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夢の中で美少年を看病したらハッピーエンドになりました!?

作者: えっちゃん
掲載日:2023/01/10

 シュシュシュシュー!


 ケトルの注ぎ口から白色の湯気が噴き出して、コンロのスイッチに手を伸ばした栗色の髪の女性は火を消した。

 茶葉入りの水筒にケトルからお湯を注ぎ、保温魔法をかけてから蓋を閉める。

 水筒と弁当箱をランチバッグに入れて、顔を上げた女性は壁掛けの時計で時刻を確認すると眉を吊り上げた。


「コラッ! シュレッド! 早く支度しないと学校に遅れるわよ!」


 両手で新聞を広げて読んでいた栗色の髪の少年は、女性の怒鳴り声に驚いてビクッと肩を揺らした。

 シュレッドと呼ばれた少年は、慌てて新聞を閉じて壁掛けの時計を見る。


「あっ、やばいっ。姉さん弁当ありがとう!」


 座っていた椅子の下に置いてあった鞄を掴み、姉が用意したランチバックを持ったシュレッドは駆け足で玄関へと向かう。


「じゃあ、行ってくるよー!」


 室内履きを脱ぎ捨てて外履きの靴に履き替えたシュレッドは、勢いよく扉を開けて文字通り飛び出して行った。


「行ってらっしゃい! 気を付けて行くのよー!」


 半開きの扉から顔を出した女性は、遠ざかっていく弟の背中へ声をかける。


「まったくもう」


 脱いだ際に飛んでいき外へ転がる室内履きの片方を拾い、もうすぐ十七歳になるのに落ち着いてくれない弟への溜息を吐いた。


「アシュリン、おはよう」

「シュレッドはもう出掛けたのかい?」

「おはようございます。慌ただしくてすみません」


 散歩中の老夫婦と挨拶をかわしてから家へ戻ったアシュリンは、シュレッドに持たせた弁当箱よりも一回り大きい弁当箱を棚から出して、残ったおかずを詰めていく。


「これだけあれば足りるかしら?」


 弁当箱に蓋をして、アシュリンは着けていたエプロンを外す。

 キッチンカウンターの上に置いていたバインダーを手にすると、バインダーに挟んだ薬品の在庫管理票を捲った。


「軟膏とポーションは出来ているかしら? あとは毒消し薬と吹き出物に効く化粧水も欲しいわね」


 在庫管理票を確認して、欠品商品と品薄になっている商品を手帳に書き写していく。

 手元の時計によると、時刻は八時前。

 開店までの二時間で取引相手の所へ行き、欠品商品を仕入れて来なければならない。


 洗面所へ向かったアシュリンは、簡単に一括りにしていた髪を解き、ブラシで梳かして三つ編みに結び直す。

 欠品商品を仕入れ終わったらそのまま店に出られるよう身だしなみを整えて、弁当箱と昨夜焼いておいたクッキー入りの紙袋を入れたバスケットを持ちアシュリンは家を出た。



 向かう先は、町はずれにある小高い丘の上の一軒家。


 栗色の髪と明るい緑色の瞳を持つアシュリン・ジリーは、レドックスという名の田舎町唯一の薬局の若き店主だ。

 三年前、遠方の国へ買い付けに行っていた前店主だった両親は、突然起こった内乱に巻き込まれて亡くなり、アシュリンが店を引き継ぐことなった。


「はぁはぁはぁ……」


 長い坂を上りきり丘の上の一軒家に辿り着く頃には、アシュリンの息は乱れて額には汗が浮かんでいた。

 蔦が外壁を覆い、かろうじて蔦の間からオレンジ色の屋根が見えるこじんまりとした一軒家は静まり返り、物音一つ聞こえない。


 ドンッドンドンドン!


 住人の寝起きの悪さをよく知っているアシュリンは、人気の感じられない家の扉を力いっぱい叩いた。


「はー、また遅くまで起きていたのかしら?」


 研究に没頭するあまり、住人の生活が昼夜逆転しているのはよくあること。

 返事が無くとも、集中すれば家の中に居る住民の魔力を感じ取ることは出来て、アシュリンはドアノブを掴んだ。


 ガチャリッ。

 思った通り、扉には鍵はかかっていない。

 体重をかけて、重たい扉を開いた。


「おはよう! エメル~! 起きている? え、これは!?」


 家の中に一歩中へ足を踏み入れた時、魔力の大きな乱れを感じ取ったアシュリンは反射的に両手を動かし、顔の前で交差させた。


 ドカーン!


