龍の棲む地
ドマーノ山の山頂は、頂上付近と北側が岩場になっている。南側の半面に広がる草原は斜面を下りながら周りを取り囲み、やがては中腹へと続く森に繋がっていた。
先導するように前を飛んでいたトカゲ型の真紅の龍が、ゆっくりと岩場へと降り立った。
うしろに続くのはヘビ型の二匹。深く濃い赤の龍と大人の背丈ほどの大きさの銀の龍は、先の火龍が着地するのを見届けてから降りていく。
フェイからずるりと降りたリーがそのまま座り込んだ。ミゼットが軽やかに降りるのを待ってから、フェイは人の姿へと変わる。火龍であるシラーは元のトカゲ型に戻り、姿を変えていないディリスはそのままリーを覗き込んだ。
「どうしたの?」
「いつものことだから気にしなくていい」
大丈夫だと口を開く前にフェイが答えてくれるが、素直に感謝する気にはなれなかったリーはとりあえずフェイを睨んでおく。
「入口は狭いが、中は掘ってあるから奥は広い」
気にした様子もなく続けるフェイ。視線の先の斜面には横穴があるが、確かにフェイやシラーがそのまま通り抜けるには穴が小さすぎるだろう。
「まぁ実際入ってみた方が早いな」
「ちょっと待って、フェイ。中腹からの道は確かエリアが視覚阻害をかけたのよね? いつのこと?」
思い出したように尋ねるミゼットに、シラーたちを促し歩き出そうとしていたフェイが振り返る。
「リーたちが初めてここに来た時だな」
「ならかけなおしてくるわね。昔のあの子の魔法、強い衝撃で解けてしまうのよねぇ」
戻るまで待っててねと言い残し、ミゼットは中腹への道がある草原側へと歩いていった。
動かなくなったリーを気にしつつも、リー自身の大丈夫との言葉に、ディリスとシラーはフェイに案内され横穴の中を見に行った。
ひとりになったリーは深呼吸を繰り返し、なんとか自身を落ち着かせていく。
少し先には中腹まで繋がる木々が見えた。中腹の開けた場所が南側であることに加え、北側は急斜面。そのお陰で山頂まで徒歩で登ることのできる場所が限られている。
以前から龍が棲むと知られているので、普通は誰も登ってこない。龍の鱗を狙う者もいないわけではないが、ここのように明らかに龍がいると知られている場所には保安も監視をつけているらしい。
元の場所より目立ちはするが、その分の安全も確保されている。火龍であるフェイが棲んでいたのだから、シラーにとっても問題ないはずだ。
気に入ってくれればいいけどと思いながら、リーは見るともなしに景色を見ていた。
葉擦れの音までは聞こえないが、吹き抜ける風が視線の先の木々の輪郭を揺らして通り過ぎていく。端の木が数本が焼けているの見て、フェイと出逢ってからもうすぐ一年になるのかと苦笑した。
あの時はもう一度会うどころか、こうしてともに旅するようになるとは思いもしなかった。
振り返れば長い一年。本当に色々あった。
あの時メルシナ村の依頼受けていなければ今頃どうしていただろうかなんて、もはや想像もつかない。
この一年の出逢いは、間違いなく自分のこの先をも大きく占める縁であるのだと。根拠のない確信とともに、それを得られたことをありがたく思う。
はにかみ微笑む面影に抱く想いもまた、一年前の自分では考えられなかったもので。
そんなこそばゆい想いを向けることも向けられることも未だ照れくさくはあるが、もう既に手放せないものとなってしまっている。
変わるものだと苦笑いながらも。
変われたことを嬉しく思った。
暫くしてフェイたちが戻ってきた。
「リーはもう大丈夫なの?」
まっすぐ飛んできたディリスに頷いて、心配をかけたことを謝るリー。
忙しなく尻尾を動かす様子からは、少し興奮していることが見て取れる。
「中はどうだった?」
「いろんなとこが繋がってて楽しかった!」
居心地や広さについて聞いたつもりが、予想外の返答にリーはなんのことかとフェイを見上げた。
「中、どうなってんだよ?」
「どうも何も。三層くらい下に掘ってあるだけだ」
「三層?」
てっきり中はひとつかふたつ部屋のような場所があるだけだと思っていたリー。うしろからやってきたシラーへと視線を向けると、その通りだと頷かれる。
「迷い道のようだったね」
「この間、カルフシャークとユーディラルと一緒に掘ったんだ」
「こないだって、戦い方を教えた時だよな」
護り龍であるため戦うことができないウェルトナックに代わり、フェイが子龍たちに戦い方を教えた場所はここドマーノ山であったが。
