来たるもの
どうするべきか考えたものの、ギルスレイドは結局昏い気配のする方へと進むことにした。
もちろん今の自分に龍としての魔力はなく、攻撃することはおろか身を守ることもできない。もとより戦う気はないとはいえ、万が一そうなれば人にすら勝てるかどうかも怪しいものの、それでも見て見ぬ振りはできなかった。
やがて夜闇の中に灯りが見えた。夜目も人並みといえど、ずっと暗闇にいたので利く方ではあるのだろう。人影がふたつ、何やら動いている。
近付いてみると、人影は道の端で何やらごそごそとしていた。街道沿いには等間隔にまだ膝丈の苗木が植えられているが、その周囲だけ灯りを遮るはずの影がない。
どうやら植えたばかりの苗木を掘り起こして引き抜いているらしい。
感じる悪意が何に向けられているのかはわからないが、この行動もそこに繋がるのだろう。
一度足を止めてまだ明けぬ空を見やってから、ギルスレイドは歩調を上げ近付いていく。
人も龍もこの先使いやすいように。
脳裏に蘇ったハルヴァリウスの言葉に、居ても立ってもいられなかった。
「そこで何をしている?」
鍬で苗木を掘り起こしていた中年の男ふたりに、ギルスレイドが声をかける。
こんな夜中に灯りも持たず出歩くものがいるとは思っていなかったのだろう、男たちはびくりとしてから動きを止めた。
「それは道を造るために植えたものじゃないのか?」
足元に無造作に捨て置かれた苗木と荒らされた地面に言いようのない気持ちになりながら、それきり動きのないふたりにもう一度告げる。再度の声に我に返った男たちは、途端に険しい顔付きになった。
「なんだお前はっ?」
「関係ねぇだろ、引っ込んでろ!」
「関係なくはない」
向けられる怒気を正面から受け止め、ギルスレイドは男たちを見据える。
「少なくとも俺は、この道がどんな思いで造られたのか知っている」
「何を偉そうに!」
自分たちより年若い見た目のギルスレイドからの諭すような言葉は、むしろ彼らを激昂させた。
彼らが纏う昏い気配が色濃くなる。
「お前に何がわかるっ?」
「この道のせいで、俺たちがどれだけ苦労してると思ってんだ!!」
叫ぶように返した男たちが手に持つ鍬を身体の前へと持ち上げ、じりじりと距離を詰め始めた。
(……しくじったか)
このふたりになら大きく遅れを取ることはないとはいえ、やり方を間違えた。せめて落ち着かせようと、ギルスレイドは詰められた分の距離を取る。
「やめておけ。恐らくすぐに―――」
「うるせぇっ!!」
振り回された鍬が空を切った。
二度三度と避けたところで、頭上を影がよぎる。
気付いた男たちが上を見上げた時には、影は急旋回し高度を下げ、こちらへと突っ込んできていた。
(来たか)
ギルスレイドがうしろに下がると、影はその真ん前でぴたりと止まる。
直後、男たちに雨というには大量の水が降り注いだ。
何が起きたかわからないままずぶ濡れになった男たちは、自分たちとギルスレイドの間に降り立ったものに目を瞠った。
水のせいで消えた灯りに代わり、空からの僅かな光がその輪郭を浮かび上がらせる。
もたげられた頭から伸びる体。長くはあれど細さを感じないのは、その胴回りが人の身体より太いからだろうか。その身に纏う鱗の色は見えなくとも、何を司るものなのかは考えるまでもない。
現れた水龍は、何があったのか理解しているかのように男たちへと頭を向けた。
怯えを浮かべる男たちを水龍の背越しに見ながら、ギルスレイドは間に合わなかったかと心中嘆息する。
龍が近付いて来ていることには気付いていた。だからこそ到着の前に男たちを宥めておきたかったのだが。
