無償の愛
食堂を出た一行。いつものようにリーはラミエを送るために組織の敷地内へとついていく。
寮の前で双子たち四人と別れ、リーとラミエはどちらからともなく手を繋いで歩き出した。
「……あのさ」
いつもはラミエに合わせる歩調を更に落とすリー。気付いたラミエと目が合うと、少しきまりが悪そうに苦笑する。
「昔のことだけど。話していい?」
食堂ではエリアたちの手前濁した養成所時代のこと。ラミエにまで黙っているのはどうかと思い、話そうと決めた。
今思えば、あの頃の自分はまったく皆を見ようとせず、歩み寄ろうとさえしなかった。ルークが自分に苛立ちを感じるのも仕方のないことだったのかもしれない。
「俺が請負人でいられるのはアーキスのお陰だけど。あいつとのことがなかったら、俺もあのままだったかもしんねぇし」
今はなんの軋轢もないのだと強調した上で養成所時代のことを語ったリー。聞き終えるまでは相槌を打つだけに留めていたラミエは、苦い笑みのままのリーをじっと見つめる。
「まぁあいつも大概だったからお互い様だな」
「そうなんだね」
覗き込むような青い瞳には自身の後悔も見透かされていそうで、リーは頷く代わりにラミエの手を引いた。肩がぶつかったところで手を放し、反対側の肩を抱き寄せる。
柄でもないし少々歩きにくいが、情けない顔を見られるよりはいいと思った。
居住地区の手前まで来たところで、リーはラミエを解放した。ここからは家々が立ち並ぶ場所、あまり見られて恥ずかしいことはできない。
家の前まで来たところで、ラミエが申し訳なさそうにリーの袖をつまんだ。
「母さんにいつでもいいからリーを連れてこいって言われてるんだけど……。来てもらってもいい?」
「俺を?」
ラミエも理由は聞いていないという。
もちろん行かぬわけにはいかないリーは、表面上は平静を装い頷いた。
ただいま、と入っていくラミエに続き家に入ると、相変わらずの圧でセインが出迎える。
「お、お邪魔します……」
「もう、父さん! やめてよ」
セインをひと睨みして制止するラミエ。
「リーは母さんが呼んでるから来てくれただけなのに」
「そうですよ、あなた」
セインの背後から、そう言いながら女が姿を現した。エルフの特徴である長い耳に、赤みがかった金の髪と濃い金色の瞳。歳はまだ二十代にしか見えない。
振り返ったセインへと、女はカレナそっくりの笑みを向けた。整いすぎた微笑みは見惚れる前に動けなくなるのだと、リーは改めて思い知る。
「もういい加減にしてくださいね? あなたが原因でリーに逃げられたら、ラミエに一生恨まれますよ」
「母さん!!」
顔を真っ赤にして叫ぶラミエと、何も言えずに固まるリー。凍える眼差しの妻から目を逸らしたセインは、わかりやすいふたりに苦笑を見せた。
「ミルフェに言われるまでもなく。私だってリーの為人はわかっているつもりですよ」
「ならラミエに嫌われる前にやめてくださいね。リー、ラミエ、奥で少し話をさせてね」
間髪入れずに言い切って、ミルフェはリーたちを奥へと招いた。
「いつもうちの人がごめんなさいね」
座るよう勧めながら謝るミルフェ。ラミエとの交際を報告しに行った時はただセインのうしろでにこやかに佇んでおり、合の月にバドックに行く際に送り迎えをした時も穏やかに礼を言われただけだったのだが。
外からは見えない力関係を見てしまったようで、少し、否、かなり居心地が悪い。次にセインとふたりで顔を合わせるのが気まずそうだと考えていると、一度部屋を出ていたミルフェがグラスを持って戻ってきた。リーとラミエの前にグラスを置き、向かいに座る。
お茶を淹れると長くなりそうだから代わりにと言われて出された淡い蜜色の飲み物からは、ほんのりと花の香りがした。
「リーに伝えておこうと思って」
柔和な笑みをふたりに向けて、ミルフェが切り出した。
「お姉さんのシエラさんからよろしくと言われているの。何かあれば遠慮なくうちを頼ってね」
「え……?」
出てきた名とその内容に驚くリー。
「母さん、シエラさんのこと知ってるの?」
慌てて尋ねるラミエに、もちろんとミルフェが微笑む。
「ラミエがお邪魔しに行く時にちゃんと手紙を出しているわよ」
顔を見合わせるリーとラミエ。
確かに考えてみると別段おかしな話でもないが、シエラも何も言わなかったこともあり、思い至りもしなかった。
「シエラさん、リーの仕事のことは何の力にもなれないからって心配しているのよ」
「姉貴が……」
心配をかけているだろうとは思っていたが、こうして改めて言葉にされると申し訳なさとありがたさを痛切に感じる。
続く言葉が出ないリーにミルフェが向けるのは母の顔で。外見は二十代後半にしか見えなくても、そこには百年をゆうに超える年月とふたりの子を育て上げた経験が刻まれていた。
「あなたは少し特殊な立場でしょうから、私たちにも話せないことがあるかもしれないし、私たちにもあなたに話せないことがあるかもしれない。それでも、できる限りの力になるわ」
私も組織の職員だからと付け足すミルフェが、少し困ったような色を浮かべる。
「……こんなことを言ったらあなたを縛ることになるかもしれないと思っていたのだけれど。シエラさんがね、あなたがほかの人を見ることはないからって」
初めは怪訝そうな顔付きだったリーが、はっと瞠目した。
「そんなことっっ」
思わず立ち上がりそうなくらいに身を乗り出してから、我に返って座り直す。
「……当たり前、です」
恥ずかしそうに声を落とすリーと、隣でどこか嬉しそうに頬を染めるラミエを見比べ、ミルフェは辞色を和らげた。
「むしろラミエに愛想を尽かされるんじゃないかなんて言うものだから。それこそありえないって答えておいたわ」
「母さん……」
今度はラミエがはじらう番だった。
照れ合うふたりを微笑ましげに見つめてから、ミルフェは続ける。
「セインも私も力になりたいと思っているってことを伝えたかったの」
声音からも眼差しからも感じられる、慈しみ見守る心。兄姉たちから向けられていたそれを、今目の前のミルフェに見ることができる。
感じるのは、くすぐったいような気恥ずかしさと、それを上回る嬉しさ。
「ありがとうございます……」
受け取っていいのだろうかと思いながら、リーはミルフェに頭を下げた。
見送るから、と家の前まで出てきてくれたラミエ。
「なんだか恥ずかしかったね」
はにかんで告げるラミエに、リーも素直に頷く。
「嬉しかった、けどな」
どこかフワフワしたままなのは、ラミエといるからというだけではなく。
今まで兄姉たちの向こうに見えていた親というものを、初めて目の前に感じたからなのかもしれない。
尤もこんなことはラミエにも言えそうにないが。
「……姉貴、なんだかんだでやっぱ俺のことわかってんだよな」
だから代わりに明かす、もうひとつの気持ち。
「姉貴の言う通り、だから」
ラミエの手を取り握りしめてそう呟く。
意味を理解したラミエがわかりやすく頬を染めた。少し瞳を潤ませて頷く姿がいとおしく、本当なら抱きしめて思いの丈をぶつけたいが、さすがにラミエの自宅の前でそれはできない。
見つめ合い、微笑み合って。握り返される手にラミエも同じ気持ちなのだと感じながら。
「……行ってくるよ。多分今回はそんなに長くはならないと思う」
「うん。いってらっしゃい、気をつけてね」
いつも通り、小さな約束を交わした。