いきおいよく1-1
菅原京介――御影高校3年生、18歳。漫画研究部所属。
自己プロフィールを書けと言われてもこれ以外に浮かばない。
成績は真ん中辺りを彷徨っているし、運動能力も人並み。
特徴がないと言えばなく、あるとすれば漫画書いているくらい。
俺が所属する漫画研究部は漫画を描くのが目的の部活。
純粋に漫画が好きで、自分達でも創ってみようとしている者の集まりだ。
創作クラスタなめるなよ。描けるもんならやってみろ。
我が漫画研究部と隣にあるアニメ研究部(通称アニ研)は、オタクの二大巣窟と言われている。
勘違いされやすいが必ずしもそうではない。
好きな漫画のジャンルは様々で萌え系だけが好きなわけではない。
アニメになった漫画も俺は好きだが、裏設定とか声優さんとかに詳しいわけでもない。
オタクにもグレードがあるようで、俺がオタクを名乗るにはおこがましいレベルにあると自覚している。
真正のオタクが多いアニ研と漫研を一緒にするなと言いたいわけではない。
個人としてはアニ研と仲良くやっている。アニ研は真面目にアニメ好きな奴が多いから好意的にいられる。好きなことを胸張って好きと言ってる奴を馬鹿にすることはしたくない。
とはいえ、オタクだからと理由だけで馬鹿にする奴らがそこら辺にいる。
自分の価値観だけに縛られ、相手を卑下する奴が俺は嫌いだ。
世は偏見に満ちている。普通にそう思う。
漫研について紹介していこう。
今、俺以外に部室にいる部員は4人。
これも毎年のことで、常連となる部員数名により、なんとか運営されているのが現状だ。
漫研に籍を置く生徒は他にもいるのだが、悲しいかな幽霊部員ばかりである。
何せ顧問も滅多に現れないほどのいい加減さだ。顧問を見たのは1か月以上前のような気がする。
幽霊部員どもはいっそのこと辞めてもらって構わないのだが、廃部のことを考えるとそういうわけにもいかない。世の中うまくいかないものだ。
愚痴をこぼしてしまったが、真面目に集まる部員には心愛の情を持って接している。
何故なら、俺が今年の部長だからである。
先代部長から指名され、この部活を引き継いだ。
つまり、俺はここで一番上なのだ。
褒めろ、称えろ、部員共。
俺の指した方向を向け。
俺の一言一句を聞き逃すな。
後でお茶を入れてやるから、たまにはそうしてくれ。
先に正直に言っておくと、部では俺の威厳などとっくに地に落ちている。
それというのも、俺がお調子者でいい加減なところがあるからだ。
悪い癖だとわかっているのだが、楽しいと思ってしまうと止められない。
ふざけてる時の俺はというと、幼馴染から言わせると「京介は殺したほうがいい」と思うこともあるそうだ。脳の中身が危ない幼馴染を持つと大変だぜ。
威厳がないとはいえ、部長に起きた出来事を部員たちに報告することは、大事なコミュニケーションの一つ。
それにこれはあいつとの約束だ。
真面目に部活に参加する四人の部員に、俺はとあることを報告した。
「なあ、ちょっと聞いてくれ。俺、婚約したんだけど」
それはもう、威風堂々と胸を張って宣言した。
「部長。それは次のネタですか?」
「違う」
なかなか失礼なこという奴だ。
ネタかと言ってきたのは、出来上がった原稿のチェックをしているしっかり者の副部長――二年生の次元菫。
かろうじて顎先にかかるくらいのおかっぱ頭、眉毛は少し太いけれど前髪で隠れているので目立たない。
体躯は引き締まっていて、身長は俺より5センチほど低く、女子の中では背の高い部類に入る。
彼女はいわゆる真面目さんタイプの女子で、眼鏡をかけてないのが個人的に残念だ。
お洒落を理由に大半の生徒が制服を着崩す中、彼女は一切着崩すこと無く、まるで模範生徒のように校則を遵守しているのである。
制服だけでなく、学校生活の規律全般を守る姿勢にどこの委員長さんだと言いたくなる。
まあ彼女がいるおかげで、漫研は規律正しく機能していると言っても過言ではないだろう。
規律を破った者に対して容赦ない叱責と肉体的指導が彼女の売りだ。
俺も春先に彼女にトラウマを植え付けられている。
自業自得ではあるのだが、彼女が怒るとマジで怖い。
