食堂の騒動
マルクとの面会を終えたリーは、その足で食堂へと向かう。
自身の出発はディリスを送ったフェイが戻ってきたら。フェイが向かったのは北西の果てだが、龍にとってはもちろんなんてことのない距離。要するに、明日行けということだ。
旅回るのは請負人である以上仕方ないが、せめて一日くらいは滞在したかったと落胆する。今日ラミエに会えなければ、このまま顔も見ずに出発することになってしまう。
途中通った受付にはもうエリアの姿はなかったので、エリアからラミエに自分の帰還が知らされていることを願いつつ食堂の扉を開けかけた、その時。
「何も知らねぇくせに僻んでんじゃねぇっっ!!」
耳に飛び込むどころか突き抜ける、聞き覚えのある大音響の怒鳴り声。
開けかけた手を引っ込めようかと本気で悩んだリーは、それでも中にラミエがいるかもしれないのでそっと扉を開けた。
店内を見回すまでもなく目立つ集団が奥にいた。立ち上がる三人と、隣の席との間に立ち塞がるひとり。背に庇われるのはラミエとリリックとコルンに、いち早くこちらに気付いて呑気に手を振るエリアと、我関せずで食べ続けるティナの五人。
見ただけで状況はわかった。
わからないのは、なぜ間に入っているのがあの男なのかということだけ。
絡まれているのがラミエたちなのでもちろん収めには行くが。
考えずともわかるその後の面倒臭さに、リーは溜息をついた。
どうしてこんなことに、と。自分たちと隣席の間に立ってくれている男を見上げながら、ラミエはうろたえる。
朝、フェイから今日リーが戻るだろうと聞いて、一日浮かれながら、でもきちんと終えられるように仕事をした。
フェイは夕食には来ないと聞いたが、リーが来る以上行かないという選択肢は自分にはない。自分とリーが恋人同士だということは知られているし、食堂には姉のカレナもいる。滅多なことにはならないだろうと思っていたのだが。
エリアとティナ、そしてリリックとコルンの五人で席に着くと、いつも以上に視線が刺さる。あからさまな者にはカレナが給仕の合間に釘を刺してくれているものの、もちろんつきっきりというわけにはいかない。単独の客はカウンターか入り口付近の小さなテーブルに案内されるが、三人以上だと店の奥の大きなテーブルになる。真横のテーブルへ客を案内するのもギリギリまで後回しにしてくれていたのだが、結局はリーが来る前に隣席が埋まってしまった。
案の定、とでもいうのだろうか。カレナが奥へと入っている隙に、隣のテーブルの男たちに声をかけられた。
いくら「連れを待っている」と言っても引かぬ三人。半ば強引にテーブルを寄せようとしたところで、いい加減にしろとの声が店内に響き渡った。
入り口付近に座っていた声の主は、そのまま立ち上がりズカズカとこちらへ向かってくる。二十歳過ぎくらいの金の短髪に深い碧の瞳の男は、そのままテーブルの間に割り込んだ。
「見苦しいからやめろ。連れがいるっつってんだろ」
声は大きいが、まだ怒鳴りつけるというほどきつくはない。遮られた三人は怯む様子もなく睨み返す。
「なんだよてめぇ」
「割り込むんじゃねぇよ」
滲み出す剣呑な雰囲気に、ラミエが立ち上がりかけたところを、慌ててやってきたカレナに止められた。知り合いでもない男に任せていいのかとうろたえながらも、場を収める方法がわからぬままでは口も挟めず。そもそも男がどうして自分たちを助けようとしてくれているのかも皆目見当がつかない。
「カッコつけやがって。お前には関係ないだろ」
店員であるカレナの姿に少し冷静さを取り戻したのだろうか、声音は僅かに落ち着いたものの、三人の睨めつける眼差しは変わらない。ピリリと張り詰める空気の中、金髪の男がフンと鼻を鳴らした。
「俺には関係なくても、この人たちは俺の同期の大事な人だ。見過ごせねぇな」
その言葉に、ラミエはようやく自分と男との繋がりを知る。
(……この人、リーの同期なんだ……)
やっと理由がわかり安堵したのも束の間。
