続く道
翌朝。宿から出てきたリーを、既に待っていたフェイ、そしてディリスとシラーが迎えた。
ディリスの服装は丈夫そうな旅装束に変わっており、小さな鞄を背負っている。
「変じゃない? シラーに教えてもらったんだ」
嬉しそうに自分の姿をあちこち見るディリスに、似合っていると頷くリー。
服は本当に着ているのではなく、人の姿に変わる際体の表面を変化させているだけだと聞いている。それなのに自分が着ている服と同じように皺ができたり揺れたりするのが不思議でならない。
「それでね、鞄と水入れだけさっき買ってもらったんだけど、ほかに何がいるのかわかんなくて」
「俺が一緒だし基本宿に泊まるから、それで十分。ありがとな、シラー」
本当なら手ぶらでも困ることはないだろうが、間違いなく傍目には奇妙に映る。たとえ中が空でも、こうして鞄を用意してくれたのはありがたかった。
「こちらこそ急ですまなかったね」
「ほんとだよ。俺、なんにも聞いてなかったんだから」
昨日、謝罪行脚から戻ってきたディリスに旅に出ることを伝えると、本当に驚いた顔をしていた。
紫三番からこのまま出発するか、一度ドマーノに戻り改めて出発するか。どちらか聞かれたディリスは迷うことなくここからを選び、今朝に至る。
「何も依頼受けてなかったから大丈夫」
リーにとっては急に依頼が入ることなど当たり前で、謝られるようなことではない。その上―――。
(暫く会えないと思ってたからな)
今回はひと月前後は戻れないと思って出発したのに、こうして連れ戻されたお陰で夕べはラミエと会うことができた。
皆で夕食を食べ家まで送る、ただそれだけではあるのだが。繋いだ手の温もりと、自分の隣で微笑む顔と―――。
「リー」
呆れ果てたフェイの声音に我に返ったリーは、微笑ましげに自分を見るシラーと不思議そうに見上げるディリスに気付き、少し顔を赤らめ明後日を向いた。
「じゃあ行ってくるね!」
「ああ。リーたちの言うことをちゃんと聞くんだよ」
わかってるよと笑い、駆け出すディリス。
「迷惑をかけるかもしれないが、お願いするよ」
「はい」
「俺もいるんだ。心配ない」
まずは偉そうなフェイをジト目で睨み、リーはシラーに頭を下げてからディリスを追った。
「よろしくね、リー。フェイ」
追いついてきたふたりにそう告げてから、見送るシラーに大きく手を振るディリス。
楽しみで仕方ないことなど龍の眼を持たずとも丸わかりのディリスのために、この先の旅を楽しいものにできればと思う。
ウェルトナックには組織から連絡がいき、もし不都合があるならば道中で連絡がくることになっていた。
尤も、余程のことがない限り断られはしないだろう。
メルシナ村までは順調であれば十二日。どういった経路を取るかはまだ決めていないが、急ぎではないのだから行く先々で選べばいい。
自分の役目は、ドマーノ山に戻るまでディリスがこのままはしゃいでいられるようにすること。
もちろんまったく危険がないとはいえず。龍として窮屈な思いをすることもあるだろうが。
それでもこの笑顔のままシラーの下に帰すことが自分の責務であり願いである。
―――浮かぶのは、木の根元でうつむき座り込む金髪の少年の姿。
もう二度と、あんなことのないように―――。
ドマーノ山もメルシナ村も東側、できるだけ広範囲を見せてやれればと思い、ひとまずの進路は紫街道を南下することにした。
南門から街道へ出ると、両側を背の高い木々に縁取られたまっすぐな道が現れる。
不意にディリスが足を止めた。
じっと前を見つめるその手が次第に握りしめられていく。
どうしたのかと声をかけようとしたリーは、その表情に開きかけた口を噤んだ。
最初に乗り込んできた時の切羽詰まったものでも、いつもの少し幼い無邪気なものでもない、憧憬と敬愛が混ざる眼差し。
