あなたの価値を教えましょう
夕飯の時間になり、夫と共にダイニングへ向かった。
ほどなくして姑も姿を見せる。
直後、私兵が大皿を抱えて入ってきた。
肉と野菜を豪快に炒めた“男の料理”が、テーブルに次々と置かれていく。
カシアンは目を丸くした。
「な、な……」
姑も驚愕の声を上げる。
「何なの、これ?」
私は落ち着いてナプキンを広げた。
「落ち着いてください、義母様、旦那様。
料理番を兼任していたメイドは、クビにしました」
「なんだって?!」
カシアンが椅子から立ち上がりそうになる。
「実はキッチンに行ったところ、食材が十分あったのです。
それにも関わらず彼女は、私たちにお湯とパンしか出さず、使用人にはまともな食事を出していました。
こんなこと許されてはいけません。
即刻クビにしました」
もちろん、実際には事情を聞いた上で紹介状と多めの退職金を渡した。
掃除、洗濯、料理──すべてを押しつけられていたメイドは疲労困憊で、退職金を多く渡すと言うと涙を流して喜んで出て行った。
「そそ、そんな勝手なこと!」
姑が声を荒げる。
「あら? 家政は女主人の仕事ですよ」
私は穏やかに微笑んだ。
契約書にも明記した“女主人の権限”だ。
「で、でも、いきなりクビなんて」
「よく考えてみれば、兵士が当番制で家のことも執務もやればいいのです。
専任の使用人は必要ありません。
すでに、それは兵に通達済みです」
姑の顔が青ざめる。
「あのメイドがいないと、私の着替えや世話は、どうするの?」
「義母様は社交もされず家にいますから、日頃は乗馬服でお過ごしください。
来客時は私のメイドを貸しますので」
「私だって社交するわよ!」
「費用は? 借金はまだ少ないですが、貯蓄は0ですよ」
「それは収入をやりくりすれば……」
「どうやって?」
姑は口を開いたまま固まった。
そして、ついに本音を吐き出す。
「それを何とかして貰うために、あなたに縁談を申し込んだんでしょ!」
「母上!」
カシアンが叫ぶ。
姑は自分の失言に気づき、口を押さえた。
「あ……」
ダイニングに、重い沈黙が落ちた。
私は静かにフォークを置き、微笑んだ。
──やはり、そういうこと。
この家は、私を“働かせるため”に迎えたのだ。
私は静かに椅子を引き、立ち上がった。
「どうも。短い間でしたが、お世話になりました。
実家に帰らせていただきます」
そのまま兵士たちに指示を出そうとした瞬間、カシアンが慌てて立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待って! いきなり、そんな!」
「『いきなり、そんな』?
お湯パンを4回も食べさせたのだから、充分に離婚理由になるでしょう」
淡々と告げると、カシアンは顔を真っ青にした。
「まっ、でも、そんな、すぐ離婚だなんて?!」
私は、ため息をついた。
「とりあえず別居させていただきます。
──さあ、私の荷物を全て、商会の寮に運んでちょうだい」
兵士たちが即座に動き出す。
カシアンは混乱し、声を裏返した。
「は? 寮に? なぜ?」
「今日から私が、モンド商会の経営者になったからです」
懐から書類を取り出し、彼の目の前に差し出した。
登記簿の写し──商会の正式な所有者として、私の名前が記されている。
カシアンの顔色が、さらに悪くなる。
「そんな……離婚したら領主代理権も消滅するよ?」
「実家に帰るんだから、いりませんよ」
何で必要なんだよ?
