三階の薄汚い男子トイレだった。ひとつだけ扉が閉まっている、ただそれだけの変哲の無い場所。

 自分が取った行動が正しかったのか。

 それを判断するとき、最初に上げるべきことはメリットとデメリットの比重かもしれない。しかし、本当の意味で、それを体験したら、やっぱりそんな冷静に判断することはできなくて。

 だから。

 単純に、激痛に襲われながら。

 ふらふらと男子トイレの壁に。

 もたれかかることしかできなくて。

 足元には、ねばつくぐらい濃厚な血が大量にあって。

 自分の足跡を延々と、なぞりつづけるぐらいあって。

 それは全部、自分のもので。

 つまり。

 だから。

 その。

 ――右手から先を失っていた。

 手首から先に制服の上着を巻いたとしても、とめどなくあふれる血をとめることができない。元々黒い上着の制服が余計に黒く見えるくらい血に染まっていた。脈打つたびに、ドロドロの血が制服の布地を侵食して漏れ出して、ボタボタと落ちていく。もう、何も冷静に考えられなくて、二の腕で血を止めようって気すら起きなかった。

 喪失感と脱力感が異常だった。

 死が迫っている。

 未由の机を蹴飛ばしたとき、それがわかっていたかのように刀を振り下ろされた。その反応に恐れおののきながら、背を向けて走り出していた。後ろで未由が体を打ちながら叫んでいるのが聞こえた。気づいたら、ありえないぐらいの激痛に時間差で襲われて、自分の右手首から先が切り落とされていたことに気づいた。

「だりぃい……」

 嫌気が差して、天井を見上げながら、言葉を漏らした。

 たぶん、きっと血痕を頼りにすぐに見つかるだろう。

 どっちにしろ。

 ジ、エンド。

 当然のことながら、あんな短い時間で生きる価値を見出せるわけが無い。

 時間切れでも死んでいたし、逃げても死んでたってわけ。

 アホらしいぜ。

 もしも今から奇跡的に助かったとしても、人の目に耐えて生きてく自信もないし、死ぬしかないかもな。もう、何もかも終わったんだって。そう、思ったら、なぜかさわやかな気持ちになる。あいつらの何人かも死ぬ間際には、そう思うのかね。それで、走馬灯とか走って、後悔するのか。

 シノシノとかいう銀髪の少女が、おそらくこの世界を生み出したんだと。そんなことも想定したし、説得すればなんとかなるとも思っていた。けれども、もうどうでもよかった。

 いろいろ考えようとしたけど、気力が萎えていた。

 心が折れちまった。

 そしたら、なぜかジャーと流れる音が聞こえた。

 ひとつだけ閉まっていた奥のトイレがあった。

 そのトイレの扉が、ぎしぎしとなりながら開いていく。

 誰かが出てきた。

「ふぁあああーーん、ねみぃねみぃい」

 こんなときに、また新しいイカれたヤツの登場か。

 最悪の状況だった。

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