前日譚 ゴブリン・ザ・ヒーロー
私、アーテーは引退した勇者である。魔王討伐に向かった先日、パーティーメンバーをすべて失い剣も折れてしまった。四天王を2人討ったものの、私たちの冒険は終焉を迎えた。
実力不足。それ以外に言うことはない。世間では女性初の勇者職だともてはやされていたが、実際には他のメンバーが優れていただけだ。伝説の剣も抜けなかった私は、あの戦いで無様に生き残ってしまった。いや、他のメンバーに生かされてしまった。
みんないい人だった。女は私だけだったが、居心地はすごくよかった。誰が私と結婚するかで喧嘩したこともあったっけ。その時は誰にも興味ないと切り捨てたけど。
あの戦いで敗走が確実になった時、みんなが私を生かすために動いた。私は逃げた。勇者なのに逃げたのだ。
「先生! ゴブリンなんて。私たちもっとできます」
「こら、ユウ。油断しちゃだめっていつも先生に言われてるでしょ。それに、ゴブリンに捕まったらひどいことされちゃうんだよ? 」
「フォリアは心配性ね。先生がいるのに負けるわけないって」
「いつだって先生がいるとは限らないじゃない! 」
言い争うこの2人の少女は、ユウとフォリア。私の教え子だ。昔助けた村の住人らしく、剣を教えてほしいと頼み込んできた。実力不足の勇者に何が教えられるのかと断ったが、それでも何度もやってくるので根負けした形だ。
二人とも覚えがいい。私よりもよっぽど素質があるように思える。もしかしたら魔王を倒してくれるかもしれない。そんな期待を抱かせる。
今日はその二人の初めての実戦だ。初心者向けで、かつ早急に解決が求められるゴブリンの駆除は彼女らには最適だ。
戦闘とは敵との駆け引きと思われがちだが、実際にはそこまで臨機応変さは求められない。大体のモンスターの行動パターンは研究済みだし、経験や装備が十分に備わっていれば戦闘は”作業”と化すのだ。
だからこそ、冒険者は戦闘を、命のやり取りではなく作業に留めるために常に冷静である必要がある。この点において戦闘はしばしば内省的なものとなる。
彼女らにとってゴブリンはこの上ない練習相手となる。まずその見た目。人間に近い構造をしているのに深緑や褐色の肌をしており、耳が異様に大きい。
相手が動物的ならば心こそ痛むが、そういう敵として割り切ることが出来る。しかし二足歩行で棍棒などを持つ点にどうしても人間らしさを感じ取ってしまう。この人間っぽさがゴブリンと対峙する際の最初の心理的ハードルである。
そして私や彼女らにとって心に深く負荷をかける事項は、奴らの卑しい目つきである。ゴブリンが女性を捉え慰み者にするというのは周知の事実であるが、いったいなぜ奴らがこのような行動をとるのか、それは未だに不明である。ゴブリンを研究する者が少数であるという点、そして奴らの繁殖力を警戒し、見つけ次第巣穴ごと燃やし尽くすことが義務付けられているためである。
いずれにせよ、奴らは女性を捕らえると想像に堪えない屈辱を与える。女性にとっては憎むべき敵だが駆け出しの女性冒険者にとっては戦闘に慣れるための良き練習相手となる。よだれを垂らし、舐めまわすように身体を見る。
目の前の敵に負けたら___。そういうプレッシャーの中でも落ち着いていられる精神力は、敵が強くなった際に重要となってくる。
「ここね」
目的の洞穴を見つけた。それなりの規模になっているようで、洞窟の入り口には見張り役のゴブリンが2匹立っている。見張りを立たせるということは、洞窟内のゴブリンはある程度の社会性を築いている可能性が高い。
思ったよりは手こずりそうだが、2人はすでにそれなりの腕だし、私も帯同するため問題はない。
しかし、勇者がこの後”作業”ではなく戦闘を行うこととなるとは、知る由もなかった。
「右があたし!左がフォリアね!」
「いや、二人で協力した方が___」
「何言ってんのよ。別々で倒した方が早いじゃない!行くわよ」
そう言うとユウは駆けだす。
「もう」
フォリアはユウの後を追って飛び出していく。