 爆発音が鳴り響き、アシュリンの視界は充満する白煙によって真っ白に染まった。


 薬品が焦げる刺激臭と白煙で、目と鼻の奥が痛み涙と鼻水が溢れ出る。

 咳き込みながら壁に手を当てて手探りで窓を探し、探り当てた窓を拳で殴る勢いで開いた。


「ゲホッゲホゲホッ! 何が、ちょっとエメル! 今度は何をしたの!?」

「ゲホゲホッ」


 白煙が開いた窓から外へ流れて出ていき、室内の奥から口に手を当て灰色のローブを頭からかぶった人影が姿を現した。

 顔を覆うぼさぼさの黒髪を手で払いのけ、煤けて灰色になったローブを女性が叩けば室内に漂う白煙は消えていく。


「おっかしいわねーこの呪文の組み合わせで異界への扉が開くはずなのに、失敗するなんてー?」


 首を傾げた女性は振り返り、紺色の目を丸くしてアシュリンを見た。


「あら、アシュリンじゃない。そうか、アシュリンが入って来たから呪文が崩れたのねー」


 爆発の原因が判明して、納得したらしい女性は腕組みをして何度も頷いた。


「あのねぇ。朝から変な実験しないでよ。はいこれ。どうせ、徹夜で実験をしていてご飯も食べていないんでしょう?」

「うわぁ! ありがとうー!」


 アシュリンが差し出したランチバックを見た途端、女性は眠たそうだった目を開いた。

 魔導書と薬草が詰まった袋を除けて、一部木目が見えるようになったテーブルの上に受け取ったランチバックを置き、年季の入った椅子に座った女性は頬を紅潮させる。


「うわぁ美味しそう―! いただきまーす!」


 ランチバックから取り出した弁当箱の蓋を開き、歓喜の声を上げた女性は勢いよく肉団子にかぶりついた。

 シンクに置いてあった縁の欠けたカップを水で洗い、アシュリンはトートバックから持参した水筒を取り出した。

 洗ったカップに紅茶を注ぎ、魔女エメルの前に置く。


「ねぇ、エメル。今日は注文していた軟膏を貰いに来たんだけど、もう出来ている?」

「うんん、軟膏はそっちの上に……あらまぁー」

「あー!」


 エメルが指差した先を見て、アシュリンは目を丸くする。

 割れた硝子の器と陶器の器と、色とりどりの薬品と液体が床に落ちて散乱していたのだ。


「さっきの爆風で全部吹き飛んじゃったみたい」


 苦笑いしたエメルはペロリと舌を出し、アシュリンはがっくりと肩を落とした。


 注文していた軟膏が吹き飛んだ原因、エメルが徹夜で何の実験をしていたか訊いているうちに頭が痛くなってきて、アシュリンはこめかみを指先で揉む。


「へー、異界への扉を開く魔法が完成出来たら凄いわね。王宮お抱え魔女に成れるんじゃないの?」


 異界の扉を開く魔法とは、人の魔力程度では時空を歪ませるのは無理だと一蹴したいところだが、気になったことはとことん研究するエメルなら仕方ないかと納得する。


「そんな役職はいらないけど、費用と材料を気にしないで研究に没頭できるのは魅力的ね。ただ、今の王様は平和主義だから国を乱すような魔法は受け入れてくれないわね。あ、そうだお詫びにこれをあげるわー」


 弁当の中身を全て食べ終わったエメルは、テーブルの上に置かれていた小物入れの引き出しを開けた。

 エメルが引き出しの中から取り出した物を目にして、アシュリンは眉を寄せる。


「これはなに? 禍々しい魔力を帯びているじゃないの」

「ああ、これ? この魔力のヤバさに気が付くなんてさすがねー。この前、流れの商人からおまけでもらったのよ。薬を納品できなかったお詫びにあげるわ」


 テーブルの上に置かれた天色の宝石がはまった耳飾り。

 金細工が施され高価そうな耳飾りは、片方だけの上に黒茶色の汚れが付着していた。


「……この汚れは血でしょう? 高価なものでも、血が付いた物は恐いしいらないわ」

「いわくつきなものって、処理が面倒くさいから私もいらないのよねー」


 あはははーと、声を出してエメルは笑った。


 薬局の開店時間直前まで、アシュリンは爆風で荒れたエメルの家の中を片付けた。

 いつも通り、医院からの処方箋を持って来た客に薬を用意して、常連客の老婦人達と話をしているうちに一日はあっという間に終わる。


 学校から帰宅したシュレッドと一緒に夕食を食べて、翌日の店の準備と弁当の下拵えをしてからアシュリンはベッドに入った。



 ***



 冷たい空気が全身を包み込み、寒さからアシュリンの意識が覚醒していく。


(うう、寒いっ!)


 毛布にくるまって寝たはずなのに、震えるほどの寒さを感じて身震いしたアシュリンは目蓋を開いた。


「え?」


 自分の身に起こった異変を知り、一気に目が覚めた。

 ベッドで寝ていたはずのアシュリンは、裸足のまま冷たい石の床の上に立っていたのだ。


「え、ええっ?」


 驚いてアシュリンは周囲を見渡すが、自分のいる場所に見覚えも移動した記憶も無い。

 頬を抓ってみても痛みを感じるし、足の裏から感じる冷たさは現実味がある。


 冷たく暗い空間には灯りは無く、暗さに目が慣れるまでアシュリンは身を縮めて警戒をしていた。


「これは夢かしら?」


 ようやく暗さに目が慣れて、自分がいる場所が四方を石に囲まれた狭い部屋だと分かった。

 殺風景な室内には、簡素な木のテーブルと椅子があるだけで、外へ出る扉の上部の窓には鉄格子がはめられており、おそらくここは牢屋なのだろう。

 石造りの部屋はもう一つあるようで、迷った末にアシュリンは隣の部屋へ向かった。


 壁に手をついて覗き込んだ隣の部屋には、ベッドと簡易トイレらしきものが置かれていた。

 ベッドの上に黒っぽい何かがあり、アシュリンは目を凝らしてそれがなんなのか見て腰を抜かしかけた。


「ひっ」


 ベッドの上にあるものが人の形をしていると分かり、短い悲鳴を上げてアシュリンは後退る。


(まさか、死体!? いくら夢でも、死体の発見はしたくないわー!)


 両手で口元を覆ったアシュリンが背を向けた時、ベッドの上から男性の呻き声が聞こえた。


 ベッドに寝ている人物が生きているのなら、このまま放置しておくのは夢でも後味が悪い。

 口元から手を外して、アシュリンは恐る恐るベッドに近付いた。


(男の人? ううん、男の子、かな?)


