華やぐ裏側には
紫三番と紫四番の間の中継所、そこから西のラルジェム地区へ約半日行ったところに、目的のイリーガの町がある。
さほど大きな町ではないが、毎年この時期に特産の芋の収穫を祝う祭りを催しているそうで。一年の実りを祝って六の月に開催されることが多い収穫祭、時期的に珍しいこともあり、人が集まるのだという。
「人、多いかな?」
「俺も行ったことない町だから、ちょっと規模がわかんねぇけど。多分な」
宿場町や中継所は旅する者に向けての町。もちろん暮らす人々はいるが、生活を目的として造られた町ではない。
人々が暮らすための町を訪れるのは初めてのディリス。不安より期待が勝る道中の様子に、楽しんでくれているのかと思っていたリーであったが。
「どうした?」
町の門の前、不意にディリスが足を止めた。
「うん……」
色とりどりの造花やリボンで飾られた門を見上げたまま、ディリスが生返事をする。
門の奥からは祭りの高揚感をあおるように明るい音楽と賑わう喧騒が聞こえ、道沿いに並んだ露店や飾り付けられた家々が見えていた。あちこち見ながら歩く人々に威勢よく呼び込む売り子、楽しそうに駆け回る子どもたち。誰もが明るい表情で祭りを楽しんでいる。
どこからどう見ても、華やぐ祭りの風景。それなのに、ディリスの表情には明らかに不安が浮かんでいた。
「……たくさん人がいるから、かな……」
言葉を濁し、物怖じするようにリーの傍に寄る。
「なんだかちょっと、ゾワゾワするっていうか……」
「そうなのか?」
どうなのかとフェイを見るが、肯定も否定もせずに肩を竦められた。
「ディリスが人に慣れてないせいもあるとは思うが。確かに、少し碌でもないことを考えてる輩が混ざっているのかもしれないな」
誰かに向けた悪意ではなく、日常的に抱く否定的な気持ちや考え。雑多に人が集まる場所ではそういったことを感じることも多いのだとフェイは言う。
その上、ここにいるのは祭りを見に来た人々だけではなく、よそから行商に来ている者も多い。
その碌でもなさが、商品の価値をごまかして儲けたり偽物を売りつけたりというものなら、ディリスに危害はないかもしれないが。
「どうする?」
その不快感がどの程度なのかはリーにはわからない。フェイの様子からすると騒ぐほどのものではないのだろうが、あまりいい印象のものではなさそうだ。
楽しみにしていただろうに、と。なんだか申し訳ない気持ちで尋ねたリーに、ディリスは不安気な表情のままではあったが。
「……いいなら、行きたい」
それでもまっすぐに町を見つめる瞳には、不安はあれど嫌悪や諦めはなかった。
人というものをまだ見限らずにいてくれることへの安堵を覚えながら、リーは表情を緩める。
「わかった。念の為、ディリスは俺たちの傍にいてくれよな」
「うん」
頷くディリスの頭を撫で、行くか、と呟いた。
心配しながらであったが、いざ中へと入ってみるとそれほど気にならなくなってきたのか、次第にディリスも楽しそうな顔を見せるようになっていった。
並べられた商品を興味深げに覗き込み、リーから手渡された菓子を喜んで食べる姿は人の子どもと何ら変わりない。
「なんかあったら言うんだぞ」
「うん」
「欲しいものも言えばいい」
「フェイの分は買わねぇからな」
当たり前のように言うフェイを、ちゃんと給料ももらっているだろうとジト目で睨みつつ。
「買う練習もいるだろうし。今度は自分で買ってくるか?」
「うん。俺、シラーにお金もらってるよ」
「俺たちとはぐれちまったら必要だから。今は出さなくていいって」
鞄から出そうとするディリスを止めて、リーは丸銅貨二枚を渡す。
「でも……」
「経費で落ちるから大丈夫。ほら」
経費と言われてもわからないのだろう、きょとんとするディリスに組織から出してもらえると言い換えて、うしろから見てるからと送り出した。
「落ちるなら……」
「落とすわけねぇだろ」
ぼそりと呟くフェイを一喝する。
宿代などは必要経費として書き留めておくよう言われているし、報告すれば出してもらえるだろうが、正直そこまで細かいことを言うつもりはない。
自分がディリスの喜ぶ顔を見たかったから。理由などそれで十分だ。