ユウは持ち前の腕力で大剣をゴブリンに一振り。敵は真っ二つになった。対してフォリアは軽いフットワークで揺さぶりをかけ、敵が棍棒を大ぶりするのを待ち、出来た隙をついて急所に軽い一太刀。首を切り落とした。
師匠からみてもいい動きだった。二人の連携こそ取れていないものの、技術はピカイチだ。
「二人ともよくやったわ」
私は二人の頭を撫でる。
「こんなのやつら余裕ですよ」
「頑張りました! 」
「でも、次からは二人ともちゃんと連携を取ること。いいわね?」
洞窟内は複数体を相手取るため、連携が重要だ。
「だってよ。ユウ。勝手に突っ走らないでよね」
「フォリアが付いてくるのが遅いんだよ」
二人はにらみ合う。
「こら、けんかしない。ユウはちゃんとフォリアに確認をして、フォリアは頭で考えすぎないでユウに合わせなさい」
『はい』
そうは言うものの、二人の連携は正直心配していない。無茶をしがちなユウも一人じゃどうにもならない時にはフォリアを頼るし、フォリアもユウの動きはよく見ているし信頼も感じられる。むしろこの二人の武器はそれぞれの強さよりも、その阿吽の呼吸なのだ。
「それじゃ、行くわよ」
松明に火を点け、洞窟を進んでいく。ユウとフォリアは肩が触れる距離に身を寄せ合って私の前を進む。かわいいな。やはり怖いのだろう。それでいい。敵に恐怖しなくなった冒険者の寿命は長くない。
私を助けてくれたあのパーティーメンバーたちは怖くなかったのだろうか。私は敗北が確定したとき、怖くてどうしようもなかった。だから無様に逃げ帰ってきたわけだが、他のみんなは逃げる私をどう思っていたのだろう。腰抜けか、裏切り者。その辺だろうな。
「師匠」
ユウとフォリアは剣を抜く。前方にゴブリンが数匹。フォリアが少し前に出て、ユウがその斜め後ろに陣取っている。
やはり、二人の連携は完璧だな___。フォリアが敵を揺さぶり、ユウが大剣で一網打尽にする。言葉を交わしたのかは分からないが、狭い洞窟でお互いの長所を生かすための最善の方法を取った。見事なものだ。
だが___
「目の前の敵に気を取られすぎちゃだめよ」
そう言うと、二人は私の方を振り向き、ぎょっとする。そう、私の後ろにも十数匹のゴブリンがいる。囲まれたという訳だ。
「申し訳ありません。師匠」
フォリアが反省を述べる。
「おい! 謝るのは後だ! 何とかしないと!」
ユウがフォリアを叱責する。そうだフォリア。今すべきことは、この状況をどう打破することかを考えることだ。
「師匠、手伝っていただけませんか?」
フォリアが言う。
「私からもお願いします。師匠!」
ユウが追随する。
驚いた。二人で何とかしようとする方法を考えるかと思ったが、意外にもあっさりと助けを求めた。そんな二人を見て気づいた。この子たちは相棒が怪我しないために助けを求めているのだと。
師匠の私と稽古をつける際に、彼女らは絶対手加減をしない。勝てると思って打ち負かそうとしてくる。ユウもともかくフォリアもその傾向がある。なんだかんだで、自分の力を信じているのだ。そんな二人が自分の相方のために自分の力ではなく他者の力を頼る__。
私は昔のことが思い出された。昔の仲間と__そっくりだ。
「ま、いい勉強になったわね」
私は剣を抜き、後方のゴブリンを相手取る。
「こっちはやっておくから、二人はそっちね」
『はい!』
目の前のゴブリンにレイピアを向ける。相変わらず醜く、いやらしい目でこちらを見てくる。だが、平常心は保たれている。
私は後ろ足で地面を強く蹴り、的確に敵の急所を突いていった。
私は二人が戦闘を終えるのを待機していた。剣の先を布で拭く。
「ユウ! 今よ! 」
「おうよ! 」
フォリアの身のこなしでゴブリンをユウのリーチの中へ誘導し、一網打尽にする。深手を負った敵にフォリアがとどめを刺す。
「よし、終わり!」
ユウが叫ぶ。
「よし、じゃあ後ろのやつらを__」
フォリアとユウが頷き合い、こちらを向くが、すでに装備の再点検を行う私を見て、呆気に取られる。