「商会は?」
「自分が元々持っていた商会を買い戻して統合します。
つまり──ここから撤退します」
カシアンは絶句し、唇を震わせた。
青い瞳が揺れ、まるで世界が崩れたかのように青ざめていく。
──この瞬間、彼は初めて理解したのだろう。
“妻を働かせて家を立て直す”つもりでいたが、その妻は彼の手から離れていくという現実を。
私は静かに微笑んだ。
カシアンは椅子から崩れ落ち、そのまま膝をついた。
「す、すまなかった……待ってほしい。
君の経営能力を期待して、縁談を申し込んだのは事実だ。
婚姻契約書に“仕事の強制は不可”とあるから……自主的に働いてもらうよう持っていくしかなかったんだ。
だから粗末な対応を……」
私は静かに息を吐いた。
「最初から『家を立て直すのに協力してほしい』と、頭を下げれば良かったのです」
カシアンは苦しげに顔を歪めた。
「いや、しかし……それでは、こちらが提示できるものがない。
政略結婚にならない」
──等価交換じゃないと成り立たないものね。
私は動く兵士を手で制し、ゆっくりと夫の前に立った。
腕を組み、見下ろす。
「旦那様、当主代理権もいただきます」
「え」
私は書類を差し出した。
「そして私の労働報酬は、こちらに無利子で貸付ます」
カシアンは震える手で紙を受け取り、読み上げた。
「過去5年の平均を上回る税収は、全てマルセラの労働報酬とする…… ただし、これは全て領地に貸付ける……え?」
彼の顔が真っ青になる。
──つまり、こうだ。
今後の領地経営において“平均以上の税収”を生み出した分は私の報酬。
しかし、その報酬は“ドレイモンド子爵家への貸付”とする。
私は静かに告げた。
「ですから、私がここの債権者になるということです」
カシアンは喉を鳴らした。
「もし……その条件を飲まなければ?」
「すでに領主代理権をもって、報酬および貸付の契約書は作成して公正証書にしてあります。
離婚すれば代理権を返却し、商会を王都に連れて帰る。
離婚しなければ私が、ドレイモンド子爵家の当主代理者、領主代理者、債権者になります」
カシアンは呆然としたまま、ゆっくりと顔を上げた。
「領地入りして、たったの3日で……そこまでやったのか……そうか……」
そのまま、完全に言葉を失った。
──これが現実。
呆然と膝をついたままのカシアンが、震える声で言った。
「わかった……当主代理権を渡すから……離婚しないでほしい」
その言葉に、姑が椅子を蹴る勢いで立ち上がった。
「ちょっと、嘘でしょ! 乗っ取りよ!」
私は、ゆっくりと義母に視線を向けた。
「人聞きの悪い詐欺師ですね。
私は単なるコンサルタントです。
ちなみに。
この債権は私が死んだ場合、兄に移りますので──余計なことは考えないように」
義母の顔が一瞬で青ざめ、口をつぐんだ。
残念なことに、私が死んでも債権は消滅しない。
「さあ、旦那様。立ってください」
カシアンは“許された”と思ったのか、ほっとしたように私の手を取って立ち上がった。
その表情は、まるで溺れた子供が岸に上がった時のように安堵している。
「経営委任状と、当主代理権の書面を作りましょう」
私は淡々と告げ、兵士たちに指示を出した。
「荷物を戻して。
義母様は離れに、お移りいただいて」
兵士たちが即座に動き出す。
義母は悲鳴のような声を上げたが、誰も聞く耳を持たない。
私は夫を連れて書斎へ向かった。
書面が出来上がり、弁護士に渡すよう兵士へ指示した。
ようやく一息つき、椅子に腰を下ろす。
「ああ、そうね。使用人がいないんだわ。
自分で、お茶を淹れましょう。
旦那様も飲まれますか?」
「あ、ああ……いただく」
私は静かに茶葉を蒸らし、2人分のカップに注いだ。
香りが立ちのぼる。
この屋敷で初めて“まともな飲み物”を口にした気がする。
カップをテーブルに置き、私は淡々と告げた。
「実家に支援を頼みましたので、1月くらいすれば人材が来ます。
ですから、こちらのことはご安心ください。
旦那様は王都に行って、裕福な未亡人の愛人になってください」
「は?」
カシアンの手が震え、カップの中の茶が揺れた。
「旦那様にあるのは、そのお顔だけですわ。
それも、あと3年から7年くらいで消費期限が切れてしまいます。
それまでにマダムから、お金と情報を貰って下さい」
「愛……人?」
「ああ、そうですわね。
ベッドのテクニックは、私にはお教えできません。
旦那様もご存知のように、この前まで処女でしたので。
ですから、有名な男娼を呼んでレクチャーしていただきましょう。
その方が高く売れますもの」
カシアンの顔から血の気が引いた。
「君は……僕を愛してないのか?」
私は、こてんと首を傾げた。
「なぜ? 数えるほどしか会ったこと無いですよね。
先に言っておきますが、“一目惚れ”は愛ではありません。生殖反応です」
カシアンは唇を震わせた。
「そんな……自分の夫が愛人になって構わないのか?」
カシアンの問いに、私は首を逆に傾けた。
「他に旦那様の使い道がありませんの。
私だけボランティアさせられるなんて、おかしいではありませんか。
せめて旦那様も領地の役に立ってください。
私との関係は、ギブアンドテイクにすらならないのですから」
その瞬間、青い目に涙が溜まり、ぽろりと落ちた。
「僕には……顔しかないのか」
「その顔も危ういところですわ」
私は淡々と続けた。
「いいですか。
お金持ちのマダムというのは、権力も名誉も地位も教養も人脈も、すべて持っているのです。
ですから殿方に求めるのは“若さ”だけです。
旦那様は、もう25歳ですよね?
