時間税
皆さんはスマホを見ていたら気がつくと時間が奪われていたことはないだろうか。
この国では、それは比喩ではない。
国家機関「時間庁」は、国民の未使用時間を「時間税」として徴収している。
各人のスマホに入った徴収アプリが、毎晩「同意」を求めてくる。
押すたびに数分間。痛みも音もなく。国民にストレスを与えないように設計されている。
感情は残る。楽しかった、面白かった、そんな気分だけが手元に残り、具体的な内容は霧のように消えていく。
あなたは昨日見たスマホの内容を覚えているだろうか。
思い出せないなら、それはすでに税として徴収されたということだ。
集められた時間は中央金庫に物理的に保管され、時空の歪みが生じたときの補修材になる。
時空の歪みが進行した場合、神隠しで済めば幸運で、最悪はブラックホールだ。
それまで神と呼ばれる存在が、時空の歪みを修正していた。
だが信仰の薄れは、神々の力を弱体化させた。
僕らの時間がその代わりになった。
僕は時間庁の執行係。滞納者のもとへ行き、徴収を手伝うのが仕事だ。
ただし強制はできない。本人が同意ボタンを押す様に説得をする。
執行期限は六ヶ月。それまでに納税させる。それでも駄目なら罰則がある。
今日の対象は一人、女性。端末の地図に出た家は、街外れの小さな平屋だった。
三ヶ月間、一度も時間税を納めていない。システムエラーか、あるいは。
「時間税の滞納についてお話が」と告げると、玄関先に現れた彼女は穏やかに微笑んだ。
「お茶でもどうですか」
断る理由もなく、僕は縁側に腰を下ろした。
差し出された湯呑みからは、ほうじ茶の香ばしい香りが立ち上る。
部屋を見渡すと、床は丁寧に磨かれ、棚には背表紙の焼けた文庫本が並んでいる。
テーブルの上には読みかけの本。栞が挟まれたページは、きっと昨夜読んだところだろう。
小皿に盛られた手作りらしいクッキーは、バターの優しい香りがした。
窓の外には、手入れの行き届いた庭が広がっていた。
秋桜が風に揺れ、その向こうには小さな菜園。トマトやナス、シソの緑が鮮やかだ。
窓辺の餌台には、メジロが二羽、頭を寄せ合っている。
「スマホをお持ちでないんですか」と僕は尋ねた。
「ありますが、手にすることはあまりないですね」
彼女の答えは淡々としていた。
説明しようとした言葉が、喉の奥で詰まる。
「時間税は、時空の歪みを防ぐための——」
「知っています」と彼女は遮った。
「時間税を否定してるわけじゃないんです。でも、私の最後の時間まで、無意識に差し出すのは嫌なんです」
徴収を拒否される。
まだ初日だ、ゆっくり行こう。
たわいの無い世間話を続ける。
共感や傾聴、テクニックを使って取り入ろうとする。
時々会話が途切れると静寂に包まれる。
そこで違和感のもとに気づく。
ここは車の音がしない。
時計もエアコンの室外機の音もしない。
人工的な音というものがここには一切ない。
だがそれは無音という事ではなかった。
風のせせらぎが耳をくすぐる。
鳥も虫も良く鳴いている。
こんなにゆっくりと時間が流れるのは、いつ以来だろう。
その夜、家に戻った僕は、いつものようにスマホを開いた。通知の山。
既読をつけるだけで十数分が消えていく。
動画を一本見て、SNSをスクロールして、気づけば日付が変わっていた。
何も記憶に残らない。何の生産性もない。ただ時間だけが、指の間をすり抜けていく。
今日も無事に時間税を払ったようだ。
一週間後、再び彼女の家を訪ねた。滞納は続いていた。
庭で彼女は、菜園の手入れをしていた。膝をつき、雑草を一本一本抜いていく。
その指先は土に馴染み、動きに無駄がない。
「明日は雨ですね」と彼女は空を見上げた。「トマトの支柱を補強しておかないと」
空を見上げると青空だ。雨が降るようには思えない。
僕には予報アプリでしか天気は分からない。
「お手伝いしましょうか」
気づけばそう言っていた。
支柱を縛る麻紐の結び方を教わりながら、彼女の横顔を見つめる。
頬を撫でる風、土の感触、トマトの青い香り。すべてが鮮明だった。
それから僕は、週に二度は彼女の家を訪ねるようになった。
上司から「進捗は?」と聞かれたが、「説得中です」とだけ答えた。
嘘ではない。ただ、何を説得しているのかは、自分でもわからなくなっていた。
彼女の淹れるお茶を飲み、庭の植物の名を覚え、季節の移ろいを肌で感じた。
時計を見ない時間。スマホを開かない午後。
失われていたものが、ゆっくりと満ちてくるのを感じた。
ある日、彼女が苦痛に顔を歪めていた。
聞くと、そこで転んでしまってと答えた。
言葉には出来ない違和感が全身を包む。
その日、気になって時間庁のデータベースで彼女の残存時間を見てしまった。
閲覧権限はある。だが、個人的な興味で見ることは許されない。
職務倫理に反する。それでも僕は、震える指でキーを叩いた。
彼女に残されている時間はあまりにも少なかった。
吐き気がした。モニターの光が滲んで見えた。僕は何をしているんだ。
あの日から二ヶ月が過ぎた
彼女の家へと向かった。
庭には主人を失った植物たちが、苦しそうにしていた。
水道の蛇口をひねり、水を撒いていく。
二ヶ月前のあの日
夕暮れ時、縁側に並んで座った。茜色の空が、ゆっくりと藍色に色を変えていく。
「知っているんです」と彼女は静かに言った。「でも、私は私の時間を、私のために使いたいの」
僕の喉から、掠れた声が漏れた。
「一緒にいてもいいですか」
彼女は微笑んだ。
庭の秋桜が風に揺れ、どこかで鳥が鳴いている。
僕たちは何も言わず、ただ並んで、沈む夕日を見つめていた。




