龍と人
その日もハルヴァリウスはギルスレイドの下へと向かっていた。
速度が出ないので飛ぶ時には大抵細長いヘビ型を取るのだが、今日も荷があるので本来のトカゲ型のままだ。
受け取ってもらえるだろうかと思いながら、ハルヴァリウスは樹冠の遥か上を飛んでいく。
大陸の南東に広がるこの森に、かつて大陸内部から龍が移り棲んだ。しかし更に下がる気温に追われて片隅にしか棲めなくなり、今は南端の半島にまで広がったのだという。
眼下の森は先で山脈にぶつかり、そこからも大地は果てしなく続いている。
上空からは広い範囲が見渡せた。しかしそれでも自分が見ている景色がどんなに狭いものなのかを、ギルスレイドの話を聞いて知ったのだ。
誰よりも広大な景色を知るにも拘らず今は暗く狭い穴ぐらに留まるギルスレイド。そんな彼に、ここより先のまだ見ぬ地を見てほしい。
まだ短い付き合いながら、そう告げたところで返される言葉はわかってはいたが。それでもいつの日か、そんな思いをせめて形にしたかった。
見慣れた景色に高度を下げる。木々の間に降り立ったハルヴァリウスは、人へと姿を変えて横穴へと入っていった。
飽きもせずにやってくる若い火龍を、ギルスレイドは迎え入れる。最初の頃こそなんの用かと聞いていたが、さすがに五日と空けずにやって来る相手には無駄なことかと諦めた。
「今日はこれを食べようと思って」
向き合って座り、ふたつ持つ包みのうちのひとつを開くハルヴァリウス。中には予想通り酒と何やら干物のようなもの、そして果物が入っていた。
もはや何をも必要としない自分はもちろん、龍であるハルヴァリウスも生きるための糧は司るものや自然から得ることができる。
糧ではなく、嗜好品としてのそれ。
本来なら知るはずのないそれを好むのは、間違いなく人の影響だろう。
実際今までにも同じように、人の生活を知ったからこその恵みを持ち込む龍は居た。
龍もまた、人と近くなることで人のようになるのだろうか。
そんなことを思うのが龍でも人でもない自分であることが、なんだか滑稽だった。
渡された酒を飲みながら、いつも通りなんてことのない会話をする。
大抵は昔のことを聞きたがるハルヴァリウスに問われ、ギルスレイドが答えることが多かった。
「ギルスレイドが元居た場所でも、人はこういったものを食べていたのか?」
果物をかじりながらの問いに、ギルスレイドはそうだなと頷く。
元居た場所とは自分がまだ龍であった頃に棲んでいた場所。あまりに遠い記憶だが、最近はこうして聞かれることが増えたため、少し鮮明さを取り戻していた。
「山では実りと獣や魔物、川では魚を獲っていたな」
「畑は?」
「俺がいたところではなかったな」
今は人の手で栽培もしているというが、人数も少なく実りも多いあの頃にはその必要もなかったのだろう。
自分が龍ですら知るもののいない遠い地の話をする代わりに、ハルヴァリウスは自分の知らない今の半島の暮らしを教えてくれる。その生活は自分が元いた場所のそれとも旅路の間の束の間のそれとも異なり、この先へ向けて少しずつ積み重ねているようにも思えた。
再び定住の地を得たことで変わり始めた人と龍の暮らし。
忙しなさそうに、それでも楽しそうに生きているハルヴァリウスの姿は、今までに知るどの龍よりも人に寄り添い生きているように見え、ギルスレイドは共感と羨望を覚えた。
―――あの時の自分がもう少し人のことを理解できていたのなら。
己の現状に後悔はない。
悔やむのは、ただそれだけ。
己の無知が招いた、その結果だけ―――。
「ギルスレイド」
かけられた声に我に返ると、ハルヴァリウスが何やらじっとこちらを見ていた。
「ああ、すまない。どうかしたのか?」
「これも見てもらおうと思って」
取り繕ったことは気付いているだろうが、それ以上は聞かず。持ってきたふたつの荷のうち、開けていなかったもうひとつを前に出してくる。
「そろそろあの場所での作業も終わるんだ」
口にした内容とは繋がらない、何かを願うような視線を向けて、ハルヴァリウスが呟いた。
「これからは建材の運搬やらで忙しくなりそうで、今までのようにここに来れなくなる」
「そうか」
続けられた言葉に頷いてから、彼がどうしてここへ来ていたのかを思い出す。
「ありがとう。ハルヴァリウスのお陰で、結局魔物も来なかった」
唐突の礼に少し驚いた顔をしながらも、ハルヴァリウスはすぐに首を振った。
「いや。俺はただ、ギルスレイドの話が聞きたかっただけなんだ」
おそらく本音でも建前でもあるだろう。
こんな自分の話を聞きたがったり人の生活に深く関わったりと、好奇心旺盛なその様子はギルスレイドにとっても珍しいものであった。
「俺も色々と話を聞けてよかったよ」
断片的にしか知らなかった、あれからの人のこと。
自分はもう関わることもない。それでも、変わらず逞しい様子にある意味安堵もした。
そんなギルスレイドの様子にどこかほっとした顔を見せるハルヴァリウスが、そのまま前に出した荷を解く。
「受け取ってくれないか?」
「これは……」
包みの中には一揃いの旅装束が入っていた。
「服を着れば鱗も隠せる。そうそうバレはしないだろうから」
驚きの中服を見つめるギルスレイドに、ハルヴァリウスはついと荷を押しやる。
「いつでもいいから。見に来てほしい」
待っているからと言い残し、ハルヴァリウスは帰っていった。
残された服を暫く眺めていたギルスレイドは、手を伸ばし、ためらい、やめる。
視界に入った己の腕にぽつぽつと貼りつくくすんだ金の鱗。続く胴は更に数を増し、まばらに身体を覆っていた。
自分がどうしてこの姿になったのかを改めて思い出す。
ハルヴァリウスの言うように、服を着ればこの鱗も隠せる。触られない限りは気付かれるものでもないだろう。
しかし―――。
短く息をつき、ギルスレイドは服を元のように包んで片隅に置く。そしてそれから目を逸らし、暗闇の中座り込んだ。
途切れ途切れに書いていたせいで、確認不足のやらかし発見……。
二話前『共有する記憶と面影』内、訂正しております。
ドマーノの洞窟入口、火龍たちは元の姿では出入りできませんでした……。
まだまだペースは上がりませんが(泣)、これからもどうぞよろしくお願いいたします。