 ベッドに横たわっていたのは、体つきからして若い男性。

 室内が暗いため、顔立ちと髪の色までは分からないが手首と足首には金属の枷がはめられており、枷と繋がった鎖は床に打ち込んである杭で固定されていた。

 男性の着ているシャツは所々破れて血で染まり、彼の体から流れた血でベッドシーツも赤黒く染まっていた。

 出血の状態から彼はかなり酷い怪我を負っていて、アシュリンの手が震える。


「あの、大丈夫ですか?」

「うう……」


 身じろいだ男性の破れたシャツの胸元から、傷口が見えてアシュリンは息を呑んだ。


(こんなに酷い怪我なのに、手当すらしていないなんて……彼は罪人なの?)


 男性の胸元に手をかざし、回復魔法をかけようと魔力を集中させて……違和感を覚えたアシュリンは目を瞬かせた。


「魔法が使えない?」


 使えないのではなく、魔法を発動しようと集中させた魔力が何かに妨害されて、散らされてしまう。


「誰、だ?」


 意識が朦朧としていた男性が顔を動かし、顔の半分を覆っていた髪が横に流れて顔が見えるようになった。

 閉じていた目蓋が薄っすら開き、焦点の合わない瞳がアシュリンを捉える。


「あ、私は」


 男性からの問いに、何て答えればいいか言葉を考えているうちに、アシュリンの視界に靄がかかっていく。


(夢から覚める?)


 覚醒すると気が付いた時には、アシュリンの目前に居たはずの男性の姿は消えていた。



 ***



 ドンドンドンドンッ!


「エメル~起きて、うっ!」


 ノックをして重い扉を開いたアシュリンは、家の中から流れ出てきた強烈な臭いを吸い込んでしまい、思いっきり顔を歪めた。


「ぐうっ! ちょっとエメル! 今度は何を研究しているの!?」


 前日は爆風、今日は目と鼻と喉に痛みを生じさせる刺激臭を発生させた犯人であるエメルは、毒霧防護用マスクと水中用眼鏡を装備の姿で現れた。


「アシュリン、おはようー。今作っているのはねー、飲めば枯渇した体力魔力を全回復出来る魔法薬よ。瀕死の状態からでも完全復活出来るわ! もう少し熟成させれば完成するわよ。多分」


 家の中から流れる空気を吸い込まないように、アシュリンは息を止めて状態回復魔法と状態異常防止魔法の詠唱を早口で唱え、魔法を自身にかける。


「はぁはぁ、魔法薬が完成したら、凄いわね。それで、軟膏は出来ている?」

「あっ、忘れてたー」

「ちょっと!」


 昨日、約束したというのに忘れてたと、あっけらかんと言うエメルの態度には、さすがのアシュリンも腹が立ってきてこめかみに青筋を浮かべる。

 防毒マスクを剥ぎ取ろうとするアシュリンの手を掻い潜り、「少し待ってて」と言いながら家の奥へ行ったエメルは、すぐに両手で紙袋を抱えて玄関まで戻って来た。


「代わりにこれをあげるわー」

「は?」


 手渡された紙袋に入っていたのは、薄茶色の兎のぬいぐるみだった。

 ふわふわの毛並みが本物の兎を彷彿とさせて、顔は釦と糸で作られている可愛いぬいぐるみ。

 モフモフした手触りによって、少しだけアシュリンの苛立ちが落ち着いていく。


「学生の時、成績優秀だったアシュリンが町のお薬屋さんだなんて勿体ないからーいいことがあるように幸運の御守り、兎のぬいぐるみをあげるわー。じゃ、私は忙しいからまた明日ねー」


 押し付けられるように兎のぬいぐるみを渡されて、呆然としているアシュリンを置いてエメルは扉を閉めた。


 軟膏を受け取れなかった以上、防御魔法をかけたとはいえ刺激臭を放つ家の扉を開く勇気は無い。

 仕方なく、アシュリンは受け取った兎のぬいぐるみを両手で抱き締めて、家へ帰っていた。


 帰宅後、強烈な刺激臭が体に纏わりついている気がして、アシュリンは風呂場へ直行して念入りに体を洗った。


「……疲れたー」


 一日中、体の匂いが気になって仕事に集中できなかったせいか、いつも以上に疲れてしまい早めにベッドに横になった。

 兎のぬいぐるみを横に置き、紙袋の中に入っていたエメル手書きの説明書を一読して、アシュリンは溜息を吐く。


「幸運の御守り? これがねぇ」


 説明書には、極東の国に伝わる“幸運の御守り”と書かれており、御守りとして完成さるために準備するものを見て首を傾げる。


「中に持ち主の髪の毛を入れるって、呪いのぬいぐるみな気がしてきたわ」


 突飛なことをするとはいえ、代々魔女の家系のエメルが意味の無い物を渡すわけはないはず。

 人差し指に絡めた髪を一本引き抜き、ぬいぐるみの背中に開いていた小さな穴に引き抜いた髪を入れた。



 ***



 頬に触れる冷たい風を感じて、閉じていた目蓋を開いた。


(また、この夢?)


 目覚めたアシュリンが居たのは、ベッドの上ではなく昨夜と同じ石造りの狭い部屋だった。


 部屋の上部にある小さな窓から月明かりが入り込み、厚い雲で月が隠れていた昨夜よりは室内は明るい。

 石の床だと思っていた床は、一部に色あせているが絨毯が敷かれているのに気付いて、アシュリンは違和感を抱いた。


「ただの牢、ではないのかしら?」


 一歩足を動かして、寝間着から出ている手首にふわふわな物が触れた。

 顔を動かして見れば、腕の中にあったのは寝る前に抱えていた兎のぬいぐるみ。


「夢の中に出てくるのは、君が幸運の御守りだからかしら?」


 兎の頭を撫でて両手で抱えなおす。

 風の音以外の音が聞こえない、静かな空間では自分の息遣いと足音が大きな音に聞こえて、なるべく足音を立てないように忍び足で隣の部屋へ移動する。


 昨夜、隣の部屋に置かれていたベッドで横になっていた男性は、今夜は上半身を起こして天井近くにある小窓を見上げていた。

 部屋へ射し込む月明かりに照らされた横顔は、想定したよりも幼く見えた。

 彼の灰色の髪が月明かりを反射して煌めいていて、アシュリンは動きを止めた。


(私よりも若く見えるわ。もしかして年下の男の子なの?) 