「もう終わったかしら? 」
私は二人に少し意地悪く言った。師匠としての威厳は保てたかな。
「装備の再点検をしなさい。敵はまだまだいるわよ」
『はい! 』
二人は言われるがまま、迅速に作業を行った。
「ねえ、ユウ」
「なんだ」
「見た? あいつらの目」
作業しながらもユウに話しかけるフォリアを横目で見る。
「ああ、見たよ」
ユウは優しい声で答える。
「最悪だった」
「そうだな」
フォリアの声が震えているのが分かる。それをなだめるユウも、自分がしっかりせねばと気丈に振舞っているのが見て取れる。2人とも、ちゃんと怖かったのだ。それでいい。
「この依頼は思っているほど楽じゃないわ。どうする?」
点検を終えた二人に告げる。実際、ゴブリンらが挟み撃ちなど、簡単ながらも連携取っているあたり、シャーマンやロードなど、上位存在がいるのは確実だ。ゴブリンが指揮系統の下で行動するようになれば、その攻略の難易度は一気に上昇する。
初心者向けの依頼として受注したが、思いのほかゴブリンの規模が大きかったようだ。
「行きます」
フォリアが先に答えた。
「フォリアが行くなら、私も」
ユウがそれに呼応する。
「分かった。気合入れなさい」
『はい! 』
二人は腹を括ったようで、洞窟の先へ進んでいく。あれ以降襲撃はない。だが、私の勘が最大限の警戒を呼び掛けている。洞窟を進むと、二手に分かれていた。
「洞窟探検の鉄則は?」
私は二人に尋ねる。
「うーんと、何だっけ。思い出せない。えーと」
ユウが頭を抱える。
「空気の流れがある方に進む。ですよね?」
フォリアは余裕綽綽といった感じで答える。ユウはそうだったあ、と悔しがる。
「正解。この場合だと右ね」
空気は右側に流れている。出口はそちらにある。
「じゃあ、右に行くのですか?」
ユウが尋ねる。私は松明を消し、左へ進む。
「ゴブリン退治の場合は逆よ」
私は光魔法を光源に進んでいく。松明を消したのは、一酸化炭素中毒防止と、引火性のガスなどが噴き出ている可能性があるためだ。
「息は鼻で、細く吸いなさい。15分以内にさっきの道に戻るわ」
『はい』
私が指示する以前の段階で、二人は布を口元に当てていた。よし、教えたことはちゃんとできている。
道を進んでいくと、鼻につく嫌なにおいがする。血の匂いは慣れたものだが、それに混じって___。心配になり、二人の方を見る。彼女らも気づいているようで、次第に表情が堅くなってくる。
ゴブリンの討伐は難易度の割に報酬が高い。それでも多くの冒険者はそれを忌避する。その理由がこの先の開けた場所に広がっていた。
「うぷっ」
その光景を目にすると、ユウが耐えられず吐いた。フォリアは最初こそ耐えたものの、ユウの吐く姿に呼応して同じように胃の内容物を吐き出す。
懐かしいなあ、彼女らを見てそう思ってしまう自分に気づく。こんな光景、慣れちゃいけないはずなんだけどな。
そこには女性の下半身のみが散乱していた。
冒険者になって、最も凄惨な光景の一つとして挙げられるのが、これだ。これを見たくない冒険者が多いことで、ゴブリンの討伐は報酬が高く設定される。
「大丈夫?」
私は二人に尋ねる。まあ普通に考えて、大丈夫なはずはない。二人は目を逸らし、鼻をつまむ。五感の一つを捨てる。冒険者として、本来やってはいけない行為だが、今は彼女らを責める気にはならない。
気力が削がれ切った二人を尻目に、私は無残に散らばる死体の一つ一つを確認する。何匹ものゴブリンが、何度も愉しんだのが窺える。
ここには十数個の玩具が転がっている。ずっと冒険者をしていると、生物の筋肉の構造などが分かるようになってくる。人間も例外ではなく、体つきでその人の職業が分かったりする。
ここにある死体の多くは農民や商人などのいわゆる堅気の女の子だ。だが、それに混じって冒険者のものとみられる死体が三つある。
一つ目は分かりやすい。戦士職と思われる人の足だ。褐色で大腿四頭筋、ハムストリングス、ふくらはぎの筋肉がきれいに発達している。腐りかけてはいるが、彼女の鍛錬の形跡は命を奪われても残っている。
