第五話
笑いが治まりそうになかったオネストの表情が不意にすっと冷ややかさをまとった。彼の視線の方へ振り返ると、先ほどまで向こうでおしゃべりをしていたビビアナと他の従姉妹たちがこちらに向かって来たところだった。
「オネスト様、よければあちらでわたくしたちと一緒にお話しいたしませんか?」
オネストだけでなくテレーザの母の視線も一気に冷ややかになった。二人がさりげなく視線をかわすのを見て、なんだか落ち着かない気持ちになる。ビビアナの行動が失礼なのはまだ社交の場にそれほど出ていないテレーザにだってわかる。
テレーザの誕生日に集まった人たちの中でオネストたちフェルローネ家が最も身分が高く、親戚でもなく、テレーザとオネストが婚約関係にあるとはいえ母の実家であるこのジャコッビ家と交流があるわけではない。だからこそ伯父たちはきちんとあいさつをするべきだと思っていたし、今日やっときちんとした場を設けることができた。早めに訪れたフェルローネ家との顔合わせの場にいたのは伯父と伯母、テレーザの祖父と母、そしてテレーザだった。パメラとビビアナの姉妹は呼ばれてもいなかったのだ。伯父はあえてそうしたのだろう。
そしてそういう場に参加していない、ほとんど接点もない、よくて顔見知り程度の関係の相手が親し気に話しかけるなんてこと、普通ならありえない。貴族ならなおさらだ。
「ビビアナ、突然何です? オネスト様に失礼ですよ」
厳しい声でテレーザの母が注意した。王妃に仕えている母は昔からこういうことをきちんとする。しかしビビアナはどこかバカにしたように母に視線を投げ、すぐにまたオネストの方に顔を向けた。
「折角我が家にお越しいただいたのに、そのように陰になっているところにいることはありませんわ。わたくしたち、一度オネスト様とお話をしてみたかったのです」
ビビアナに同意する従姉妹たちに、テレーザは困惑して眉を下げた。ビビアナの言葉が自分や母に対する嫌味なのはテレーザにもわかる。それをこの場で口にしたり、同意したりすることで何が起きるかも。ビビアナをたしなめるべきなのだろうが、どうしたらいいかわからず助けを求めるように母を見上げた。
「ビビアナさまは、フェルローネ家の方々ときちんとあいさつをなさっていないのです」
母にだけ聞こえるようにテレーザは耳うちをした。
「わたしも、オネストさまにビビアナさまをきちんと紹介しておりません……」
前にオネストが訪れてくれた時、テレーザが紹介しようとしたのを遮ったのはビビアナ自身だったし、オネストもそんな彼女を無視していた。「そうでしょうね」と母はあきれを含んだ声でうなずいた。
「あなたたち、いくら身内の多い場とはいえ言動には気をつけるべきですよ」
母の言葉には突き放すような響きがあったが、それでも彼女たちには届かないようだった。それどころか、クスクスと嫌な笑い方をしている。
「ビビアナさま――フェルローネ家の方々はいい方たちばかりですが、厳しい目もお持ちです。きちんと――」
「まあ、一体どんな立場で物を言っているのかしら。居候のくせに」
ビビアナが従姉妹の一人に耳うちしたが、テレーザが母にしたのとは違ってそれはテレーザたちにはっきりと聞こえる声だった。心臓が嫌な音を立て、テレーザは押し黙った。こういう風に意見をすることにはまだ慣れていない――でも、母をバカにされて黙っていられなかったのだ――その上、こんな風に悪意を向けられるとどうしたらいいのかわからなくなる。
体を強ばらせたテレーザに気づき、母の冷たい手がテレーザの手を握った。テレーザのためのその手は優しかったが、ビビアナたちに向けられた表情はもう氷の方が温かそうなくらいだった。
「オネスト様、こんな方たちとつき合うことはないと思いますわ。わたくしだって、親戚とはいえ同じ場所にいるなんて耐えられませんもの。それに――」
「ビビアナ!」
不穏な空気に気づいたのか、伯父の声がビビアナを遮った。
「何をしている! お前たちもだ」
伯父の厳しい表情にさすがのビビアナたちも困惑した様子を見せた。
「お、お父様……わたしはただ、おもてなしをしようと――」
