第5話
エドワードが従者になって8年。
学園にも入学して、ステファニーは14歳になった。
授業が終わってから、今は公爵邸の庭でエドワードから指南を受けている。
基礎体力もだいぶつき、簡単にへばる事は無くなった。
「今日はここまでにしましょう。だいぶ動きに無駄がなくなりましたね。来月くらいからは真剣で訓練しても良さそうです」
模擬刀を鞘にしまうと、エドワードはそんな事を言う。
「本当!?やったわ!」
「勿論、元帥からお許しが出たら、ですよ」
舞い上がったが直後に落とされた。
父が許すはずがない。
「元帥が許すわけないわ。…ずるいわ」
母や妹は、ステファニーが剣術を学ぶ事をいまだに反対している。
兄達は何も言わないが、良くは思っていないのが表情に出ている。
それなのに今度は真剣で、となれば許しが出る訳がない。
「アル兄様に口添えを頼もうかしら」
「いいかもしれませんね。私も、元帥には進言しておきますよ」
「ありがとう!エディ、大好きよ!」
笑うエドワードの腕を引いて、その頬にキスを贈る。
真剣での稽古が許されなくても、エドワードからのお許しはでたのだ。ステファニーがステップアップした事に変わりはない。
踊り出したい心地で、ステファニーは自室へ戻った。
エドワードの指南を受けて8年。学園は来年卒業する。
兄達は既に卒業し、長兄は父の補佐を、次兄は騎士見習いとしてそれぞれ働き出していた。
ネヴィル伯ウィリアムとの婚約も、継続中だ。
2度の人生の中で、ステファニーは18歳で命を落とした。
15歳で卒業してから18歳まで。ウィリアムは適当な理由をつけて婚儀を遅らせていた。その理由を、ステファニーは聞いていない。
ただ、仕事が落ち着かないから、とだけ伝えられていた。
15歳で学園を卒業後、彼は彼の父の補佐として働いていた。
ステファニーが卒業する来年は、彼は19歳になる。卒業して4年。伝えられた理由が本音でない事など嫌でも知れた。
恐らくステファニーを捨ててルシルと婚約を結び直す根回しでもしていたのだろう。
今世でも彼はステファニーをぞんざいに扱っている。
いまだかつて、誕生日のお祝いカードなと貰った事もない。それどころか、公爵邸に来て妹の元に顔を出してもステファニーの所には来ない事などザラだった。
むしろそれが日常だ。
学園に入学したての頃は、せめて体裁くらいとステファニーの方から接触を図っていたが、10歳になるころには馬鹿馬鹿しくなってやめた。
今では殆ど接触がない。
その筈の婚約者が、何故か兄や従兄弟を連れてステファニーを訪ねて来たのはエドワードから真剣での稽古の話が出てから3日後だった。
応接間のソファに座ったステファニーの両脇を長兄と次兄が、正面を婚約者が、その左に従兄弟が陣取っている。
侍女とエドワードがステファニーの背後に控えていてくれるのは、流石に見かねたからだろう。
男4人に、少女が1人。4人のうち半数が兄とはいえ、明らかに紳士的な行動ではない。
後ろに控える2人に勇気をもらって、ステファニーは震えそうになる手を押さえ込んだ。
「それで、一体何が始まるのです」
湯気を立てる紅茶で口を湿らせて問えば。
「ステファニー、お前、真剣の稽古を始めるとは、本当か?」
口火を切ったのは長兄だ。
今年20歳になる兄は、ますます父に似てきており、淑女の皆様から熱い視線を浴びているらしい。
らしいのは、あくまで学園内での噂話でしか知らないからだ。
「ええ、元帥がお許しになれば、真剣で稽古を始めす。エディも大丈夫と言っています」
答えに、長兄——アーサーは眉間のシワを深くした。
「お前、そもそも最低限の体力をつけるために剣術を始めたのだろう。明らかに行き過ぎだ」
「やってみたら面白かったのです。それに、私は元帥に最低限の体力をつけるためなどと言っておりません」
「何?」
「危険な時に咄嗟に体が動くように。いざと言う時に公爵夫人や公爵令嬢の盾にもなれるように、と言ったのです。その上で、元帥はエドワードをつけてくださいました」
斜向かいに座るアルフォンスが笑った。
他の4人は渋面だ。
「お前にそんなこと望んでいない」
「知っております。元帥にもそう言われておりますもの」
でも、エドワードが来たと言うことは許容したと言う事でしょう?と。
殊更なんでもないことのように言えば、アーサーが鼻白んだ。
「外では剣術の話などしておりませんし、稽古にはエディとサーシャの2人しか同席しておりません。淑女らしからぬ、と社交界のどなたかに言われたこともありません」
「だが、淑女の嗜みではない」
「あら、バーデンブルグ伯は私の女家庭教師やダンスレッスンの先生の評価を聞いておりませんのね。太鼓判を押されておりましてよ」
淑女としていつ外に出ても問題ないと言われている。そして、その上で剣術も習っているのだ。
「むしろ体幹が鍛えられてダンスの姿勢が良いと褒められました。ご興味がないのは存じ上げておりますが、非難の前にその程度の情報を確認してからにしてくださいませ」
かちゃりと、ソーサーが音を立てた。
カップをテーブルの上に戻せば。
「お話はそれだけですか?」
「…お前は何に怒っているんだ?」
ボソリと。
本当にボソリと。
ステファニーが退室しようと腰を上げたところで、全身の血が沸騰するような言葉が落ちた。
あまりのことに顔色が悪くなる。
言葉を発したのは、ウィリアムだ。
いまだかつて、これほど怒ったことがあるだろうか。
目線がかち合って、ウィリアムが怯むのがわかった。
「私、今までウィリアム様は私の婚約者であると認識しておりましたが、間違っておりましたでしょうか」
「い、いや、婚約者だが」
声が震える。
アルフォンスが天井を仰いだのが視界に入った。
「…ネヴィル伯は是非、自身の胸に手を当てて考えることをお勧めしますわ」
表情を無理矢理取り繕って、ステファニーは言い捨てた。
そのまま応接間を出て行く。
「殿下方、今日のやりようは紳士とは言えません。もう少し女性への接し方を覚えると良いでしょう。特に、ネヴィル伯は婚約者への対応をね」
慌ててステファニーを追いかけるサーシャの後から応接間を退出するエドワードが、流石に一言釘を指したことを、ステファニーは知らずにいた。