二つ目が魔法使いのものだ。恐らく攻撃魔法を得意とする赤魔術師だろう。攻撃を担当するだけあって、魔術師でありながら身体能力が求められる。強い攻撃魔法を使うのなら、それに応じた反動が来るし、常に敵の弱点を狙えるように戦闘中は移動しなければならない。
だが被弾をすることは少ないため、戦士職のそれと比べ、綺麗な肌をしている。魔術師と判断したのはこういう理由だ。
三つめのこれは、回復魔法が得意な白魔術師だろう。大抵が聖職者で、パーティーにおいては後衛で回復を始めとしたサポートを得意とするジョブだ。動きは少ないため、細いシルクのような足をしている。そしてこの死体に最も嫌なにおいがこびりついている。ゴブリンもまた色白の華奢な子が好きなのだろう。
この三つの死体は、腐敗の具合からみて恐らく同じパーティーだったのだろう。そして皆捕まり、同じように辱めを受けたということだ。仲が良かったのだろう、皆足首に同じミサンガを付けている。最近流行っている、冒険者の安全祈願のお守りのようなものだ。
「こんなこと、どうして」
ユウが呟く。
「奴らにとっての娯楽であり、憧れよ」
ゴブリンは知能の低い、乱暴者というイメージが先行しているが、実際はかなり社会的な生物である。食事はシャーマンやロードなどの上級ゴブリンが最優先、次に子供。大人の下級のゴブリンは食糧にありつけないことだってある。
そしてこの序列は、捕縛した人間に対しても適用される。
ゴブリンは他のメスの種族であれば、お構いなしに生殖行動を行う。他の人型のモンスターはもちろんのこと、家畜の牛からゴブリンが生まれることだってある。ゴブリンにメスはおらず、一律オスとなっている。とにかく多くの種を残す、それに特化したモンスターなのだ。
しかしながら、奴らは人間に対してだけ異常な執着を見せる。人間を捕縛すれば、ゴブリンはその群れのリーダーに渡すらしい。研究者の推測に過ぎないが。
その証拠として、家畜と交わるゴブリンは散見されるが、巣穴の外で女性が襲われたという報告が今のところない。
上位のゴブリンによって捕縛された女性たちは、ゴブリンを生むための装置と化す。故障すれば、装置はただの肉となり、ゴブリンにとっての食料となる。
しかし、人間に対して異常な執着を持つのは下級のゴブリンも同じである。人間とまぐわうことへの憧れか、奴らは栄養のある臓器を有する上半身だけを食べ、残った部分はただの___。
考えたくもないが、血にまじって吐き気を催す匂いが奴らの行った行為を証明している。
「行くわよ」
私は先導し、洞窟のより奥へと向かう。ここにいても精神が削られるだけだ。ユウとフォリアは死体に手を合わせ、私の後に続く。その目には恨みがあった。
正義を掲げてゴブリンを倒そうとする彼女たちが羨ましかった。仲間の屍を超えて生き残った私には、もう正義なんてない。
二人の正義を守らねば。私は誓い、暗闇を進んでいく。
また少し開けた場所に出る。空気はやはり淀んでいる。
「五分以内で、できそう?」
私は二人に尋ねた。その広場にはかなりの数のゴブリンがいる。統括するのは......三匹か
ゴブリン・シャーマン、ゴブリン・ヒーラー、ゴブリン・ロード。これは、本格的に高難度の依頼だな。しかし、役職付きのゴブリンは協力しないはずだ。違和感。この洞窟に入ってから、ずっと感じている。それに、誰かに見られているような気配もする。
「はい! やります」
ユウが答える。フォリアも頷く。
初陣ということを考慮すると無謀とも言える。が、能力は逆境によって開花するものだ。二人の将来性に期待し、ここは彼女らの意思を尊重しよう。
「分かった。さすがに数が多いから私も手伝うわ。二人はお互いの背中を守りなさい」
『はい!』
私は剣を抜き、最初に飛び出す。狙いは三匹の上級ゴブリンだ。頭がいなくなればゴブリンは統率力を失い、駆除は一気に楽になる。
