第七話
テレーザは帰宅すると早速あちこちに手紙を書いた。まず母へ、伯父にパメラの婚約のことで連絡を取りたいと速達を送り、了承を得ると早速伯父への手紙を書いた。パメラの婚約者が他の令嬢と出かけていると聞いたこと、パメラを心配していること、オネストがそういう相手が婿入りした時に付き合いを持つのはよく思っていないこと――を、できる限りオブラートに包んで書き上げた。伯父からの返事には当たり障りのないことしか書かれていなかったが、パメラからの手紙で伯父の心が揺らいでいることが書かれていた。オネストが誰かを紹介してくれるかもしれないということはまだ言っていない。それは婚約がきちんと解消になってからの方がいいだろうと従妹は考えているようだったし、テレーザもその方がいいと思っていた。
「母上にも相談して、パメラ嬢と気が合いそうな相手を探しているよ」
手紙のやりとりが落ち着いて、状況をオネストに報告すると彼もまた色々と動いていると話してくれた。
その日はクラリッサのエイナウディ家で開かれた夜会で、テレーザはオネストに贈られたドレスとアクセサリーを身にまとっていた。ほとんど黒に近い濃い灰色の生地の上には白銀の糸のレース生地が重ねられ、袖口やスカートに散らされた小さな真珠の輝きも相まって雪の妖精のようだった。アクセサリーはドレスに合わせてシルバーでまとめられていたが、目も覚めるような青い宝石がその美しさを際立たせていた。
本格的な冬が近づき、領地に帰る貴族もちらほらと出てきている。今日の夜会はこのシーズンの終わりのための夜会の一つで、多くの貴族が招待されていた。基本的には舞踏会ではあったが歓談に興じる者たちも多く、広間の周囲の部屋は全てそのために開放されていた。立食式ではあるが、軽食の用意されている部屋もあり、何曲か踊った後、テレーザとオネストもその部屋で何かつまむことにした。
さすがに若者が多く、他の部屋よりもにぎやかだ。すぐに使用人が飲み物を持ってきてくれたのでそれを手に壁際に用意された席に腰を落ち着けると、二人を見つけたパメラがやって来た。
「テレーザ、手紙をありがとう」
「いいえパメラ。力になれていたらいいのだけれど」
「お父様は少し考えることにしたみたい」
少しだけほっとした様子でパメラは答えた。
「今日も一人なの?」
「いいえ、今日は一応一緒に来たのだけれど……今は彼女のところにいるわ」
「あの令嬢も招待しているのか?」
「聞いていませんが……クラリッサ様なら知っているかもしれません」
眉をひそめたオネストは近くにいた使用人にクラリッサを呼ぶように言づけた。その間にテレーザはさりげなく部屋を見渡してみたが、それらしい集団はいない。噂の子爵令嬢がどんな人物なのか、少しだけ興味があった。ただ、令嬢だけの集まりが不自然に多いので、パメラの婚約者のように噂の子爵令嬢に婚約者を盗られた令嬢たちなのかもしれない。
「そこにいたのか、パメラ!」
オネストがパメラに知り合いの令息について話しながら三人でクラリッサを待っていると、にわかに騒がしい集団がやって来た。その内の一人、黒髪の令息がテレーザたちに視線を向けたかと思うと大股でこちらにやってきて声を荒げた。
「この方が……」とテレーザは心の中でつぶやきながら集団の中心にいる小柄な令嬢へと視線を止めた。彼女が噂の子爵令嬢らしい。長いまつげに飾られた碧眼はうるんだように見え、幼い顔立ちも相まって庇護欲をそそられた。眩い金髪は波うち、華奢で、幼い頃読んだ絵本のお姫様のようだ。男性たちが夢中になるのも仕方ない――オネストを見ると、彼はすっかり無表情で、心から嫌そうな雰囲気をまとっていた。ほんの少し感じた安心感を、テレーザは胸の奥にそっとしまった。
「そのように大きな声を出さないでください」
眉根を寄せて静かにパメラは婚約者にそう告げた。パメラの婚約者をきちんと見るのははじめてだったが、これだけでもパメラとは合わなそうだということがよくわかる。着ているものや髪型はきちんとしているが、荒っぽい雰囲気で傲慢さが顔ににじみ出ている。パメラの婚約者に選ばれた最初からそうだったとは思いたくないが……。
「うるさい! お前に指図されるいわれはない!」
男はますます声を荒げた。
「ノエミから聞いたぞ! 彼女に嫌味を言い、仲間外れにしているらしいじゃないか! その上、彼女が何人もの男とつき合っているなど事実無根の噂を流しているな!」
「そんなことしておりません」
「しらばっくれても無駄だ! ノエミがそう言っている! そんな女と婚約しているなんて恥にしかならない! お前との婚約は破棄させてもらう!!」
気づけば周囲は静まり返り、固唾をのんでいた。何か言っているのは子爵令嬢の取り巻きだけで、「私の婚約者もそうだ」とか「これだから嫉妬した女は」とか好き勝手言っていた。
