クロと、まっくらな夜
その夜、志村ねねは寝付けないでいた。
いつもなら「おやすみ」と言ってすぐに寝息を立てるのに、今日は布団の中でもぞもぞと動いている。
「ねね、まだ起きてるのかな」
机の上でミドリが首をかしげる。
「きょうは遠足のあとだから、つかれてるはずなのにね」
ピンが小さく囁いた。
ふたりの横で、クロは腕を組んでじっとねねの布団を見ていた。
いつもより部屋が静かすぎる。
外では風が止まり、木々の影が月の光をゆらしている。
しばらくして、ねねの小さな声が聞こえた。
「……まっくら、やだな……」
クロは、ぴくりと耳を動かした。
そう、今夜は停電だった。
ねねの部屋は、いつもなら豆電球がやさしく灯る。
でも今は、ほんのりとした月明かりがカーテンの隙間から差し込むだけ。
床も壁も天井も、まるで夜そのものに溶けていた。
ねねにとっては、それは広くて深い、こわい闇。
やがて小さなすすり泣きが、布団の中から聞こえた。
「……行ってくる」
クロが短くつぶやくと、ミドリとピンがあわてて止めた。
「だ、だめだよクロ! ねねに見つかっちゃう!」
「わすれたの!? ねねに、わたしたちが動けること知られたら……」
「わかってるさ」
クロは低く笑った。
「けどな、泣いてるやつを放っとくのは、性に合わねえんだよ」
その言葉に、ミドリとピンは口をつぐんだ。
クロの瞳は暗がりの中でもきらりと光っていた。
「安心しろ。ねねにはバレないようにやるさ」
そう言って、クロはふわりと机から飛び降りた。
もふもふの足が床をすべるように進む。
音ひとつ立てず、月明かりの筋を渡っていく姿は、まるで夜の影のようだった。
ねねの枕元にたどり着くと、クロは立ち止まった。
ねねは布団をかぶって、顔をぎゅっと埋めていた。
声が小さく震える。
「まっくら、こわいよ……」
クロは少しだけため息をついた。
その声は、子猫が寒がるように小さく、弱かった。
少し考えてから、クロは自分の胸のもふもふをそっとちぎった。
ちぎった部分から、かすかに黒い光がこぼれる。
それをねねの枕の横に置いた。
闇の中に、小さな灯りがともる。
淡い黒の光。夜の色をした、静かなあたたかさ。
「……だいじょうぶだ。ここにはオレがいる」
クロの声は低くて、でも不思議と安心できる響きをしていた。
ねねは、布団の中でふと顔を上げた。
そこに、ほのかに光る小さな毛玉が転がっている。
「……なに、これ……?」
その光を見ているうちに、不思議と怖さが薄れていった。
胸の奥のきゅっとしたものが、ゆっくりと溶けていく。
「……まっくら、あったかい……」
ねねはそうつぶやいて、そっと目を閉じた。
呼吸が静かになり、やがて穏やかな寝息に変わる。
クロはしばらくその寝顔を見つめていた。
そして、ふっと笑った。
「まったく……怖がりなんだからな」
クロの影がゆらめき、やがて机の上へと戻っていく。
ミドリとピンがほっと胸をなでおろした。
「クロ……どうだった?」
「もう寝たさ」
クロは小さくあくびをした。
「泣き虫でも、寝顔だけは立派だな」
朝。
ねねが目を覚ますと、枕元に小さな黒い毛玉が転がっていた。
「……なにこれ?」
指で触れると、やわらかくて、ほのかにあたたかい。
「なんだか、すき……」
ねねはにっこり笑って、それを手のひらに乗せた。
どこかで見たような、見たことのないような、不思議な気持ち。
その日からねねは、その毛玉を“よるちゃん”と呼んで、
いつも枕のそばに置くようになった。
もちろん、それがクロのもふのかけらだとは知らない。
夜。
「ねねによるちゃん、って呼ばれてるね」
ミドリがくすくす笑いながら言った。
「はっ、まったく……ねねに別の名前をつけられるとはな」
クロは鼻で笑いながらも、どこか嬉しそうだった。
ピンがにこにこしながら言う。
「ねね、もうまっくらこわくないって! クロのおかげだね!」
「……オレは、ちょっと光らせただけさ」
クロは腕を組み、窓の外の夜空を見上げた。
そこには満月が浮かび、静かな光がねねの寝顔を包んでいる。
クロはその光を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「……よるがこわくないって、いいことだよな」
その声は小さく、けれど優しかった。
窓の外で、風がすこし笑ったように木の葉を揺らした。
その音を聞きながら、クロの胸のもふもふが、ほんのり温かく光った。




