第一話
短編のつもりで書いたのですがさすがに……な長さだったので分割しました。なので各話の長さがまちまちです。完結まで予約投稿済みで一気にアップするのでお気を付けください。
「それだわ」とテレーザは頭の中でパッと明るくなるのを感じた。暖炉の薪がパチリとはぜ、パラパラと舞う火の粉が傍の肘掛け椅子にやや姿勢悪く座るクラリッサ・エイナウディの赤い髪に反射して輝いている。
「あなた、また突拍子もないことを思いついたでしょう?」
テレーザの表情の変化に目ざとく気づいたクラリッサが、呆れた口調でそう言った。またとはどういうことだろう? テレーザは確かにこの数年、よく色々なことを思いついては実行しようとしてきたがおかしいことなんて何一つしていない。
「いいえ」
だからごく自然に彼女は首を横に振った。耳にかかっていたやわらかな薄茶色の髪がはらりとひと房こぼれ落ちた。クラリッサの顔を不思議そうに眺める瞳は夏空を思わせる青をしていて、肌は白く、頬はほとんど何もしていないのにバラ色に染まっている。小さな鼻、ふっくらとした唇――同性であるクラリッサの目から見てもテレーザは驚くべき美しさを持っていた。
実は人間ではなく精霊様の御使いなのだと言われても信じてしまうかもしれない。ただし、彼女がその口を開かなければだが。
「では今思いついたことをいってごらんなさい」
「もうけのチャンスだと思っただけですわ」
「もうけだなんて言い方はやめなさい」
妙に力の入った口調で答えたテレーザに、クラリッサはぴしゃりと返した。
毎年、秋になるとこの国の貴族は社交や議会のために王都に滞在する。親たちに連れられた若い令息令嬢たちも例外ではなかった。そして貴族の婦人たちの中にはそんな若者の交流を――特にまだ決まった相手がいない男女の縁を――後押しするのが好きな人たちがそれなりにいた。
彼女たちはサロンを開いては若者を集め、その交流を見守り、時にはフォローをする。クラリッサ自身は婚約者がいたので熱心なお誘いを受けなかったが、友人に誘われていくつか参加することもあった。サロン自体は主催者が支援している芸術家を呼んだり流行りの小説を読み合ったり、時にはただお茶やお菓子を楽しみながらおしゃべりをしたりと楽しいものだった――去年までは。
今年はあちこちのサロンでいろいろと問題が起きている。とある子爵家の令嬢が原因だった。彼女はもともと庶子だったが、子爵家のたった一人の子どもだった嫡子が亡くなったため最近養子となったらしい。その令嬢は見た目のいい令息に――彼らに婚約者がいたとしてもお構いなく――なれなれしく接してくるため、令嬢たちの顰蹙を買っているのだった。
「どうしてそのように問題のある方を、子爵は養子にしたのでしょう? 他の血縁の方を跡取りにすればよかったのでは?」
「ご自分の血筋にこだわりたかったのでしょう。よくあることだわ――もっとも、あのような人、泉の精霊様が受け入れるか疑問だけれど」
貴族は領地に必ず精霊が宿る泉を持っていて、季節ごとに祈りをささげていた。その祈りに答えた精霊が自然を豊かにするために少し力を貸してくれたり災害が起きた時に被害を食い止める手伝いをしてくれたりする。
祈りをささげるのは基本的に当主の役目だった。跡継ぎと決まったら泉で精霊から儀式を受け、祈りをささげることが可能になる。他の者が祈っても精霊は答えてくれない。もちろん、領民たちの中には日々参拝している者もいるので多少は気にかけてくれる様子を見せるが、当主の祈りがなくなるとそれすらもなくなってしまう。
儀式を受けた正式な跡取りがいなくなったのなら、親戚から別の跡取りを選べばいい。それをわざわざ庶子を養子にして正式な跡取りにしようとしているのだから、クラリッサの言うとおり自身の血筋にこだわりがあるのだろう。
儀式を受ければ正式な跡取りになれるとはいえ、サロンで好き勝手振る舞って来た令嬢が他の貴族たちに受け入れられるかは別問題だ。クラリッサが今日参加してきたサロンでもその話で持ち切りだった。しかも数日前の晩、とある劇場のロビーで子爵令嬢にすっかり本気になったある令息が婚約者に突然「婚約破棄だ!」と言い渡したのだからなおさらだ。