ちょっと相場的には安い部類ですわ」
カシアンは肩を震わせ、子供のように泣き出した。
「う、う、売り飛ばさないでほしい」
「なぜ?」
「ここにいたい」
「なぜ?」
私は同じ問いを繰り返す。
理由を言語化できなければ、交渉の土台にすら立てない。
カシアンは涙でぐしゃぐしゃになりながら、必死に絞り出した。
「育った場所だし……君と……ちゃんと夫婦になりたい」
私は静かに首を振った。
「それは、あなたの我が儘であって“何を提供できるか”の明示ではありません。
私は、新妻に"お湯パン"を食べさせて、自分は裏でコソコソ食事するような──
コソ泥のような男を好きにはなりません」
カシアンの呼吸が止まった。
「"自分が他人を大事にしないのに、自分は他人から大事にされたい"なんて都合のいい妄言はやめてくださいね」
彼は震える声で言った。
「領主の仕事をちゃんとする……カジノにも行ってない……」
「そんなこと当たり前でしょう。
いちいち言葉にすることではありません」
カシアンの心が、またひとつ折れた。
「ほ、他に君がして欲しいことがあればする……」
「例えば?」
追い詰められたカシアンは、必死に“夫婦らしいこと”を探す。
「毎日マッサージしたり……体にオイルを塗ったり……」
──それは侍女の仕事では?
「つまり『侍女として雇え』ということですね?」
「え……?」
「わかりました。いいでしょう。
私付きの侍女にします」
侍従ではなく、侍女。
“夫”ではなく、“女の使用人”として扱うという宣告。
カシアンは完全に理解が追いつかず、呆然とした。
「え……」
その声は、壊れた玩具のように弱々しかった。
私は気にせず立ち上がる。
「さあ、寝る準備をするわよ。
あ──食事してなかったわ」
ダイニングに戻り、兵士が作った“男メシ”を食べ、湯浴みの準備へ向かった。
当然、湯を運ぶのはカシアンだ。
侍女としての初仕事である。
湯気の立つ浴室に入る。
カシアンは私の背中を洗い、腕を洗い、脚を洗い──
ついでに胸に触れた。
「……何をしているの?」
「ちょ、ちょっとだけ……」
「侍女が主人の胸を触るのは不敬よ」
「ご、ごめん……」
彼はしゅんと肩を落とし、再び黙々と洗い続けた。
風呂上がり。
カシアンは私の体に保湿オイルを塗り、髪を梳かし乾かし、ネグリジェを着せ、抱き上げてベッドに運んだ。
私はベッドに横たわりながら、静かに言った。
「どうして、あなたが主人のベッドに入るの?」
カシアンは、当然のようにベッドに潜り込もうとする。
「今日の仕事は終わったんだから、もうただの夫だろう」
そして、私の腰に手を伸ばした。
「ダメよ」
「なぜ!」
私は淡々と答えた。
「子供が出来たら困るじゃない。
お湯パン食べさせる人の子供を、命がけで産むなんて嫌よ」
カシアンは固まった。
「……」
私は背を向け、さっさと掛布をかぶった。
──そして、すぐに眠った。
背後で、カシアンが小さくすすり泣く気配がしたが、私は気にしなかった。