 かたんっ。


 アシュリンの肩が壁にぶつかり、小さな音が室内に響く。

 振り向いた少年は、兎のぬいぐるみを抱えるアシュリンの姿を目にして、驚いたように口を半開きにする。


「……誰だ? 何故、ここに居る?」

「何故って、これは夢でしょう?」


 綺麗で中性的な顔にしては低い声で問われ、少年に一歩近づいてアシュリンは答える。


「夢?」


 目を瞬かせた少年は数秒間考えてから、自嘲の笑みを浮かべた。


「夢か、そうかもしれないな。信頼していた者達に裏切られて捕らえられ、天に見放された俺はもう死んでいるのかもしれない」


 紫色の瞳が潤み出して、少年が泣き出しそうだと感じたアシュリンはベッドに近付き、身を屈めて彼と目線を合わせた。


「貴方は死んでなんかいないわ。これに触ってみて」


 少年の前へ差し出したのは兎のぬいぐるみ。

 傷だらけの少年の手を取ると、ぬいぐるみのモフモフの毛並みに触れさせた。


「ほら、触れられるでしょう? 感触があるということは、貴方は生きているのよ」


 大きく開いていた少年の瞳は再び潤み出し、瞳から零れ落ちた大粒の涙が頬を伝いぬいぐるみに落ちた。


「君は……天使、なのか?」


 震える少年の声と縋りつくような目を向けられて、アシュリンの胸の奥が締め付けられる。


「私は天使じゃ」


「ない」と続けようとした時、アシュリンの視界は靄がかっていき、あっという間に靄は少年の姿を覆い隠していった。



 ***



 翌朝、いつもよりも長めに眠ったのに全く疲れが取れず、ぼんやりとアシュリンは朝食を食べるシュレッドを眺めていた。


(二日連続で同じ場所の夢を見るとか、私はどうしたんだろう? 側に置いておいた兎のぬいぐるみも無くなっているし。もしかしたら、あれは夢じゃない? だったら、あの少年は今も傷だらけであの部屋に閉じ込められている? ご飯は食べているのかな?)


 綺麗な顔立ちでも表情に少し幼さが残っていた少年は、シュレッドと同じくらいの年齢だろうか。

 少年が弟と同年代かもしれないと思うと、たとえ夢の中の出来事だとしても切ない気持ちになる。


「姉さん、どうしたの?」


 食器をキッチンへ運び終えたシュレッドは、心配そうに椅子に座って考え事をしているアシュリンの顔を覗き込んだ。


「ちょっとぼんやりしていただけよ」

「ならいいけど、寝不足なら開店時間を遅くして、少しゆっくりしたら?」

「ゆっくり、ってシュレッド! そろそろ出なきゃ遅刻するわよ!」


 時計へ視線を移したアシュリンは、テーブルに手をついて勢いよく立ち上がった。


 シュレッドを送り出したアシュリンは、欠伸をこらえて薬局の開店準備を始めた。


「ありがとうございました。お気をつけて!」


 ハイポーションを買って行った冒険者の青年を見送り、アシュリンはカウンターの奥にある休憩スペースの椅子に座って一息ついた。


 エメル特製ポーションは町の人々や冒険者からの評判が良く、入荷するとすぐに売れてしまう。


(あの少年、怪我をしていたのに手当もされてなかったわ。回復魔法は使えないし、あのままじゃ傷が化膿して悪化しちゃうわね)


 店頭に出しているハイポーションは少なくなってきたため、在庫を置いてあるカウンター奥の休憩スペースへ向かった。

 在庫を置いている棚からハイポーションの瓶を出し、そのうちの一本を空の薬箱へ入れる。


(もしも、手にしている物が夢の中に持ち込めるのなら……傷の手当は出来るかな?)


