シラーという火龍
ラミエを送ってから宿へと戻ろうとした途中で待ち構えていたフェイに捕まり、案の定明日の朝の出発を告げられたリー。そこまでは予想していたのだが、翌朝フェイとともに待っていた人物はさすがに予想外であった。
「今回、私はあくまで同行員だからよろしくねぇ」
主導権を握るつもりはないと笑うのは、紫銀の髪のエルフ。
「ミゼットさんが……?」
ただ道中の視覚阻害をかけるだけにしてはあり得ない人選に、ディリスたちをドマーノ山へと案内するだけではなかったのかと警戒するものの。
「ラミエじゃなくてごめんねぇ。もうひとりと面識があるから私なのよ」
尤もといえば尤もな理由を述べられ、とりあえずリーは納得した。
視覚阻害をかけられ、おそらくいつまで経っても慣れることなどないだろうと思いながら、フェイの背に乗る。
目的地は白の一番より北西の海岸寄り。東西に延びる一番街道の北側は、西部はヴォーディスに続く森だが、東部は岩場の崖が多いという。
年始に組織長のレジストとともに反組合の拠点を探すために調査をしていた際に、ディリスたちの棲処を見つけたと語るミゼット。
「その時話したのは火龍の方なんだけど。もうひとりいるのはわかってたのよねぇ」
もちろん移動しながらの説明なのでほとんど頭に入ってはこないが、ミゼットがシラーと呼ばれていた火龍と面識があることだけは、リーもなんとか理解した。
フェイが降り立った場所は海岸から少し離れた岩場だった。目の前の海に背を向けるような傾斜には、自然にできた様子の岩の裂け目がある。海風に湿る岩で足場も悪く、地上からではかなり過酷な道を辿らねばならないと見て取れた。
早々に下を見るのをやめたリーは、戸惑うことなく進むミゼットについていく。
空から来たお陰で裂け目まではほんの少し登るだけで済むが、足元は滑る。それでも足を取られることなく歩いているということは、やはりヴィズ同様ミゼットも請負人であるのだろう。
裂け目の入口に到達したところで、奥からディリスが男の手を引いて出てきた。
深い赤の髪と瞳の男。多少しわのある顔とその眼差しに、重ねられた年月を感じられた。
男は穏やかに笑い、頭を下げる。
「こんなところまですまないね」
「いえ。こちらこそ先日はありがとうございました」
にこやかに返したミゼットがリーを一瞥した。
「この先は依頼を受けたこの者が案内しますね」
「ディリスから話は聞いているよ。私のことはシラーと。リーと呼ばせてもらえばいいかい?」
リーが名乗るよりも早く、そう言い微笑むシラー。
本名を名乗らねばと口を開きかけたリーは、自分を見るシラーの表情に思い直す。
「はい。よろしくお願いします」
人の姿をしていても、その眼差しは龍のもので。ミゼットの手前、自分から名乗らなくていいように気遣ってくれたのだろう。
シラーが僅かに口角を上げたことで、リーは己の判断が間違っていなかったのだと知った。
「突然ディリスが押しかけて驚いただろう。迷惑をかけてすまなかったね」
自分のうしろに半分隠れるような位置で成り行きを見ていたディリスの肩に手を置いて、シラーがそう謝る。
「以前フェイが君の言葉を伝えたことがあっただろう? あの時に、ディリスに愛子の話をしたんだよ」
龍は種族間でその声を届けることができるが、その声はすべての龍に筒抜けだという。
アディーリア―――アリアが誘拐騒動に巻き込まれた時、取り乱す彼女を落ち着かせるために、フェイに自分の代わりに話してもらったことがあった。
同時に騒がせた詫びと本名と自分がアディーリアの片割れであることを告げてもらったのだが、アディーリアが黄金龍と知る龍たちからは、片割れの自分は愛子であるかもしれないとの予測がついたらしい。
今は落ち着いたものの、請負人組織にも自分見たさの依頼があると聞いていた。
「あの時はお騒がせしてすみません」
「いやいや、私もまさかこんなことになるとは思わず、ディリスにリーのことを愛子かもしれないと話してしまったんだよ」
