立場逆転?
と思ったら、立場は逆転していなかった。
なぜかいまだに惨殺死体に突き刺さっていた血まみれの刀を引き抜くと、未由は振りかざしてきた。首元ぎりぎりで止めると、脅してくる。
「能力の封印を解け! さもないと強制的に解除するぞ! つまり殺すってこと!」
「ひぃいい」
啓介は腰を抜かして、尻餅をついた。
どうなってんだ。どうなってんだよ。なんで、能力を封印したのに、前に物質化したものが消えてないんだ。
とりあえず、現状を把握しろ自分。
よくわからないけど、これから物質化はできないけど、いままでに物質化していたものは存在し続けるのか。もともとの理論がいくら矛盾していたとしても、存在していた事実を消せないように、か。いや、それ以上になんで、こんな胸の奥につっかえる感覚があるんだ。
未由は重大な情報を語っている。
脱出するために必要な情報だ。強制的に能力を解除する、といった。殺して。つまり、命題を発動した人間を殺せば、能力が完全に消えうせるってことなのか? だとすれば、この世界を作った人間を……殺せばいい。そうすれば、この世界から出られる可能性があるんじゃないか。逆に言えば、いくら矛盾を見つけて封印しても、殺さない限り能力は解除されない。つまるところ、出られないってこと。
間違いなく言えたのは。
絶対に帰るために必要なのは。
――人を殺さないといけないってこと。
死の淵に立たされることによって、啓介の頭は空回りするどころか猛烈に回転していた。そして、気づく。目の前の事態に対処しないと、元も子もないと。
未由は待ちきれずに、刀をもう一度振りかぶった。
「死ねぇええ!」
自分の能力を解除する方法なんて。
わからなかったから。
一秒にも満たない時間。
啓介はスローモーションで体勢を整えようと動き出す。
しかし、動きはじめでもう刀は距離を半分つめていて。
いくつもの残像を描きながら、迫ってくる。
この機に及んで成すべきことはたった一つ。
両手を地面に向かわせ。
頭をひれ伏させながら。
至高の奥義ともいうべき回避方法であり、物理的に刀をよけれられ、なおかつ精神的にも暴力を抑えられるかもしれない。
最善の策。
そう、土下座。
よく、わかったね。君も。
友達にならないか?
だけど。
間に合わない……
刀が首を捉えようとした寸前、死を確信した瞬間。
「どーもども。シノシノって言います」
この危機的状況を打ち破ったのは間抜けな女の子の声だった。
銀髪の少女だった。丸っこい顔立ちの愛嬌のある狸みたいな大きな目のたれ気味のやさしそうな雰囲気の子だった。すらっとした背の、しかしまったくそれとは相反するような豊満な胸の持ち主。制服を着ているという事実以外は、現実世界には存在し得ないような、すべてにおいて、最高の、つまりその。
めっちゃタイプの子だった。
二メートル以上ある、どこにそんな怪力があるんだよと思えるような巨大な銀色の古時計を背中に背負っている。そのせいで、前かがみになるからか余計に胸のラインが強調されるようだった。というか制服のボタンを閉めなさ過ぎていた。
啓介は止まった刀に安堵し、冷や汗を頬に伝わせながら、いろんな意味で息を荒げる。
「ヒューーーヒューヒュー」
何度かその銀髪の少女はこちらを見る。
目が合った。
「邪魔するな」「助けて」
銀髪の少女はその視線を横にやると、青ざめていった。高速で青ざめていった。隣にあったのは、無残にも惨殺された男子の死体であり、そりゃ誰でも引くだろうということは明確だった。
「ええっと、えと、えと……すいません、お邪魔でしたね」
「えええええうぅうう」
もう去るのかよ、という衝撃を受けて、しかも何もせずに去ろうとする辺り、怒りすら覚えながら啓介は声を荒げた。
「助けてくれよ。てか、お前の命題のなんか能力使えばいいだろ。この未由とかいう子、もう能力使えないから。勝てるって」
「ばかっ、言うな」
口止めのために、すぐに殺されそうだった。
必死に啓介は言葉を続けた。