菫が怒った時は、生き延びようとする本能に逆らえず、とりあえず逃げることを選択してしまうのは仕方がないことだと思う。
調子に乗って菫を怒らせてしまう俺が悪いのは分かっているが、頼むから部長には優しくしてくれ。
「誰と婚約したんですか? まあ、聞かなくても分かりますけど」
聞いてきたのは、菫の前に座ってトーンを貼っている夏川沙緒。
菫と同じく二年生でアニメとボカロをこよなく愛する女子。
どちらかというと、漫画よりイラストが好きな子だ。
当初はアニ研と間違えて、うちの部を訪れたのだが、何故か気が変わったらしく、そのまま漫研に入部し、現在に至っている。
沙緒は真面目に部活に来るので、部長の俺としては愛する部員の一人だ。
沙緒には我が部の外交担当に任命してある。
隣のアニ研にも趣味の傍ら遊びに行って交流を深めている。
彼女は友人が多いからか、アニ研や文化系の部活だけでなく、運動部とも交流があるらしい。
交渉も部員の中で最も成果を上げてくるのが彼女で、びっくりするぐらい交渉上手なのである。
容姿はというと、ゆるふわな感じのセミロング、菫と比べると小柄な体躯をしている。
俺との差なら最低でも10センチはあるだろう。
世間一般的な女子高生というのは沙緒のような子をいうのではないだろうか。
菫と違って悪目立ちしない程度には制服を着崩している。
正確に言うなら少しだけスカートの丈を短くしてある。
一度、ニーハイをはいていた沙緒に『絶対領域』について懇々と説明したことがあるのだが、ものすごく可哀想なものを見る目で俺を見ていたのは気のせいだと思いたい。
沙緒には他に得体の知れない特徴が一つある。
それはアホ毛だ。沙緒の頭のてっぺんに一房のアホ毛がある。
彼女のアホ毛はまるで生き物みたいに本人の感情とリンクしたような動きを示すことが往々にしてあるのだ。
悩んでるときは全体的にメトロノームみたいに左右にゆっくり揺れる。
怒ってる時は妖気でも感じているかのようにピンと直立。
沈んでいる時や疲れてる時は毛先までヘナヘナとし、喜んでいるときは小刻みにフリフリしたり、驚いたときは猫のしっぽみたいに膨らむときもある。
正直、本人の顔を見るよりも心境が分かりやすい時もある。
その他にも心境によって動きが異なるため、とても気になるアホ毛だ。
俺はこのアホ毛を沙緒の名前にちなんで『竿竹』と密かに命名している。
生態観察はこの一年続けているので、今度は解剖して生態を調べさせて貰いたい。
その竿竹もピコピコと先端をこちらに向けているから、沙緒自身も俺の話に興味はあるようだ。
「相手はお前たちの察する通り、幼馴染の朱里だ」
「朱里って、生徒会長の兵頭だろ?」
そう説明的な台詞を吐いたのは、俺と同じ三年の高塚誠。
今日は珍しく真面目に背景にペン入れしているが、おそらくフェイクだろう。
本来ならば俺と同じ三年生なので副部長をやらせるところだが、エロすぎて平部員にしてある。
容姿に至っては、顔も整ったイケメン。
真面目な感じを匂わせるクールガイのメガネ少年だ。
だが、中身が駄目だ。終わってる。
脳の中が99.9%エロ。
毎日エロネタを考えていて365日エロづくしだ。
多分、生きてきた18年間もエロだったのだろう。
エロのために生きているといっても、過言ではないくらいだ。
こいつと漫画について語り合うと、傍から見たら猥談にしか聞こえないらしい。
例えるなら、誠と作品の構成会議をやるとする。
「新しいキャラを加えたらどうだ?」
「新しいキャラが咥えるだと!?」
「背景は効果線でやった方がいいと思うんだが」
「バックでやった方がいいだと!?」
誠の微妙な言い回しのせいで、なんとなく会話が成立してしまうので、俺も気付くのが遅れる。
脳内変換するだけならまだしも、いちいち大げさに反応して、女子の目の前だろうがお構いなしに興奮しながらエロ発言をぶっ放すド変態である。
俺まで巻き添えをくらって菫に殴られるし、女子からの視線も痛いし、肩身が狭いんだよ。
誠はプロ志望を明言しており、悔しいが確かに知識や技術は俺より上だ。
後輩たちへの技術指導も、こいつが最も適したアドバイスを出す。
いつもエロ発言で台無しにしているが、模範で見せる技術は確かなものだ。