 少年の怪我の状態を思い出しながら、アシュリンは手当に必要な消毒液と包帯、綿球と軟膏を棚から取り出して薬箱へ入れていった。



 ***



 硬く冷たい床の感触が足の裏から伝わり、アシュリン閉じていた目蓋を開く。

 抱えて眠った薬箱はしっかり腕の中にあり、夢の中に持ち込めたことに安堵の息を吐いた。


「あの、こんばんは?」


 おそるおそるかけたアシュリンの声に反応して、ベッドに横たわっていた少年は緩慢な動きで上半身を起こす。

 少年に寄り添うようにベッドの上に置いてあるのは、昨夜彼に渡した兎のぬいぐるみ。


「動いても大丈夫?」


 ベッドへ近付いたアシュリンは、シャツの上から見える少年の腕の傷に目を向ける。

 昨夜に比べれば出血は止まっているとはいえ、まだ瘡蓋で覆われていない傷は酷いことには変わりなかった。


「ああ。どうやら俺を捕らえた奴らは、食事と排泄させてくれる慈悲はあるらしい」


 少年の視線の先には、床に置かれた簡易トイレと金属の盆があった。


 臭いが気にならないのは、定期的にトイレを交換されているからだろう。とはいえ、怪我の治療はされないなんて、少年はどんな罪を犯して投獄されているのか。

 問いたくなるのを堪え、アシュリンは抱えていた薬箱をベッドの上置いた。


「傷を見せて。簡単な手当くらいしか出来ないけど、このままでは酷くなっちゃう」


 薬箱の蓋を開いて手当の準備を始めるアシュリンに、少年は目を丸くする。


「君は……いや、頼む」


 俯いた少年に背中を向けてもらい、血で汚れて傷口に張り付いたシャツを慎重に脱がす。

 手枷についている鎖が邪魔をして脱げないため、袖はハサミで切って脱がせたシャツは畳んで床に置く。

 濡れタオルで肌を清拭しながら、傷口にハイポーションを塗り込んでいった。

 時折、傷の痛みで少年の体が揺れる。


「ハイポーションを使っても塞がってくれないなんて、どうやって傷付けられたのよ」


 胸の傷はあきらかに心臓を一突きしようとしたもので、ハイポーションを塗り込み軟膏を含ませたガーゼを貼り、上から包帯を巻いた。


「部屋全体にかけられている結界が魔法を封じ、回復薬の効果を弱めているんだろう」

「結界が? だから魔法が使えないのね」


 回復魔法が発動しなかった理由に納得して、顔を上げたアシュリンは「あら」と声を出しかけた。

 痛みを堪えていた少年の頬はほんのりと赤くなり、両目の涙で潤んでいたのだ。


(痛いなら痛いって言えばいいのに。大人びているとはいえ、シュレッドと同じくらいの男の子が我慢しているのは、ちょっと可愛い)


 にやけそうになる口元に力を入れて、アシュリンは少年のベルトに手をかける。


「次は脚の手当てをするね。下も脱いで」

「なっ! 下は、いい。自分でするから」


 顔を真っ赤に染めた少年は、ベルトに触れるアシュリンの手を払い退けた。


「薬箱は置いておくから、ちゃんと下の手当をしてね」

「……ありがとう。大分楽になった」


 全身を真っ赤に染めた少年は恥ずかしそうに目を逸らす。


(ふふっ照れてる。シュレッドと同じくらいの男の子なのに、鍛えているのか凄い筋肉をしているわ。手も指も硬いし、剣を扱っている騎士見習いとかかな?)


 清拭をして血と汚れを落としてみると、少年の髪は灰色ではなく銀色で体つきも随分鍛えてられたものだった。

 騎士か騎士見習いなら、手枷足枷を付けられているのも分かる。


 横を向いていた少年の顔が動き、彼の目とアシュリンの目が合う。


「君の、君の名前は?」

「私の名前? アシュリンよ。貴方は」


 少年の名前を問おうとした時、アシュリンの視界に靄がかかっていく。

 さよならを言いたいのに、喉から出した声は音にならなかった。



 ***



 学校へ向かおうと鞄を持つシュレッドの手を見て、以前に比べて着ている服の袖が短くなっているの気付き、アシュリンは口をつけていたカップをテーブルに置いた。


「新しい服が必要よね」

「姉さん、どうした?」

「いや、最近背が伸びた気がするし、シュレッドの新しい服を買った方がいいなと思ったのよ」

「ふーん、買ってくれるなら頼むよ」


 頷いたアシュリンは、慌ただしく玄関から外へ飛び出していく弟の姿を見送った。



 小さな窓しかない部屋は、消毒液と傷薬の匂いで充満していた。

 消毒をした傷口を覆うガーゼを貼り替え、その上から巻いた包帯の端を留める。


「はい。終わったわ」

「ありがとう」


 恥ずかしそうに頬を赤くする少年の姿がシュレッドと重なり、アシュリンは微笑んだ。

 両腕で抱えて眠り、持ち込んだバッグから新品の上着を取り出した。


「この上着を羽織ってみて。弟の服だけど、ボロボロの服よりはいいでしょう?」

「服?」


 戸惑う少年の反応で、ハッとしたアシュリンは周囲を見渡した。


「服が変わっていたら不審がられちゃうかな?」

「それは、大丈夫だ。ここへ来るのは目が悪い者だし、彼女は俺自身には興味ないらしい……羽織るのを手伝ってくれないか」


 手枷の付いた手首を見せる、少年の全身は赤く染まっていた。

 肩からかけた上着がずれ落ちないよう、前を釦で止めているアシュリンの手に少年の手が重なるように触れて、すぐに離れていく。


「本当は下も着替えて欲しいけど、鎖が邪魔をしていても脱ぎ着出来そうなスカートを持って来たけど、着てみる?」

「えっ!」


 アシュリンが両手で広げたスカートを見て、動揺した少年は激しく体を揺らす。


「……君はもう、はっ」


 目を見開いていた少年の目が急に険しくなり、部屋の奥にある上部に鉄格子が付いた小さな扉へ視線を向けた。

 遠くから石の床を歩く複数の足音が聞こえた気がして、アシュリンも少年が睨んでいる扉の方を向く。


「誰か来る?」

「っ、すまない」


 言い終わる前に、少年はアシュリンの肩を抱き彼女と一緒にベッドへ倒れると、毛布をかぶって全身を覆った。


「中から話し声が聞こえるだと?」

「は、はい。私は目が悪い代わりに耳はいいのですが、ここのところ牢から話し声が聞こえてきて……先ほども声が聞こえました。ついに狂ったのではないかと、怖いです」


 威圧的な男性の声と年配の女性の声が扉の向こうから聞こえ、少年に抱き締められているアシュリンは胸元に当てた手を握り、体を縮こませる。


「声など聞こえないではないか。まぁ狂ったとしても、処刑の日まで生きていればいい」


 クツクツと笑う男性の声と複数の足音は遠ざかっていき、辺りは静寂に包まれた。


 聞こえるのは互いの息遣いと心臓の鼓動の音だけ。


「くそっ、あの男……はっ!」


 怒りの感情で眉を吊り上げた少年と目が合い、少年は勢いよく上半身を起こしてアシュリンの上から飛び退いた。


 ジャランッ!


