依頼主
依頼主は既に待っているということで、リーは結局そのままフェイに連れられて百番案件用の部屋へと向かうことになった。
「トマルさんは?」
もちろんフェイも龍であるのだからおかしくはないのだが、百番案件の担当はトマルだとばかり思っていたリー。何気なくそう尋ねると、出ているんだと返ってくる。
「詳しいことはあとで副長に聞いてくれ」
「あとって……」
「このあと、だ」
つまりこのあと組織副長のマルクに呼び出されるのだと察し、リーは嘆息した。
本部内の階段を降りて向かうのは、百番の番号札のかかった突き当たりの扉。合図もなしに開け放ったフェイは、リーに入れと顎で示す。
入ってすぐの部屋にはテーブルと椅子が四脚。向かい合って座るふたりは既にこちらを見ていた。
さらりとした紫銀の髪に金の瞳の女と、銀髪銀目の少年。女の方はもちろん知っているが、向かいの少年は初めて見る顔だ。
十五歳前後だろうか、じっとこちらを窺う様子の少年からは、敵意はないが見定めようとする意図を感じられる。
ズカズカと部屋に入っていったフェイは、女に向けて交代だと告げた。
「副長のところへ」
「了解。久し振りだね、リー」
こちらを見てニンマリと笑みを見せるのは、組織職員で風龍のネル。
「久し振り」
本来銀を纏うネルがここにいることで、同じく銀色の少年の正体を確信する。
百番案件は龍に関わる依頼。
要するに、龍からの依頼であるのだから。
「じゃああたしはこれで。早く帰ってあげなよ?」
後半は少年に向けてそう言って、ネルが椅子から立ち上がった。
「わかってるよ」
不貞腐れた様子でネルを見上げてそう答えてから、少年は再びリーへと視線を戻した。
少年と向き合う形でリーとフェイが並んで座ると、突然少年が立ち上がった。
「お前がリーシュだなっ」
「いいから座れ」
いきなり名乗ってもいない本名で呼ばれて少々カチンときたので、応えずにそう返す。
少年は明らかに不服そうな顔をしていたが、何も言わずにおとなしく座り直した。
「確かに俺はリーシュだけど、ここではリーで登録されてんだ。呼ぶならリーと呼んでくれ」
「わかった」
言動の割には素直な様子の少年に、リーはおそらく緊張しているか警戒しているかどちらかだろうなと予想する。
「で。お前は?」
どうせ相手は龍なので取り繕ってもバレているだろうし、何よりも今更丁寧な対応などする気にもなれなかったので、リーは同期やフェイたちを相手にするくらい態度を崩して聞き返した。
「おっ、俺はヒス……ディリス」
何やら言いかけたのは気にしないでおく。
「ここに来れば頼みを聞いてくれるんだよなっ?」
「ここに通されたってことは、組織もそのつもりなんだと思うけどさ……」
そもそも龍絡みの案件など、一介の請負人がどうこうできる問題ではない。
ちらりとフェイを見ると聞いてやれとばかりに頷かれた。
「で、どうしたんだ?」
「棲むところを探してくれ」
「は?」
思わず洩れた疑問の声に、途端にディリスがむっとした顔をする。
「だから今すぐ! 俺たちが棲めるところを探してほしいんだよっ」
叫ぶディリスの銀の瞳に浮かぶ必死さは、これが彼にとってただならぬ状況であることを示すようだった。
「まずは落ち着け。ほら、これ食って」
こういう事態を見越してではないだろうが、テーブルの上に置かれていた菓子をひとつディリスの前に置き、リーはなるべく優しく声をかける。
「落ち着いてるよっ」
「いや、落ち着いてねぇだろ。とりあえず美味いから食えって」
お茶はリーたちが来る前に淹れられていたようで、湯気の上がらぬカップも置かれてあった。
切羽詰まったようなディリスの様子に、きちんと話を聞く必要性を感じたものの。あれだけ興奮していればおそらくちゃんと話せないだろうと判断したリーは、ひとまずディリスを落ち着かせることにした。
少々態度は悪いものの、素直にこちらのいうことは聞くディリス。視線はリーから外さないまま、不貞腐れた顔で菓子を掴んで口に入れた。
動きが止まり、瞠目してから。わかりやすく咀嚼速度が上がる。
無言でふたつ追加すると、そのままの勢いでもうひとつを食べ尽くして。最後のひとつに手を伸ばしかけたディリスが、また動きを止めた。