「てか、それ以前に死ぬのとか怖くないんだろ。生きることに価値を見出してないんだろ。だったら、戦え。死ぬまで戦えばいいだろ! ジャンキーどもよぉお。あっ、そしたら、人を助ける気もおきないのか……」
言ってる側から自分の理屈が破綻していることに気づく。
銀髪の少女は両手を顔の前でフリながら、たどたどしく話す。
「生きることに価値を見出してないんですけど、そのあの……」
あまりにも似合う苦笑いで続けた。
「死姦マニアではないですから……」
「なに勘違いしてんだよ!」
いろんな意味で会話に押されて、未由が攻撃をためらっている。
助かる。
助かるかもしれない。
いや、何か方策を考える余地が生まれる。
このまま、とりあえず話を引き伸ばせ。
「てか、そもそも何しにきたんだよ」
「いやぁーその、時間と空間の命題を話そうと思って。なんていうのか、よくあるじゃないですか。時間を早く感じたり、遅く感じたり、楽しかったら早いですし、つまらなかったら遅いみたいな。あれって人間的な感覚ですけど、時計通りに本当に時間は流れてるのかなって疑問を持ってて、ですね。それについて話し合いながら考えていけば、人間の一生の流れる本当の時間がわかって、人の生きる価値とかわかるんじゃないかって」
「話そうって……お前、案外と平和的なヤツだな。気に入った。それどころか、好きだ結婚してくれ。だから、助けてくれ」
「あ、関係ありませんでしたね。ではでは、死姦を楽しんでください」
話がかみ合ってない。
そのまま、シノシノとかいう銀髪の少女は無視するかのように背を向けて歩き始めた。ドシン、ドシンと地面をならしながら、立ち去っていく。
「まだ勘違いしてんのかよ!」
校舎の陰に姿が飲まれていった。
現実は容赦なく、時は止まってくれない。
当たり前のように姿が消えていった。
あの子に出会いたかった。
最初にあの子と出会いたかった。
あの日、あのとき、あの場所で、あの子に出会いたかった。
だってもう、殺されそうですもん。
「邪魔がなくなったね」
未由はそういうと、満足そうに笑う。
狂気の沙汰だった。
頬を引きつらせぎみに本当にうれしそうに笑っていた。彼女の場合、おそらくそれが最高の喜びを表現する表情なんだろう。本当に信じがたいことだが、ジャンキーだ、としか言いようが無い。
ぎりぎりと握りこまれる刀。
その刃先が首元にスッとだけほんの少し入る。
じわりと血が出て。
にじむ。
鋭い痛みが首に走った。
啓介はひどく冷静に呟く。
「生きる価値について、知りたくないのか?」
「えっ?」
「いや、お前だって本当はわかってんだろ。死にたがりの自殺志願者と話したって、わからないって。生きる価値を見出してないんだから、そりゃ聞いてもわかるわけねぇえよな。だから、俺と最初出会ったとき、いつでも殺せたのに殺そうとしなかった」
「能力が封じられた今は状況が違うし」
「意味わかんねぇぞ。状況が違うってどういうことだよ。最初からお前が生きる価値を見出してない、その事実は変わらねぇえだろうが。能力がそこまで必要か? 生き残るために、か? 生きる価値を見出していないお前が、なんでそういう思考にいたる?」
未由は目を細めて険しい顔になり、自分の親指の爪をかんでいた。
今、たたみかければ活路が開ける!
「お前の生きる価値、見つけてやるよ。一時間。一時間あれば十分だ」
「ホントに?」
「ああ、見つけられなかったら殺していいよ」
「わかった……」
一時間。
ハッタリだった。
本当に、ありえないくらいの斜め上のハッタリだった。
古今東西の天才、奇才、秀才たちが数百人がかりで何千年かけても結論を見つけられなかった人の「生きる価値」とか「生きる意味」についての答えを、凡才の極地で暮らしていた自分がたった一時間で見出せるわけが無かった。
今は朝の午前九時二十分。一時間後の十時二十分までに答えを出さなければならなかった。
「とりあえず、ここは変なヤツがいっぱい来るから校舎に入ろうか?」
「いいよ」
絶望的な戦いのはじまりだった。