 少年の動きに合わせて手枷と足枷に繋がっている鎖も大きく動き、床に打ち付けられた鎖が鈍い音を立てる。

 捲り上がった毛布は宙を舞い床に落ちた。


 かける言葉を探しているのか、口を開閉させている少年の唇にアシュリンは人差し指を当てる。


「しー、また来ちゃうよ。静かにして?」


 素直に頷いた少年は、開いていた唇を閉じて黙り込んだ。


(処刑の日って言っていたわ。処刑されるから手当すらもされず最低限の食料を与えられて、ただ生かされているのね)


 これが夢だとしても、少年に対する扱いの酷さにアシュリンは憤りを覚えた。

 ベッドから下りて床に落ちたバッグの持ち手を握り、中から紙に包まれた固形食を取り出す。


「これも食べて。冒険者とか非常時用の固形食だけど、栄養価が高いから持って来たの」


 紙に包まれた固形食を両手いっぱいに乗せられた少年は、固形食とアシュリンの顔を交互に見てから意を決したように口を開いた。


「……ルーク」

「え?」

「俺の名前」


 ぶっきらぼうに名前を伝えられたアシュリンは笑顔になる。


「ルーク、早く怪我が治るといいね」


 微かに頷いたルークの全身は赤く染まり、靄がかかっていくアシュリンは彼に向って「またね」と唇を動かした。



 ***



 ガチャリッ!


 扉を叩こうと握った手を上げた時、勢いよく内側から扉が開く。

 反射的に後ろへ下がったため、顔面に扉が当たることは無かったが突然のことに驚いたアシュリンの口からは、乱れた呼吸音しか出てこない。


「アシュリンー!」


 勢いよく玄関扉を開けたのは、満面の笑みを浮かべたエメルだった。


「誰か瀕死の人いない?」


 おはようでもない第一声が不穏だったため、言われた言葉をアシュリンが理解するのに時間を要した。


「は? いきなり何を言い出すのよ?」

「ついに完成したの! 体力魔力を全回復させる魔法薬が! 治験したいから瀕死の人が欲しいのよー」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねるエメルの思考は、連日の徹夜と魔法薬の完成できっとおかしくなっている。


「そんな人はいないって、あっ!」


 普段以上におかしくなっているエメルに、冷静な対応しようとしていたアシュリンの脳裏に浮かんだのは、牢に閉じ込められているルークの姿だった。


「一人、瀕死ではないけど酷い怪我をした人を知っているわ。治験するなら、一つ貰ってもいい?」

「いいわよー。飲ませてどうなったか、絶対に教えてよー」


 鼻歌混じりのエメルはスキップをして家の中に戻って行った。



 ベッドに座り、兎のぬいぐるみを撫でていたルークはアシュリンの気配に気付き、顔を上げた。


「神妙な顔をしてどうした?」

「魔力と体力を全回復させることが出来るかもしれないわ。怪我と魔力が回復したら、生き残れるかもしれないでしょう」


 もしも怪我が回復したら、鎖をはずしてこの牢から逃げ出せるかもしれない。

 鎖が外せず逃げ出せなくても、処刑の日に隙を見て逃げ出せるかもしれない。


「回復? どうやって?」


 立ち上がりかけて、揺れたベッドから転がり落ちそうになった兎のぬいぐるみを、伸ばしたルークの手が止める。


「魔女特製の魔法薬を飲めば、怪我と魔力が回復するかもしれない。回復したらこれを使って鎖を外して」


 抱えて眠りこちらへ持ち込んだ毒々しい赤紫の液体入りの小瓶と、以前エメルから護身用に貰った魔法の短剣をルークに見せた。


「これを飲めというのか?」


 瓶の中で揺れる度に、泡立った泡が弾け立ち上る紫色の煙が出て消えるという、毒にしか思えない液体にルークの顔色が若干悪くなる。


「この薬を作った魔女の友達いわく、飲めば体力魔力を全回復出来るそうよ。まだ試作品だけど、上手くいけば魔力が回復出来るかもしれない。見た目と臭いは酷いし、本当に効果があるのか分からないから……これを飲むか飲まないか、ルークに任せるわ」


