哲学的じゃない彼女に告ぐ!
ただいつも通りに学校に登校しようとしていた。
それが、だ。
学校と歩道の境目、校門の間に立っている女の子に呼び止められた。丁度、そう同い年くらいの小柄な少女。同じ高校の制服を着ていたし、これといって不思議に思うこともない。
「あなたの来る学校じゃないよ」
「えっ」
啓介はすこし驚いて校舎を見た。やっぱり自分の通っている高校だ。一瞬自分に対して言ったんじゃないと思ったけど、何度見直しても自分を見ている。
なにいってんだ、こいつ。
よく見ると、その少女の瞳の奥は紫がかっていて完全に普通じゃなかった。つり目のちょっと性格がきつそうな子だと思う。ふぞろいな短髪の右側を赤いゴムで、おなさけ程度にくくっている。
無視しよう。
そう、思った。
「いや、あなたの来るべきところじゃないというべきかな」
その冷たい声を振り切るように、学校の敷地内に入る。そしたら、なぜか朝の喧騒が嘘のように消えうせて、周りの通りすがる生徒が溶けるようにいなくなった。朝の部活動の声も、道路をかきむしる車の音も、どこかに行ってしまった。ただ、その少女が校門の間に立っているだけ。
「どうなってんだ?」
「だから、止めたのに……」
少女はあきれかえったように眉をひそめると、背を向けて校舎に向かおうとする。
とっさに無意識に呼び止めた。
「ちょ、どういうことだよ。なんか知ってんだったら説明しろ」
振り返った少女は、何かを思い出したようにこちらに駆け寄ってくる。そして、そっけなく、本当にそっけなく、手を差し出すと言った。
「私は未由。よろしく。これから、殺しあうことになるけど」
啓介は全身汗だくになりながら、校門にある見えない壁にタックルを繰り返していた。三十六回目のタックルに失敗すると、尻餅をついて座り込んだ。ふとともが悲鳴を上げている。もう、立ち上がることすらできなかった。
「外に出られないじゃねーか。意味がわかんねぇーよ」
「もう、わかったと思うけど、ここは校舎も含めて学校全体が閉鎖空間だから」
未由はポケットからイチゴの刺繍がしてあるハンカチを取り出すと手渡してきた。それを手に取り、啓介は頬にしたたる大粒の汗をふき取った。
「わかった。意味のわからないことが起きてるのはわかったから一から説明しろ」
「ここは誰かの形而上の意識が形而下にまで降りてきた世界って言うのかな。つまり、簡単に言うと誰かの想像の世界ってわけ」
「はぁ、ますます意味がわかんねぇよ。そんなことがありえるのか」
「別に信じなくていいけど、人の想念とか意念って言うのは決して現実世界から乖離したものじゃないよ。すぐ隣あわせにあるって言うのかな。表裏一体って言葉が適切かな。それがときに牙を剥くっていうのか」
「がぁあああ、余計わかんねぇよ。ちきしょう。なんなんだよ。もう、家に帰りたいっての、ちきしょう」
啓介は半泣きになりながら、両腕で顔を覆い隠した。
その様子を見ていた未由は、鋭く言い放つ。
「君って甘いね」
その言葉は、胸に突き刺さった。それがどうしてなのか。その次の言葉を聞かなくてもなんとなくわかった。だから、続きの言葉を聞きたくなかった。でも、簡単に言葉は続けられる。
「たぶん、もう帰れないと思うよ」
啓介はハっと顔を起こすと、未由を見上げた。
未由は人差し指を立てて。
「だって、この世界を作った人間は生きることに価値を見出してないから」
すこしだけ首をかしげた後、未由は話を続けた。
「なんでそんなことを知ってるんだって顔してるね。それはさ、ルール説明を受けてないからわからないんだろうけど、ここには数名の君と同年代の子がいるわけ。で、殺しあうことになってる。その同年代の子たちは全員生きることに価値を見出していない。だから、帰ることを前提として世界は作られてないんだよ。ただ、殺しあって、お互いに生きる意味について結論を出すだけ。そもそも死んでもいいと思ってるし、もしかしたら死の淵に立たされると何かわかるかもしれないって思ってる。私も漏れなく、全員死ぬのも上等っていう前提で参加したんだけど、君は偶然なのか、それとも心のどこかで生きる意味を感じていないのかわからないけど、この世界に来ることになっっちゃんたんだね。逆にそこが私は面白くて、強く止める気にはならなかったけど」
