いきおいよく2
俺と朱里が婚約者になってから、二日目の朝。
自分のベッドで惰眠を貪っていると、身体が揺さぶられる。
いつものように朱里が起こしに来たようだ。
まだ眠っていたいんだが、朱里に揺すられて意識が少しずつ覚醒していく。
だが、身体を起こすことも瞼を開ける事も出来ずにいると、次は頬を両方引っ張られた。
よく伸びるだろ。結構自慢なんだぜ。自慢にならないけどさ。
そろそろ起きないと、次あたりヤバイな。
俺としてはパンチラを希望だが、パンチが来そうだ。
ああ、俺、馬鹿だ。瞼も開いてないのにパンチラが来ても見えないわ。
何故だか知らないが、今日はやけに身体が重い。
意識はあるのに、身体が言うことを聞いてくれない。
「起きないな。しょうがない。次は……」
やばい。このパターンは、かなりやばい。
おい、俺の身体よ。さっさと起きろ。鉄拳が来る。
あいつ遠慮しないから、マジで痛いんだ。
そう思っていると――
「ちゅっ」と軽い音とともに俺の唇に、柔らかくて温かい何かが触れた。
――え?
俺の唇から温かい何かが離れたあと、朱里が小さく呟いた。
「――――これで起きなかったら、拳骨だからね?」
朱里の声は、顔のすぐ傍から聞こえた。
身体中の血が全身を巡るのが分かった。
俺の身体から朱里の重みがなくなり、一気に体が覚醒する。
がばっと起き上がり、自分の唇をつい押さえる。
目の前には、赤らんだ顔の朱里がベッド脇にいる。
「京介、おはよう。起きたね」
いつもと変わらぬ微笑みを浮かべながら朱里は言った。
――――今、朱里にキスされた?
夢じゃないのか?
あの柔らかくて温かい感触は、朱里の唇だったのか?
俺が呆然としていると、朱里に腕を引っ張られた。
「ほら、起きたんならさっさと用意しなさい。遅刻しちゃうじゃない」
俺は呆然としたまま頷いて、着替え始めた。
その間に朱里は部屋から出て行ってしまった。
一階のリビングに降りると、朱里はお袋と話をしながら朝食を準備している。
それは毎日のように繰り返される同じ光景で、まるで何事も無かったかのように。
「起きてきたんなら、さっさと顔洗ってきなさいよ」
朱里は俺の姿を見て、いつもと変わらぬ口調で言った。
あいつは何も感じてないのか?
もしかしてさっきのは俺の願望が見せた夢だったのか?
俺は朱里に言われるがまま洗面所に行ったが、顔を洗うのが勿体ない気持ちになった。
あいつの触れた唇、とても柔らかくて温かくて、何だかいい香もした。
それを洗い流すのはとてつもなく勿体ない気がした。
「現実だったら、俺もあいつもファーストキスだよな……」
そう思うと葛藤が止まらない。
俺は洗面をしなくてもいいのではないか?
だが、洗面を済ませないと、朱里にちゃんと顔を洗って出直して来いと言われるだろう。
勿体ない。
勿体ないが、夢だったかもしれないからと言い聞かせて顔を洗う。
タオルで拭きあげて洗面オッケー。ふう、さっぱりしたぜ。
顔を上げた途端、頬に熱いものがつうっと伝う。
何故だ!?
何故、涙が頬を伝う!?
「京介、いつまで顔洗ってんの? ご飯できてるよ?」
洗面に時間をかけすぎたらしく、しびれを切らした朱里が洗面所まで様子を見に来たようだ。
俺の顔を見て驚く朱里。
「な、なに泣いてるのよ?」
「いや、生まれて初めて……顔を洗ったことを後悔した」
俺がそう言うと、朱里はにやりと笑った。
「……もしかして、キスのせい?」
夢じゃなかったのか!
やっぱり、顔洗うの止めればよかった!
「馬鹿ね。そんなことで時間かけちゃって」
そう言うと、朱里は微笑んで俺の顔を両手で掴み――「ちゅっ」と、俺の唇に唇を重ねた。
すぐに離れた軽いキス。
「はい、これでいいでしょ。ご飯食べにきてね」
軽い感じの朱里。
キスって、こんな簡単でいいの?