「ああ。適当な的がなくてな」
一体何をしてるんだと言いたげなリーに、悪びれもせずフェイが返す。
「そんなに穴空けて大丈夫かよ」
「チェドラームトの確認と補強済みだから問題ない」
いつの間に、とジト目で睨むリー。もちろんフェイが動じるわけもないので、仕方なく溜息をつき切り替えた。
「それで。どうする? ここでいいか?」
シラーとディリスに尋ねると、シラーは期待の眼差しを向けるディリスに笑みを見せる。
「ああ。ディリスも気に入ったようだし、フェイさえいいならここを使わせてもらうよ」
「ここなら寒くないよね」
ディリスが嬉しそうにシラーの下へと向かう。自分が何をしたわけでもないが、それでも無事に依頼を果たせたと、リーも安堵を浮かべた。
割板代わりの書面を渡され、依頼は完了となった。
中腹へ向かったミゼットはまだ帰ってきていないので、その間に以前棲んでいた場所について聞きたいことがあるのだとシラーに告げる。
自分が答えている間に周囲の留意点をディリスに伝えるようにフェイに頼み、シラーは人へと姿を変えてリーの前に座った。
「以前、というのはヴォーディスに棲んでいた時のことかな」
そう切り出してくれたシラーに、リーはその近くに反組合に協力していた漁村があり、海運で人や資材を運搬していたことを話す。
「何か見てないか聞いてこいって言われて」
「あまり役に立てそうにはないが……」
そう言いながらも、シラーが話し始めた。
「元々私はヴォーディスの南側に棲んでいたんだが、七十年くらい前に北側に移動したんだよ」
「それがあの場所?」
「そう。それまであの場所には風龍が棲んでいてね。長く棲んでいた彼なら変化にも気付いていたかもしれないが……」
その龍はどうしたのかと聞きかけて、懐かしむようなシラーの表情に言葉を呑む。
「龍の最期については知っているかい?」
しかし疑問は顔に出てしまっていたのだろう。唐突な問いに、気取られたかと思いながらリーは頷いた。
レジア村の護り龍、ヤシューエントとサルフィエールの依頼を受けた際に、龍の子孫の残し方について聞いている。
「……番でない龍は、最期に卵を残すって」
声に出して答えてから、シラーがなぜそれを確認したのかに気付いた。
「ディリスは……」
「そう。そこにあった卵だよ」
皆まで言う前に肯定される。
「とはいえ、生まれるものに引き継がれるのは力と僅かな気配の名残のみ。ディリスは彼とは別の龍だけどね」
人が子を産むのと変わらないのだと、慈しむような笑みを見せるシラー。
寿命はあと二百年ほどと言っていた。それを迎えればシラーもまた、ひとつの卵を残して逝くのだろうか。
何も言えなくなったリーに、シラーは穏やかに続ける。
「初めの頃は漁をする船を見かける程度だったんだが、二十数年前から漁ではなく行き来する船が頻繁になってきてね。次第にその中にエルフに連なるものが増えてきたんだよ」
リーには容姿から判断することはできないが、魔力を感知できる龍ならばエルフと同じようにハーフエルフを見分けることも容易いのだろう。
「向こうにもこちらの気配がわかるものもいるようだし、魔力が高ければこちらも感じるからね。あの場所を離れたのはそれが煩わしくなったのもあるが、ディリスもまだ子龍だから」
草原の方へと行って姿の見えないディリスを追うように視線を向けるシラー。
彼が亡きあと残されるのは、ディリスと卵。ハーフエルフに勘付かれている棲処に残すには不安が勝ったに違いない。
実際あの海域を通っていたのは反組合に与するものたちで。幼い龍しかいないと知られれば、何らかの目的で狙われた可能性は十分にある。
人の悪意も見抜くという龍の眼。もしかしたらこの先の危険を察知したのかもしれない。
移動先はシラーにとって快適な地ではなかったかもしれないが、ふたりが巻き込まれずに済んでよかったと、リーは心から思った。
「話が逸れてしまったね。だが私にわかるのはそれくらいかな」
視線を戻して切り替えるようにそう告げるシラー。
色は違えどウェルトナックやチェドラームトと同じくこちらを見守る瞳に混ざる謝意がこそばゆく、リーははぐらかすように質問を口にする。
「エルフの魔力は個人の区別がつくって聞いてるんだけど……」
言葉を切り、シラーが頷くのを確認してから。
「通ってた中で、覚えてる魔力はある?」
重ねた問いに、シラーは静かに首を振った。