旧校舎
まだ青白い景色の中で車はなぜかどんどん加速しているように見えた。
ただ、早いのが好きなだけなのか、それか、そのイベントに遅れているのか…
「うちはね、気に入ったんだよ君が本当に」
外の葉のまだ生えない桜の木を見つめていると羽田家がまたもや話しかけてきた。
後ろにいるルカはずっとスマホをポチポチいじっている、私たちの会話に参加しようとするのは疲れたみたいだ。
「だから、できるだけ君について知りたい。田中、あんたについてもっと教えてよ」
羽田家がそういうと、隣に座る私の太ももの上に手を置き、それからゆっくり撫でてきた。
…このひと……いや、もう少し様子を見てみよう。
「えっと、私は実は新潟生まれなんですよ…はい」
海陽近くに住む人たちは海陽生まれの人が多い、わざわざ新潟から1時間半の電車をとって黒高に通う必要なんてないし、それに田舎に住む理由もあまりないからだ。
「へぇ!」
「あ、あと、弟は今年で8歳になるんですけどね、それがもうかわいくてね、この前正月に――」
正月、そうだ。正月に、お母さんが男を連れて家に戻ってきた。
会社の飲み会で行った居酒屋で出会った男で、ガタイがよく、それに毛が濃かった気がする。
私は、母親の遊び相手なんかと話はしたくなかった。
「もう何人目なんだよッ!」
リビングの廊下で、私は母に向かって怒鳴った。
「もう、そんなに怒らないでよぉ魅力的な人でしょ?」
「バカ言わないで追い出して、私たちだけで正月を――」
「私の男は私がきめんのッ! 口出しするんじゃない!」
そういって、母親は私の顔にビンタをした。
勝手な人だ。
勝手な人、娘と息子を独りにして男遊びばかりの――
……私がリビングに戻ると、弟は泣いていた。
隣にはそれを見て飯をただひたすらに食っている男がいた。
「いやw 泣いちまってさw」
笑ってニヤニヤして私の方を向いて指さしてニヤニヤニヤニヤニヤニヤと…
咄嗟に部屋の角にあったランプをつかんで男の頭に振り下ろすと、倒れこんで血だらけになり、その後起き上がるのがやっとだった。
彼は二度と戻ってこなかった。
「やっぱり、何でもない」
羽田家に、何か幸せな話を聞かせてやりたかった。
でも、何も思いつかない気がする。
「唐揚げがすきです」
「え?」
静かになった車の中でわたしは一言だけ言った。
「ステーキは?」
動揺していた羽田家だったが、すぐにまた質問をしてきた。
「好きです」
「コーヒー飲める?」
「甘いのなら飲めます」
「ココアは好き?」
「チョコは飲み物じゃないと思います」
「どういうパンが好き?」
「パンダ」
「うお、ふざけるね」
羽田家はまた上を向いて大声で笑った、そして車のスピードを抑えて、左に曲がる。
「ついたよ」
私の太ももを優しくなでてから軽くたたき、そしてドアを開けてから外に出た。
ルカもスマホをしまってドアを開ける。
私たちが行きついたのは、黒高の旧校舎だった。
今は使われていなくてボロボロ、天井もなぜ立っているのかもわからない。
本当ならこんなところ壊されいるはずだが、実際そうはなっていない。
ただ、町を汚す建物になってしまっている。
「田中! どうした」
車の外から羽田家が私を呼んでいる。
行った方が…いいな。
「うちは旧校舎の生徒ではないが、ここには旧校舎の生徒も大量に集まる」
私は車を降りて羽田家についていくと、建物の中へ入っていく。
入り口の靴箱が置かれた場所にはもうすでに人がいた。
壁に寄って男のズボンに手を入れこむ女に、それを見て煙草を吹かす男。
右には三人ほどで集まってタバコとはまた違うにおいのする何かを吸っている、しかし、嗅ぐだけでクラクラするから、大体予想はつく。
下駄箱のの前には中庭が見える大きなガラス張りの扉があった。
そこにも寄りかかっている人が何人も…
ここはタバコ臭い。
しかし、それだけじゃない。
女の香水と、下痢と、精液と、それに汗の臭いも混ざっている。
正直こんなところ、私が普段来るようなところじゃないが…
下駄箱のロッカーには大量の落書き、外の中庭が見えるガラスは古くなって割れていたり、黒くなったりしているところもあった。
壁には元先生たちの悪口がかかれていたり、下ネタに、それに噂の類まで…
「うちが知ってるやつらは3階の音楽室にいるから、行こうね」
私の背中を押して羽田家はさらに早歩きで進む。
ルカはというと、撮影しながら笑ってついてきていた。
私はこの不良たちをよく見てみた。
手首に大量の傷を持つ女に、首からぽつぽつと何かがある男だったり。
私は何をしてるんだろう。
弟のためとはいえ、私はなんでこんなところで、こんな人たちを見てるんだろう。
「ごめんなさい羽田家先――」
「羽田家でいいよ、エリナちゃん」
羽田家が私のなまえを言った。教えたわけではないが、きっとルカがその名を叫んでいるのが聞こえたんだろう。
「私ちょっと…」
「怖がらなくていいんだよ、ほら」
私の背中に手を置いて、それから前へと前へと歩かせてくる。
目の前には、二階へと続く階段が…
でも、二階にあがったら、ここよりもヤバイ場所なのかもしれない。
なんで、なんで警察はここを知らないッ!