「あら? オネスト様ではありませんか?」
そんな中で、その取り巻きに守られるようにしてその場にいた子爵令嬢が男たちの隙間からオネストの姿を見つけ、場違いな声を発した。その頬はバラ色に染まり、うるんだ瞳が期待を込めてオネストを見つめている。
が、当然オネストはそれを無視した。そもそも名前を呼ばれることが不快だったし、ましてやテレーザの前だ。そんな彼の様子と、毅然としているがよく見ると手が震えているパメラを見て、テレーザは不思議と妙に落ち着いた気分になっていた。
「あなた、どうしてオネスト様の名前を呼ぶのです?」
テレーザの声音は常と変わらず、しかしよく響いた。子爵令嬢も取り巻きも彼女がここにいることに今はじめて気づいたようにハッとして、テレーザに視線を向けた。何人かの取り巻きは動揺して顔を赤くしている。
当然だろう――と、いら立ちつつオネストはその様子を観察していた。この子爵令嬢は自分の容姿を武器にしているようだが、十人いたら十二人がテレーザの方が美しいと言うだろう。ひいき目を抜きに、見た目だけではなく精霊に好かれているとはそういうことだ。オネスト自身もそういう性質を持っているからよくわかる。
「な、なんだお前は……」
最初に我に返ったのはパメラの婚約者だった。「パメラの従姉妹です」とテレーザは簡潔に答えた。きちんとあいさつをしていないし、話に口を挟んでしまったが彼らには失礼なくらいでちょうどいいだろう。
「従姉妹だと……?」
「ええ。ですが今、あなたとはお話ししておりませんわ。彼女にたずねたのです。わたくしの婚約者であるオネスト様の名前をどうして軽々しく呼んだのかと」
「えっ? わ、わたし……オネスト様と親しくなりたくってぇ」
「親しくなりたいのなら、礼儀をわきまえるべきでは?」
「パメラの従姉妹――思い出したぞ! お前、没落したカッサーノ家の娘だな!」
パメラの婚約者に指をさされ、体が強ばるのを感じたがテレーザは決してそれを覚らせなかった。
「没落した……? そ、それならあなたがオネスト様のとなりにいることの方がよっぽど失礼じゃありませんか!?」
「……どうしてです?」
「えっ……ど、どうしてって……」
「カッサーノ家の現状がどうであれ、わたくしがオネスト様の婚約者であることには変わりありません。それに……それに、わたくしたちの婚約は王家の方々の助言の元で決まったもの。それを受けて、今は幸いにもこのエイナウディ家の公爵閣下がわたくしの後見をしてくださっています」
子爵令嬢は何が何だかわからないという顔をしていたが、周囲の取り巻きの令息たちは顔色がどんどん青くなっていった。
「それで? あなたはどのような立場で、どうしてわたくしがオネスト様の婚約者であることが“失礼”だとおっしゃるのでしょう?」
なおも言いつのろうとする子爵令嬢を、取り巻きの一人が慌てて止めた。同時に、「なんの騒ぎかしら?」とまるでタイミングを見計らっていたかのようにクラリッサが気まずそうな顔をしている婚約者を連れてその場に現れた。
「クラリッサ、遅かったじゃないか」
「突然呼びだれてもすぐには来られないわ。わたくしもお客様の相手をしなければならないもの――それで? ここに“お客様”ではない方がいらっしゃるようだけれど?」
取り巻きの数人が視線をそらした。どうやら子爵令嬢は正式に招待されたわけではなく、彼らが連れて来たらしい。
「このことはお父様に報告して、きちんと抗議させていただくわ。騒ぎの中心は貴方かしら?」
「申し訳ありません、彼はわたくしの婚約者なのです」
クラリッサの圧に言葉を詰まらせる婚約者に変わってパメラが立ち上がった。
「まあ、パメラ。彼とは婚約を破棄するのでしょう? 彼の方からそう言ったのだから」
「え、ええ……」
「ちょうどよかった。彼のような男が婿に来たら、いくら君とテレーザが親しくてもジャコッビ家とのつき合いを考えなければならなかったよ」
「……きっとそうはなりませんわ。お父様もそうおっしゃると思います」
緊張しながらうなずくパメラに、テレーザはちゃんと微笑んだ。オネストも笑みを浮かべてはいたが、どうしたって目が笑っていない。
「彼らのことはわたくしに任せて、三人は別の場所でゆっくりなさったら?」
「お気遣いありがとうございます。わたくしはそろそろ帰らせていただきますわ」
「そうなの? またぜひ遊びにいらしてね。テレーザもいるし」
「ありがとうございます」
「それなら私が入口まで送ろう――テレーザも」
「はい、オネスト様」
顔色を悪くしたまま立ちすくむ子爵令嬢たちをもう視界にも入れず、テレーザは差し出されたオネストの手を取った。温かい手だ……そして自分の手が、妙に冷え切っていることにテレーザは気がついた。オネストが一瞬心配するような視線を向けたが、彼はすぐには何も言わず、テレーザと共にパメラを入口まで送って行った。また連絡すると約束した従妹は、すっきりとした顔をしていた。
