第2夫人を連れ帰る/Sideカシアン
何で国王は、戦争なんか起こしたのか。
同じ時期に出兵した連中は「国を守るためだ」と息巻いているが、正直どうでもいい。
今回の戦争は貿易摩擦に加えて、聖書の解釈を巡る争いだという。
そんなもの、僕には関係ない。
早く帰りたい。
マルセラに会いたい。
抱き締めてほしい。
彼女を初めて見た時の印象は「可もなく不可もなく」というところだった。
美人でもブスでもない。
茶色い目と髪。どこにでもいるような19歳。
本当にこの子が、潰れかけのグランブル商会を立ち直らせた凄腕なのか? と疑ったくらいだ。
全然そんなふうに見えなかった。
しかし、母が「どうしても彼女を嫁として連れてこい」と強く言った。
あの人の圧は強い。
僕は女性が寄って来る割に長続きしない。
頭のいいマルセラを落とせるのか自信はなかったが、可能な限り自分を取り繕って、いい印象を持たせることに成功した。
そして幸いにも、"領地が遠い"という理由ですぐに結婚することができた。
母の言い付けで、一緒に食事をする時は固くなったパンをお湯につけて食べた。
正直、ここまでしなくてもいいんじゃないかと思った。
せっかく娶ったのだから、できれば甘やかしたかった。
感じのいい彼女に、好意を抱いていたからだ。
けれど、婚姻契約の中に“妻に仕事の強制はさせられない”という項目があったので、傾きかけている領地を立て直してもらうには、追い詰めるしかなかった。
しかし、それが裏目に出た。
マルセラは恐ろしい早さで行動し、我が家の喉に噛みついた。
そして結婚してまだ1ヶ月未満にも関わらず、離婚を要求してきた。
妻に"お湯パン"のみ食べさせ、自分と母は別に食事していたのがバレれば怒るだろうとは思っていた。
が、まさか「離婚」まで言われるとは思わず、頭が真っ白になった。
パニックになって、何を言ったのか覚えていない。
結局、当主代理権を渡すことで、離婚は見逃してもらえた。
そこから僕は、彼女の下僕として仕えるようになった。
そうしないと捨てられるからだ。
僕が誠心誠意尽くしているうちに、マルセラの態度は柔らかくなっていった。
あの時の安堵は、今でも忘れられない。
僕は侍女の仕事が嫌ではなかった。
むしろ性に合っていた。
スキルはみるみる上達していき、気づけば本業の侍女たちより手際が良くなっていた。
何で領主の息子に生まれたのだろう。
最初から女なら良かった。
そして出兵……。
戦地へ来てから、僕は毎日マルセラに手紙を書いた。
色んな人にバカにされたが構わなかった。
食事を奪われたり、転ばされたりするのは嫌だったが、マルセラが支援してくれた。
彼女の物資が届くたびに、僕は生き延びられる気がした。
そして前線に……。
マルセラの言う通りにすると、全てうまくいった。
副官を選ぶ方法も、兵の扱いも、夜襲の仕方も、彼女の助言は全部正しかった。
いつの間にか僕は“英雄扱い”されていた。
僕自身は何もしていないのに。
1日戦った後は、戦場娼婦を買う者が多い。
女を抱かないと滾って眠れないからだ。
気持ちは分かる。
しかし僕は、誘われても買わなかった。
自分では、マルセラのことを愛していると思い込んでいたからだ。
そんなある時、テントに見知らぬ女が入ってきた。
派手で化粧が濃い、30代半ばくらい。
どう見ても戦場娼婦だ。
というか、この駐屯地に他に女がいるはずがない。
「テントを間違えている」
そう伝えたが、女は首を振った。
薄い肩が震え、目の下には深い隈がある。
実は兵士の1人に贔屓にされているが、最中に首を絞めてくるので怖い。
でも逆らうのも怖いし、仕事をしないと子どもを食べさせていけない。
自分は、もう年だから指名してくれる客が少ない──。
女は、そう言って泣きついてきた。
娼婦を買うのはいい。
戦場では、よくあることだ。
だが、首を絞めるなんてあってはならない。
僕はすぐにその兵士を軍規違反として報告し、過酷な仕事に回した。
罠探索や死体運び、誰もやりたがらない重労働だ。
そして該当兵士の給金を、そのまま娼婦に慰謝料として渡した。
兵士は金がなくても兵糧があるので飢え死にしない。
これで一件落着だと思った。
数日後、妻からの手紙にこう書いてあった。
「これからは経済支援できない」
その一文を見た瞬間、頭が真っ白になった。
いくらでも送ってもらえると思って、大盤振る舞いしてきたのに。
兵士を労うために酒を奢り、物資を配ったのに。
これから支援がないなんて──僕の立場は、どうなる?
