第一話 奈落峠駅着
電車が停まった反動のおかげで目が覚めた。
「奈落峠駅に到着しました。お忘れ物が無いようご注意ください。ご乗車ありがとうございました。」
車掌が無機質な声でアナウンスした。
寝ぼけた目を擦り、辺りを見渡すと、車内にいるのは僕だけのようだった。ポケットに入れていた切符を車掌に渡し、電車から降りた。
現在午後四時二十八分。
寂れた無人駅の駅舎のベンチに一人、青年が座っていた。
気難しい顔をして本を読んでいる。彼の表情は僕よりもずっと大人っぽく見えた。
すると本を閉じ、僕の方を見て立ち上がった。
「お前、西浦夏月か?」
「は、はい!」
僕は慌てて返事をした。
「俺は、二年の高木遊馬だ。先生から、案内役を頼まれている。」
背が高く、話し方も仕草も落ち着いているから、てっきり、三年生の先輩かと思っていた。
「よろしくお願いします。」
僕は頭を下げた。
「早速学校に向かうから、ついて来い。」
と言うと高木さんは狭い駅舎を出た。僕も後に続いた。
正式名称『京都府立警察高等学校』。
通称『京警高校』は、これから僕が通う学校だ。
通常警察学校とは、警察職員を目指す高校を卒業した十八歳以上の者が通い、教育と訓練を行う機関である。
しかし、警察高校の入学資格は中学を卒業した十五歳以上の者に与えられ、唯一京都府にのみ、設置されている。
警察学校と警察高校の違いはそれだけではない。
時を遡ること三十年前、とある物理学者の論文によって世の中に変革が起きた。
「時間軸同時存在説」という論文で、その名の通り、過去・現在・未来は積層して同じ場所に存在することを示す。
普段それらは「扉」によって仕切られているので、決して交わることはないという。
無論、「扉」が閉まっていればの話だが。
この説を唱えた物理学者はノーベル物理学賞を受賞。
それ以降この説を応用し、「時空間移動論」が提唱された。
要は「扉」を開ける役割を担う"鍵“に関する論述で、「扉」を開けることにより、タイムトラベルの実現が可能だということを裏付けた。
各国政府はタイムマシンの開発に尽力し、タイムトラベルの一般利用化と歴史調査、そして大災害、戦争の阻止を目指した。
「時間軸同時存在説」が提唱されてから、約八年後タイムマシンは無事完成。
しかし、タイムマシンにはいくつかの欠陥がある。
一つ目は、現在より先の時間つまり、未来にはいけないこと。
過去の時間のみ移動することができる。
二つ目は西暦600年以前の過去の世界には行けないこと。
それ以外にも何か欠点があるらしいが、学校では習わなかった。
タイムマシンが開発されたことにより、"時間”に関する犯罪が発生することが予想されるので、「時空警察」という組織が生み出された。
その「時空警察」を育成するのが京警高校である。
拠点が過去か現在か。
警察学校と京警高校の最も大きな違いだ。
「うちの高校は、この山を登った先にある。土地勘のない奴は絶対に迷うから毎年、上級生が新入生を迎えに行くんだ。」
「そうなんですか。」
山道は多少舗装してあるだけで、立て札も無いから、確かに迷ってしまうかもしれない。
「ところでお前、荷物はそれだけか?」
高木さんは僕の肩掛けカバンに目をやった。
「それに何で学ラン着てるんだよ?私服でいいって言われてただろ?」
高木さんが疑問に思うのはもっともだ。
これから学生寮で三年間暮らす人間の荷物が小さな肩掛けカバン一つで済むはずがない。中学を卒業した僕が中学の制服を着ているのもおかしい。
僕は苦笑いして説明した。
「中学の制服と学校のジャージ以外の服を持ってないんですよ。親から買ってもらったものなんてないから、カバンに入れるものが少ないんです。」
高木さんは、しばらく黙って「そうか。」と呟いた。
それ以上僕に何も聞いてこなかった。
何ともいえない空気になったので、話題を変えた。
「学校の近くに神社があるんですね。」
僕は南にある漆塗りの鳥居を指差した。僕が今まで見たことのある鳥居の中でたぶん一番大きい。
「あそこに神社はねぇよ。なぜだか知らんけど、鳥居だけがあるんだよ。うちの高校が建てられるずっと前からな。」
と高木さんは言った。
それと同時に烏が不気味な声で鳴いた。
山登りをすること一時間、やっと学校に着いた。
「木造ですか。」
二階建てで、いかにも昔ながらの旧校舎のようだった。
「第二次世界大戦終戦後間も無く建てられた校舎だからな。」
「耐震性とか大丈夫なんですか?」
「……。」
「何で黙るんです?」
「寮に行くぞ。」
「はい。」
『大明寺寮』と呼ばれたそれは、瓦屋根の和風な建築でその名の通り、寺のようだった。
「俺はちょっと荷物を取り行くから、先に部屋に向かっててくれ。」
高木さんは、僕に鍵を渡すと足早にどこかに行ってしまった。
鍵に札が付いていてこう書かれていた。
『二十五 紫』
「君が新入り?」
目の前の人物が僕の肩を掴んで満面の笑みを浮かべている。
部屋には二人の先輩がいた。
僕は戸惑って何も言えずに固まっていると、
「先輩、近いです。」
いつの間にか戻ってきた高木さんがその人を僕から引き離した。
「こいつが今日から同室の西浦夏月です。先輩方も自己紹介してやってください。」
「これから、よろしくお願いします。」
僕は深々頭を下げた。
「僕は三年の赤松 琳です。どうぞ、よろしく。」
まず、僕を肩を掴んださっきの先輩が言った。
手を差し出してきたので、僕はその手を握り返した。
明るい笑顔の端々になんとなく圧を感じた。
「神宮寺 快斗。赤松とは同じクラス。」
赤松先輩の隣にいた先輩が言った。
眼鏡をかけていて前髪が長いせいもあってか、表情がよく分からなかった。多くを語らなそうで、なんともいえない独特の雰囲気がある。
「おつかれ。駅から学校まで来るの大変だったでしょ?」
赤松先輩が言った。
僕は頷くと、
「けど、予想より早く寮に着きましたよ。」
と、高木先輩が答えた。
山登りのおかげで普段使っていない筋肉を使ったような気がして、なんだか疲れた。
「赤松、そろそろ風呂の掃除に行くぞ。」
神宮寺先輩と赤松先輩は大浴場に行った。
部屋には僕と高木先輩の二人だけになった。
「うまくやっていけそうか?」
高木先輩は僕に聞いた。
「たぶん。」
と答えると高木先輩は少し笑った。
「ここは、色々な人が集まってるからな。まぁ仲良くなれよ。」
「頑張ります。」
そういえば、と高木先輩は紙袋を僕に渡した。
紙袋の中身は制服だった。
学ランでも、ブレザーでもない。
平安時代の庶民が着ていた"水干”という衣服がもとになっているらしく、色は紺色。
目を輝かせる僕を見つめて、高木先輩は呟いた。
「俺もお前と同じように中学の頃の制服を着て、何も持たずにここにきた。」
高木先輩の表情に陰が差した。
「そうだったんですね。」
それ以上僕は何も言えなかった。
新しい制服に袖を通した。
大きさに少し余裕がある。
着ていた学ランはカバンに閉まった。
「ようこそ、京警高校大明寺寮へ。」
高木先輩が言った。