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夫が戦地から愛人を連れ帰りました【ノーマルざまぁ版】  作者: 星森 永羽


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1/8

衝撃のお湯パン



 婚約者のトーマスを失ってから、私は喪に服していた。


 それでも年に2回だけ開かれる貴族全員参加の舞踏会は、どれほど心が沈んでいようと欠席できない。


 黒いドレスを身にまとい、最低限の礼儀だけを整えて会場へ向かった。



 大広間には無数のシャンデリアが輝き、宝石の光と笑い声が混ざり合っている。


 色鮮やかなドレスが波のように揺れ、華やかな香りが漂っていた。

 そんな中で黒一色の私は、まるで影のように浮いていた。


 当然、誰からもダンスに誘われない。

 私はバルコニーへ出て、冷たい夜風に身を預けながら時間を潰していた。


 足音がして、誰かが近づいてくる。


「ああ、失礼。先客がいましたね」


 振り返ると、月明かりを受けて金髪が淡く輝く美青年が立っていた。

 青い瞳は澄んでいるのに、どこか不安げで、場慣れしていないのが一目でわかる。

 整った顔立ちをしているのに、華やかな場に馴染めず戸惑っている様子が妙に印象的だった。


「いえ。ここは私のスペースというわけではないので、ご自由にお過ごしください。

 邪魔なら戻ります」


「邪魔だなんて。まさか、そんな。

 実は僕は辺境の子爵でして、今までは舞踏会の参加免除だったのが、代替わりして出ざるを得なくなってしまってね」


 辺境は敵の侵入や災害に遭いやすい。

 だから舞踏会は、当主のみの出席で良いとされている。

 彼は、その“当主”になったばかりなのだ。


「ですから、20半ばで初舞踏会なのですよ。

 勝手がわからず疲れてしまって、逃げてきたわけです。

 不甲斐ないでしょう?」


 自嘲気味に笑う、その横顔は美しいのに、どこか幼さが残っていた。


「いいえ、とんでもないことです。

 初めて出たのなら、人が多いだけでも疲れるでしょう。

 大変でしたね」


「いえ、まあ体力だけはあるので体は疲れないのですが……精神的に疲れますね」


 その正直さに、私は少しだけ肩の力が抜けた。

 この華やかな場で、弱さを隠さない人は珍しい。


「せっかくですから、お料理でも召し上がってから帰ってはどうですか。

 ここでしか食べられないものもありますから」


「持ってきますから、一緒に食べませんか。

 僕はもうこれ以上、知らない人に挨拶するのはうんざりです」


 青い瞳が、まっすぐこちらを見ていた。

 その素直さに、私は断る理由を見つけられなかった。


「そうですね。では、そうしましょうか」


「少し待っててください。

 何かリクエストは?」


「コルセットでたくさんは食べられないので、甘いものをいくつか」


「承りました」


 彼は嬉しそうに笑い、軽い足取りで大広間へ戻っていった。

 初舞踏会で疲れたと言っていた人とは思えないほど軽やかだった。


 しばらくして──


「お待たせしました!」


 両手いっぱいに皿を抱えて戻ってきた。

 どう見ても"軽く"ではなく、“全力で選んだ”量だ。


 皿の上には小さなケーキ、焼き菓子、果物のタルト、そしてチョコレートまで乗っている。


「……あの、これは……多くありませんか?」


「え? ああ……その……甘いものって言われたら、全部持ってきた方がいいのかと思って」


 耳まで赤くしている。

 美しい顔立ちなのに、こんなにも不器用で、こんなにも誠実だなんて。


「……ふふ。では、少しずついただきますね」


「はい。僕も……甘いもの、好きなので」


 夜風がそっと吹き抜け、バルコニーに甘い香りが漂った。

 これが、彼との出会いだった。



 名前を聞かれ、別れた翌日──

 なんと婚約の申し込みがあった。



 タウンハウスにいる私のもとへ、1通の封書が届けられた。

 上質な紙に丁寧な筆跡で、差出人は“カシアン・ドレイモンド”。


 胸の奥がわずかにざわつく。


 昨夜、バルコニーで甘い菓子を分け合った美青年の顔が浮かんだ。

 金髪が月光を受けて輝き、青い瞳がまっすぐこちらを見ていたあの姿が。


 封を切ると、整った文字が目に飛び込んできた。


『昨日の舞踏会にてお会いしたアルディナ男爵令嬢に、私カシアン・ドレイモンドは深い敬意と好意を抱きました。

 つきましては、正式に婚約を申し込みたく……』


 読み終えた瞬間、思わず息が止まった。


 感じは良かったし、見た目も美しかった。

 あの不器用な優しさも嫌いではない。


 けれど──昨日会ったばかりの相手から婚約の申し込みだなんて、あまりにも早急すぎる。


 後先を考えない人なのか、それとも……初めから私のことを知っていたのか。


 考え込んでいると、父が部屋に入ってきた。

 白髪が混じり始めた髪を撫でつけ、落ち着いた表情で私の手元の手紙に目を留める。


「マルセラは、どうしたい?

 まだトーマス君が亡くなったばかりだから、すぐに次の縁談は決めなくていいよ。

 しかし年齢的に、これを逃すと後が厳しいよ。よく考えなさい」


 父の声は優しいが、現実的だった。

 私は黒いドレスの袖を指先でつまみ、静かに答える。


「素行調査して、何も問題がなければ受けます」


 父は少しだけ目を細め、頷いた。


「分かった。では『考える時間が欲しい』と伝えておこう」


 父が部屋を出ていくと、私は手紙をもう1度見つめた。


 青い瞳でまっすぐに笑っていた青年が、こんなにも早く私を選んだ理由は何なのだろう?