こいつ、これから殺しあうって言うのに。
「あと、あと、面白いことにそれぞれの命題に応じて、能力が発露するようになってるから」
楽しそうに語ってやがる。
啓介は追い詰められれば追い詰められるほどに、絶望すれば絶望するほどに冷静になるタイプだった。ぶつぶつと呟き始める。
「つまり、簡単に言い表せば……」
現状という現状を把握し。
「とりあえず言えることは……」
今あるべき最善の方策を模索した結果。
「変態どもの集まりってワケだ」
そう結論付けると同時に。
現状において成すべきことは、日本の伝統文化にのっとり、誇り高き日本人が追い詰められたときに行動する、ことごとくの失敗を無に帰すための、圧倒的劣悪な状況を打開するための、美しい所作という所作と呼ばれる、負け犬根性の集大成とも言うべき。
「殺さないでください」
啓介はスローモーションで、土下座をお披露目した。
「ぶっ」
未由様は大層満足げに、破顔なされた。
間違いなく断言できることは、相手が女といえどもこのイカれた世界では能力とやらが発露したら、やばそうだってこと。現状においては、どんな手段を用いてでも、仲間は増やしたほうがいい。
つまり、土下座は何度でも使える至高の手段だってこと!
なぜ、そうなる、というツッコミは許さない。
死にたくなくば、土下座しろ、だ。
結果は、いかに。
未由に見下されながら、判決を下された。
「今は生かしといてあげる。あとで殺すかもしれないけど」
助かったのか……
心の中から湧き出る安心感によって歓喜していた。
生きてるって、すばらしぃいいい。
疲れも忘れて小躍りしていると、渋い男子の声が斜め後ろから聞こえた。
「目立つところにわざわざいるな。本当に死にたがりは救えねぇ。おれと同じくらい」
強烈な殺気が、背中に突き刺さった。
渋い声を放った長身細身の糸目がやけに似合う男子は、げぼげぼと血を吐き捨てながら地面に倒れた。もう、何も語れないほどの無残に斬りつけられていた。首を貫通した刀は、地面にまで突き刺さっており、十数か所にまで延々と顔面を破壊するといっていいほどに攻撃されていた。赤黒く染まった顔は原型をとどめておらず、何かのゆがんだ銅像のように見えた。肉は飛び散り骨は砕け、頭蓋骨は裂けて脳が微動するのが見えた。
その返り血の先にいたのは、未由だった。
制服は血にまみれて、もう別世界の死に装束に見えた。
未由は振り返るとこっちを見て軽く笑った。
「あはは」
なまめかしくも、恐ろしい微笑だった。
そのくせ白々しい笑いだった。
やばすぎる。
あいつが殺しあうとか言っていたのは、本当だった。どこかで思っていた悪い冗談だとか軽いノリは消えうせて、今は本当の意味で死ぬかもしれない恐怖が覆っていた。
「私の命題は我思うゆえに我あり、なんだよね」
イカれた能力だと思った。
彼女が急にかがんだと思った瞬間、ちょうど胸の部分に手を突っ込んで、何かを抜き出したときには男子を切りつけていた。その先は、もう思い出したくも無かった。
一方的な虐殺。
相手が能力を使う前に、殺していた。おそらく、「思う」ことによって自分の中から何か物体を物質化する能力なんだろう。どう考えても、反則的な力だった。
「思うから自分がある。それが真実だと。だったら、思えば刀だってあっていいじゃないかって。そう考えたら、こんなこともできちゃうんだ。ふふ」
人を殺すことに何一つためらいがない。
やっぱり、ここにいる奴らはイカれている。
でも、それだけで考えをまとめたくなかった。
ひどい違和感を覚えていて。
納得できずにいる自分があって。
だから。
「なんで、そんな簡単に人を殺せるんだよ」
