表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夫が戦地から愛人を連れ帰りました【ノーマルざまぁ版】  作者: 星森 永羽


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/8

侍女になった夫




 それからのカシアンは、まるで生まれ変わったようだった。


 実家からメイドが来ても、私の世話は一切譲らず、挙げ句には食事まで手ずから食べさせてくるほどベッタリ。


 どこへ行くにも従者のように付き従った。




 ──5月。

 社交シーズンが始まる。


 彼と初めて出会ってから1年経った。


 馬車の中でカシアンは私を見つめて、いつものように褒めちぎった。


 青い瞳を輝かせ、嬉しそうに笑っている。


「マルセラ、可愛い。きれい。賢い。大好き」


 領地経営は持ち直した。

 もっとも、実質は私の貸付で回っているので、帳簿の上では赤字だが。


 私はふと尋ねた。


「旦那様は私のどこが1番好き?」


 彼は迷いなく答えた。


「純潔をくれたところ」


 ゾゾゾッと鳥肌が立った。

 貴族令嬢なら夫に操を立てるのは当たり前だ。

 ──誰と比べているのだろう?


 カシアンは見た目がいいから、女性が寄ってくる。

 けれど中身を知ると皆、逃げていく。

 結局、ワンナイトの女性と娼婦しか知らないのだ。

 だから、処女だった私に執着している。


 私は静かに言った。


「旦那様。それを外で言っては駄目よ」


「わかってるよ」


 青い瞳が嬉しそうに細められる。


 ──わかっていない気がする。


 馬車は、ゆっくりと社交の会場へ向かっていた。





 舞踏会の光が揺れていた。


 大理石の床にシャンデリアの灯りが反射し、貴族たちの衣装がきらめく。


 金髪をきちんと整えたカシアンと、並んで王に挨拶した。


 王は白い髭を撫でながら、穏やかに微笑んだ。


「婚約期間が短かったから、どうかと心配していたが……仲良くやっているようで良かった」


 カシアンは胸を張り、嬉しそうに答えた。


「ありがとうございます。

 妻をとても愛しており幸せです」


 私は優雅に一礼した。


「ご心配痛み入ります」


「そうか、そうか」


 王は満足げに頷いた。




 玉座を辞すと、カシアンが私の手を取った。


「庭を見に行こうよ」


「え、挨拶回りしないと」


「そんなこと、どうでもいいじゃないか」


 ぐいぐい引っ張られる。

 私は呆れながらも、引かれるままに歩いた。




 王宮の庭は、夜でも花々が照らされて美しかった。


 噴水の水音が静かに響き、月光が白い石畳を照らす。


 カシアンは子供のように目を輝かせた。


「わあ、うちの家の庭より立派だね」


 ──なんで子爵家の庭と王宮の庭を比べるんだろう?


「そうね」


「イズモコバイモとホタルブクロがないね」


 私は思わず振り返った。


「覚えててくれたの?」


「うん。君の好きなものは全部、覚えてるよ。

 朝トーストにはイチゴジャムよりブルーベリージャムがいいとか、ピンクより落ち着いた色のドレスがいいとか」


 胸が熱くなった。

 この人は、本当に“好きなもの”だけはよく覚えている。


「ありがとう。嬉しいわ」


「本当!? やった」


 そう言って、彼は私にキスしてきた。


「お化粧が崩れてしまう」


「僕が直してあげるから平気さ」


 半年以上も侍女として働いてきたせいで、彼は化粧もうまくなった。


 青い瞳が得意げに笑っている。


 私はため息をつきながらも、彼の手を振り払わなかった。


 しかし──


 キスは深くなり、夫の息が荒くなっていく。

 胸元を押しつけられ、背中が木に当たった。


 ──これはマズい。


「ちょ、カシアン、ここではマズいわ」


「はあ……はあ……休憩室があるだろう。そこにいこう」


 青い瞳が潤んでいて、完全に“その気”だ。


「何言ってるの。家に帰るまで待って」


「僕達まだ新婚なんだから、いいだろう? ね?」


 ね? じゃない。


「ほら、ダンスが始まる。ファーストダンスを踊らないと」


 カシアンは名残惜しそうに、ため息をついた。


「仕方ないなあ……」




 ファーストダンス。


 シャンデリアの光が揺れ、楽団の音が響く。


 カシアンは私の腰に手を添え、嬉しそうに微笑んだ。


「マルセラ、世界1綺麗だ」


 それは流石にない。

 けれど社交辞令としては正しい。


「ありがとう。カシアンも素敵」


 すると彼は、青い瞳を輝かせて言った。


「僕が選んだドレスに、僕が作った髪型に、僕がした化粧。

 完璧だ。君は僕の最高傑作だ」


 ──そっち?!


