ギルスレイドというもの
紫五番の宿場町。宿に泊まっていたギルは、近付く気配にベッドから起き上がった。
覚えあるそれは町の外で一度止まり、そこからは速度を落として更に近付いてくる。そして宿の前でまた暫く止まってから建物内へと入ってきた。
まるで自分に気付かせるかのようなその動き。案の定すぐに宿から来客だと案内があった。
部屋に通すよう伝えると、程なくで扉が叩かれる。
開けた扉の向こうにはトマルが立っていた。
「こんなところまでどうしたんですか?」
あくまで請負人として職員への対応をするギルに、トマルは気にした様子もなく笑みを見せるものの、何も話し出そうとしない。
「中へ」
短く招き、改めて部屋の中で向き合う。
「それで、何かありましたか?」
「懐かしい顔を見たもんでな。ギルスレイドにも話しにきたんだ」
返す言葉はギルスレイドへのものだった。諦めたギルは息をつき、座れと手振りで示してから自分もベッドへと腰掛ける。
「……もう俺の気配は人とさほど変わらぬというのに。よく見つけたな」
言葉遣いが変わっただけで、纏う空気が少し重みを増した。自然に滲む翳りは意識して作ったものではなく、長年そうであったから出るものなのだろう。
「支部の記録を追ってきたんだ。近付きさえすれば、お前の気配は無二のものだからな。人を捜すより簡単だ」
示された椅子に座りながら、自覚がないのかと呆れ顔で答えるトマル。
今までこうして捜されるようなことがなかったからかと思い至り、ギルは確かにと笑った。
「まぁこんな化け物がそうそういても困るだろうしな」
浮かぶ自嘲は心からのもの。何か言いたげなトマルの眼差しには気付かぬ振りをして、それでと話を促す。
「わざわざ誰のことを話しに?」
「ハルヴァリウスだ」
思いもよらぬ名に、ギルが僅かに瞠目した。
記憶の中にあるのはもうどれくらい昔の姿だろうか。
火龍らしく潑剌として、良くも悪くも行動力のある龍だった。
「……あいつは元気だったか?」
声音に滲む旧懐と憂慮。浮かぶ戸惑いを隠すように、ギルは瞳を伏せる。
こちらを見るトマルが何を言いたげにしているのかはわかっていたが、それに応えるつもりはなかった。
「ああ。今は風龍の子と一緒にいる」
「そうか。たしかに何かと世話を焼くのが好きなやつだったな」
「会いたがっていたぞ」
逸らそうとした言葉を突きつけられても、ギルの行動は変わらない。
答えないままのギルに、同じ調子でトマルは重ねる。
「ドマーノ山にいる。会いに行ってやれ」
ゆっくりと落としていた視線を上げると、トマルは変わらず自分を見ていた。そこにある呆れと懇願が混ざる眼差しに、ギルもようやく頑なに避けていたものと向き合う。
「……俺に会っても仕方ないだろう」
尋ねるのではなく事実として示す。
こうして表に出ては来たが、それはあくまで自分のわがまま。本来なら姿を見せるべきでない存在なのだから。
「子といるなら尚更。もう失われたもののことなど知らなくていい」
「ならギルスレイド。お前は同じことをハルヴァリウスにも言わせるのか?」
苦々しくも後悔のないギルの声音にトマルが被せる。
「死期が近いのはあいつも同じだ」
「同じじゃない。ギルスレイドはとっくの昔に死んでいる」
きっぱりと言い切り、ギルは残る感情を逃がすように息を吐いた。
「ここにいるのはかつてギルスレイドだったものでしかない」
いくらあれから果てしもなく長い時を経ていても。ギルスレイドとしての記憶を持っていても。決してギルスレイドが「生きて」きたわけではない。
ここに在るのはただの抜け殻。
ギルスレイドはあの日に死んだのだ。
今までに何度も口にしてきたその言葉。わかっているだろうに、トマルは龍の眼でギルを見据える。
「……それでもお前はギルスレイドだろう?」
ハルヴァリウスの思いは伝えたからなと言い残し、トマルは帰った。
寝るのに使われるだけの殺風景な部屋の中、ギルはひとり嘆息する。
こうして在り続けることが己の贖罪であった。
捨て置かれて当然の自分を、それでも見守り続けてくれる龍たち。
罪を贖うための時間のはずが、日々は初めこそつらくも温かく。今となってはつらさすらない。
自分がここに在ることに意味を持たせてはならない。ただ在り、消える存在でなければならない。そうわかりながらも、最期くらいと欲が出てしまった。
思い出す言葉に、見透かされていたのかもしれないとひとり笑う。
とうの昔に死んだというのに、こうして言い訳を遺していってくれた恩人。
短い生であるからこそ、人は先を見て繋ぐことに長けているのかもしれない、と。
ふと先日のフィエルカームの言葉を思い出しながら、独りごちた。
本部から組織副長の名で呼び出しを受けたあの日。トマルに連れていかれた本部地下の部屋には、副長のマルクの姿があった。
「座れ」
「失礼します」
ひとり部屋に入ったギルは、奥の扉に背を向けて座るマルクと向き合い席に着く。
「話とは?」
迎えに来たのがトマルである時点で一介の請負人として呼び出されたのではないとわかってはいたが、あえてそう尋ねた。
「ヴォーディスについて詳しく聞きたい。俺たちが入れない場所のことも、お前なら知っているだろう?」
「……それは副長としての命令でしょうか?」
「あくまでフィエルカームとしてギルスレイドに頼んでいる」
表情を変えないマルクに質問を返すと、違うと首を振られる。最近ヴォーディスであった反組合の騒動の顛末を話され、自分では把握しきれない北西の地のことを知っておきたいのだと請われた。
「……必要ないだろう」
揺らがぬ銀の瞳にギルとしての受け答えをやめ、嘆息混じりに言い切る。
「あの地は生きていくには気温も低く食べ物もない。お前が言うように、そのハーフエルフも生きてはいまい」
自分があちらにいたときでさえそうなのだから、もはや考えるまでもない。
「もう向こうに行くこともないのだから、龍の間で伝わっていることだけで十分だろう」
「そのことだけではない。こちらの気温も下がってきていることに気付いているはずだ」
フィエルカームとしてと言うわりには、その言葉はマルクとしてのもので。
その懸念が何に繋がるかもまた、龍としてだけではなく請負人組織副長としてのものだった。
「実際ヴォーディスでも今まで思っていた北限より手前で影響を受け始めた。このままだと南西に棲むものもいずれ移る必要が出てくる」
「棲めぬ地が増えたとて、今の状況を受け入れるのが龍というもの」
龍はそうして人と親和し、流れのままに生きてきたのだ。だからこそ龍たちは自分も自分の罪も受け入れてくれた。そしてたとえこの先棲む地が半分になろうとも、きっとどうとでも生きていく。
自身もまた龍であるマルクとて、言われずとも理解しているに違いないが。
「そうかもしれない。だが、人ならどうだ?」
それでも若い風龍は強い意思の籠もった眼差しを向けてくる。
「どこまでも足掻くのが人というもの。お前もよく知ってのとおりにな」
浮かぶ面影はあるものの、それでもギルは頭を振った。