「部屋に戻るかい?」
「はい」
夜会の場から遠ざかればあの喧騒が幻のように屋敷は静まり返っていた。テレーザは何も言わず、ただ足元を見てオネストにエスコートされるまま足を進めていた。
「……彼らには君への態度も含めて僕の方からも抗議するよ」
沈黙を破るために、オネストは口を開いた。
「わたし……」
体は冷たいのに、喉の奥だけひどく熱い。
「テ、テレーザ!?」
立ち止まって慌てた様子でオネストはテレーザの顔をのぞきこんだ。近づいて来ようとする侍女たちを手で制し、美しい青からこぼれる涙を指ですくった。
「どうしたんだ? 彼らの言ったことを気にした?」
「わ、わかりません……止まらなくて……」
「泣かないで、テレーザ。大丈夫、君はきちんとできていたよ。毅然とした態度だった」
「ちがうのです、ちがうのです」
首を横に振りながらも、こぼれる涙を止めることはできない。自分の言った言葉が頭の中に木霊していた。
「やっぱり婚約を解消しましょう、オネスト様」
「どうして!?」
「わたしといると、いつまでもあんな風に指をさされるかもしれません……こ、今度はオネスト様が……」
「僕に指をさすようなマネをする人間なんてそういないよ」
「で、でもオネスト様にちょっとでも嫌な思いをして欲しくないんです……一緒にいて欲しいけど、いつもこんなことばっかりで、嫌になって、わたしのことも――」
「一緒にいて欲しいの? 僕に?」
オネストにしてはやけに大きな声だった。驚いて彼を見上げると、彼もまた驚いた顔でテレーザを見ていた。
「はい……一緒にいて欲しいです……」
「僕のことを慕っていると言っていたのは、家族のようなものだと思っていたけど……」
先ほどまであんなに体が冷たく感じたのに、テレーザは頬が熱くなるのを感じた。
「オネスト様がそう想っていなくても……今日だって、本当は王家や公爵様のことなんて建前ではなんて言いたくなかった。わたしがオネスト様の婚約者で、オネスト様のことを一番好きだと、それだけ言いたかった」
もちろん、あの場ではその建前が何より力を発揮することもテレーザにはわかっていた。
「でもオネスト様がきちんと義務として婚約をつづけてくださっていることはわかっています。カッサーノの泉の精霊様のことを考えてくださっていることも、うれしく思っています」
そんなことを言った覚えがあった。オネストは苦い顔をした。今日のテレーザが本当は別のことを言いたかったように、あの時の自分もきっと本当は別のことを言いたかった。
「テレーザ……僕ら、こういうことをもっと早くお互いに話すべきだったのかもしれないな」
「えっ?」
「何年か前に話しただろう? 想いを確かめ合う方法のことを」
「はい、覚えています……あの時、オネスト様が言ってくださいました。時間はたくさんあるから、一緒に探そうって……これからずっと一緒にいるからと」
「そんなことを言ったかな……?」
「言いました。とても、うれしかった……あの頃、お母様やおじい様と離れて暮らすことになって……パメラや伯父様や伯母様はいい方だったけれど、やっぱり不安で、心細かったから……オネスト様がああ言ってくださって本当にうれしかったのです」
「そうだったのか……」
「その頃からずっと、オネスト様をお慕いしています」
テレーザはオネストの灰色の目を真っ直ぐに見つめた。廊下の灯りが反射して星の光が溶け込んだように見えるそれは、ほとんど銀色のように見えた。
「カッサーノの精霊様のことは……精霊様には申し訳ないけど、それこそ建前だったんだ。本当はもっと、別の言葉を言うべきだった……僕は君とはじめて会った日に、君と一緒にいたらずっと楽しいだろうなと思ったんだ。世界が色づいていく気がして――最初は妹のように思っていたけれど、今は違う。君を大切に想っているよ、テレーザ」
「家族としてではなく?」
「それを含めてかな」
涙で濡れた頬のまま、テレーザはしあわせそうに微笑んだ。
「突然泣いてしまってごめんなさい……なんだかよくわからなくなってしまって……」
「いいんだよ、僕の前だけならね」
その頬に、オネストはそっと口づけを落とした。
「もう婚約解消しようなんて言わない?」
「言いません。でも教本は――教本でなくても婚約解消についてまとめたものは書こうと思うのです」
「どうして?」
「パメラへの手紙に同封します」
「なるほど」
テレーザの伯父伯爵がこれで何もしないということはないだろうけれど、彼女の従妹は案外楽しむかもしれない。「いい考えだと思うよ」と声を立てて笑ったオネストは、テレーザのつむじにもう一つ口づけを贈ったのだった。