まず私はシャーマンに切りかかった。しかしその剣はロードに防がれる。驚いた。私の剣を受け止めることが出来るとは。ロードはすぐに、私から離れる。するとシャーマンの氷魔法が飛んできた。
私はそれをひらりと躱し、懐に仕込んでおいたナイフをシャーマンに投げる。しかし、ヒーラーがシャーマンの身体を突き飛ばしたため、致命傷に至らない。
ロードが、シャーマンと私の間に入る。その後ろで、ヒーラーがシャーマンと自らの傷を癒している。割とぐっさり刺さっているはずだが、その傷の治りは早い。随分と魔力量があるのだなと驚いた。
この感覚......どこかで.........。
「うわっ!」
後ろを見ると、フォリアが尻もちをついていた。それを見たユウは剣を大きく振ってフォリアが体勢を立て直す時間を確保した。二人とも随分押されているようだ。
早く終わらせなければな。私は上級ゴブリン三匹に向き直った。役割分担がしっかりなされている三匹。最終的に力の差で倒せはするのだが、奴らの連携が手こずらせる。
人間を相手にしているようだった。お互いの短所を補完し合いながら、長所を押し付けていく。まるで、仲のいい人間のような......。
ぞっとする推察が頭にふと浮かんだ。あの死体、この連携が取れた三匹のゴブリン。
ゴブリンが積極的に人間、特に冒険者を襲う理由が、人間の性質をゴブリンに移すためだとしたら?
私はユウとフォリアの二人を見た。才能あふれる二人が、もしこいつらに捕まったりでもしたら......。
早くここから出なければ、私は敵に切りかかった。
駆け引きを無視して私はロードとの距離を詰め、強引に敵の剣ごと切った。ロードは倒れる。ヒーラーは残ったシャーマンに防御のバフをかける。だがそれは悪手だ。そのままのシャーマンを切る。これでも勇者だ。並大抵の防御魔法では、私の剣は防げない。
サポート役のヒーラーも、容易に首を切り落とした。
だが、冷静さを欠いた__。私は脇腹に一撃被弾してしまった。ヒーラーは防御をせずに、短剣で私を刺した。油断した、後衛でしかも魔法使いのヒーラーが、物理的に攻撃してくるとは思わなかった。
誰かの入れ知恵か?
「回復魔法」
不得手だが、初級の回復魔法を施しておく。このゴブリンは何かがおかしい。早く、二人を助けて体勢を立て直さねば。
二人の状況は芳しくなかった。ゴブリンの数はあまり減っていない。やはり、こいつらは強すぎる。
二人の援護のため、剣を再び握ろうとするが、剣は床に落ちた。金属がぶつかる音が洞窟に響く。
「あれ?」
屈んでもう一度剣を取ろうとするが、力が入らない。足の力も抜けてきて、歩行すら危うくなってくる。
「これは__毒?」
ゴブリンは武器に毒を塗ることも少なくない。しかし知識はないため、よく分からない毒を何種類も付けることもある。それが逆に一般人にとって解毒を難しくさせ、聖職者らに頼まないと命の危機となる。
しかし、ゴブリンが使用する毒は、基本的に微弱だ。それなりに経験を積んだ冒険者ならば、大した脅威にはならないはずだ。私も例に漏れず、低レベルの毒ならば影響はないはずなのだが__。
私の身体からは一気に汗が吹き出し、呼吸ができなくなる。まずい、二人の援護に回れない。死ぬことはないが、まともに体が動かない。
ふと昔のことが思い出された。私は傷口に手を当て、詠唱する。
「聖なる光」
すると、身体の毒は消えた。体力はだいぶ持ってかれたが、身体に力が入るようになった。毒に、闇が混ぜ込まれていた。こんなくどいことをする奴を私は一人しか知らない。
「聖なる大光」
私の光は辺りを照らした。すると壁の端に、黒いローブを被った人影が現れた。
やはりか。
魔族には珍しく搦め手が得意で、頭脳と狡猾さで四天王に成り上がった男__スライ・デビルだ。なぜこんな辺境の洞窟に奴がいるのかわからない。だが、このダンジョンに入ってからの違和感に、これですべて説明がつく。
やけに強いゴブリン、連携をとる上級のゴブリン、ゴブリン・ヒーラーの不意打ち、闇を含んだ毒。