謝るリーに、シラーもすまなそうに続ける。
「このお嬢さんたちが来た時に、リーが請負人だと知ってね。それで請負人の本部に行けば会えると思ったらしいんだ」
(お嬢さん……)
エルフより遥かに長命の龍からすれば、ミゼットもまた「お嬢さん」なのかもしれないが。
顔を見ると妙な圧を感じそうなので、リーはミゼットの方は見ないと心に決めた。
「ディリスなりに私を心配しての行動なんだ。どうか許してやってほしい」
「許すも何も……」
昨日のディリスの必死さは、すべてシラーを思ってのもの。責めることなど何ひとつない。
「ディリス。お前もちゃんと謝るんだ」
なんと言えばと迷っているうちに、シラーがディリスを前へと押し出した。
「……ごめんなさい」
「いや、だから謝る必要ないから」
頭を下げようとするディリスを慌てて止め、リーは見上げる銀の瞳に笑いかける。
「俺は単にディリスの力になりたいって思っただけだって」
「リー……」
少し気落ちしたような表情をしていたディリスが、ようやくその緊張を和らげた。
「ありがとう」
自然と零れたとわかる、柔らかな声。隣のシラーを見上げ、ディリスははにかんで笑った。
「もう見つかったって本当? 俺が頼んだの昨日だよね」
一通りのやり取りを終えほっとしたのか、ディリスが聞いてくる。
初めて会ったときの突っかかるような態度はなく、やはり元々はおとなしい性格のようだとリーは改めて思う。
「聞いてなかったのか?」
昨日はフェイがここまで送ってきたのだから、てっきり話は通っているとばかり思っていたのだが。隣のシラーも様子からも、これからどこへ向かうかは聞いていないようで。どうして話していないのかとフェイを見るが、いつも通りの顔のままだ。
単に面倒くさがっただけか。それともあくまで自分が請負人として受けた依頼であるからこちらに任せてくれたつもりなのか。
「俺が探したわけじゃなくて。偉そうに言っといてごめんな」
おそらく前者だろうと思いながら、リーはきょとんとするディリスにそう詫びる。
「そうなんだ?」
「だから礼ならフェイに」
「フェイに?」
頷いてから、改めてシラーに向き合う。
「ひとつ確認しておきたいのですが」
「言葉は崩してもらって構わないよ」
先程のディリスとのやりとりで普段の口調を気取られたようで、本題に入る前にそう許される。相手が龍である時点で取り繕う意味はないのだが、それでも面と向かって許可が下りるとこちらとしても崩しやすい。
頷いて、リーは続けた。
「ディリスもフェイもここはシラーにとっては寒すぎるって言ってる。でもシラーは平気だって言ったんだよな?」
「そうだね」
「離れたくない理由があるのか、シラーの気持ちを聞いておきたくて」
ディリスを気遣っての発言、もしくは本当に平気であったのなら、ここを離れることに異論はないかもしれない。しかしここに留まりたい理由があるのなら話は変わってくる。
自分はディリスからの話しか知らない。シラーがどう思っているのかを確かめておくべきだと思ったのだ。
シラーは考える素振りすら見せず、それはないと即答した。
「君にどう見えているかはわからないが、私はもう高齢でね。精々あと二百年だからと思うと、正直新しい棲処を探すのは億劫だったんだよ」
わかりやすく表情を曇らせるディリス。宥めるように頭を撫でるシラーの眼差しは、慈しみ守るもののそれで。
「なのでディリスが不自由なく暮らせるのなら、それでよかったんだが」
「だからってシラーが我慢することないよ……」
「ああ。心配をかけてすまなかったね」
拗ねた口振りにそう謝ってから、シラーはもう一度ディリスの頭を撫でる。ようやく安心したように、ディリスも銀の瞳を細めた。
ウェルトナックとフェイを彷彿させるふたりの距離感に、リーも自ずと和らぐ。
司るものが違っても親子と変わらぬ情がそこにあることが、なんだか嬉しかった。