三人もリーのことは知っていたようで、またあからさまに不快感を見せた。
「……お前、あの男の仲間か」
「仲間じゃねぇっっ」
今までで一番の音量で全力否定する男。
ラミエはもちろん、三人もわけがわからず男を見返す。
「……いや、お前あの男の同期なんだろ?」
「同期なだけだ! 誰があんなヤツと……」
ぶつくさ言う長身の男をきょとんと見上げるラミエ。
暫く呆気にとられていた三人が、我に返りそれならと告げる。
「お前もあの男が嫌いなら、ちょっと手を組まねぇか?」
「そうそう、あいつチビのくせにいっつも女侍らせて生意気なんだよ」
あまりの言いように立ち上がりかけたラミエを再びカレナが止め、大丈夫だというように小さく頷いた。カレナの視線を追うように男を見ると、下ろした両手をぐっと握りしめている。
「……お前らがあいつの何を知ってるって?」
ぼそりと低く呟く男。先程よりも明らかに鋭くなった眼光に、男たちが思わずたじろいだ。
「あいつは確かにチビだが実力も根性もそこらのやつとは比べもんにならねぇんだ」
バンッと男たちのテーブルを拳で叩く。
「何も知らねぇくせに僻んでんじゃねぇっっ!!」
ほかの客までもが動きを止め、ティナの咀嚼音だけが響く店内。
入口の扉が開くなりにんまり笑ってエリアが手を振った。
「リー、おつかれ〜」
場の全員の視線が集まる中、苦笑い半分呆れ半分の表情で歩き出すリー。そのまま奥へと進み、テーブルの間に立ち尽くして自分を見る長身の男を半眼で見返す。
「何やってんだよお前」
睨み返して答えない男に溜息をついて、リーは視線を三人に移した。
「言いたいことがあるなら直接俺に言え。店と客に迷惑かけんな」
語り口は穏やかでも、その声は怒気を含む。
「なんなら今から相手してやるから表出ろ」
「何―――」
「はい、もうそこまで」
言い返そうとした三人を、パンと手を鳴らしてカレナが止めた。
「私も仕事にならないから、これで収めてくれる? あと―――」
向けられた極上の笑みにのぼせかけた男たちが、次の瞬間凍りつく。
「私の大事な妹たちと仲良くなりたいなら、もうちょっといい手を考えることね」
笑みは変わらない。しかし傍から見ているだけのリーでさえ喉元に手を掛けられたような悪寒を感じるのだ、向けられた男たちの恐怖は想像に難くない。
そそくさと出ようとした男たちにまだ提供されていない注文分の食事代をきっちりと払わせたカレナは、今回だけは届けてあげるから宿で待っているようにと告げて男たちを追い出した。
「あなたはどうする? ここに座る?」
空いた隣のテーブルを示すカレナに、男は即座に首を振る。
「なんで俺がこいつとっっ」
「あ、おい!」
元の席に戻ろうとする男を呼び止めるリー。
「助かった。悪かったな」
苦笑しながら素直ではない礼を言うと、男は途端に不快そうに眉を寄せた。
「別にお前に礼を言われることじゃねぇ。俺はただあいつらがうるさくて腹が立っただけだ」
リーを睨みつけたまま、ぼそりと男が呟く。
「大体! 元はといえばお前が相変わらず妙な目立ち方しやがるから周りが迷惑するんだろうが!」
言いがかりに近い物言いに、リーもまた不服そうに眉を顰める。
「俺のせいじゃねぇだろ」
「いいや。お前のせいだ」
「なんでだよ」
「目立つなら目立つできっちり力の差をわからせておけ! そしたらあんな馬鹿も出てこねぇんだっ」
「なぁに? 今度はあなたたちが騒ぐつもり?」
次第に大きくなる両者の声に、呆れたようにカレナが割って入った。
微笑んでいるが微笑んでいないその顔に、リーも男もさっと口を噤む。
はっとしたように、ラミエが今度こそ立ち上がった。
「あのっ、……どうもありがとう」
「助かりました」
「ありがとうございます」
「ありがとね〜」
ティナ以外の四人から口々に礼を言われた男は、そのままぎこちなく背を向け離れていく。
無言でそれを一瞥してから嘆息し、リーはラミエの隣に座った。