変わらないな。お前は。
「久しぶりだな。スライ」
私はそのローブの人影に声を掛ける。
「お見事。さすがは勇者様だ」
奴は拍手をしながら言った。もちろん皮肉だ。私の仲間を皆殺しにしといて、それでも私を勇者と呼ぶ。
腹の中で憎悪が渦巻く。好都合だ。私のプライドや仲間を奪った憎き敵。ここで仇を討ってやる。
私の身体は考えるよりも先に、奴に飛びかかっていた。
「おっと」
スライはゴブリンを自分の目の前に集め、肉壁を築いた。私の剣は奴までは届かない。なるほど、あのやけに強いゴブリンはこいつが使役していたわけだ。
「ちっ」
私は何度も剣を振るが、いたずらにゴブリンの血が流れるだけで、埒が明かない。いったん距離を取り、息を整える。
「相変わらず血の気が多いですね。アーテ―さん」
奴のやけに落ち着いた声が癪に障る。
「口を閉じろ。魔族が、人間の言葉を使うんじゃねえ」
スライは魔族には珍しく、人間の言葉が扱える。
「言語は物事を平和に解決するための最も有効な手段ですよ。勇者殿」
黙れ__。私の仲間を殺しておいて、何が平和だ。こいつにとっての言葉は、対話のためではなく、敵を欺くための道具でしかない。
「師匠!」
ユウとフォリアが私のそばに寄ってくる。ゴブリンの肉の壁を奴が形成したため、ユウとフォリアは戦闘から解放された。
「驚きましたよ。あなたが弟子を取るとは。勇者様も丸くなりましたね」
「そんなことはどうでもいい。なぜお前がここにいる!」
私は怒号を飛ばす。
「私はゴブリンという種族に大きな可能性を感じておりましてね。彼らの頭として、運営を行っていたのです」
「ゴブリンになんの可能性が__」
魔族がゴブリンと共同で何かをするなど、前代未聞だ。オークですらゴブリンを下に見ているというのに、こいつが何を考えているのか一切分からない。
「ふふ、あなたも気づいているでしょう。ゴブリンの可能性を」
奴は私に同意を求めるように言った。確かに先ほどの推測が正しければ、ゴブリンはただの雑魚ではなくなる。
私は何も答えない。
「ま、いいでしょう。どちらにせよ、ここであなた達を倒さねばなりません。あなたもそこのお嬢さんも、まとめてゴブリンの繁殖母となって頂きましょう」
スライは指を鳴らす。すると下級のゴブリンが無から急に生み出された。これくらいの生物なら魔力で自由に生み出すことが出来る。昔と変わらない__相変わらず姑息な手が得意だな。
「師匠、ユウと私がこいつらの相手をします。師匠はあの魔族を」
「お願いします!師匠」
フォリアとユウがゴブリンに構える。
「分かったわ」
この短時間で随分成長したものだ。事態はかなり不利だが、この二人は私に全幅の信頼をおいてくれている。賢くて、強い子たちだな。私とは__全然違う。
スライはもう一度指を鳴らす。ゴブリンは一気に飛びかかってくる。ユウとフォリアはコミュニケーションを取りながら、一匹一匹確実に減らしていく。
私は勇者の紋章が入った装備を全て脱ぎ捨てる。うん__やはりこの方が私には合っている。初心者の二人の模範となるため、一応装備を付けていたのだが、正直堅苦しかった。
「そう来ると思いました。いざ」
スライは虚空から杖を取り出す。奴の武器だ。
奴は杖から、炎や氷など様々な魔法を繰り出す。私は後ろを逐一確認し、ユウとフォリアに流れ弾が当たらないように気を配る。
狭い洞窟で弾幕を張られる上、ゴブリンを使役してくるため距離を詰めるのが難しい。仕方ない。
「身体強化」
近接戦闘しか取り柄のない私だ。随分衰えてしまった。あの子らも立派になったことだし、今日で剣を握るのは最後にしよう。
「覚悟しろよ。スライ」
「望むところです」
バフをかけられた私の身体は、あの時と同じように動いた。止まった時もまた、動き出す。倒さなければならない憎き敵が目の前にいる。恨みが私を突き動かす。
しかし、なぜだろう。私は胸が高鳴るのを隠せないでいた。口角が自然と上がり、敵を切る感触がたまらない。
