ルヴィエートとドレアス
話す間は上空を旋回していたルヴィエートが、会話が一段落したところですまないがと切り替えてきた。
「明るくなる前に下に降りたい。よければ一緒に来てくれないか」
どこへと聞き返そうとして、ギルスレイドはドレアスと名乗った男の言葉を思い出す。
「あの男のところへか?」
「ああ。礼を言いたいと言っていただろう」
必要ないと言いかけて、自分にも言わねばならないことがあると気付いた。
「いや、むしろ俺の方が詫びるべきだな。あのふたりが魔力持ちであったなら被害が広がっていただろうに、後先考えず踏み込んでしまった」
「魔力持ち? 人が?」
ルヴィエートが間髪入れずに声をあげる。
「人に魔力はないだろう?」
問い返す声に、今度はギルスレイドが驚く番だった。
確かに昔も魔力を持つのは一部の人ではあったが。
「……そうか。もう魔力持ちはいないのか……」
改めて己の時の長さを思い知り、ギルスレイドは低く呟く。
淘汰されていた魔力持ち。それだけここでの生活が安定しているということなのかもしれない。
(……その方がいい、か……)
蘇る面影に少し微笑む。
望む未来が訪れるのだと伝えられたら、どんな顔をするだろうか。
卵を残し魂を繋ぐ龍のように、人の魂もまた繋がり続けるものならば。もしかしたら既に今のこの世を楽しんでいるのかもしれない。
「ギルスレイド?」
「わかった、同行する」
そうであればと願いながら、怪訝そうなルヴィエートの声に了承を返した。
ルヴィエートは進路を北へと向けた。ギルスレイドが通ってきた、道の北端の集落のような場所が目的地らしい。
「儂のことはアルヴィ、ハルヴァリウスのことはシラーと。なんと呼べばいい?」
龍の名は信頼の証。他種族に対しては単なる名として告げるものではない。
しかし既に龍ではない自分の名になんの意味があるというのか。
「ギルスレイドでいい」
「駄目だ。こちらが困る」
即答で却下され、ギルスレイドは一度口を噤む。
「……ディア、と」
ほかに名乗りようもなく、あの頃の名を口にした。
「ディアだな」
繰り返された響きに視線を落とす。
まさかまたこの名を名乗ることがあるとは思わなかった。
「ドレアスには、ギルスレイドは龍だと伝えてある」
「俺は龍では……」
「そうとでも言わなければ互いに知ることを説明できなくてな。まぁ嘘でもないから構いやしない」
軽くそう告げ、ルヴィエートは高度を下げる。小屋の建つ場所から少し離れたところに降り立ち、ギルスレイドを降ろしてから自身も人の姿を取った。
水龍本来の色だろう少し濃く見える水色の髪に深い青の瞳には、重ねられた年月が滲むような落ち着きがある。晩年に向かうその重さは龍としても年齢を経たルヴィエートにとっておかしなものではないのだが。
じっと見てしまっていたことに気付いたのか、どうしたのかと問われた。
「いや、てっきり年齢を合わせているかとばかり……」
「ああ、儂はドレアスの父親の片割れだったからな。元々そっちに合わせていたんだ」
ルヴィエート―――アルヴィは街道を見やり、少し笑う。
「この道もその片割れが言い出したことだ。志半ばで亡くなってしまったが、息子のドレアスが引き継いでくれた」
どこか遠くを見るその眼差しには、片割れと人への愛情が浮かんでいた。
アルヴィはギルスレイドを並ぶ小屋のうちの一軒に案内した。ほかよりも大きなそこは、造道関係者が使うための場所だという。
「儂だ。入るぞ」
外から声をかけ、アルヴィが扉を開ける。
入ってすぐの部屋にはドレアスとあのふたりが座っていた。アルヴィとギルスレイドの姿を見、ドレアスが椅子代わりにしていた輪切りの丸太から立ち上がる。
「連れてきてくれてありがとな」
「儂ではなくディアに言え」
「ディアっていうんだな。来てくれてありがとう」
快活な態度と朗らかな笑みに滲む敬意は、自分が龍であると聞いているからというよりはこの男生来のもののようで。片割れとなり得る者だからというだけではなく、元々好ましく思われる在り方なのだと思えた。
「ふたりも悪かったって」
促すように視線を向けられて立ち上がった男たちの表情にあの時の険しさはなく、感じていた昏い気配もかなり薄れている。
