ねねと、もふもふたちの夜
その夜、志村ねねの部屋は、月明かりでほんのり青かった。
カーテンの隙間から射し込む光が、ベッドの上に置かれた小さな髪ゴムを照らしている。
ねねはもう夢の中だった。
お気に入りのぬいぐるみを抱きしめながら、すうすうと穏やかな寝息を立てている。
その枕元には、いつも彼女が髪を結ぶときに使っている三つのゴムが並んでいた。
ひとつは、やさしい緑のもふもふ。
もうひとつは、明るいピンクのもふもふ。
そして、少しだけ毛並みの乱れた黒のもふもふ。
そのとき。
空気がかすかに震えた。
月が一瞬だけ強く光り、部屋の中に白い影が差す。
風もないのに、カーテンがわずかに揺れた。
ふわり、と。
三つのもふもふが、まるで息を吹き込まれたように、かすかに動いた。
「……ん、ここ、どこ?」
ピンク色のもふもふが、目をぱちくりさせながらつぶやいた。
「まぶしいね。なんだか、あったかい」
「静かに。……ねねが起きてしまう」
低くて落ち着いた声を出したのは、黒いもふもふだった。
「ふたりとも、落ち着いて。いきなり動けるようになったんだ。すぐに走り回ったら危ないよ」
そう言ってなだめたのは、緑のもふもふ。おっとりした声だった。
三つのもふもふは、互いを見回した。
ふわふわの体。短い手足。ボタンみたいな目。
それぞれ違う色の毛並みを持ち、月明かりに照らされてほのかに輝いている。
「なんでボクら、しゃべれるんだろう?」
「わかんない。でも、ねねのそばにいるのは……きっと理由があるんだよ」
ピンクが首をかしげる。
緑が静かに頷いた。
「わたしたち、ねねの髪を結んでもらってたよね。毎朝、ぎゅって優しく。もしかしたら、その“優しさ”が、わたしたちに命をくれたのかもしれない」
そう言って翠のもふもふーーミドリは、窓の外を見上げた。
夜空には丸い月が浮かび、光がベッドの上を包み込んでいる。
その光に包まれながら、もふもふたちは静かに感じ取った。
自分たちは“生まれた”のだと。
「ふふ、なんかドキドキするね!」
ピンクのもふもふーーピンが跳ねるように笑った。
黒いもふもふーークロは小さくため息をついた。
「……お前はいつも元気だな」
「えへへ、だって、生きてるってすごいことだもん!」
その声に、ねねが寝返りを打った。
三匹は慌てて口を閉じ、息を潜める。
ねねのまつげがかすかに震えたが、目を覚ますことはなかった。
「ふう……びっくりしたぁ」
「気をつけないと。ねねに知られたら、きっと大変なことになる」
ミドリが小さく囁く。
「どうして?」
ピンが首を傾げた。
「なんとなくだけど……“知られたら消える”気がするの。きっとわたしたちは“ひみつ”の命なんだよ」
その言葉に、三匹はしばらく黙った。
月明かりの下、ねねの寝顔を見つめる。
小さな胸が上下して、穏やかな息の音が響く。
「ねね、いつも笑ってるけど、たまに泣くよね」
「うん。幼稚園の朝とか。靴下が見つからなくて、泣いちゃう」
「そんなとき、手伝ってあげたいな……」
ミドリはそっと呟いた。
その瞳に宿った光は、月よりもやさしかった。
「じゃあ、明日からやってみよう!」
「……やってみるって、何を?」
「ねねのお手伝いだよ! 見つからないように、ちょこっとだけ! いいでしょ?」
ピンの瞳がきらきら輝く。
クロは腕を組み、わざとらしくため息をついた。
「ばか、見つかったらどうする」
「見つからないようにすればいいの!」
「それができたら苦労しない」
「まぁまぁ、クロ。少しくらいなら、いいんじゃない?」
ミドリが笑うと、クロは観念したように小さくうなずいた。
「……まったく。無茶するなよ」
三匹は見つめ合い、にっこりと笑い合った。
その夜、もふもふたちは“約束”をした。
ねねには絶対に知られないこと。
でも、ねねを笑顔にするために、できる限りのことをすること。
小さな体が寄り添う。
月の光が、三匹の影をゆっくりと床に落とした。
その影はまるで、秘密を抱いて眠る小さな家族のようだった。
翌朝。
ねねが目を覚ますと、机の上に小さな花が飾られていた。
庭に咲いていたクローバーだった。
母が置いたのかと思い、ねねは首をかしげたが、すぐに笑って声をあげた。
「おはなさん、かわいいね!」
その声に応えるように、引き出しの中でもふもふたちがそっと揺れた。
「ほらね、笑ってる」
「そうだね」
ミドリが頷く。
「うまくいった」
クロが静かに言った。
三匹は胸を張った。
ねねの笑顔は、まるで太陽の光のように、彼らの胸を温めていく。
その朝、もふもふたちは初めて“幸せ”というものを感じた。
言葉では言えないほど、心がぽかぽかする。
そして、誰も知らない小さなひみつが、この部屋に生まれた。
月の魔法が残した、あたたかい夜の約束。
それが、“ねねともふもふたち”の、最初の物語だった。