苛立ちと不安がマックスになり、胸がざわざわして落ち着かない。
手紙を握りしめたまま、テントの中を何度も往復した。
そんな時だった。
例の娼婦──ターニャが、御礼を持ってやってきた。
手作りの料理だと言う。
湯気の立つ皿を差し出す手は細く、節が浮き出ていた。
男メシばかり食べていたので、女の繊細な味はすごく美味しかった。
塩加減も優しくて温かくて、胸がじんわりした。
食事をしながら、いろんな話をした。
ターニャは僕を全肯定し、凄いと持ち上げてくれた。
彼女は子どもがいるだけあって、母性に溢れていた。
「全部マルセラのおかげだよ」
そう言った僕に、彼女は首を振った。
「そんなに優秀な奥様を夢中にさせられるだけ、あなたには魅力があるのですよ」
今までにない発想だった。
僕はいつもマルセラに劣等感を抱いていた。
離婚されることに怯え、顔色を伺ってきた。
でも──確かに、彼女は僕に愛情を持ってくれている。
ターニャの言葉で、気持ちがふっと軽くなった。
マルセラからの手紙で苛立っていたのが、嘘みたいに吹き飛んだ。
気づけば、また会う約束をしていた。
それからターニャは頻繁に料理を持って来ては、甲斐甲斐しく身の回りの世話をしてくれた。
彼女は僕より9つ上だから、母のような安心感があった。
戦場の冷たい空気の中で、その温もりは本当にありがたかった。
しかしある日、ターニャは深刻そうな顔をして言った。
「前から思ってたのですが……奥様に対して、そこまで下手に出る必要はあるのでしょうか」
僕は思わず目を瞬いた。
「え、だってマルセラがいないと、僕は何もできないんだ」
ターニャは首を横に振った。
「そんなことありません。
だいたいカシアン様は奥様に捨てられるのを恐れてますが、それはあちらもですよ」
「は?」
思わず声が裏返った。
「最初の"お湯パン事件"で実家に帰らなかったのは、奥様も後がないからです。
だって19歳で婚約者が亡くなったんですよね?
普通は16~18で結婚するのに。
要するに──奥様の気が強すぎて、元婚約者が入籍を渋っているうちに亡くなったんではないですか」
「あ……」
そこまで考えていなかった。
元婚約者は病死と聞いているが、もしそれが不治の病だったなら、死ぬ前に婚約解消してるはずだ。
ターニャは、更に言葉を重ねる。
「事実はわかりませんが……少なくとも19歳で新しい婚約者を探したっていませんよね。
同世代は、もう皆パートナーがいますから。
もしカシアン様と別れたら、凄い年上や子持ちの後妻か、問題の多い人としか再婚できません。
だから奥様は、出て行かなかったんでしょう。
それなのに、カシアン様が一方的に捨てられるのを恐れるなんて、おかしいですね」
胸の中が、ざわっと揺れた。
僕はずっと、マルセラに捨てられるのが怖かった。
彼女は僕より強くて、賢くて、何でもできる。
僕なんて、いなくても困らないと思っていた。
でも──
ターニャは、僕の“前提”をひっくり返した。
その言葉は、正に真実だった。
一緒に舞踏会に出ても、妻は仕事の関係者にしかダンスに誘われない。
つまり、モテないのだ。
一方、僕は若い女の子にちやほやされる。
爵位も高くないのに。
つまり──僕の方がモテている。
マルセラは、僕と別れて“おじさん”や“ブサイク”と再婚したくないんだ。
その瞬間、マルセラへの気持ちがスーッと冷めていった。
僕は彼女を「こんな僕でも見捨てないでくれる慈悲深い女神」のように感じて崇拝していた。
でも、そうではなかった。
彼女も、ただの俗物だったのだ。
毎日書いていた手紙を、週に1回にした。
すると、彼女からは返事以外来なかったことに気づく。
僕の一方的な思いだったのだ。
彼女は僕を愛してなどいない。
荒れ狂う気持ちを宥めてくれたのも、ターニャだった。
「そもそも妻は、夫を立てて敬うものです。
自分から手紙を書かない、愛情を示さない、それどころか身の回りのことをさせて平然としている……こんなのは図に乗っている証拠ですよ。