少しためらうように前に出たふたりは、揃って頭を下げた。
「……兄ちゃんが悪いわけじゃないのにすまなかった」
「俺たちの八つ当たりだ。本当にすまない」
別人のようにおとなしくなったふたりに謝られながら、ギルスレイドは蘇る苦さを呑み込む。
普段温厚なものが何かのきっかけで攻撃的に変化する。人はほかのどの種より複雑に、そして多くのきっかけを持つことは、今も昔も変わらないのだろう。
「もうあんな真似をしないならいい」
それでも何が言えるでもなく、ただ謝罪を受け入れる。
「もちろんだ」
「今から植え直してくる」
「ってわけだから。ちょっくら行ってくる」
頷いたふたりに相好を崩し、ドレアスがあとを頼むとすれ違いざまにアルヴィの肩を叩いた。
「儂らは?」
「三人で十分。ここで休んでてくれよな」
後半はギルスレイドに向け告げて、続く男たちとともにドレアスは出ていった。
去る背中を見送って、アルヴィがひとつ息をつく。
「まったく、呼びつけておいてこれか」
呆れたような声ながらも含まれる慈愛にふたりの関係が透けて見え、ギルスレイドは羨望混じりの和みを笑みに変えた。
ドレアスが小屋に戻ってきたのは昼を過ぎてからだった。
「遅かったな」
「すまん。一緒にメシ食ってた」
屈託なく笑い、ドレアスはまっすぐにギルスレイドを見つめる。
「待たせてすまなかった。ディア、改めてよろしくな」
差し出された手を、ギルスレイドは今度は自分から取った。
「……よろしく」
にっと更に口の端を上げ、ドレアスがその手に力を込める。
「そっちはメシは……ってそうだったな」
おそらく龍に経口の食事は必要ないことを思い出したのだろう。すぐに翻し、じゃあ説明するからとギルスレイドの隣に座った。
自分が龍であるということを自然に受け入れたその様子に、ドレアスと龍との付き合いの深さと本当は龍ではないうしろめたさを感じながら、ギルスレイドは顔が見えるよう身体の向きを変える。
目を合わせると、ドレアスはどことなく嬉しそうに表情を緩めた。
「ディア」
こうして人と向き合うのも、この名を呼ばれるのも、あの時以来。
似ても似つかぬ容姿だが、射抜くような眼差しと好ましさを感じる雰囲気に否応なく蘇る面影。
「あのふたりを止めてくれてありがとう」
「礼には及ばない」
疼きを呑み込み首を振る。
どれだけの時を経ても、人の傍では懐かしさを感じるのだと今になって知った。
「俺に何かできていたならよかったよ」
今度こそ―――と。口には出せないそのひと言を気取られたわけではないだろうに。
「何かどころか。お陰であの程度で済んだんだ。あのふたりもまだ戻れる」
だからありがとう。
繰り返された言葉は過去からのそれと重なり、じわりと胸の奥に広がるようだった。
「それで、結局何がどうなった?」
ギルスレイド越しにドレアスを見ながら、アルヴィが問う。
「あ奴らも根っからというわけではないだろうが」
被害の規模もあの程度、無罪放免となったことはドレアスの言葉からわかっていたが、それでいいのかどうかはまた別問題なのだろう。
「あのふたり、新しい畑があんまり上手くいってないんだと」
「だからあんな真似を?」
呆れたような声にドレアスは肩をすくめた。
「当人にとっては一大事なんだって」
「何の解決にもならぬだろうに」
当然といえば当然のアルヴィのぼやきに苦笑してから、挟まれて話を聞くだけだったギルスレイドに言葉を足す。
まだドレアスの父親が生きていた頃、まっすぐに街道を敷くために予定地と重なる土地に住んでいた者たちには移住してもらった。その中にあのふたりもいたらしい。
移住先は地龍がきちんと調べて問題がないとした土地。ここまでの数年で成果が出ないのは、ひとえに耕す本人の問題でしかない。
「ま、ノーグにちょっと見てもらうかな」
裏で手伝ってくれているという地龍の名を出すドレアスに、仕方なさそうな目線を向けるアルヴィ。お前は甘いなと言いつつも、その瞳は見守るもののそれである。
―――変わったようで変わらぬ人と、傍でそれを見守る龍と。
以前より近くなった関係を目の当たりにし、ギルスレイドは安堵とも羨望ともつかない気持ちを感じていた。