第4話
少し離れたところで模擬刀を打ち合う2人を見ながら、ステファニーは変わらず広げられた昼食を食べていた。
意識が手合わせをする2人にも向いてしまっている為、食べるスピードが上がらないのだ。
「…あの従者は、エディと呼ぶのか」
ふと、隣から声がかかった。
半分ほど意図的に存在を切り離していたのだが、2人きりの場所で声を掛けられれば応じない訳にもいかない。
渋面にならないよう気を付けながら、ステファニーは婚約者の方へ顔を向けた。
「はい。そう呼んでと言われているので」
「何故」
「親しくなるにはまず名前からと言われました」
「親しくなる必要があると?」
「…何を怒っていらっしゃるのかわかりませんが、従者と親しくなるのは良いことではありませんか?」
あとは蒸し野菜を食べれば終わりだ。
皿を抱えるように持って、フォークを突き刺す。
眉根を寄せたウィリアムは、変わらず美しい。
初めて出会った頃はゆったりと微笑んでいたものの、ルシルとウィリアムが出会った2度目の対面以降、ステファニーに対して全く笑うことがなくなった。
双子の姉妹でありながら、こうも似ていない事実が突きつけられてしまったのだ。いやになったのだろう、気持ちはわかる。
「婚約者の私と親しくなろうとは思わないのか?」
唐突に、そんなことを言った。
「…親しくなりたいのですか?でも、ウィリアム様は私の愛称は呼びませんよね」
彼は、ステファニーは愛称で呼ばないがルシルはルーシーと呼んでいる。
そもそも名を呼ぶ、さらに愛称を呼ぶには当人が許さなければならない。
許可がなければ男性は爵位や家名、女性は家名で呼ぶのが通常である。
ステファニーは初対面でステフと呼ぶよう、ウィリアムに告げていたが、ウィリアムからウィルと呼ぶよう許可はもらっていない。
その上、婚約者である私をダシによく屋敷にはやってくるが、今回の事故で私が寝込んでいる間に見舞いなどはなかった。
親しくなりたいと思っているようには感じられない。
「君も、私を愛称では呼ばないだろう」
「そうですね。そもそも許可をいただいていませんから、あまり親しくするのをお望みと思えませんでした」
ますます眉根が寄っていく。正直に言って怖い。
腰が引けたのがわかったのだろうか、ウィリアムは眉間を揉むようにして視線を外した。
ステファニーも、打ち合う方へと向き直る。
蒸し野菜は、半減していた。
アルフォンスとエドワードの身長差は、ステファニーほどではないにしてもだいぶある。
まともに打ち合っているように見えるが、エドワードが多分に手加減しているのだろう。
「…私が親しくなりたいと言えば、君は応じるのか」
呟いた声は、ステファニーには届かなかった。
「あぁあ、悔しい!悔しいぞエドワード!」
本気で悔しがっているのを見て、ステファニーは呆れる。
25歳と10歳では勝てると思う方が無理だ。
「殿下は筋が良い。ただ、まだ年齢的に体重がない。今後背が伸びて筋力がついてくれば、騎士団でもそうそう負けない力が身につきますよ」
「ステフが食べていたのは赤身魚とローストビーフだったが…、食事を変えれば私も筋力がつくかな」
「殿下やネヴィル伯爵はすでに基礎があります。食事は赤身の強い肉や魚、それから野菜をバランスよく食べれば筋力はつきますよ。あとはよく動いてよく寝ること。学園で忙しいのはわかりますが、簡単なトレーニングは続けると良いと思いますよ」
「私は3日運動したら1日完全に休みの日があるでしょう?兄様たちには不要なの?」
「いいえ、必要です。適度に休むことが必要なんですよ。殿下方の指南役も騎士団の団員でしょう。であれば、私が言わなくとも十分管理されていると思いますよ」
知っていることは惜しみなく与えるのだろう。エドワードはさらさらと告げる。
そしてステファニーの手元を見て、笑う。
「ステフお嬢さんもよく食べました。もう少し休んでから午後の鍛錬を始めましょう」
言って、頭を撫で回す。
エドワードは、多分父親のような感じなのだ。ステファニーがイメージする、父親。実の父はやってくれなかったことを、彼がしてくれる。
少し照れてしまって、頬が赤くなるのがわかった。
途端。
「…ウィル、いきなり引っ張るなよ、ステフが驚いているだろう」
二の腕を引かれて、体勢を崩す。
見上げれば、ウィリアムがエドワードを睨みつけていた。
ステファニーの代わりに苦情を言ってくれたのは、アルフォンスだ。
「…すまない」
ハッとしたように手を離す。一瞬、泣きそうな目をしたのが見えた。
離れたところに控えていたメイド達が、慌てたようにやって来るので何かと思えば、体勢を崩した時に紅茶の入ったカップを倒してしまったらしい。
敷布は茶色で目立ちはしないが、洗わなければならないだろう。
「お嬢様、お怪我はありませんか?」
「ええ、ごめんなさい、せっかくのお茶が…」
「それは良いのです。お召し物は濡れておりませんか?」
「ええ、大丈夫そう。敷布も汚れてしまったわね、ごめんなさい」
「謝っていただくようなことではございません。新しいお茶を入れます」
慌てて自身の体を検めるが、濡れている場所も痛む場所もない。
その間に、アルフォンスはウィリアムと何か会話していたようだが、聞き取れない。
やがて2人はステファニーに別れの挨拶をすると、連れ立って離れていった。
「…ステフお嬢さんはネヴィル伯爵がお嫌いですか」
エドワードがデリカシーのないことを聞く。
だが、彼のそんな裏表のないところは好ましく思えた。
「私ではなく彼方がお嫌いなのよ。さっきも聞いたでしょう?開口1番にルシルを危険に晒したとお叱りよ。寝込んだ私の心配ではなく。休んでる間だって、アル兄様からのお見舞いは頂いても、ウィリアム様からは頂いてないの。お手紙やカードの1枚も!」
体裁くらい考えれば良いものを、とステファニーは思わず声を荒げてしまった。
言い切って、口を押さえる。
メイドが驚いたように動きを止めた。
エドワードは笑う。
「男の風上にも置けませんね」
いつも通りの朗らかさだ。それに、背中を押された気になってしまった。
「私は最初、好きだったの。だから、恋愛は無理でも親愛位は持ってもらえるように頑張ったわ。でも、あの方私には笑わないの。妹にはとても綺麗に笑うのに」
そうだ。
彼は、ステファニーには笑わない。
「彼だけではないわ。…ねえ、気付いてる?私の家族は私をステファニーと呼ぶのよ。他の家族達は愛称では呼び合うのに。私も昔は兄様達を愛称で呼んでたのよ。でも、それに気付いたら、呼べなくなったわ」
異質な子供。
親に、兄弟に、妹には似ても似つかない、子供。
「私を愛称で呼ぶのはアル兄様。それから今は、エディ。呼んでくれて、嬉しかったのよ」
「…ステフお嬢さんはご家族が嫌いですか」
「…嫌いじゃないわ。でも、要らない。みんな、要らないわ」
零れ落ちた声は、震えていた。