一年の頃から俺とともに部活にはちゃんと顔を出しているのだが、それは自分のネタ探しが主な理由。
自分の殻に閉じこもっていては良い作品は生まれないとの思いからだろう。
まあ少なくとも、高校生活の部活で苦楽を共にした仲間なので、俺としては頼りにしている。
「いつ、決まったんですか?」
「昨日の晩飯の時に決まったんだ」
この部活で唯一の一年生女子、新城茶々の質問に答える。
名前も可愛いらしいこの一年生、自他共に認める美少女さん。
さらさらした長い髪、パッチリとした目、うらやましいくらいに整った顔立ちは、さぞかし神に祝福されて生まれてきたのではないだろうか。
十人いれば十人ともが確かに美しいといい、漫画でよく使う表現で言うならば、綺麗な花を背負って出てくるような美少女なのだ。
美少女なのに人当たりもよくて、先輩にうまく甘えてきたりとか、柔軟に人間関係は構築できている。
体躯については、沙緒より小柄だが成長過程にあるので、まだ伸びしろはあるだろう。
ここで肝心なことというか、残念なことというか、大事なことを言っておこう。
確かに綺麗な美少女なので、他人が認めるところは問題ないが、自分が認めているところが問題だ。
彼女は重度のナルシストなのである。
もう病気以外の何者でもない。神様は完璧な人間を作ることはなかったということなのだろう。
最初は何でこんな美少女がうちみたいな漫研に入部してきたのかと俺も最初は驚いた。
入部した後の彼女の行動を見て、落胆を覚えるとともに何故だか納得してしまった。
やはり、この部にはまともなやつが来ないのだと。
彼女は扉絵用のイラストを描いている最中だったようだ。
今も彼女が作業中のテーブル上には、置き鏡が三つ置いてある。
茶々の右顔が見える位置、左顔が見える位置、正面から見える位置にそれぞれ置いてある。
作業しながらチラチラと鏡に映った自分を見ては恍惚とした表情を浮かべている。
どう見ても変態さんである。
どれだけ美人でも三日で慣れるらしいが、変態は一生無理と気付いたのが、俺の行き着いた答えだった。
だがしかし、一年生ながら漫画に対する画力や技術が俺よりも高い。変態だが。
過去の作品も見せてくれたが心に響く良品が多かった。変態だけど。
この漫画研究部の将来を担うだけの風格を持っている。でも変態だし。
今、手がけている部誌用の原稿も彼女が提案した物語だ。変態の癖に。
こっちを見ているようで、意識は確実に鏡にある。この変態が。
「それで、急に婚約した理由とかはあるんですか?」
茶々が不思議そうな顔で聞いてきたので、俺は静かに質問に答える。
「親父達が決めたからだ」
そう言うと、部員たちの口から一斉に悲壮めいた声が上がった。
「「「「会長が可哀想過ぎる」」」」
おい、お前ら。まず俺に謝れ。
☆
ここで昨夜起きたことを語っておこう。
うちの家庭の事情も説明しておく。
うちの親父と朱里の親父さんは元々幼馴染で親友だ。
いや、親友なんてもんじゃない。大親友? これでも足りない。
語呂のいい真友、信友、心友、すべてが当てはまるくらい大の仲良しだ。
ホモじゃないかって思えるほどに仲が良く、家族ぐるみのお付き合いもしている。
家族旅行も当たり前のように一緒に行くくらいだ。
家もお隣同士。なんでも場所探しから一緒に回ったそうだ。
何から何まで協力し合う。ここまでいくと病気を越えてると思う。
本当はホモで偽装結婚してるんじゃないかと、疑ったことも数えきれないくらいだ。
そして、これがまたなんと言う偶然なのか、お袋達もそうなのだ。
親父達よりわずかに歴史は浅いが、中学の頃からの友達同士。
そんな二組の友人たちが何の導きか、大学の時に知り合ったらしい。
親友同士のお付き合いはめでたく結婚を迎え、今に至っている。
おかげで親父の家族ぐるみの付き合いに異論は唱えず、当たり前のように協力している。
親父達が共同で会社を作ってからは、お袋達は会社の事務経理。
家族を養える程度には稼いでいるようだ。
俺たちの認識では、二つの家族は姓は違えど、一つの家族と同じなのだ。
俺と朱里は同じ病院で生まれた時から一緒にいる。
俺たちの誕生日は一日違い。正確には俺が一時間だけ先に産まれた。
次に生まれた朱里は日をまたいだために、同じ日では無くなっただけ。