「私がフェルローネ家の方々に、お前やパメラを紹介したか? 今日も含めて何度か機会があったのに、何故しなかったのか考えなかったのか?」
ビビアナはますます困惑するばかりだった。伯父の視線が母へと向いたが、「わたくしの言葉は聞く必要がないと考えているようですわ」と母は実兄に冷ややかだ。
伯父がオネストや彼の家族にビビアナとパメラの姉妹を紹介しなかったのは、他の貴族の目を気にしているからだろうとテレーザは考えていた。直接それを伯父に確認したことはなかった。しかしここにテレーザがいる以上、先日のようにオネストがこの家を訪れることや、それ以外の場でフェルローネ家とジャコッビ家に接点もあるだろう。
ジャコッビ家には娘しかいないから、テレーザとオネストの婚約についてはある程度知られている――祖父からそう聞いていた――とはいえ、下世話な想像をする者だって出てくるかもしれない。貴族は噂好きが多く、特に恋愛の噂はいつだって話題の中心だ。というのを、テレーザは伯母が侍女たちと話しているのを聞いたことがあった。
ふとしたことがきっかけでそういったことになったら、関係する人たち全員に傷がつくだろう。オネストやテレーザはもちろん、ビビアナやパメラにだって――二人にはまだ婚約者もいないし、少しでも接点を減らすにこしたことはない。今日、フェルローネ家とのあいさつの場に二人がいなかったように。
「今日はテレーザの誕生祝いでオネスト殿はテレーザの婚約者だ。お前が何かする必要ない」
伯父はきっぱりと言い切った。ビビアナはムッとした顔をしたが、彼女と共にいた従姉妹たちは思わぬ事態におろおろとしている。テレーザがさりげなく周囲に視線を走らせると、従姉妹たちの親は誰もが顔色を悪くし、しかし間に入ることもできずに様子を見ていた。
オネストを見上げると、彼は冷ややかな表情のまま椅子に深く座り直し、伯父とビビアナのやり取りを見つめていた。
「婚約者だなんて」
いらだちを隠すことなくビビアナはつづけた。
「没落した家の娘を侯爵家に迎え入れる必要なんてないと思いますわ。フェルローネ家の名に傷がつくのではないでしょうか? オネスト様ならもっとふさわしい方がいらっしゃると思います。泉への祈りも、別にテレーザでなくともよいではありませんか」
その場にいた大人たち――特に伯父や、離れた場所でパメラと座っている伯母の顔色がサッと変わるのがテレーザの目から見てもわかった。「ビビアナ!」と伯父の叱責が飛んだが、この従姉は自分が言ったことは間違っていないと信じているようだった。
侯爵夫妻は傍に寄ってくることはなく、静かに息子であるオネストの様子を見守っていた。口を挟むつもりは今のところないらしい。そのオネストは尊大な雰囲気で背もたれに体を預け、氷の刃のような視線をジャコッビ家の父娘に投げつけた。
「テレーザでなくてもいい、ですか?」
「申し訳ありません、オネスト殿。娘はまだ……その、世間知らずのところがあり……」
「世間知らず? 私と同年代で?」
伯父の方が年上で爵位も持っているが、完全にオネストが場を支配していた。
「お父様、何をおっしゃるの? わたくし、どこかの居候と違ってたくさんの方と知り合っていますし、あちこちのサロンにだって参加しているのです。世間知らずではありませんわ」
オネストの問いかけに言葉を詰まらせた伯父に対してビビアナがきっぱりとそう告げた。
「カッサーノ家の泉のことで隣接しているフェルローネ家が領地を吸収するのに必要な婚約なのでしょう? 没落した家の娘であるテレーザが婚約者のままでなくとも他の血縁から泉の祈り手を選びなおして侯爵家に嫁げばいいではありませんか。わたくしやパメラだってまだ婚約は決まっておりませんもの――まあ、パメラに侯爵夫人がつとまるとは思いませんが」
自分ならつとまると言いたいのだろうか? 胸にもやもやとした何かが過るのを感じたが、それよりも聞き捨てならないことがありテレーザは思わず立ち上がった。