 褒め方がズレている。

 でも、言っていることは本気だ。


 私は呆れつつも、心が少しだけ温かくなった。


 髪も、ドレスも、化粧も、全部“私のために”覚えたものだ。


 不器用で、ズレていて、扱いづらい。

 でも──

 こんなふうに真っ直ぐに向けられる好意は、悪くない。


 ファーストダンスの終盤、カシアンが私の耳元で小さく囁いた。


「帰ったら抱きしめてもいい?」


 その声音は、まるで子犬のように甘えていた。


「勿論よ。あなたは夫だもの」


「そうか」


 カシアンは嬉しそうに笑った。


 最初は酷かったけれど、今は──仲良くやっている。


 彼なりに努力しているのがわかるから。



 私が離れると、すぐに若い娘が近づいてきた。

 白いドレス、デビューしたばかりの少女だ。


「よ、よろしければ……1曲……」


 カシアンは、あっさりと手を取った。


「うん、いいよ」


 婚約者のいないデビュー組は結婚相手を探しているので、普通は既婚者と踊らない。


 好色な夫人たちは、カシアンの“中身が残念”なのを知っているから近づかない。


 でも、若い子は顔だけで判断する。


 私はため息をつき、ビジネスに必要な相手と踊った。

 商談の約束を取り付ける。


 領地の新しい交易路。

 春の収穫の買い付け。

 夏祭りの協賛。

 職人ギルドとの契約更新。


 どれも領地の未来に関わる重要な話だ。


 カシアンが若い娘と踊っている間、私は淡々と仕事を進めた。




 帰りの馬車。


 カシアンは窓の外を見ながら、ずっと上機嫌だった。

 デビューの子たちに次々とダンスを乞われたのが、よほど嬉しかったのだろう。


 ──忘れたのだろうか。


 今までの人生でも、顔に吸い寄せられた女の人は寄ってきたはずなのに、誰も残らなかったということを。


 私は呆れながらも黙っていると突然、横からぎゅっと抱き締められた。

 金髪が肩に触れ、温かい息が首元にかかる。


「そんなに嫉妬しなくたって、僕はマルセラ一筋だよ。大丈夫だよ」


 ──心配してない。


「そう。信じてるわね」


「ああ、勿論」


 青い瞳がまっすぐ向けられ、嬉しそうに細められる。

 その笑顔は、まるで褒められた子供のようだった。


 私はため息をつきながらも、彼の腕を振り払わなかった。


 馬車は、ゆっくりと夜の街道を進んでいった。





 タウンハウスの自室で、ぼんやりしていた。


 昨夜の舞踏会で興奮したカシアンに抱き潰され、昼過ぎまで眠ってしまった。体が重い。


 薄いカーテン越しに差し込む橙色の光が、静かな部屋をゆっくりと染めていく。


 扉が開き、彼が戻ってきた。

 外気に触れたのか金髪が少し乱れ、青い瞳はどこか誇らしげに輝いている。

 手には淡い紫のホタルブクロが束ねられていた。

 花弁の縁が夕陽を受けて透け、彼の美貌をさらに引き立てている。


「郊外まで取りに行ってきた」


 その一言に胸が温かくなる。


「……ありがとう」


 これは、さすがに感動した。


「えっと、じゃあデートしてくれない? せっかく王都にいるのだし」


「わかったわ」


「よかった。ドレスを持ってくるから待ってて」


 彼は本当に嬉しそうに走っていった。


 戻ってきた彼は、私の着替えを整え、髪を梳き、化粧を施してくれた。


 鏡の中の私は普段より華やかで、彼の青い瞳に似合うように仕上げられている。



 エスコートされて向かった劇場は、夕暮れの光を受けて石造りの外壁が金色に染まり、入口の赤い絨毯が深い影を落としていた。


 内部はシャンデリアの光が温かく、観客のざわめきが胸をくすぐる。


 劇が終わる頃、隣で彼はおいおい泣いていた。

 長い睫毛が濡れ、頬を伝う涙が舞台の光を反射している。


「どうして君は平気なの?」


「だって、お芝居だもの」


「そうか……恥ずかしいところを見せて、すまない」


「いいえ、その……馴れてるから」


「僕が情けないことに?」


 それは、まあ、そうだろう。


 しかし──


「いいえ。そうではなく……そういうところも少し可愛いと思えるのよ」


 その瞬間、彼はパッと泣き止み、子どものように嬉しそうな顔をした。


 最初は本当に腹が立った相手なのに、もう絆されてしまった。


 彼は私に捨てられれば次がないと焦ってしがみついているが、それは私だって同じだ。


 再婚するなら子持ちの後妻か、彼以上に問題のある相手になるだろう。


 同世代の初婚で、家格が釣り合い、容姿が普通以上で、私の言うことを聞く相手──そう考えると、カシアンしかいない。


「あなたは無垢ね」


 撫でると彼は、すり寄ってくる。

 その仕草が、可愛いと思った。






 夏の終わりの大舞踏会は、会場のシャンデリアが揺らめくたびに金色の光が床に散った。


 磨かれた大理石の上で、色とりどりのドレスが波のように揺れ、香水と葡萄酒の香りが混ざり合う。


 カシアンは相変わらず令嬢たちに囲まれて上機嫌だった。