自分の言い方が悪かったせいで、いらぬ怒りを抱かせた。相手によっては周囲を巻き込んでの戦闘になり街道にまで被害が及んでいたかもしれないし、今こうして水龍にも手間を掛けさせている。
動かない龍と動けない男たちを前に、どうすればと思案したのも束の間。水龍が来た方向に灯りが見えた。
見る間に近付いてきたのは大柄な男だった。歳は男たちより幾分若い。
ここを目指すように走ってきたこと、そして水龍を見ても驚く様子がないことに、事情を知る者だとわかった。
大柄な男は引き抜かれた苗木を一瞥し、男たちの顔を見るように灯りを掲げる。
「これはお前らがやったんだな」
ズカズカと水龍と男たちの間に入り、呆れたように言い放ってから。
「とりあえず話聞くから。一緒に来い」
「なっ……にを……」
水龍と隔たりができたことで多少緊張が和らいだせいか、男たちは今度はその一方的な言葉に苛立ちを滲ませる。
「どいつもこいつも偉そうにっ」
鍬を振りかぶり突っ込んできた男に、大柄な男は左に避けてその腕を掴んだ。そのまま後ろ手に捻り上げ、前に押して膝をつかせる。
「このまま腕折られたら仕事にならねぇだろ。おとなしくしてくれ」
あっさり取り押さえられ、男たちは観念したのか鍬を手放した。
ほっとしたように表情を和らげ、大柄な男は拘束を緩める。
「ちゃんと話聞くから。一緒に来てくれるな?」
敵わぬと悟ったのか、憑き物が落ちたようにおとなしくなった男たちが頷くのを見届けてから、大柄な男はギルスレイドに視線を移した。
まっすぐに自分を見るその眼差しから感じるのは、温かさと得も言えぬ親近感。どうりで水龍がともにいるはずだと納得する。
自分も龍であったからわかること。おそらくこの男は誰かの片割れとなり得る存在なのだろう。
「止めてくれてありがとう。俺はドレアス。あとで改めて礼を言わせてくれ」
前に出て右手を差し出しながら明るく告げるドレアスに、応えないままギルスレイドは首を振る。
「いや、俺には何もできていないのだから礼はいらない」
「まぁそう言うな。俺はこいつらの話を聞いてくるけど、すぐにアルヴィが来るから一緒に待っててくれ」
気にした様子もなく一方的に手を取り握手をしてから、ドレアスは男たちを急かして歩き出した。
自分が来た方へと去る後ろ姿を見送ってから、どうしたものかとギルスレイドは水龍を見上げる。
「騒がせてすまなかった。俺は―――」
「あなたが何ものかはちゃんとわかっている」
今までひと言も話さなかった水龍は、そう答えてトカゲ型へと姿を変えた。
「アルヴィとは儂のことだ。あとは上で話そう」
空が少し明るくなってきていた。
いつもはただ長いだけの夜も場所が変わればこれだけ色々なことが起きるのかと、ギルスレイドはぼんやりと空の果てを見ながら思う。
「改めて。儂はルヴィエート。あなたの話はハルヴァリウスから聞いている」
何も聞かれなかったのはそういうことかと思いながら、ギルスレイドも名乗り、騒がせたことを再度詫びた。
「珍しく森の端までシェイディメルが来ておったから。何かあったのかと向かう途中でギルスレイドに気付いたんだ」
謝る必要はないと返してから、ここへ来た経緯を話すルヴィエート。
「ハルヴァリウスがそのうち来るだろうと言っておったが。こうして会えて嬉しいよ」
「そんなことを」
見透かされていたことに苦笑してから、ギルスレイドは街道を見下ろす。
上空からも果てが見えない、まっすぐな道。
「……道はすべてできたのか?」
「いや。まだ先は長いな」
静かな問いに返るのは、どこか誇らしげにも聞こえる声音。
間違いなく、自分のただ長いだけの時間とは違う、密度のある日々を過ごしてきたのだろう。
覚えた羨望には気付かぬ振りをして、ギルスレイドは眼下の景色を見つめた。