「で。碌でもねぇのの見当はついたか?」
露店を覗くディリスから目を離さずに問うと、同じくディリスを見たままのフェイが、ああ、と返す。
「一応な。あとで確かめてくるから、町の奥には連れていくんじゃないぞ」
「わかった。入れ替わりで俺も見に行く」
買いたいものを決めたのか、振り返りこちらを見るディリス。
これ以上楽しむディリスに水を差さずに済むようにと、リーは祈るような気持ちで頷いた。
リーとディリスが広場で行われている催しを観ている間に、件の場所の様子を見てきたフェイ。
その報告を聞いたリーは、少し休憩しようとディリスを誘って食堂へと連れていった。
相手は子どもとはいえ龍である。下手にごまかすよりきちんと話しておくほうがいい。
そう判断し状況を説明た上で、今から自分もその店を見に行くと告げた。
心配そうな顔をするディリスと己の剣をフェイに任せ、向かった町の奥。酒と串焼きを出す露店に何気ない振りをして近付く。
支柱に布で屋根だけ張った、露店によくある作りの店構え。店の前にはいくつか椅子が並んでいた。
店員はふたり、ひとりは屋根の下で串を焼いており、もうひとりはその奥で何やら作業をしている。見ている間に来た客は、椅子には座らず食べながら離れていった。
串を一本と酒を頼み、店頭で食べていいかと確認する。おそらく見た目から少し怪訝な顔をされたものの、どうぞとぶっきらぼうな返事とともに串と酒が渡された。
リーは横目で店が見える位置に座り、ゆっくりと食べ始める。串も肉に塩と香辛料を振って焼いたよくあるもの、酒も同じく蒸留酒を薄めたものだ。値段も少し高いが祭りの場なら仕方ないかと思える程度。
自分の目にはさほど違和感はない。強いていうなら店員たちの態度が商売人でも職人でもないように見えるくらいだろう。
仏頂面で黙々と動く姿からは、商売をしようという意欲も料理を食べてもらいたいという意気も感じられない。
(……全然違うんだよな……)
金細工師である兄も菓子職人である義兄も、自らの作るものに対しての誇りと責任を持っている。
そうでなければ少しくらい儲けようとする態度が見えてもいいだろう。
どちらも見えぬこのふたり。
フェイ曰く、ハーフエルフなのだという。
近付いても警戒した様子はなかったので、龍の気配は感じられないのだろうと言っていた。
彼らの『碌でもなさ』がどういう形なのかはわからない。しかし、客を騙して儲けているのではない以上、ほかに昏く含むものがあるということ。
請負人組織外のハーフエルフが皆反組合に関わっているとは思ってはいない。しかしそれでも、見かけるのはそこだけで。
確証はない。しかしおそらく。
そう思えてしまうところが、なんとも複雑な気持ちであった。
嘆息を酒とともに呑み込み、リーは気持ちを切り替える。
少しゆっくりと食べはしたが、その間に客は来なかった。今警戒されるわけにはいかないので、ふたりの容姿の特徴を忘れぬようにともう一度見ておいてから、おとなしくそのまま席を立った。
「ごめんなディリス。出ることになっちまって」
道行きながらのリーの謝罪に、ディリスは大丈夫と笑い返す。
「十分楽しんだよ」
今晩はイリーガで泊まるつもりだったのだが、結局あのあとすぐに町を出ることを決めた三人。
「それに、外で寝るのも楽しみだよ」
中継所に戻れなくもないが、早い戻りをあれこれ問われるのも面倒で。それなら途中で野営をするのはどうかと聞いたところ、思った以上の好反応が返ってきた。
予定外が重なっても嬉しそうなディリスの様子に救われながら、野営しやすそうな場所を探す。
―――あのあと警備に就いていた保安員に保安協同団との協力許可証を見せ、請負人組織への連絡を頼んだ。先日クフトがラルジェム地区で調べていたことと関わりがあるかもしれないらしいが、あとはマルクがいいようにしてくれるだろう。
だから、自分は―――。
「そっか。まぁメシは任せとけ」
「リー、作れるの??」
「なかなかのもんだぞ」
「なんでフェイがえらそうなんだよ」
すごい、とはしゃぐディリスに笑みを向けて。
せめて自分にできる範囲でいい旅にできればと、改めて思った。