 白い礼服は彼の美貌を際立たせ、まるで舞台のように華やかだった。


 その一方で私は、例のカジノクラブのオーナーの親戚である侯爵に絡まれて散々だった。

 酒臭い息をかけられ、腕を掴まれ、笑顔でかわし続けるのに必死だったというのに、夫は気付きもしなかった。



 ダンスタイムが終わり、閉会の言葉を待つために貴族たちが中央に集まった。


 ざわめきが徐々に静まり、空気が重く沈んでいく。


 何事かと胸がざわついた瞬間、王が立ち上がった。


 王の声は、会場全体を震わせるほど重かった。


「……我が国は開戦する」


 息を呑む音があちこちで上がり、婦人たちの肩が震えた。


 舞踏会は、一瞬で“戦の始まりの儀式”に変わった。



 宰相が巻物を開き、淡々と出兵する貴族の名を読み上げていく。


 公爵家、侯爵家、伯爵家──

 次々と名が告げられ、背筋が冷えていく。


 そして。


「……子爵、カシアン=ドレイモンド」


 心臓が跳ねた。


 隣の彼は、青い瞳を大きく見開き、顔から血の気が引いていく。


「い、嫌だ、行きたくない……マルセラ、助けて!」


「ダメ! しっ! 黙って」


 王の前で“戦争に行きたくない”などと言えば反逆罪に問われる。


 そんなことも分からないのか、この男は。


「行きたく──むごごっ」


 私は必死に、彼の口を押さえた。


 一緒に処刑されてはたまらない。


 夫がいなくなっても、領地を守らなければならないのだ。


 彼の情けない叫びは会場に響いたが、王も貴族たちも“聞かなかったこと”にしてくれた。


 だが、それで済むのは今だけだ。


 戦場は──

 “弱い者”に容赦などない。


 命令を軽んじられる。

 危険な前線に押し出される。

 援護が遅れる。

 「どうせ死ぬだろう」と扱われる。

 最悪、事故に見せかけて見捨てられる。


 王の前で泣き叫んだ男など、格好の標的だろう。




 実家のタウンハウスに戻るまで私は、ずっとカシアンの腕を掴んでいた。


 彼は足元もおぼつかず、まるで処刑場へ連れて行かれる罪人のようだった。


 部屋に押し込むようにして扉を閉めると、彼は床にへたり込んだ。


「マルセラ……怖い……どうしよう……」


 私は深く息を吸い、冷静に言葉を選んだ。


「まず、会場でのあなたの発言がどれほど危険だったか分かっている?

 王の前で“行きたくない”なんて叫べば、反逆罪に問われてもおかしくないのよ」


 彼は涙で濡れた睫毛を震わせながら、子どものように頷いた。


「う、うん……でも……。

 そうだ! 今からでも診断書を偽装しよう。

 僕が病気ってことにすれば……」


 私は思わず額に手を当てた。


「若い子相手にヘラヘラ踊った挙げ句、会場で“行きたくない”って叫んだあなたが偽装診断書を出しても、すぐ逮捕されるのがオチよ」


「うう……」


 彼は情けない声を漏らし、膝を抱えて震えた。

 その姿は美しい顔立ちと釣り合わず、余計に痛々しい。


 私はしゃがみ込み、彼の視線の高さに合わせた。


「あのね、旦那様。

 あなたは体が弱いんじゃなくて、心が弱いだけなの。

 だから気持ちを強く持てば平気よ」


 青い瞳が涙で揺れながら、こちらを見上げる。


「そもそも特攻は平民がするのだから、死亡率は高くないわ」


 これは事実だ。

 貴族は基本的に後方で指揮を執る。

 最前線に突っ込むのは農民兵や傭兵。


 つまり──

 カシアンが“普通にしていれば”死ぬ確率は低い。


 問題は。


 “普通にできない”ことだ。


 カシアンは涙を拭いながら、震える声で言った。


「そう……確かに。そうだ」


 青い瞳にようやく理性が戻りつつある。


 私は彼の肩に手を置き、ゆっくりと言い聞かせた。


「ええ。あなたは指揮官席に座っていればいいのよ」


 その言葉が、彼の心に直接届いたらしい。

 表情が、ぱっと明るくなる。


「そうか……ありがとう。落ち着いた。

 やっぱりマルセラは凄い。

 僕はマルセラがいないと生きていけないよ。

 戦地にも一緒に行ってくれ」


 私は思わず目を瞬いた。


「……妻を戦場に連れていく人はいないわ」


 マジで何いってるの?


「だけど、マルセラが指示してくれないと困るよ」


 この男は本気で言っている。

 無邪気さは、時に致命的だ。


「わかった。現地についたら戦況を書いて送ってちょうだい。

 できる限りの支援をするから」


 後方から情報を整理し、兵站の不足を補い、必要な物資を送り、指揮官に助言を届ける。

 そして──カシアンの立場を守る。


 それが、私にできる最大の支援だ。


「本当? よかった。

 マルセラがやってくれるなら一安心だ。

 お土産を何がいいかな~」


 夫は、もうヘラヘラと笑っている。


 私は美しい横顔を見つめながら、胸の奥に冷たいものが沈んでいくのを感じた。


 この人、生きて帰って来られるかな……?





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