お前どうしちゃったの?
俺のこと実はそんなに好きだったの?
俺はもう羽が生えたみたいにふわふわしながら食卓へと向かった。
朱里がついでくれた味噌汁とご飯を貰う。
鮭の塩焼きと卵焼きのシンプルな朝メシ。
これ自体はうちの日常の光景なのだが、今日はいつもと違う。
「にーちゃん、何でそんなニヤニヤしてんの。気持ち悪い」
俺の対面に座る美希が俺の顔をじっと見て言った。
いかん。さっきのキスで脳が溶けてるようだ。
「い、いや。なんにもない」
「変なにーちゃん」
うん、そのとおりだ。今日は変なにーちゃんだ。
キスされて浮かれまくってるにーちゃんだ。
美希よ、にーちゃんは今日一歩大人になったのだ。
朱里は、お袋と一緒に俺の鞄に弁当を詰め込んでいる。
これも以前から朱里がお袋を手伝ってくれてるので、いつもと変わらない。
朝食を終えて学校に行く準備もできた俺達は、徒歩とバスで学校に向かう。
家からバス停まで少しばかり距離はあるが、バスから降りるときは学校のすぐ近くなので楽だ。
バス停までの道程で、朱里になぜ急にキスをしたのか聞いてみた。
すると、朱里は婚約者なんだからいいじゃないと軽く笑った。
「お望みなら毎朝してあげてもいいのよ?」
ぜひお願いします!
と、言えないのが俺なんだけど。
「恥ずかしいからいいよ」
俺は気恥ずかしくなってそう言うのが精一杯だった。
朱里の様子は徒歩の間もバスの中でも、なんらいつもと変わりない。
まるでキス自体が無かったような態度だった。
徒歩からバス移動に移り、俺たちを乗せたバスは、定刻どおりに学校に到着した。
三年間いつもと同じ時間。いつもと変わらぬ朝だ。
俺と朱里はクラスが違うため、学校では別行動が基本だ。
成績順のクラス分けが理由で、頭のいい朱里と平凡な俺は高校に入ってから同じクラスになったことがない。
E組まであるクラスで、俺は三年連続C組。朱里は三年連続A組だ。
C組前まで一緒に行動し、教室前で分かれるのが俺たちの日常だった。
☆
一日の授業が終えると、俺は部活、朱里は生徒会へとそれぞれ向かう。
お互い活動を終える時間はバラバラだ。
一緒に帰るのは、週に一回あればいいほうだろう。
部室に入ると既に部員は揃っていて、それぞれ与えられた作業をしていた。
俺が来る前に副部長の菫が作業指示をしておいてくれたのだろう。
うむうむ、いいね。俺がいなくても作業を進めるとはさすが菫。頼りになる副部長だ。
でも、何で菫は俺を睨んでるのかな? 俺が遅れたからか?
菫が怖いので、さっさと自分の持分である効果線引きでもかかることにしよう。
我らが漫画研究部がやっていること。
まあ、当然、漫画の作成なんだが。
秋の文化祭での部誌発行を目指して、現在作業中である。
部誌といっても、二十ページほどの合作読み切り。
それと部員のイラストを今回は三枚ずつ載せる。(当然十八禁は禁止)
これは漫研が代々続けてることなので、俺たちも襲踏している。
黙々と作業が続けられ、時折各々から確認の声が入る。
そして、また黙々と作業が続けられ、たまに「あぁん」と茶々の変態じみた吐息が漏れる。
作業しろ、この変態。
作業の時は基本静かな漫研なのだ。
たまに、騒がしい時もあるけどね。
修羅場なときとか、説教タイムとか、軽く生死を賭けた逃走劇とかね。
その沈黙を破ったのが、突然の来訪者。
部室の扉がノックされて、扉が開かれる。
入ってきたのは、俺の婚約者になった朱里だった。
部員も朱里と何度も顔を合わせてるので、特に気を遣うようなことはない。
それも朱里が誰に対しても気さくな態度を取ると知っているからだろう。
「あれ朱里、生徒会はどうした?」
「今日も早く解散になったから、一緒に帰ろうと思って。終わるまで邪魔しないように待ってるから」
そのためだけにわざわざ部室まで来たのか。
なんだよ部員共、ニヤニヤすんな。
誠は露骨に死ねって言いたそうな顔して、俺を睨んでんじゃねえよ。
「会長どうぞ。ところで、部長から聞きましたけど、婚約した気分ってどうですか?」
沙緒が朱里に椅子を差し出し、ニヤニヤしながら質問を浴びせる。
竿竹も小刻みに揺れている。まるで、竿竹自体が笑っているみたいだった。
しかし、その質問には俺も聞いてみたいところがある。
朱里は、その質問に照れくさそうにはにかみながら、
「……幸せかな」
――ノロケきたああああ!