私の中に、恐怖という感情の欠片もなかった。
「随分と腕を上げたようですね、勇者殿」
スライは私に受けた傷を回復しながら言った。タイマンでは脅威ではないが、膨大な魔力量と防御技術がこいつの武器だ。魔物を使役し、その間に回復する。物量によって優位を取ることを得意とするタイプだ。
「お前が弱くなったんだよ」
私たちが現役のころは、ゴブリンどころではなく、ドラゴンを数体同時に使役するほどの実力者であった。パーティー全員が連携をとり、やっと一撃を与えられる。そんな敵だった。
「時の流れというのは、残酷なものですね」
「初めてお前と意見が合った」
そうだ。バフを受けているとはいえ、ゴブリンに手こずるほど、私は衰えた。技量もそして精神面でも、私はあの時と全く違う。
「だけどな、こうしてお前を殺せる機会を得た。苦しんだ甲斐があった」
剣に光属性のバフを掛ける。今度こそ、斬り伏せてやる。
「やれやれ、嫌われたものです」
スライは傷を治し終え、杖をこちらに向ける。
「ですが、こちらにも事情があります故」
攻撃を受け流すため、剣を構える。しかしスライが杖を向けた先は、私ではなかった。
「爆破魔法」
すると、私の後ろで爆発音がする。振り返ると、ユウとフォリアが対峙していたゴブリンが、衝撃とともに飛散する。衝撃が洞窟に響き、天井から砂が落ちる。
「きゃああ!」
ユウとフォリアは爆発をもろに受けた。四方を囲まれていたため、逃げ場はなかった。
私は二人に駆け寄り、回復魔法をかける。二人ともかなりの深手を負った。ユウは大やけどを負い、フォリアは剣を握らない方の腕の肘から先を失った。私の回復魔法では治せない。
私の心に、恐怖が舞い降りた。この二人を失うこと、それが何よりも怖かった。
「召喚魔法」
スライは杖で床を叩く。すると、ゴブリンが魔法陣からまた大量に生み出される。
「複製」
彼がもう一度、杖を叩くと、ゴブリンの数は倍増する。
おびただしい数のゴブリンに囲まれる。そしてそれらは、奴の詠唱次第で強力な爆弾と化す。
「し、師匠。逃げてください。ここは__あたしが」
「何言ってんのよユウ。私は片腕を失ったの__私が、残るから」
二人が言い合う。こんな時でもお互いのこと大事なのか。だけど__
「私が残る。二人は逃げなさい。逃げたら、ちゃんと教会に行って治してもらうのよ?」
私は二人の頭を撫でて言った。
「でも、いくら師匠でも、この数は__」
「そうですよ!無茶です」
ユウとフォリアは力強く反対するが、私は首を振る。
「大丈夫。私は勇者よ。必ず戻るから」
私はそう言って、二人を持ち上げ、入口の方へ投げつける。
二人は涙を浮かべこちらを見る。
「早く逃げなさい!」
彼女らは意を決したように二人で頷き合い、走っていった。数匹のゴブリンが追いかけるが、床に落ちていたユウの大剣を投げる。重い剣はゴブリンの身体を分裂させる。これで、二人が逃げる時間は稼げた。
これでいい。この瞬間、私は勇者でも師匠でもなくなった。ただの一人の冒険者だ。
「自己犠牲__勇者ですね」
二人を逃がす私を見てスライが言った。
「違う。二人の未来に懸けたんだ」
私は勇者を名乗れるほどの器じゃない。
「あなたのお仲間とそっくりですね」
スライの言葉にハッとする。
あの時のパーティ―メンバーはこんな気持ちだったのだろうか。大事な人に生きていてほしい。そのためなら自分が死ぬことだって怖くない。そうか___私は、愛されていたのだな。
「口が上手いな」
敵の言葉に救われる。情けないと思う一方で、あの時のことを覚えている唯一の存在なのだ。敵であり、仇であるが、私の過去を理解するたった一人の存在だ。
「先ほども申し上げましたが、言語は平和的解決の最も重要なツールですからね」
そう言ってスライは杖をこちらに向ける。ゴブリンも今か今かとこちらに飛びかかる機会をうかがっている。
「ですが、もう不要です。あなたをここで始末する。私の時間もまた、あの時から止まっていますから」
