第六話
この誕生祝のできごとが問題になり、テレーザはジャコッビ家から離れることになった。特に母が伯父に対して怒りを露わにしたらしい。しばらくは母の元で過ごし――しかし母は王宮内で暮らしているため、そう長くは一緒にいられなかった――それからいくつかの親戚の元で過ごしたがどこも長つづきせず、ジャコッビ家から離れて三年、最終的に落ち着いたのはカッサーノ家や母の実家であるジャコッビ家の親戚ではなく、フェルローネ家の親戚、エイナウディ家だった。
オネストの祖父の姉が嫁いだその家にもオネストと同年代の令嬢であるクラリッサがいたが、男兄弟も多く、オネストが訪問するのにジャコッビ家にいた頃より気を遣わなくてよかった。それにクラリッサはすでに婚約していて、婚約者と仲睦まじい。テレーザのことも妹のようにかわいがっていて、テレーザもクラリッサを慕っていた。
生活は落ち着いたが、テレーザはあれ以来いつもオネストとの婚約解消について考えるようになっていた。あの後、両家の大人たちと当人たちで改めて婚約のことが話し合われたし、テレーザも納得してはいたが、それでもオネストにはもっとふさわしい人がいるのではないかと思ってしまう。
自分のことでオネストに迷惑がかかるのは嫌だったし、彼が傷ついたり不幸になったりしたらと想像するとつらかった。けれど父親のことはなかったことにできない。それならやはり、婚約を解消するのが一番ではないかと思うのだ。カッサーノ家の領地の泉への祈りは、跡取りでなくともやれば問題は起きないはずだ。手に職を得て独立をするか、教会に身をよせるかしてカッサーノ家の領地のどこかで暮らせば、祈りには行ける――。
「僕や僕の家族が君や君の家族のことで迷惑に感じたことはないよ、テレーザ」
暖炉の薪がまた弾けた。
「君の父親のことで周囲に何か言われたって、大したことじゃない」
むしろオネストにとって、テレーザの父親はすでに存在しないも当然だった。彼女の祖父や母は周囲からの評判も良く、彼女自身も――親しい人の前では突拍子もないことを言うことはあるが、悪い印象はなかった。オネストに懸想する令嬢たちからのやっかみくらいだ。
「ですが、婚約解消の教本を作って売れたらそれを元手に独り立ちできると思うのです」
「婚約解消の……何だって?」
「今、クラリッサ様にも話していたのですが、婚約の解消について色々と調べてきましたし、それらの知識や両親を説得するための例文などを本にまとめたらどうかと――」
「どうしてそんなこと思いついたんだ?」
「ほら、この間の劇場で婚約破棄騒ぎがあったでしょう?」
新しく用意されたお茶と焼き菓子に手を付けながら、クラリッサが口を挟んだ。
「テレーザは、婚約破棄を言い出した男が解消の仕方を知らなかったんじゃないかというの」
「そんなバカな……」
「そういう教本があれば、もう少し穏やかに解消できると思うのです」
冗談だろう? と思ってテレーザを見るが、彼女はいたって真剣だ。
「……本を作るのは大変だと思うよ」
クラリッサのあきれた視線を受けながらオネストはそれだけ告げた。
「それに劇場のロビーで婚約破棄だなんて言い出しすような男は頭に花が咲いてるんだよ。婚約の解消について知識がないわけじゃない」
「そう、なのですか?」
「そうよ。あの子爵令嬢にみんな鼻の下を伸ばして、まともに考える頭がなくなってるの」
「そうだね。見ていてあきれたよ」
「オネスト様もその方とお会いしたことがあるのですか?」
「顔を合わせたことはあるが、話しかけられる前にその場から退散したよ。関わるだけで疲れそうだ」
「わたしの婚約者は逃げそびれたのよ。その上、人がいいせいで無視もできなくて――まあ、後から文句を言ったからもうそんな風にはならないでしょうけど」
「彼はクラリッサに頭が上がらないからね」
「そうよ」
オネストの言葉を鼻で笑い、クラリッサはうなずいた。
「テレーザも、もしどこかで出くわしても関わってはいけないよ」
「わたしに関わろうという方はそういませんよ」