「自分に生きる価値を見出してないから……」
「だからって、他人を殺すのはおかしくね?」
「それはどうかな。自分に価値を見出してないから他人にも価値を見出してないよ。そもそも人に価値を見出してない。だから、簡単に殺せちゃう」
「殺人鬼の心理ってヤツか……」
「まぁ、そんなとこなのかな。わかんないけど」
「だったら、なんでお前は俺を殺さないんだ?」
「気まぐれ。単なるね」
そういって未由は、無邪気に笑った。
血まみれの姿で。
頬に、こべりついた血をぬぐいながら。
「気が向いたら、殺すかも」
その言葉を聞いたとき、また家に帰りたくなった。
心底、震え上がった。
こういうときに、またお得意のあの動きを繰り返すのか。機械的にそれこそ、繰り返すのか。恐怖しているのに、頭はひどく冷静で、逃げ出したいと思っているのに、その場にとどまり続けて、何でか知らないけど、ふらふらと立ち上がって、無意識に近い形で言い捨てた。
「我思う、ゆえに我あり? デカルトってヤツがいったのか知らないけど、そいつはアホだよ。アホすぎて話しにならねぇ」
未由は大きく目を見開き。
すこしだけ眉を押し上げて。
信じられないほど、どぎつい声で。
「あっ?」
聞き返してきた。
一触即発。
いつ殺されても、おかしくなかった。
啓介は死と隣り合わせなのに異様なほど冷静だった。
「考えてみろ。我思う、ゆえに我あり。自分を思えるから、自分が存在する。思えるから存在するなら、なんだって思える時点で存在するってことじゃねぇか。でもな、俺も二次元のキャラクターを思い続けた。しかし、存在しなかったんだよ。実在しちゃくれなかったんだ。やっぱりどこまで行っても空想だったんだよ。このイカれた世界なら確かにお前の命題通りかもしれない。しかし、現実世界に帰って見やがれ。デカルトの論は破綻してるから」
「だから、形而上って言葉があるんでしょ。つまり、意識とか意念の存在。目に見えない形をもってない存在……」
「そんなこといい出したら、全部存在している。嘘だって、思える時点で存在してるってことだろ。デカルトは完全にイカれてるよ。思えるからって存在してるなら、すべて存在している。嘘も真実も、何もかもな。あいつは、我という唯一無二の真実を確信しただけで、すべてが存在したなんて言ってねぇぞ。もしもすべてが存在したと言いたいなら、我思う、ゆえに我ありじゃなくて、『思う、ゆえにすべてあり』でいいじゃねぇか。我思う、ゆえに我あり、と最初にデカルトがその言葉を放った時点で、もうすでに論理的に破綻してたんだよ!」
注 実はデカルトの考え方は、批判している張本人の啓介に近い。すべてを疑って疑って、疑うことだけが真だと定義したのであって、未由の考えたように思うゆえにすべてが存在するなどとは考えていなかったのである。
その言葉の嵐を浴びた後、未由はうつむき加減に胸に手を入れようとした。あのときと、同じように薄暗い表情で、空間のゆがみができるかのように胸に手がメリメリと入っていくはずだった。
だが。
なぜか。
その手は、入らなかった。
その代わりに、啓介の額から放たれた×印がすさまじい勢いで、未由の胸にぶつかる。それが手の代わりに、めり込んでいった。それから、何度も未由が自分の胸に手を入れようとしても入らなかった。
啓介は理解した。
「矛盾……それが俺の命題か」
おそらく、矛盾を看破されたら能力を使用することができなくなる。
命題自体を貫く能力。
それが自分のちから。
未由は事実として、あの物質化する反則的な能力を使えなくなった。これはたぶん、他の能力者にも当てはまることだろう。命題をひとつひとつ解決していけば、もしかしたら……
もしかしたら。
「土下座しなくて済むかもしれない」
そっちかよ、というツッコミは許さない。
誰一人、許さぬ。
しかし、希望が見えた気がしていた。
家に帰れる可能性が見えた気が。
一方、未由は困惑の表情で、何度も何度も自分の胸を触っていた。
立場は逆転していた。