見えぬ何かの姿を見て佇まいを正すその様子は、少年が大人になる瞬間にも思えて。邪魔にならないように視界から外れ、ディリスの気が済むのを待つことにした。
無言のまま暫く道の先を見据えていたディリスが、吐息とともに握りしめていた手を解く。
「ごめん。行こう!」
振り返るその表情は明るく、今まで通りの子どもらしさを感じさせるものではあったが。それでもその瞳には新たな思いが宿るような力強さが見られるようだった。
先日感じたユーディラルたちの成長にも通じるその変化。三千年を生きる龍もこうして僅かなきっかけで劇的に変わるのだと、改めて目の当たりにしたその瞬間にリーもまた背筋を伸ばす。
「ああ。行こう」
前に進む子龍たち。
生きる時間が比べ物にならないからこそ、自分も負けぬように進まねばと思った。
初日は街道を歩いて中継所で泊まるだけだったというのに、これはあれはと質問しては終始嬉しそうなディリス。
特に中継所の宿の部屋に入ってからは、見るものすべてが珍しいのだろうかと思うほど。
「楽しんでくれてるようならよかったよ」
質問することがなくなってもまだにこにこと満足そうなディリスにそう声をかけると、だって、と少しはにかんだ笑みを返される。
「答え合わせしてるみたいで」
こういう物があってこう使う、ということはいくつかシラーから聞いていたそうで。だからこそ実物を見た時の驚きと納得が楽しいのだという。
「で、ここからどうするんだ?」
自分を見てのフェイの問いに、ディリスがその視線をリーへと移した。
向けられるのは困惑と期待。わかりやすいディリスの顔に、リーは口の端を上げる。
ちょうど今、この中継所から西側のラルジェム地区内にある町で祭りをしているのだという。
「ディリスはどうしたい?」
宿の者からその話を聞いた時の様子からして返答はわかっていたが、敢えてそう聞くと、見えていた困惑が色濃くなった。
「ふたりがいいなら行きたい。けど、また街道に戻ってこれるよね?」
「そりゃ戻るけど……」
意図がわからず首を傾げるリーに、それならとディリスが安堵を見せる。
「……なんで?」
その反応にますます怪訝そうに尋ねるリーを、ディリスもまたきょとんと見返した。
「なんでって。やっとこれたから、もうちょっと街道歩きたいんだ」
「だからなんで街道を?」
「シラーが造ったからだけど……」
「え?」
続く言葉を失うリーとその奥で同じく驚いた顔をするフェイに、ディリスはますます不思議そうにふたりを見た。
障害となるものを避けながらも、きれいに格子状に敷かれた街道。多くの人々に利用されるそれらの造成に、まさか龍が関わっていたとは。
確かに人の視線では果てのない距離でも、空から見て整えられたものと考えればその困難は減る。
そう理解はできるのだが。にわかには信じられずに、リーはディリスの言葉を咀嚼していた。
「シラーが手伝ったのはちょっとだけらしいけど。まだ若い時に龍と人とが協力して造ってたんだって」
とはいえ、二千八百歳の龍の若い頃が一体いつの話になるのかなど皆目見当もつかない。
「……フェイ。お前だって龍なのに知らなかったのかよ」
考えるのを諦めたリーは、半ば八つ当たり気味にフェイに振った。
「ああ。カナートからも聞いたことはないな」
含めた棘には気付いているのかいないのか、しれっとフェイが返す。
もちろんリーからするとウェルトナックの年齢もまったくわからないが。龍の中では二番目に高齢だと言っていたシラーからすると、ウェルトナックはまだ若いのかもしれない。
ただひとつ、今の自分にわかることといえば。
それだけの昔から龍と人とはともに在ったのだということと。
今と変わらず、人は龍という存在に助けられていたのだろうということだった。