朱里の誕生日でもある四月二十一日に撮られた写真が家のアルバムにある。
生まれて数時間の俺と朱里の写真だ。
その写真には、手書きで書かれた名前の紙が、ベッドの脇に貼り付けられていた。
写真を見るからに、すでに名前は決まっていたのだろう。
こうして生まれた時からずっと俺の隣に朱里がいる。
これはお互いに言えることなのだが、赤ん坊の頃からの付き合いだけあって知り尽くしている。
好き嫌いや行動規範まで分かってしまう。
経験則がものを言い過ぎるくらいなのだ。
嘘はすぐにばれるし、隠し事や誤魔化しがなかなか通じない。
俺もあいつのことは理解しているつもりだ。
朱里が余計なことを考えている時も俺にはすぐ分かる。
生まれたときから一緒にいて、幼稚園の頃から高校三年になった今でも、俺と朱里は一緒に登校している。
なんていうか、自分たちでもそれが当たり前になってしまっている。
幼稚園の桃組から始まって、中学校卒業まで全部同じクラス。
親父達が学校に言って、そうさせてるのではないかと疑ったくらいだ。
高校では成績順でクラス分けされてしまったが故に、初めてクラスが分かれた。
正直、俺は不安で仕方がなかった。
朱里が視界にいない。たった、それだけのことで。
きっと朱里もそうだったに違いない。
帰りに待ち合わせして、朱里も俺の顔を見るなり安堵の表情を浮かべていたから。
そんな生活も、過ごすうちに少しずつ慣れていった。
今となっては俺は漫研、朱里は生徒会と、それぞれの活動があるので、帰りは別々なことが多い。
けれど、たまに一緒に帰る時は、やはり一人の時と違って気は安らいだ。
俺が小学校から現在まで、無遅刻でいられたのも朱里のせい。いや、おかげだ。
それというのも朱里が毎朝俺を起こしに来てくれるからだ。
もし俺が怠惰に寝過ごそうものなら、朱里の鉄拳制裁で起こされる。
漫画やラノベにありがちな、起こされる時の偶然のパンチラや、寝惚けてしまってベッドで急接近なんて、ラッキースケベなんぞ微塵も無く、パンチが急接近という現実しかない。
幼馴染との甘いイベントなんぞ起きやしない。現実は残酷なものだ。
朱里は成績、運動、容姿、人格において、おおよそ満点に近い可愛い女子。
人受けもよく、その人徳の高さから、今年の生徒会長にも選ばれた。
スラリとした体躯で推定Dカップのおっぱい。くびれた腰周り。きゅきゅっと上がったお尻。歳を負うごとに、女の色気も上がってきていて、もう女としてしか見られない。
幼馴染の俺としては、一緒に並ぶのは鼻が高い自慢の幼馴染なのだ。
その点、俺はというと成績並み、運動並み、人受け並み、人徳並み、顔もイケメンなんてのには程遠い。
部員からの評価では、さらに下がるだろう。
ちなみに俺のジュニアも並みだと思ってもらって結構だ。
比較したこと無いからわかんねえけど、きっと並みだ。うん、そうだと言ったらそうだ。
いいところも無いけれど、悪いところもなく、特に目立った才能もない、平凡極まりない並の人間だ。
あまりにも並々だらけなので、せめて漫画の才能はツユダクにしてもらいたかった。
お天道様には顔向けできるができた幼馴染にはばつが悪かろう。
せいぜい特徴というと、少年向けの漫画を描いてる漫研の部長ってことくらいだ。
これも褒められたものでない。女の子の絵を描いてるときなんて無意識に顔がエロくなるしな。
それでも朱里は、俺との関係を変える事などまったくしない。
理解ある幼馴染ということを除いても、性格のいい女の子なのだ。
朱里は俺が漫画を描いていても、けっして馬鹿にしない。
俺の作品をしっかりと読んだ上で、ちゃんと公正な評価や感想をくれる。
批評や辛辣な意見もあれば、臆すことなく言ってくれる。
そのおかげで俺は自分が気付けなかった部分を知ることができて、人からも評価される作品にまで昇華させることだってできた。
正直、朱里には助けられてばかりいる。
だが、俺があいつのためにしてやれることなんて皆無に等しい。
優秀な朱里は自分で処理できるため、俺の手助けなどいらないのだ。
せいぜい俺ができるのは、あいつの迷惑にならないように気をつけるくらいだった。
まあ、これが現状の俺と朱里の関係だ。