カシアン様は、奥様を教育する必要があります。
ちょうど『資金を送れない』と言ってるのですから、このまま突き放して焦らせてやりましょう」
ターニャの言うことは、全て正しかった。
僕はずっと、マルセラに怯えていた。
でも──違う。
怯える必要なんてなかったんだ。
僕は妻に宛てて「冬の間は帰らない」と手紙を書いた。
その返事は、呆気ないほどあっさりしたものだった。
やはり──彼女は僕を愛していなかった。
そうして冬の間、僕はターニャの借家で暮らし、子どもたちとも仲良くなった。
そして、ふと思った。
マルセラと結婚して1年以上経つのに、まだ僕たちの間には子どもがいない。
性交渉の頻度は多いのに。
このまま僕たちに子どもができないと、また親族が「当主を変えろ」と騒ぐのではないだろうか。
不安を口にすると、ターニャは静かに言った。
「もし奥様との間に子どもができなかった時のために……私が産みます。スペアとして」
これから産むとなると高齢出産だが、ターニャは「それでも構わない」と言う。
僕はターニャを内縁の妻とし、子作りに励んだ。
正直、肌のハリなんかは若いマルセラと比べものにならなかった。
けれど長年、娼婦をしていただけあってテクニックが凄く、僕はみるみるうちにターニャにはまっていった。
そして給与を渡すと、大袈裟に喜び「あなたは素晴らしい旦那様だ」と言って、敬ってくれた。
家庭とは、こんなに素晴らしいものなのか。
マルセラが与えてくれなかったものを、僕はターニャからもらった。
手作りの食事。
優しい言葉。
必要とされている実感。
甘やかされる心地よさ。
僕は完全に、ターニャの夫なった。
──開戦から2年経ち、辛うじて勝つことができた。
僕はターニャと子ども達を連れて、家に帰った。
玄関を開けると、マルセラがいつも通りの落ち着いた顔で立っていた。
「マルセラ、帰ったよ」
「お帰りなさい」
その声は淡々としていて、僕の胸に少し苛立ちが走った。
もっと驚くとか、泣くとか、喜ぶとか……そういう反応があってもいいだろう。
「こちらはターニャ。
そして、この3人は僕の子。
上2人は血の繋がりはないが、大事な子ども達だ。
今日から一緒に暮らす」
マルセラは一瞬だけ瞬きをしたが、すぐに表情を整えた。
「そうですか。どこで暮らすのですか?」
「は? ここで一緒にだ。決まってるだろう」
当然のことを聞くな、と思った。
「まさか『彼女たちを受け入れない』なんて言わないだろう?
ターニャは僕の大切な第2夫人だ」
「第2夫人ではなく正妻でしょう?」
マルセラが静かに言った。
「え? 君は正妻の座を譲って、第2夫人になるのか?」
突き放した効力が効いているんだ。
僕から手紙が来なくなって反省したようだな。
しかし、ターニャは平民だから入籍はできない。
それにマルセラを第2夫人にすれば、家臣団が反目する。
だから僕は“最善の案”を提示した。
「殊勝な心掛けだが、ターニャは平民だから入籍できない。
ただ、僕とターニャの子どもは君の養子にするよ。後取りとして」
マルセラの茶色い瞳が、わずかに揺れた。
僕は続けた。
「嬉しいだろ。
君が産んだことにすれば、石女と言われなくて済むよ」
それは、彼女のためを思っての言葉だった。
僕なりの優しさだ。
なのに──
マルセラは、こてんと首を傾けた。
その仕草はいつも通り穏やかで、怒っているようには見えなかった。
「あなたも平民になるのだから結婚できますよ」
そう言って、彼女は書類とペンを渡してきた。
爵位を売却する書類だった。
「は? なんだ、これ? ふざけてるのか!」
僕は思わず声を荒げた。
しかしマルセラは、淡々とした声で返す。
「ふざけてるのは、あなたでしょう。
ここでサインしないなら、裁判所を通じて差し押さえにするわ」
差し押さえ──?
なぜ、そんな話になる?
「え……は……まさか……いや……まさか……離婚届を?
いや、それは流石にあり得ないか。
だって君は後がないんだし。
なぜ爵位を売るなんて話になるんだ?」
僕の声は震えていた。




