魔法草のベンチは恋の歌をうたう
友情、尊敬、恋愛の境界なんて曖昧なもんだ。まして外から見たら、よくわからん。
俺は今、まさにそのことで可愛い可愛い婚約者に詰め寄られている。齧ろうとした婚約者様お手製の香草焼きロールを一旦胸の高さまでさげる。
香草特有の青臭い香りが苦手な人もいるが、俺はこの香りと独特の味わいが好きだ。シェリーの香草ロールは、薄く伸ばしてこんがり焼いた生地にも香草が何種類か入っている。
くるくると巻かれた狐色の生地の間には、カリカリに火が通った薄い塩漬け肉とたっぷりの野菜がのぞいている。そこには蜂蜜バターの香りも混ざり、午前中の魔法実技で疲れた頭と体がほぐれてゆく。
「フランク様。あなた方三角関係って噂になってます。ご存知なのかしら?」
この高飛車。このお怒りモードの吊り上げたまなじり。微かに潤んだ翡翠の瞳。きゅっと寄った眉間の皺。美しい曲線を描くダークレッドの眉。
金髪碧眼の俺とふたりで並んでいると、お人形さんみたいだとよく言われる。身長のバランスもちょうど良い。
「シェリー、可愛いなあ」
「まあっ⁉︎ 今そんな話しておりませんことよ!」
「んー、だって可愛い。キスしたい」
「不適切な関係を改めていただきたいの」
「なんだよ。だれのこと?」
俺は本気でわからない。
「あなたと!シラー様と!ニナ•アベレッジのことですぅ!」
プンスカ声を荒げても、柔らかく静かな響きは変わらない。とっても可愛い。いつまでも聞いてたい。
「え?シラー先輩には可愛いがって貰ってるし、ニナっちは可愛いがってるけど、草笛同好会の仲間ってだけだよ?」
「そんなこと、存じておりましてよ!」
「ならいいじゃない」
「そこに、なぜ、ワタクシが登場しないのか!と!申し上げておりますのよ!おかしいでしょう?変ですわっ」
婚約者どの、お怒りである。
「可愛い」
俺は思わずキスをする。
「ちょっと!ここ外!」
魔法学園中庭の、魔法庭園にある魔法草のベンチは、俺たちのランチデートスポットだ。シェリーの大好きな魔法草の香りに包まれ、柔らかな座り心地に幸せ気分を満喫する。
足元の魔法鈴草が奏でる清涼な音楽もロマンチックな気分を盛り上げるのだ。
「誰も気にして無いよー」
俺はランチボックスを浮かせておいて、空いた両手でシェリーを抱きしめる。うん。今日もいい匂い。
「皆さまご覧になってますわっ」
お怒りの内容が変わった。三角関係の噂はもうどうでもいいらしい。
「んー!可愛い」
もう一回キスをする。たくさんキスをする。
「おやめくださいませっ!はしたない」
「嬉しいくせにー」
「お外はダメです。めっ!」
背後で中性的な声で歌い出すものがいた。魔法草のベンチだ。俺たちを包む背もたれの部分が歌い出したのだ。
シェリーが嬉しそうに顔を覆う。令嬢にしては節のある逞しい指だ。手の甲の筋肉も、二の腕から肩口の筋肉もしなやかについている。煌びやかな金属弦ハープが好きだから。
俺の耳には、魔法草の歌う情熱的な恋の歌に、シェリーのハープが伴奏しているように聞こえる。毎日聞いているから、どんなふうに伴奏をつけるのか全部わかっているからな。
ベンチの座面から手頃な葉っぱをちぎり取る。シェリーが気づいて期待に満ちた眼差しを向けてくる。可愛いなあ。もう一度キス。
「もうっ」
俺は微笑んで草の葉を自分の唇にあてがう。魔法草は、ほんとにいい音が出るんだ。何より音域が広い。
狭い音域と歪んだ音が好きだという草笛愛好家もいるにはいる。だが俺は、やはり演奏の幅が広い方が楽しめると思う。
音も遠くまろく、空に溶けるような優しい音。まるでシェリーの声みたい。
シェリーは子供の頃から俺の草笛が大好きだった。なんの気無しに千切って吹いた草笛だったが、輝く笑顔で絶賛してくれた。それ以来、俺は草笛の道を弛まぬ努力で突き進んでいる。
秋の風が切なげに頭上の魔法樹の枝葉を揺らす。擦れた音は伴奏に加わわる。シェリーも魔法で竪琴を呼ぶ。
ああ、幸せだ。
ベンチの奏でる歌は情熱的だけれども、俺たちの間には穏やかな空気が流れている。
蝶がひらひら通りかかる。小鳥が可愛らしい声で唱和する。妖精たちもやってきた。楽しそうに輪を作って踊り出す。
シェリーと俺は時々視線を交わしながら、隣り合って演奏している。
胸にじんわりと温かいものが広がる。
この先も、ずっとずっとふたり並んで生きてゆこう。何十年経っても、こうして魔法の草花に囲まれながら、ふたりで恋の歌、愛の歌、幸せの歌を奏でていこう。
「すきだよ、シェリー」
「フランク様、すき」
音が途切れて、中庭の学生たちが校舎に戻ってゆく。昼休みが終わる。
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