 軽率なのか、衝動なのか、もしくは──





 応接室に入ると、椅子から立ったのは一昨日バルコニーで出会った美青年ことカシアンだった。


「急に婚約を申し込んだりして、すまなかった。

 ──驚いたろう?」


 彼は少しだけ、視線を泳がせながら言った。

 その仕草が、“初舞踏会で疲れた青年”を思い出させる。


「ええ、まあ……なぜ私に?」


 問いかけると、彼は真っ直ぐに答えた。


「何故って、それは1番好みだったから」


 私は思わず息を呑む。


「自分で言うのもなんですが、凡庸な容姿ですが……」


 私の言葉に、彼は首を横に振った。


「凡庸? いや、僕は……落ち着いた雰囲気の人が好きなんだ。

 派手な美人より、静かで品のある人がいい」


 その声音は真剣で、飾り気がなかった。

 けれど私は、どう返せばいいのか迷った。


「そう……ですか」


 彼は少しだけ不安そうに眉を寄せた。


「あの……君は僕のことは、その……嫌いだろうか?」


 青い瞳が揺れている。

 会ったばかりの相手に、こんな表情を向けられるとは思わなかった。


「いいえ、そんなことありません」


 そう答えると、彼の表情がぱっと明るくなった。

 美しい顔立ちが、子供のように嬉しそうに綻ぶ。


「そうか。

 今回はもう帰らなくちゃいけないけど、次に来た時はデートして貰えるだろうか」


 その言い方はあまりにも素直で、あまりにも真っ直ぐだった。

 私は少しだけ息を整えてから頷いた。


「ええ、喜んで」


「良かった」


 彼は、心底ほっとしたように微笑んだ。

 その笑顔はバルコニーで甘い菓子を抱えて戻ってきた時と同じ、無邪気で、どこか危ういほど純粋だった。


 ──この時の私はまだ知らなかった。

 この“純粋さ”が、後にどれほどの波紋を生むのかを。





 初夏から真夏になった頃。

 父が書類の束を手に、私の部屋を訪れた。

 白髪が増えた横顔はいつも通り穏やかだが、その目だけは真剣だった。


「調査結果が来たよ」


 差し出された封筒を受け取り、私は静かに目を通す。


 カシアン・ドレイモンド子爵の財政状況、領地の現状、交友関係、そして噂話まで細かく記されていた。


 読み進めるほどに、胸の奥が冷えていく。


「……つまり、私の経営能力と資産目当てということでしょうか」


 声は自然と低くなった。


 彼の領地は赤字。家臣の数も減り、屋敷の維持すら難しい。

 “辺境ゆえの苦労”では片付かないほどの管理不足が見える。


 父は腕を組み、少しだけ眉を寄せた。


「その可能性は高い。

 が、ただマルセラを気に入っただけかもしれない。

 そこは分からない」


 私は書類を閉じ、しばらく考え込んだ。


 彼の青い瞳、無邪気な笑顔、甘い菓子を抱えて戻ってきた姿──

 あれが計算だったとは思えない。


 けれど、現実は現実だ。


「正直、条件は良くないが……マルセラの同世代の男は、みんな結婚してるか婚約者がいるからね。

 歳が近いことを考えれば、また妥当だろう」


 父の言葉は優しいが、残酷な現実を突きつける。

 私は深く息を吸い、机に向かった。


 そして、白い便箋を取り出し、ペンを走らせる。


『カシアン・ドレイモンド子爵


先日はご訪問くださり、ありがとうございました。

あなたのお気持ちは、確かに受け取りました。


しかし、婚姻は人生を左右する重大な契約です。

軽率に決めることはできません。


つきましては以下の条件を、お飲みいただける場合に限り、婚姻契約の締結を前向きに検討いたします。


・ギャンブルをしないこと

・浮気をしないこと(子が得られない場合を除く)

