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クロと、なくしたボタン

 その日は、午後から雨だった。

 窓ガラスを伝うしずくの音が、静かに部屋を満たしていた。


 志村ねねは、毛布をかぶってベッドの上にぬいぐるみを並べている。

「みんな、きょうはおやすみパーティーね」

 ねねの大好きな、うさぎのぬいぐるみ「ぽぽちゃん」も並んでいた。

 けれど、その胸のボタンがひとつ、ぷらんと糸がほどけていた。

「あれ……?」

 ねねは指先で触れた。ボタンが今にも落ちそうだ。

「とれちゃう……でも、おかあさんはいまおしごとだし……」

 少し困った顔をして、ねねはボタンを外れないように抱きしめた。

 小さな手がボタンをぎゅっと握る。

 けれどそのまま、いつのまにか眠ってしまった。

 ぽぽちゃんを抱いたまま、すうすうと静かな寝息。

 外では雨が強くなり、窓を細かく叩く音が響く。

 灯りを落とした部屋の中は、月のかわりに街の灯がぼんやりと照らしていた。

 時計の針が「コチ、コチ」と進む音だけが静かに鳴っている。


 そのころ。

 机の上のもふもふたちが、そっと目を開けた。

「ぽぽちゃん、ボタンが……」

 ミドリが言う。

「あのままじゃ取れちゃうね」

 ピンが小さくうなずく。

「ねね、すごく大事にしてたもんね」

「ぽぽちゃんのボタン、取れたら泣いちゃうかな」

 クロは、じっとその様子を見ていた。

 しばらく黙っていたが、やがて静かに立ち上がった。

「おれ、行ってくる」

「えっ!? クロが?」

 ピンが目を丸くする。

「針と糸があれば直せる。ミドリたちは動くな。見つかったら厄介だ」

 低い声に、ふたりは息をのんだ。

 いつも冷静で口数の少ないクロが、自分から動くのは珍しい。

「クロ、気をつけてね……!」

 ミドリが小さく囁く。

「言われなくても」

 クロは床に飛び降り、音を立てないようにすばやく駆け出した。


 ねねの寝息が規則正しく響く中、部屋の空気はしっとりと濡れている。

 引き出しの取っ手に飛びつき、体をふんばって引く。

 ギィ、と小さな音を立てて開いた。

「よし……裁縫箱、あった」

 小さな箱の中には、針と糸、そしていくつものボタン。

 クロは黒い糸を引き出し、慎重に小さな針をくわえた。

「まったく……おれが針仕事なんてな」

 けれど、不思議と嫌ではなかった。

 ねねが「ぽぽちゃん、だいすき」と抱きしめていた姿を思い出すと、胸の奥が、ほんのりとあたたかくなった。

 ぽぽちゃんのもとに戻ると、ねねはまだ眠っていた。

 雨の音のリズムに合わせて、寝息が静かに続いている。

 小さな手の中で、ぽぽちゃんのボタンが今にも落ちそうだった。

「よし……いまだ」

 クロは針をくわえ、慎重に糸を通して縫い始めた。

 一針、また一針。

 雨の音にまぎれて、チク、チクと小さな音が響く。

 途中で針が指に刺さり、クロは思わず「ちっ」と舌打ちした。

 でも止まらなかった。

 ねねが悲しい顔をするのは、もっと嫌だったから。

 ミドリやピンに頼むこともできた。

 でも、この仕事だけは、自分がやらなきゃいけない気がした。

 ねねが笑うとき、いつもクロは誰よりも静かに安心していたのだ。


 やがて、ボタンはしっかりと元通りについた。

 クロは小さく息をついて、針を置いた。

「……これで、いいだろ」

 そのとき、ぽぽちゃんの胸のボタンが、月の光を受けて小さくきらめいた。

 ねねの寝顔が、やわらかい光に照らされる。

 ほんの少し、唇がほころんでいた。

 クロはそれを見て、そっと呟いた。

「やっぱり、おまえが笑ってると、あったかいな」

 窓の外では、雨がやむ気配を見せはじめていた。

 雲のすき間から、わずかな星が顔をのぞかせる。

 その光がクロの胸の奥まで届いたような気がした。


 朝。

 ねねが目を覚ますと、ぽぽちゃんのボタンはしっかりと縫い付けられていた。

「あれ? ぽぽちゃんのボタンなおってる! すごい! おかあさんがしてくれたのかな?」

 ねねは嬉しそうにぽぽちゃんを抱きしめる。

 その頬が朝の光を受けてほのかに赤く染まる。

 机の上では、ミドリとピンが小さく手を叩いた。

「クロ、やったね!」

 ピンが声をひそめてはしゃぐ。

「さすがクロだね」

 ミドリが微笑む。

 クロはそっけなく言った。

「別に。おれは仕事をしただけだ」

 そう言いながらも、視線は少しだけ窓の外に向いていた。


 そこには、雨上がりの空と、ひかる雫をまとった世界が広がっていた。

 もふもふの黒い体の奥では、小さく光るものが、確かに灯っていた。


 それは、ねねの笑顔を守れた証みたいに。

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