「ああ、そうだな」
剣を構え、睨み合う。私は周りのゴブリンには一切目もくれない。だが、スライは違う。ゴブリンを使役するため、そちらに一瞬視線を取られた。
お前も、衰えたな__
「聖なる光」
奴に光を浴びせる。不意を突かれたスライは、ゴブリンを一斉に爆破する。くそっ、やけになりやがって。これは__避けられない。
私の微弱な聖なる光でも魔族にとってはやはり嫌なようで、スライは横に横に回避する。しかし逃げた先に勇者の紋章が刻印された剣が投げられ、奴の首(人間で言う頸動脈だろうか)をざっくりと切った。
血が大きく吹き出す。スライは片膝をつき、自身の致命傷を悟った。奴の目の前に、爆発に巻き込まれ、同じように死を悟った私もいた。
「人間はいつも、我々の想像を超える」
スライが言った。
「ああ。人間はいつか、魔王を倒す」
私は嘲笑するように、スライに言った。
「だとしても、魔族にも、意地というものがありますから」
スライはよろめきながら杖をこちらに向ける。ああ、殺される。ごめんなユウ、フォリア。約束は守れそうもない。
「回復魔法」
魔術師の術は、私の生命力を死なない程度に復活させる。
「なぜ、こんな真似を__」
私は急激に楽になった身体に驚きながら言った。しかし戻ったのは生命力だけで、私の身体は動かない。片足が__ない。
「私も__未来に懸けたのですよ。人間に対抗し得る未来を__ね」
奴はにやりと笑い、その場に倒れ、息絶えた。紫色の血が未だに噴き出ている。
奴が息絶えると、杖が光り出し、魔法陣が形成される。
それは転移魔法陣だった。そこからは、大小や見た目がさまざまなゴブリンが出てくる。そいつらは私を見て、次にスライを見た。
彼らはスライを見ると、肩を落とし、手を合わせた。ゴブリンが死者を弔うなんて聞いたこともない。死ねば家族であろうが物のように扱う、それがこの種族のはずだ。
気づいた。こいつらは皆、上級のゴブリンだ。上級と下級のゴブリン、その差は人間から生まれたか否かにある。
人間が他の種族と一線を画す要素、思考力の部分を上級のゴブリンは受け継いでいるのだ。
こいつらとスライの関係性は一切分からない。唯一確定していることは、私が置かれているこの状況が絶望的だということだ。
私は這って、その場から逃げようとする。剣も魔力もなく、片足のない私にこいつらと戦える手段はない。
少しずつ、奴らと距離をとる。奴らはスライの死亡を嘆いている。今しかない。逃げないと。
しかし、直面したのは、紛れもない現実だった。数匹のゴブリンは私を囲っていた。
卑しい目つき、獣を感じさせる匂い。奴らは私の衣服を引きちぎる。
嫌だ__嫌だ__
あの冒険の時、好かれていたのは知っていたけど、私は純情を守った。一生をともにする人とだけ、そう決めていたから。
それが__こんなこと__。
一匹のゴブリンが、私の胸を鷲掴みにする。鋭い爪が突き刺さり、私は叫び声をあげる。すると
別のゴブリンが、その手を叩き落とし、何か言った。揉めているようだ。
一通り言い争った後、ゴブリンらは私の残った足を持って、転移魔法陣の方へ私を引きずり込もうとする。もっと上位のゴブリンに私を献上しようとしているのか。嫌だ。そんなことされるなら、ここで死んでやる。
「んぐっ」
私の口に、引き裂かれた衣類が詰め込まれた。それが猿轡となり、私の自殺を防ぐ。
ああ、死ぬことも許されないのか。これは__罰かな。好意を寄せてくれたパーティーメンバーとちゃんと向き合わなかった自分への。
ごめんね。今から報いを受けるから。
勇者は転移魔法陣へと引きずり込まれ、姿を消した。勇者職の冒険者がゴブリン退治のクエストで失踪。その噂は人々の笑いのネタにされた。だがそれは同時に、ゴブリンという弱者の、反撃の狼煙となった。
勇者は身籠り、ゴブリンを産んだ。その個体は近い将来、人間とその他の種族の勢力図を大きく塗り替える。
その個体はすべてのゴブリンを従え、こう呼ばれるようになる。
ゴブリン・ザ・ヒーロー