おいお前ら、聞いたか。幸せだってよ。
俺もそんな台詞を朱里の口から聞けると思ってなかったぞ。
なんだ誠。二回死ねと言わんばかりのその顔は?
お前には部長として、人としての生き方を説かねばならんな。
菫は「ちっ」と小さく舌打ち。
沙緒は「ごちそうさまです」と無難な対応。
茶々は「ああん。今の顔いい!」と別世界にダイブ中。
まあそれぞれ対応は違ったが、特に問題にはならなかった。
このあと朱里は自分の言ったとおり作業の邪魔をすることなく、ただ静かに待っていた。
時折、俺の顔をじーっと見つめてきたりするので少し照れる。
お前、俺の事そんなに好きだったの?
嬉しいはずなのに、鏡をじーっと見つめる茶々の恍惚とした表情が目に入り、俺の気持ちを台無しにさせた。
誰か変態に効く薬とか、治療法を開発中の人知らないか?
真っ先に試して貰いたいやつがこの部室にいるんだが。
もしそういうの作れたら、なんちゃら科学賞とかもらえると思う。
なんやかんやと作業は続け、下校時間になったので部活を終了する。
後片付けをした部員達は、それぞれ挨拶をして下校していく。
俺は仮にも部長なので、いつも一番最後に鍵締めして帰ることにしている。
たいして役に立っていない部長なので、せめてそれくらいはしておこうという気遣いだ。
決して菫が怖いからといって、媚を売っているわけではない。
そうしておいてくれ。
職員室に部室の鍵を返却し、朱里と一緒にバス停に向かった。
他の部活の奴だろう。先にバスを待っている連中が四人ほどいた。
五分ほど待っていると、俺達の乗るベッドタウン行きのバスが到着した。
がら空きのバスに乗り込むと、二人で後側の右座席に並んで座る。
窓側席に俺、通路側席には朱里が座った。
バスが走り出してすぐに、俺の左手を朱里が握ってきた。
俺は頬が熱くなるのを感じたが、朱里の好きにさせていた。
手を握った朱里が、満足そうに嬉しそうな顔していたから。
そんな顔されたら、恥ずかしいからって突っぱねられない。
朱里が握った俺の手に、自分の指を絡めてきた。
幼いころの手のつなぎ方とは違う。指に指を絡ませてくる。
手を握るだけならともかく、指を絡ませると一気にエロく感じるのはなんでだろう。
誠ならさらに発展させちゃいそうな展開だ。
俺の心臓はこの状況にドキドキと早打ちしていた。
それと同時に温かいものに包まれるような感覚。
やばい――これが幸福感って奴なのか。
この世のカップルはこんな幸せな思いをしているのか。
親父達よ。何で俺と朱里をもっと早くに婚約させなかったんだ。
ふと、朱里が手を離した。
いや、離さないで欲しいんだけど。
手を握られていて気が付いていなかったが、バスの外を見ると見慣れた風景で、もう俺たちが降りるバス停が近かった。
物欲しそうな表情でもしてしまったのか、朱里は、ふふっと笑って「降りるよ」と言った。
バス停で降りた後、家までしばらく徒歩だ。
降りてすぐに朱里が俺の左手に手を伸ばし指を絡ませた。
ご近所さんに見られるかもしれないけれど、一度覚えた心地よさに抗うことは出来なかった。
時折、強く力を入れたり緩めたりで、まるで俺を弄ぶかのよう指を絡めてくる。
俺はそれに答えるかのようにして、絡めた指を朱里に倣うように力を強弱させる。
いつしかそれはシンクロして、お互い強く握り締め合っていた。
親父よ――俺、朱里と婚約して、本当に良かったと思うぞ。
いつもは振り回されてばっかりだけど、今回ばかりは親父達に感謝だ。
朱里と手を握ったまま、菅原家の玄関をくぐる。