「ビビアナさま、カッサーノ家の領地にある泉は代々カッサーノの血の者が祈りをささげてきた泉です。いくらお母さまのご実家だからといって、ジャコッビ家の方にカッサーノの泉の祈り手になる資格はありませんわ」
緊張で声が震えるのをおさえるのに必死で、指先が冷え、手が震えるのをどうしようもできなかった。
「……テレーザの言うとおりだ」
その手がやさしく包まれるのを感じた。ハッとしてオネストを見れば、彼の視線は伯父に向けられていたが、その心は真っ直ぐにテレーザへ向けられているような気がした。
「伯爵、あなたのご息女は泉と泉の精霊様のことをよく知らないようですね。この国では幼い頃に学ぶようなことなのに――ジャコッビ家はまだ跡取りが決まっていなかったと思いますが、他の泉の精霊様に祈りをささげようと考える人間が跡取りになれば、この領地の精霊様はどう感じるでしょうね?」
「……跡取りについては我が家の問題です。が、たしかにオネスト殿の言うとおりだ」
「お、お父様……?」
「部屋に戻りなさい、ビビアナ」
ビビアナがそれ以上口をきくのを伯父は許さなかった。侍女に連れられて部屋に戻される従姉は最後まで何が問題なのかわかっていない様子だった。
昼餐後の穏やかな空気はすっかりと消え失せ、気まずさと緊張が談話室に残されていた。立ち上がったままだったテレーザは座り直す気にもなれず、客たちの視線を浴びながらうつむいていた。
「テレーザ」
テレーザの手をとったまま、オネストは立ち上がった。先ほどまでの冷たさが幻だったかのようにやさしくテレーザに微笑みかけている。
「少し外の空気を吸いに行こうか?」
「……はい、オネストさま」
「いいですね? 伯爵」
「ええ、もちろん――テレーザ、折角の誕生祝なのにすまなかった」
「いいえ、伯父さま。わたくしは大丈夫です」
この短い時間でひどい疲れを感じていたが、テレーザはそう言った。周囲から見たらとても大丈夫には見えなかっただろう。オネストに連れられて庭に出る背後で、母が伯父に声をかけるのが聞こえた。
今朝よりも空を覆う雲は厚くなっているように思えた。明日には雨が降っているかもしれない。オネストがいろいろと気遣ってくれるのを感じていたが、テレーザの心は深く沈んでいた。ビビアナの言葉に思わず言い返したけれど、結局オネストに助けてもらってしまった。彼女に絡まれていたのは自分だし、自分自身でどうにかしなければいけなかったと思う。オネストから見たらまだまだ子どもなのかもしれないけれど、もう十三歳で、幼いと言える年齢でもないのだ。
それに――それに、ビビアナの言うことも一理あった。テレーザがカッサーノ家の泉の祈り手だから婚約が継続しているが、カッサーノ家の血縁から新しい祈り手を見つけたっていいはずなのだ。
「……婚約をやめるべきなのでしょうか?」
しばらく黙ってオネストと庭を歩いていたテレーザはぽつりとそうこぼした。思わず立ち止まったオネストの手がテレーザの手を握ったままだったので、彼女も立ち止まざるをえなかった。
「ど、どうしたんだい? 突然……」
オネストがテレーザの前でこんな風に驚き、動揺する姿を見せるのははじめてのことだった。しかしテレーザは深く沈んでいて、そんな彼の姿に気づいていなかった。
「ビビアナさまの言うことも、わかるのです……カッサーノの親戚で他に祈り手を見つけて、領地を継いでもらうとか、オネストさまと婚約するとか、その方がフェルローネ家の方々にもご迷惑かからないと思うのです……父のことはどうしてもついてまわることですから」
「テレーザ……」
テレーザのつむじを見ながら、オネストは自分の言うべき言葉を必死に探したが、何をどう言ったらいいかわからなかった。テレーザの言い分も理解できるし、それについては何度か大人たちも話し合っている。
「……でも、カッサーノ家の領地の精霊様は君のことをとても気に入っているよ。今更他の人を跡取りにして祈り手を変えたら、精霊様の機嫌を損ねるんじゃないか……?」
他に言うべきことがある気がするのに、オネストはそう言うことしかできなかった。テレーザはしばらく考えるように沈黙して、それから小さくうなずいたが、その表情は暗いままだった。