「……これ、シラーに持って帰っていい……?」
ぽつりと尋ねる声に今までの覇気はなく。おそらくこちらが素なのだろうなと思いながら、もちろんと頷く。
「まだあるから。好きなだけ持って帰ればいいよ」
「ありがとう」
礼を言うその様子に、リーはようやく本題に入れそうだと息をついた。
「で、今までそのシラーとふたりでどっかに棲んでたんじゃないのか?」
ネルとディリス自身の言葉から、一匹で棲んでいるのではないことはわかっていた。先程出た名を出すと、ディリスは小さく頷いてうなだれる。
「今棲んでるところはシラーには寒すぎて。だから、俺……」
「シラーは火龍だからな。風龍のお前より寒さには弱い」
フェイの口振りからすると、どうやら既知らしい。
知ってるなら先に教えてくれてもいいだろうにと内心ぼやきつつ、ディリスの言葉を待つ。
「だけどシラーは平気だからって。俺が大丈夫ならいいって、そればっかりで……」
心配そうな口調に滲む、シラーへの親愛。
風龍と火龍、もちろん親子ではありえない。それでも変わらぬ情に、親子も種族も関係ないのだと改めて感じた。
浮かぶ疑問もあるが、それでも己の心のままに、リーはディリスを見据えて頷く。シラーを思い遣るディリスに応えてやりたい。ただそう思った。
「わかった。すぐにどうにかはできないかもしれねぇけど。ふたりで棲める場所を探せばいいんだな?」
弾かれたように顔を上げ、ディリスは少し安堵の色を見せる。
「……お願い。俺、外のこと知らないから探せなくて……」
龍として幼齢であるには違いないが、全てを見透かす眼を持ちながらも外のことを知らないと言い切るディリスに、龍とて最初から何もかもを知っているわけではないのだという当たり前のことを再認する。
確かにアディーリアやユーディラルも子どもらしいところが多くあり、すべてを悟っているわけではない。
龍も人も。積む量に差はあれど、どちらもこうして日々を積み重ねているのだろう。
手を伸ばし、銀の髪をくしゃりと撫でる。驚いて目を丸くするディリスに、リーは頷き口角を上げた。
「任せとけ」
ディリスと彼を棲処に送るフェイと別れてから、リーは受付でマルクへの面会を申し出る。既に指示は出ていたらしく、そのまま組織長室へ来るよう言われた。
本部協力員であるリーは職員の同行がなくとも本部内に入ることができる。もう迷わず辿り着ける組織長室の扉を叩くと、入れとぞんざいな声が返ってきた。
相手は龍。名乗らずとも通されるのは、来たのが自分だとわかっているからだろう。
扉を開けると、正面のソファーには既に銀灰の髪の男が座っていた。テーブルに紙を広げて何やら書き込みながら、見もせずに座れと告げる。
「候補は決めてある」
リーが座るなり、マルクはそのうちの一枚をリーに向けた。全域の地図上、三か所に印が入れられている。
「ここが今棲んでいる場所」
白の一番の北西の岩場を指す。
「候補地はここ」
その指を南へと移動させ、示したのは。
「ここって……」
マルクの指が止まったのは、ドマーノ地区のドマーノ山。
フェイこと火龍エルトジェフの棲処であった場所だ。
「本人から了承は得ている。暫くは使う予定がないから好きにしろ、と」
マルクの指を目で追ってから、リーは顔を上げる。
「そこまで決めてるなら、どうして俺を?」
龍が棲むのに適した場所など自分は知らない。それなのになぜ自分に依頼を受けさせたのか。
再び浮かんだ疑問を今度は口にしたリーに、マルクは動じる様子もなく最後の一か所を指し示す。
「二十年程前にあのふたりが棲んでた場所だ」
印があるのは一番街道の北側の海岸とヴォーディス西側の海岸が繋がる場所。
「ここって……」
リーの脳裏に浮かぶ地図には異なる印が書かれていた。
そこからさらに北には海岸から内陸に繋がる洞窟があり、その先にあるのは、二の月の半ばに組織長のレジストたちと探し当てた反組合の施設。
「何か見ていることがあるかもしれないからな。ついでに話を聞いてきてくれ」
―――なぜ自分に話が回ってきたのか。
読めたマルクの思惑に、リーは苦笑するしかなかった。