・持参金の管理は妻が行うこと

・妻および妻の実家の資産を当てにしないこと

・妻に政務を強制しないこと

・家政を含む女主人としての役割は妻が担うこと


これらの条件に同意いただける場合、弁護士立ち会いのもと、正式な婚姻契約を交わしたく存じます。


ご返答をお待ちしております。


マルセラ』





 返事は驚くほど早く届いた。


 馬車で1週間の距離なのに、10日で返ってきた。

 普通は往復で14日かかる。


『もちろん全て守ります』


 短い文だったが、迷いのない筆跡だった。

 その潔さに、私は思わず息をついた。


 こうして、婚約は正式に進むことになった。


 領地が遠いため式は王都で挙げ、ドレイモンド子爵領ではパレードを行うという話に決まった。


 急ではあるが、社交シーズン締め括りの舞踏会に合わせて、式の準備を進めることになった。


 幸い、社交シーズンで主だった貴族は王都に滞在していたため、招待状の発送は驚くほどスムーズに進んだ。


 式場の予約、披露宴の段取り、来賓の調整──どれも滞りなく整っていく。


 問題はドレスだった。

 フルオーダーは到底、間に合わない。

 セミオーダーで妥協することになった。


 私は一瞬だけ、元婚約者トーマスとの式で着るはずだったウェディングドレスを使おうかと考えた。

 白い布地、繊細なレース、胸元に散らした小さな真珠──あれは私のために作られたものだ。


 けれど、流石にそれは酷い。

 亡き人への冒涜にもなるし、新しい婚約者に対しても誠実ではない。


 私は静かに首を振り、その考えを捨てた。



 そして迎えた結婚式は、驚くほど完璧だった。


 王都の大聖堂に差し込む光は柔らかく、白い花々が敷き詰められたバージンロードは香り高い。


 カシアンは金髪を整え、青い瞳を輝かせ、礼服に身を包んでいた。

 その姿はまるで絵画の中の王子のようで、参列者の視線を集めていた。



 披露宴も滞りなく進み、笑顔と祝福に満ちていた。


 私は淡いクリーム色のドレスに身を包み、落ち着いた雰囲気の中で客人たちと挨拶を交わした。


 カシアンは終始嬉しそうで、私の手を離そうとしなかった。



 ただ──初夜だけは、少し恥ずかしかった。

 ドレイモンド子爵家は王都にタウンハウスを持っていないため、私の実家で夜を過ごすことになったのだ。


 両親の気配が残る屋敷で夫婦として同じ部屋に入るのは、どうにも落ち着かない。


 それでも、式も披露宴も初夜も、すべては無事に終わった。




 社交シーズン最後の舞踏会では、私は彼の妻として入場した。


 胸の奥が温かく満たされた。


 幸せだった。

 この時までは、本当に。


 しかし──


 その幸福は、長く続かなかった。





 式を終えて2週間後。

 私たちは馬車でドレイモンド子爵領へ向かった。


 王都から離れた辺境までの旅は長く、道中の宿場町も少ない。


 それでもカシアンは終始楽しそうで、窓の外を眺めながら子供のように笑っていた。



 そして、ようやく領地の門が見えた時──胸の奥に小さな違和感が生まれた。


 屋敷の前に並んでいたのは、わずかな数の使用人たちだった。