たしかにそういう面もあるが、テレーザに見惚れる男の視線やフェルローネ家とのつながりのためにテレーザに近づきたい貴族たちも少なくはない。変に絡まれないのはもしかしたら精霊様の加護のかもしれないとオネストは常々考えていた。今は王家預かりになっているカッサーノ家の領地だって、テレーザが欠かさず祈りをささげているおかげか以前より気候も穏やかで土地も豊かになっている。
この婚約を決める時、テレーザの祖父が王家に相談していたのもあって横やりは入りづらくなっているが、そうでなかったらきっとテレーザと彼女の豊かな領地目当てで横やりを入れる家が出て来ただろう。
「そうでもないよ。この間届いた招待状には君もぜひと書いてあったから」
「そうなのですか?」
「公爵夫人が隣国のお茶にはまっていて、皆に振る舞いたいらしい」
「わたしのところにもその招待状が届いたわ。あの方のお茶会で出る砂糖菓子がおいしいのよね」
「わたしもです」
花が咲くように笑ったテレーザに、オネストも微笑んだ。
お茶と甘いものが好きでそれを周囲に振る舞うのも好きな公爵夫人はよくお茶会やガーデンパーティー、ちょっとしたサロンを開いていて、若者たちの恋愛を楽しむ婦人たちと違い老若男女幅広く貴族たちを招待していた。
その日の集まりを公爵夫人は“試飲会”と呼んで、テーブルには隣国のいろいろなお茶が用意され、別のテーブルには宝石のように美しく、花のように愛らしいお菓子が綺麗に並んでいた。テレーザたちくらいの年代の若者もそれなりにいたが、親子連れや老夫婦もいる。誰もが穏やかに笑いあい、主催の公爵夫人もあちこちに声をかけてまわりながらお茶やお菓子の感想をたずねたり逆に客たちのおすすめを聞いたりとより楽しい雰囲気を作り上げていた。
「まあ、パメラ」
その中に久しぶりに会う従妹の姿を見つけ、テレーザは駆け寄った。ジャコッビ家から離れてから伯父たちとの交流は薄れていたが、パメラとは個人的に親しくし、文通をしたり王都に滞在している時は一緒に出かけたりすることもあった。今回の滞在で顔を合わせるのは今日がはじめてだったので、会うのは半年ぶりだろうか?
「テレーザ、久しぶりね――オネスト様も、ご無沙汰しております」
「ああ、君も元気そうだね」
しかしテレーザから見てもオネストから見てもパメラは少し顔色が悪く見えた。茶色の髪はまとめられ、植物をモチーフにした金の飾りがつけられている。ドレスは落ち着いた色合いだが、襟や袖などに使われたレースに華やかな意匠が使われていて色合いよりも可憐に見せていた。
「パメラ、今日はお一人なの?」
「ええ、婚約者と招待されていたのだけれど……」
テレーザがジャコッビ家を去ってしばらくしてパメラが正式な跡取りとなった。穏やかな彼女の祈りはきっと精霊様も気に入るだろうとテレーザは思っていた。ビビアナについては聞かなかったが、最近どこかに嫁いだらしいと風の噂で耳にした。あの誕生祝の日に祈り手についての間違った認識を口にしたことが広まって、色々と苦労したらしい。しかしもう、テレーザには関係のないことだ。母も知らなくていいと言ったし、オネストもそう言った。だからテレーザもあえて聞かなかった。従姉に今更いい印象を持てるとは思えなかったし、どちらかと言えば関わりたくない気持ちが強かったからだ。
今ではあのくらいの嫌味ならば難なくかわせるだろう。しかし没落したばかりで不安が大きかったあの頃に受けた悪意は、テレーザにとって思い出したくないものだった。
パメラの方は跡取りになってから婚約者を探し、最近やっと遠縁の貴族の三男との婚約がまとまった。最初はぎくしゃくしてしまってうまくいかないことも多く、苦労していると手紙に書かれていたが努力もしたいと言っていたのでその後が少し気になっていたのだ。
「婚約者の方はどうしたの?」
「彼は……その、他の予定があって」
うつむいたパメラが心配になり、オネストと顔を見合わせたテレーザはいったん場所を移動することにした。
少し肌寒いが庭に面したテラスにも席が用意されていた。クッションと膝掛けが用意された座り心地のいい肘掛け椅子にそれぞれ腰かけると、控えていた使用人たちが炭の入った簡易的な暖房器具と温かいお茶を用意してくれた。