 アシュリン自身、「飲め」と言われても絶対に飲みたくない魔法薬。

 飲んでほしいとルークに強要は出来ず、アシュリンは俯いた。


「飲むよ。アシュリンが俺を害することはしない。君は、俺の天使だから」

「天使?」


 アシュリンの持つ魔法薬を受け取り、ルークは瓶の蓋を開いた。


「うっ」


 蓋を開けた瞬間、瓶の中から発せられる目と鼻を攻撃する刺激臭。

 顔を歪めたルークは両手で瓶を持ち、一気に中に入っている液体を口の中に流し込んだ。


「ぐっ、うぅ!」


 涙目になって吐き出しそうになるのを堪え、口を手で押さえたルークはごくりと液体を飲み込む。


 カランッ。


 瓶を取り落としたルークの顔色は、青を通り越して黒くなっていた。


「どう? 変化はあった? きゃあっ」


 口を押さえて震えているルークの全身から白色の光が放たれ、眩しさでアシュリンは目を瞑る。


「アシュリン」


 白色の光で埋め尽くされ、遠ざかっていく意識の中で金属が割れるような音と、ルークの声が聞こえた。



 ***



 扉の前に立ったアシュリンが手を上げると、ほぼ同時に勢いよく内側から扉が開いた。


「ねぇねぇ! 魔法薬の効果はどうだった?」


 開いた扉から出て来たのは、いつもの魔女のローブではなく普通のワンピースを着て、髪を耳の後ろでツインテールにしているエメルだった。


「あのねぇ、先に言うことがあるでしょう」


 何日もかけて作った魔法薬の効果を気にするのは当たり前かと、苦笑いしたアシュリンは少し考えてから口を開いた。


「効果はあったと思うよ。ただし、どの程度回復したかは分からないけど」

「ええー? どういうことー?」


 曖昧な答えを聞き、不満そうにエメルは唇を尖らせる。


「確認する前に、怪我人がいなくなってしまったからよく分からないの」


 結果を確認する前に、夢から覚めてしまったアシュリンにはそうとしか答えようがない。



 魔法薬を飲んだルークと別れた翌日、ルークがどうなったのか気になり早目にベッドへ横になった。

 何度も寝返りを打ち、ようやくアシュリンが寝付けたのは深夜に近い時間帯。


 ルークが捕らわれている牢で目を覚まし、すぐに隣室へ移動して彼の姿を探したが……隣室のベッドの上には彼の姿は無く、残されていたのは壊れた枷と刃物で切られた鎖だけ。


「枷と鎖が壊れている。ルークの怪我と魔力が回復して、ここから脱出したんだね」


 牢の中でルークの自由を奪っていた枷と鎖を持ち上げてみる。

 片手で持つにはずしりと重く、彼はこんなに重たく冷たい物で四肢の自由を奪われていたのかと、胸が痛くなった。


(あれは夢なのに。魔法の力で干渉された夢だとしても、牢から出られたのならよかったのに、どうして私は喜んであげられないんだろう。彼のことは、ルークという名前と囚われの身だったってこと以外は何も知らないのにね。考えても仕方ないわ)


 首を横に振って考えを中断させたアシュリンは、今朝エメルから仕入れたハイポーションと軟膏を棚に並べる。

 在庫が少なくなっている薬品を管理票に記入しようと、バインダーを取りにカウンターへ向かった。


 チリンッ。


 扉に取り付けたドアチャイムが鳴り、来客を知らせる。


「いらっしゃいませ」


 振り返ったアシュリンは大きく目を開いた。

 薬局へやって来たのは、薬品を求めて来店する客とは違う腰に剣を佩いた兵士達だった。

 この地域一帯を治めている領主に仕える兵士と、彼等の中央に立つ役人風の男性は戸惑うアシュリンを一瞥する。


「貴女が、アシュリン・ジリーですか?」

「はい。何か探し物でしょうか?」


 大きな事件が無い限り、田舎町では領主に仕える役人と兵士の顔を見るの機会は、商売の手続きや納税の手続きをする時くらいしかない。

 大きな事件も起きていない時に彼等が来たということは、書類の不備で何らかの処分を受けることになるのか、間違って国内では扱ってはいけない危険な薬品を取り扱ってしまったのか。

 色々な可能性を思い浮かべ、アシュリンは顔色を青くする。


「あの、うちの薬局では違法な薬品は取り扱っていませんし、税金もしっかり納めています。咎められることは何もしていません」


 緊張で顔を強張らせるアシュリンを見下ろし、役人は僅かに口の端を動かした。


「我々は、貴女を罰するためにここに来たわけではありません。貴女を領主様の元へお連れするために来ました。アシュリン嬢、平民である貴女に会いたいという、とても高貴なお方がお待ちです」

「私を? 今から領主様の所へ行くのですか?」

「では、行きましょうか」


 有無を言わせない口調で言った役人はアシュリンの肩を掴み、動きを止めた。


「触るな」


 背後から近付いた背の高い男性が、役人の首に抜き身の短刀を突き付ける。

 振り向こうとした役人の首に短刀の切っ先が触れ、彼は皮膚を傷付けられた痛みで小さく呻いた。


「手を離せ。そして、彼女の名前を軽々しく口にするな」


 震える手がアシュリンの肩から外れ、脂汗を流す役人はガクリと膝から崩れ落ちた。


「やっと見つけた」


 役人の背後に立ち短刀を突き付けていたのは、背の高い男性だった。


「貴方は……」


 マントのフードを目深にかぶっているため、顔立ちはよく見えないが男性の髪の色と声は聞き覚えがあった。


 短刀を鞘に仕舞い、かぶっていたマントのフードを外した青年は、見覚えのある笑みを浮かべる。


「アシュリン……会いたかった」


 目を潤ませる彼は、夢の中よりもずっと大人びていて震える声は夢の中よりも低く、すぐには目の前に立つ男性が彼だと受け入れられない。


「ルーク?」


 半信半疑で口にした彼の名。


「きゃあっ!?」


 名前を言い終わるよりも早く、感極まったルークは勢いよくアシュリンに抱き付いた。



 役人と兵士達は外で待機してもらい、休憩スペースに移動したアシュリンとルークは、椅子を並べて隣り合わせで座った。


「三年前の出来事?」


 アシュリンの口から素っ頓狂な声が出る。


「ああ。三年前、父親が亡くなった直後、反乱が起きて俺は捕らえられた。罪人として牢に捕らえられて、絶望していた時に突然アシュリンがやって来たんだよ。最初は、死を前にした恐怖心で幻覚を見ているのかと思ったが、置いて行った兎のぬいぐるみは本物で、アシュリンは幻覚ではないと分かった」

「私も夢だと思っていたわ。だって寝て起きたらいきなり牢の中だったんだもの」


 膝の上に置いたアシュリンの手をルークの手が包み込むように握る。


「魔法薬を飲んで怪我と魔力を回復した俺は、牢から脱出して反乱を起こした者達と戦ったんだよ。反乱と混乱を治めるのに二年もかかった。その後の一年は、ずっとアシュリンを探していた」