 執事が1人、メイドが1人、掃除専門のメイドが1人、御者が1人。


 ──それだけ。


 後ろに控える私兵は100。

 子爵家としては普通だが、外敵の多い辺境としては明らかに少ない。


 事前の素行調査で、カシアンの経営能力の低さとギャンブル癖で財政が傾いているとあった。


 しかし契約書に“ギャンブルをしない”と明記した以上、もう手を出すことはないはずだ。


 使用人が調査時よりさらに減っているのは、結婚式の費用を捻出するために解雇したのだろうか。


 私は胸の奥に小さな不安を抱えながらも、笑顔を作った。



 馬車を降りると、カシアンが誇らしげに振り返る。

 金髪が陽光を受けて輝き、青い瞳が期待に満ちていた。


「どうだい、僕の領地は!

 これからはここが君の家だよ、マルセラ!」


 彼の笑顔は、眩しいほど純粋だった。


「ええ、素敵だわ。これから楽しみね」


 そう言うと、彼は嬉しそうに頬を緩めた。


「そう。なら、僕自ら君の部屋に案内するよ」


 彼は私の手を取って屋敷の中へと歩き出す。

 その背中は軽やかで、まるで新婚生活に夢を抱く青年そのものだった。



 案内された部屋は、広さこそ普通だったが、置かれている家具はどれも古びていた。


 木目は乾き、塗装は剥げ、引き出しの取っ手は少し歪んでいる。


 領地が遠すぎるため、嫁入り道具は持って来ないことになっていた。

 途中で壊れてしまうからだ。


 だからこそ──新妻を迎えるなら、新しい家具を用意するものだ。


 けれど、この部屋には“新しい”と呼べるものが1つもなかった。


「気に入ってくれたかな? ここが君の部屋だよ!」


 カシアンは満面の笑みで言った。


「……もちろん。ありがとう」


 何とか答えると、彼は嬉しそうに「ふふ」と笑った。

 

 ──うん?


 そして、寛ぐ間もなく、夕食の時間になった。


「じゃあ、夕飯にしようか」


 彼に促され、ダイニングへ向かった。


 広いはずの食堂は妙に寒々しく、壁に掛けられた絵画は色褪せ、テーブルクロスは薄く擦り切れている。


 メイドが盆を持ってきた。


 目の前に、湯の入った皿を置く。


 新しいタイプのフィンガーボール?


 私は首を傾げた。


「これは、どのようにして使うのですか? 無知で、すみません」


 尋ねると、姑とカシアンが同時に笑った。


「何言ってるのよ。スープよ。

 ふふ、面白いこと言うのね」


 ……え?


 私は思わず固まった。


 具が1つも入っていない。

 色もついていない。

 匂いもしない。


 ただの“お湯”にしか見えない。


 しかし2人は、そのお湯にカチカチのパンを浸し、ほぐして食べている。


 嘘でしょ?


 私はスプーンを手に取り、そっと液体をすくった。

 透明。

 味もしない。


 ──これは、スープではない。


 ただの“お湯”だ。


 胸の奥に、冷たいものが落ちていった。


 この家は、思っていたよりずっと深刻だ。




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