朱里と一緒に帰って来たときに、まず俺の家の玄関を見るのは婚約する前からの習慣だ。
中に入ってみると、あるはずであろう家族の靴が玄関に無い。
「……うちみたいね」
「……のようだな。着替えたらそっち行くわ」
「うん。先に行ってるね」
そう言って手を解き、朱里は自分の家に向かって行った。
解かれた俺の手には、朱里の手の温もりが残っているように感じられた。
☆
腹も減っているので、さっさと着替えて隣の兵頭家に向かう。
勝手の知れた兵頭家の玄関からリビングに入ると、長テーブルが2つ並んでいる。
俺と朱里以外はすでに揃っていた。
キッチンではお袋とお袋さんがみんなの食事の準備で大忙しのようだった。
ここで言っておかねばならない、仲が良い両家においての共通認識。
俺がお袋と呼んでいるのは実の母親、お袋さんと呼んでいるのは朱里の母親だ。
親父と親父さんも同じ理屈だ。両方親みたいなもんで、そうやって区別している。
ちなみに、朱里も言い方は区別している。
母さんが自分の母親、お母さんが俺の母親だ。
父さんとお父さんも同じ理屈だ。
俺も中学に入るまでは親父達を朱里と同じように呼んでいた。
傍から聞くと紛らわしいかもしれないが、俺たち両家族の共通認識だ。
両家では、誰が誰を呼んでいるか間違えることは無い。
親父達に理由を聞くと、呼び名については一切関与していないと言った。
俺と朱里が勝手にそうしてきたらしい。
記憶には無いのだが、きっと俺と朱里で幼いながらも考えたことだったのだろう。
物分りのいい両親が、それをそのまま受け止めただけだった。
今考えると親父達の崇高な計画に、幼い俺たちが自分からまんまと乗ったような気もする。
妹の美希もこの環境下で育ってしまったからか同じ呼び方だ。
言葉も話せない幼い頃から、俺が朱里の母親に『お母さん』と呼び、母親には『母さん』と呼んでいたのを見て育ってきたのだ。
無理も無い話である。大地もどうやら同様のようだ。
今では笑い話の一つ。
美希と大地が小学一年の時、学校の先生から「お母さんに渡して下さい」と言われたプリントを美希はお袋さんに、大地はお袋にそのプリントを渡したことがある。
渡したプリントの中身は一緒の内容だったが、その光景を見たときは大笑いしたものだった。
ちなみに、美希と大地は俺の事を「にーちゃん」、朱里の事を「お姉ちゃん」と呼ぶ。
できれば、俺も「お兄ちゃん」と呼んで欲しかった。
お前らの発音はどうも膝っぽいんだよ。
リビングに入り、キッチンの前を通り抜けるついでに、料理を作っている母親達に声をかけていく。
「お袋さん、今日は何?」
「今日はとんかつよ。京介」
と、朱里の母親が返す。
「お袋、俺の分大きいのにしてくれよ」
「なに小さい子供みたいなこと言ってんの」
と、俺の実の母が返す。
こんな感じで、親も慣れたものである。
待っていると、できあがったばかりの美味そうなとんかつが皿に盛られて、持ってこられた。
配膳が終わるまでおとなしく、自分の座席で待つ。
配膳中に着替え終わった朱里が現れて、その手伝いを始める。
美希も朱里を見て手伝いを始めた。
男は大人しく待っているのが、両家の決まり。
男尊女卑の考えというわけではない。
我が家の決まりなので、俺も大地もその決まりに従っているだけだ。
キッチンはお袋達の戦場であり、聖地でもあるので、男が野暮に足を踏み入れるなと言うのが、親父達の言葉だった。
その代わり、作ってもらったものには、決して文句を言わないこと。