テレーザと話していたのもそのことだった。「婚約破棄だなんて……」と彼女は目を丸くしたのだが、その後すぐにハッとした顔をしたのでクラリッサは嫌な予感を覚えたのだった。
「その方はもしかしたら、正式な婚約解消の手続きのことを知らなかったのではないかと思ったのです」
「そんなバカな……いいえ、つづけて」
「そうでなくては突然婚約破棄だなんて大勢の前で宣言するなんてまねをするはずがありません。ですから、婚約を解消したり白紙にしたりするための基本的な流れや、ご両親やお相手の方のご両親にきちんと説明するための例文などをまとめた本を作って販売したらどうでしょう?」
「販売……」
「ええ、幸い、わたしはこの三年間で婚約を解消するために必要なことを色々と調べましたから知識がありますし、解消のための交渉もあらゆるパターンを考えてきました。それを活かす時が来たのです! そして本が売れたらそれを元手に店を持ち、独立して――」
「ちょっと待って」
クラリッサがテレーザの演説を止めたタイミングを見計らったかのように、二人がいる居心地のいい居間の扉がノックされた。来客を告げられ、「……どうぞ」とクラリッサがうなずくと、控えていたメイドの一人がそれに答えて扉を開けた。
入ってきたのは背の高い、赤茶色の髪の青年だった。灰色の瞳と少しきつめの目元はクラリッサと雰囲気が似ている。しかし、クラリッサと違って、彼――オネストのそれは異性には魅力的に映るらしい。薄い唇とすっと通った鼻筋がよりいっそう彼を冷たく見せていたが、だからこそふと笑った表情との差が――それが自分に向けられたものでなくても――たまらないのだと友人たちが以前話していた。
もっとも、その笑顔を向けられる張本人であるテレーザには通じない魅力であるらしい。
「テレーザ、会いたかった」
「一昨日も会いましたわ」
「だけど昨日は会わなかっただろう?」
「あなたって本っ当にテレーザしか目に入らないのね、オネスト。誰のおかげでしょっちゅうわが家に足を運べると思っているのかしら?」
「ああ、クラリッサ……もちろんわかっているさ。訪問の許可をありがとう」
長椅子に座っていたテレーザが少し場所をずれると、オネストは当たり前のように空いた場所に腰を落ち着け、テレーザの手を取った。
「おばあさまにお願いされなかったら、絶対に許さなかったわ。わたしの婚約者はそういう誤解をしないけれど、いくら親戚とはいえ普通に考えて同年代の男が家に出入りするなんて何かあると思われるもの」
「大伯母がテレーザを引き取ってくれて本当に感謝しているよ。ところで何の話をしていたんだ? 不穏な単語が聞こえたけれど」
「まあ、聞こえていたのですか?」
クラリッサが不快そうに眉をひそめたのに反して、テレーザはちょうどいいと言わんばかりにオネストの顔を見上げた。
「婚約解消のことなのですけれど――」
「待って、テレーザ。誰と誰の婚約の話?」
「もちろん、わたしとあなたの婚約の話ですよ、オネスト」
「……その話はもう終わったと思ったが」
「でもわたし、このままではよくないと思うのです」
「そうよねぇ」
「やめてくれ、クラリッサ。テレーザを煽らないでくれ」
他人事だからと楽し気に笑うクラリッサをひと睨みしてからオネストはテレーザにしっかりと向き合った。この話は自分たちだけではなく家族も交えてきちんと話し合いが行われていたし、結論も出ていた。しかしテレーザはどうも納得していないらしい。
「テレーザ、僕はこの婚約を解消するつもりは少しもないし、する必要もないと思っている。僕の両親も同じ考えだ」
「ですが……」
「僕のことを好きではない?」
「そんなことはありません。お慕いしています」
「僕もだ、テレーザ。それなら何も問題はないじゃないか」
「いいえ。だからこそ解消するべきなのです。わたしの父のことでオネストやフェルローネ家にご迷惑をおかけするわけにはいきません」