「何か問題があったの?」
そのお茶のカップで手を温めながら、テレーザは率直にたずねた。
「問題……そう、問題よね……」
「もしかして子爵令嬢のことか?」
ハッとしてパメラは顔を上げ、それから小さくうなずいた。
「今日も彼女とお芝居を観に行っているのです……公爵夫人の招待を受けたことは前からきちんと伝えてありましたし、一緒に行くと約束もしていました。ですが、今朝突然、彼女と出かける予定ができたからいけないと言われて……」
「そんな……」
驚いて目を丸くするテレーザの代わりにオネストがこういうことははじめてかと聞くと、もう何度かあったという。子爵令嬢があちこちのサロンやパーティーに顔出しはじめてからパメラの婚約者は彼女に夢中になり、今ではすっかり彼女をないがしろにしているらしい。
「伯父様には相談したの?」
「したけれど、我慢しなさいと言われてしまったわ。この婚約を解消して、他に婚約してくれる方が見つかるかわからないもの。お母様はそんなお父様に怒ってくださったけれど……」
「それはそうかもしれないが、彼は婿入りするのだろう? 伯爵はどうにかするべきだと思うが」
「婚約者の方とは何かお話をしたの?」
「しようとしたけれど、聞いてくださらなくて……わたしではかわいげがなくて一緒にいても退屈だとか、そんなことを言われてしまって……」
「まあ! パメラはかわいいわ!」
「ふふ、ありがとう」
テレーザの方がよほどかわいらしいが、彼女が心からそう思ってくれているのもわかっていたため少し照れながらパメラはやっと笑みを見せた。
「しかし二人きりで劇場なんか行ったら、君との婚約は解消になったと噂になるのでは? それを逆手にとって解消に持ち込めばいい」
「それが、二人きりではないのです。何人かで行くと言っていて……実は人をやって様子を見に行かせたのですが、その……彼女は何人も男性を連れて劇場に入っていったとか」
「噂には聞いていたが、本当にあの女はそんなことをしているのか? いや、あの女なんていい言葉ではなかったな」
「本当にそんな方がいらっしゃるのですか? 本に出てくるハレムの王様のような……」
「サロンなんかでも、彼女は男性の取り巻きをたくさん連れているのよ」
「まあ……」
「テレーザは彼女を見たことがないの?」
「ええ、そうなの」
テレーザに直接招待状が届くことはほとんどなく、オネストがテレーザを連れて行くのは落ち着いた場が多い。一方で子爵令嬢が参加するのは若い貴族の出会いの場となっているようなサロンやパーティーばかりだったため、幸いにもまだ顔を合わせていなかった。
「色々と噂にもなるし、どうにかできたらいいのだけれど……」
「そうね……パメラの方から何とか婚約解消できないかしら……やっぱり、教本があった方が……」
「教本?」
「いいや、気にしないでくれ。テレーザがまた余計なことを考えてるんだ」
教本について説明しようとしたテレーザをオネストが遮った。パメラならクラリッサのようにテレーザを煽ったりしないだろうが、彼女がますますその気になっても困る。
「とりあえず、伯爵にはテレーザから手紙を出してみたらどうだろう? 『心配している』と。それとなく僕の名前を出せば伯爵も少しは考えを改めるんじゃないか? パメラ嬢には申し訳ないけれど、君の婚約者が中々見つからなかったのもフェルローネ家がジャコッビ家と交流を絶ったと周囲に思われているからだし……」
「申し訳なく思わないでください。あれは、姉が悪かったのです……それに、わたくしとテレーザはこうしてまだ仲良くしておりますからわたくし自身、気にしていませんわ」
「ありがとう。もしよければ僕も友人や知り合いで君に合いそうな相手を探してみるよ」
「そんな……気を遣わないでください」
「そうしていただいたら? その方が伯父様もすぐに解消に動いてくれると思うわ」
「そうかしら……そうね」
パメラの少し元気になった様子に、テレーザはほっとした。自分が原因で色々と従妹には苦労をかけてしまっている。少しでも彼女がしあわせになれるように何かしてあげたかった。