出されたものはありがたくいただく事。
これも親父達が俺と大地に肉体的指導を含めて、刻み込んだ言葉だった。
基本的にお袋たちの料理は美味いから、好きも嫌いも無いのだけれど。
もし、食わず嫌いを言おうものなら、俺は菅原家伝統の『撲殺寸前』を受け、大地は兵頭家伝統の『あれれ? 僕の関節が逆に向いてる』を受ける。
過去に一度、食わず嫌いをやらかして、両家の伝統を両方やられたことがある俺は、おかげで何でも挑戦する子になった。
親父さんも、わが子同様に扱ってくれるから、困ったもんだぜ。
いやあ、生きてるって、素晴らしい。
全員への配膳が終了し、両家族が席に着いたところで合掌。
親は親同士で、子供は子供同士で語り合いながらの食事。
時折、家族全体に話題が飛び交い、賑やかすぎになることもある。
生まれてから当たり前のように続いている、この光景。
本当の家族だけで食べる時は、逆に寂しい気持ちになる。
これは俺だけでなく、朱里、未希も大地も、子供たち全員が同じことを言っていた。
食事を終えると、長テーブルが片付けられて、親父たちは小さなテーブルで酒を酌み交わし始める。
まだ飲む気か。酒のどこが美味いのか、よくわからん。
お袋達と朱里はキッチンで後片付けの最中だ。
美希と大地は、ポータブルタイプのゲーム機をそれぞれ持って、頭を寄せ合ってゲームしている。
ポータブルなんだから、離れてもいいだろ?
どうやら買って貰ったモンスターを狩るゲームを協力プレイで遊んでいるようだ。
今度にーちゃんにも、それやらせてくれ。
特にやることが無い俺は、自分の部屋に戻る事にした。
自分の部屋に戻った俺は、文化祭で作る部誌のイラスト作成にかかった。
掲載するのは三枚だが、高校最後の部誌には納得のいく作品を載せたい。
そのために十枚くらい描いて、その中からいい物を載せたいと思っている。
夏の終わりまでには、色も塗らなくてはいけないので、コツコツと仕上げていこう。
え? 受験勉強はどうした? なにそれ? 美味しいの?
とは言うものの、高校三年生ともなると受験や就職の話は避けて通れない。
嫌でも目にするし、耳にも入ってくる。三年になってからはなんやかんやと説明会も多い。
受験シーズンはまだまだ先の話だが、やはり三年生の部活と言うのは早めの引退になる。
体育会系の部活は競技によって引退が異なるが、文科系は秋の文化祭で引退することが多い。
去年の先輩方も、秋の文化祭を境に部活の参加率低下が顕著になった。
良い意味でも、悪い意味でも、可愛がってくれた先輩方がいないとやはり寂しいものだった。
朱里は上の大学が狙えるほど、成績が安定している。
伊達に三年間、学年三位以下に一度も落ちたことが無いだけはある。
どんな勉強方法をしているのか、本人に聞いたのだが――予習と復習、それと宿題しかしてないと言っていた。
地頭が良い証拠なのだろう。
俺はというと何処でもいいから大学に入れれば良いかなと、甘い考えを持っている。
親父達は俺に期待していないから、人生経験のために進学しろと、温かい言葉をくれた。
そういえば、親父達に勉強や成績のことで文句を言われたことが一度も無い。
ただ、結果は俺の責任なのだから甘受せよ、とだけいつも言われる。
不出来な息子ですまん。
その代わり、親父達がヨボヨボになったら、いい老人ホーム探してやるから許せ。
金は貯めとけ。俺に言ったとおり、俺に期待するなよ。
俺は朱里を養わないといけないから、そっちまで手が回らないぞ。
下手すると、俺が朱里に養われるかもしれないからな。