仕事しろッ!
「大丈夫だよ」
私が冷や汗をかいているのが見られたのか、羽田家が私の肩に手を滑らせ、優しく揉んだ。
それから手を離し、また背中に手をおいた。
しかし、私を止めようとするもう一つの要因が現れた。
現れた、というよりも落ちてきた。
階段の先から転がりながら血だらけで上半身裸の男が落ちた。
その上には両手をあげながら喜んでいる、同じく裸の男性がいる。
喧嘩をしていたのか、知らないが…
落ちた男は階段の先にあった壁に背中を当てて痛がっている。
口の中は赤く染まっていた、すぐにつばを吐き捨てたと思ったら、歯が一本、一緒に唾液と混ざって出てきた。
「羽田家さん! 帰らせてください!」
私はとっさに振り返って彼女にお願いをした。
「…」
しばらく黙り込んで私を見つめてから、羽田家はこう優しく言った。
「こうしようよ、音楽室で、合わせたい人がいるから、その人がここに来るって言うのは?」
「外で! 外でその人と話す!」
こんなにも、恐怖を感じたのは初めてだった。
三階に、何かもっと…
「うん、うちが呼んでくるから。でも、一つお願いをしてもいいかな?」
「なんですか?」
とにかく、少し落ち着いて私は答えた。
「二人で話そうよ、エリナちゃん車にいた時さ家族の話をするの躊躇してたし、なんかあるんでしょ? 落ち着けるところに行ってさ」
「あ、あぁ。別に大丈夫です…」
この人やっぱりそうだ。変に体を触ってくるし、さっきからなんだか手の位置が下がってきてる気もするし――
「羽田家さんの招待だぜ」
後ろにいたルカが、スマホを下げて私をにらみこんできた。
この人は、何歳なの? なんで私なんかにこんなに執着するの?
なんでルカはそれに――
茶色く滲んだカーペットがある部屋に無理やり移動させられた。
壁のペンキははがれ始めていて、部屋の角には回らない時計が一つ置かれていた。
窓がない密室で、中心には大きなテーブルが一つ置かれている。
しかしこのテーブルを見ていると吐き気がした。
さっきの地面よりもずっと汚くて、いろんな何かが混ざっていて…
白く滲んでいるところもあれば赤と混ざっているところもあり、使われた状態のコンドームがテーブルの上で捨てられている。
「若い女の子がさ、うち好きなんだよね」
一歩ずつ私にゆっくりと近づいてそれから私の腰に優しく手を置いてそれから上へと下へと撫で始めた。
もう片方と手は、もっと下にあった。
「ねぇ、エリナちゃん。なんでルカとなんかいるの」
顔を近づけてくると、私は背筋を伸ばして遠ざけた。
「うちの方がさ、かっこいいでしょ」
いやだ、近づいてこないで。
羽田家は私を壁に追い込んでそのまま触り始めた。
いやで、いやで――
そう思うばかりに、爪が壁をひっかいた。
頬を汚い壁に押し付けて、できるだけ距離をとろうとしても逃げ場なんてない。
やるなら、じらさないで、さっさと――
「えへ、あははは」
私の首にキスをして、軽く笑ってから、少しずつ頭の位置を低くする。
体を、優しくなでられながら、下へ、もっと下へ…
「まって、ちょっと待って」
「なに?」
「先に、先にトイレ行かせて。そうしたら好きなようにしてあげるから」
「…部屋を出て廊下の突き当り」
真顔になってテーブルの上に座ってから、私をにらみこんだ。
「さっさとして」
そういって私を行かせてくれた。
「でも、戻ってくるのよ」
隣を通ると、髪の毛をそっと触ってそういってきた。
…気持ち悪い。
私はとにかく早く廊下に出て、ルカを探した。
中庭が見えるところまでくると、ルカが不良たちと一緒に煙草を吸っているのが見えた。
「あれ、もう終わったのか」
「…こっからでよう」
「なんでだよ、楽しいじゃねぇか」
「運転できる?」
「親がしてるのは見たことあるけど…」
「ドリフトってしてみたい?」
「うお! してぇ」
「羽田家先輩が車貸してくれるから、あんたの友達のコンビニまで行こう」
「よっしゃ」
彼は煙草をそのままポイ捨てして出口へ歩いていった。
「ありがとう、ルカ」
「なんだよ、礼なら羽田家に言えばいいじゃねぇか」
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「逃げたか」
部屋で一人、羽田家が煙草をふかして待っていた。
「てめぇら有さん呼べッ!」
部屋の中からそう怒鳴ると、外から走る音が響いた。
「逃がさねぇからな、お前はうちの女だ」
そう、一言笑って言った。