「待って。ルークにとってあれは三年前の出来事でも、私が夢を見始めたのは一週間前よ。これって魔法が関係しているの?」


 時空に干渉する魔法など聞いたことも、学生時代に読んでいた魔導書にも載っていなかった。

 とはいえ、面識の無い相手との不思議な出会いと、互いの時間のズレを考えると何らかの魔法が関与しているとしか考えられない。


「魔法が関係しているにしても、俺にとってはアシュリンに出会ったのは三年前のことなんだよ。君を探そうにも、手掛かりは薬箱と体に巻かれた包帯と服、それと兎のぬいぐるみだけだった。探索魔法を使っても反応は無くて世界中を探したよ。それが、一週間前から探索魔法に反応をするようになり、この国へ来た」

「探索魔法が反応をするようになったのは一週間前からって、どういうこと?」


 一週間前の出来事を順番に思い出して、アシュリンは息を呑んだ。


「異界の扉を開く実験の爆発に巻き込まれたわ。そんな、異界の扉って、まさかそういうこと?」

「アシュリン」


 混乱するアシュリンの頬に手を添えて、ルークは彼女の顔を自分の方へ向けた。


「俺と一緒に来て、俺の隣にずっといて欲しい」


 頬を染めたルークからの愛の告白ともとれる台詞も、アシュリンの混乱を増幅させるだけだった。


「え、ちょっと待って! 色々整理する時間とお互いを知る時間、あと、魔法に詳しい友達に事実確認をさせて」

「ああ、あの魔法薬を作った魔女殿は、ここへ来る前に王宮直属の薬師にならないかと勧誘しておいた。魔女殿からアシュリンの家を教えてもらったんだ」


 アシュリンの頬に添えていたルークの手は、下へと下がっていき混乱する思考から抜け出せないでいる彼女の肩を抱く。


「勧誘? エメルが私の家を教えたの?」

「喉が飲み込むのを拒否するくらいの、とんでもない味の魔法薬だった。だけど体力魔力を回復させる効果は絶大だったから、是非ともわが国で活躍してもらいたいと思ってね」


 ニッコリと笑ったルークの瞳が全く笑っていないと気付き、アシュリンの背中に冷たいものが走り抜けていく。


「えーっと、ルークは領主様よりも高貴な方、なんでしょう? 平民の私が一緒に行っても、身分が違い過ぎて反感を買うだけだし、何より考える時間がほしいな」


 肩を抱くルークの手に力がこもり、アシュリンの体を抱き寄せる。


「俺の命を救ってくれた恩人のことを悪く言う者などいない。もしもアシュリンに害意を向ける者がいたら、潰すだけだ」


 細められたルークの瞳に、抜き身の刃を彷彿させる冷たい光が一瞬だけ宿り、アシュリンは内心冷や汗を流した。


「ええっと、成人前の弟を置いて行けないわ。この薬局が無くなって困る人もいるでしょうし」

「君の弟も一緒に連れて行ってもいい。弟がこの町に残る選択をするのならば、領主に世話を頼んでおこう。薬局も経営を続けるよう、領主に依頼した。この町へ帰りたくなった時は、出来るだけ帰れるようにする。だから俺と一緒に来てもらうよ」

「そんな、強引すぎるわよ」


 涙目になるアシュリンの頬を優しく撫でて、目元を赤く染めたルークは微笑んだ。


「この三年間、本当に長かったんだ。アシュリンに逢いたいと願いながら眠っても逢えなくて、反逆者を粛清している間はおかしくなりそうになったこともある。やっとアシュリンを探せると思ったら、世界中を探し回っても見つからない。ようやく、アシュリンを見つけたんだ。手放すわけ無いだろう」


 いったん言葉を切り、アシュリンの手を取るとルークはそっと指先に口付けを落とす。


「ルーク?」

「一緒に来てください」


 顔を上げたルークは、上目遣いで顔を赤くするアシュリンを見詰めた。


「俺の天使」

「ええええー!?」


 驚愕と混乱、羞恥といった色々な感情が織り交ざったアシュリンの絶叫は、薬局の外で待機している役人の耳まで届いたという。



 ***



 魔法によって管理された庭園には大陸全土の四季折々の花が咲き、ガーデンテーブルにはアシュリンの好きなお菓子が並べられていた。


 仕事用のエプロンではなくドレスを身に纏い、元平民だとは思えないほど綺麗になったアシュリンの向かいに座るエメルは、チョコチップクッキーを一齧りしてニヤリと笑う。


「ね、幸運の御守りは効果があったでしょう? 処刑寸前だった異国の王子様を救った上に、寂しがり屋の王様となった彼の心を三年間も支えてあげて、アシュリンは王子様を救った聖女として、この国の王妃として迎えられた。そして私は、王立魔法研究所に就職が決まって研究三昧の日々!」


 摘まんでいるクッキーを口の中へ放り込み、エメルは芝居がかった動きで両手を広げた。


「これってハッピーエンドってやつじゃない?」


 ぱちぱち手を叩くエメルとは違い、アシュリンは眉間に皺を寄せて眉を吊り上げた。


「終わりじゃないでしょう。これから始まるのよ!」


 攫われるように連れて来られた異国で、人々からは王様の命を救った聖女扱いをされて、いつの間にか進められていた結婚式準備。


 少々強引で思い込みが激しいところが困りものだが、それを除けばアシュリンは夫となるルークのことを好ましく想っている。とはいえ、急展開についていけない時もあるのだ。

 一週間後に控えている結婚式の後、待っているだろう王妃としての仕事を自分がやれるのか、考えるだけでアシュリンは泣きたくなるのだった。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

アシュリン、21歳

ルーク、16歳→19歳 の設定です。


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