第2話
床上げが医師から許されたのは目覚めてから5日目だった。
その足で父に面会を求めれば、程なく許可が返された。
部屋から出るのも5日ぶりだ。その間、部屋に顔を出したのは母が3回ほど。
元々馬車に轢かれかけただけで怪我などしていないステファニーには、今後の人生設計を練るには十分な時間になった。
この家を、いつか出て行くにしても計画は練らなければならない。
市井の常識も知らない身なりの良い小娘が1人でふらふらとしていたら、家を出たその日に危険な目に遭うのは目に見えている。
よくて身売りか、悪くて死亡だ。
家を出るとなれば当然家名は名乗れない。身元不明の小娘など雇ってくれるものはいないだろう。
そうすると、田舎に行って自給自足の生活をするか、修道院に入って一生を神に捧げるか。もしくは傭兵にでもなって旅に出るか。1番現実的なものは修道院だ。
だが、修道院は実は貴族社会に近い。貴族の女性は、その多くが修道院が運営する孤児院などに多額の寄付をしている。
滅多に貴婦人が孤児院に赴く事はないが、全くないわけでもない。
そうなれば、王都に近い修道院では居場所が露見する可能性が上がる。ならば、なるべく遠方がいい。そうするとそこまでの旅費がどれ程になるのか。
3度目の人生を送っているステファニーにもわからない。
ではどうすべきか。まずは知識が必要だ。
「失礼します」
一礼して入室すると、真正面に置かれている重厚で広い机の向こう。父が座っている。
ステファニーの姿を認めると、父は腕を組み直して彼女を見返す。
ステファニーは、その姿に体が重くなる感覚を覚えて心の中で自嘲した。
まだ、何か期待しているのか。
椅子から立って、出迎えてくれる事を期待したのか。
感傷を振り切る様に、真っ直ぐに父を見返す。
その父は、視線を受けて彼自身のそれを彷徨わせた。
「ルシルを危険な目に遭わせてしまいました。二度とこのような事がないよう、十分に気をつけます。申し訳ありません」
先手を打つように、口上を述べる。
頭を下げて、上げる。もう一度父を見れば、唖然としたような顔をしている。
普通であれば間抜け面だが、父がやると鑑賞にたる姿なのだから美形は得だ。
「色々と自分に不足があると痛感いたしました。つきましては、そろそろ女家庭教師をつけていただけないでしょうか」
この5日、考えた結果だ。
マナーやダンスを教えてくれる教師はついているが、それでは不足だ。
貴族の通う学園には、来年入学する。だが、この学園で女子は貴族夫人としての教養しか学べない。
卒業するのは15歳。その後すぐに結婚するのが期待されているからだ。
兄達は逆に政治学や経済学を学ぶ。その後貴族院など王国の中枢で働くことになるから。勿論騎士になるものもいるので、13歳以降はある程度学ぶ内容が希望により異なってくる。
だが、女は違う。
「女家庭教師はつけているだろう」
父が、低めの美声を発せば、ステファニーへ小さく笑う。
「今回の事で、私自身も身を守る術が必要だと思ったのです。護身術か…剣技を学べると良いかと。危険な時に咄嗟に体が動くように。そうすれば、いざと言う時にお母様やルシルの盾にもなれますわ」
「お前にそのような事は期待していない」
「…失礼いたしました」
期待していないと、真正面から言われれば流石に落ち込む。肩を落とせば、父は少し慌てたように視線を彷徨わせて。
「…お前がそう言うなら、誰かつけよう。だが、くれぐれも怪我などしないように」
「…ありがとうございます」
肩を落としたまま、父とは視線を合わせずに頭を下げて退室する。
許したのだから、近いうちに女家庭教師はやってくるだろう。
ステファニーは部屋から出ると、足早に自室へと戻った。
護身術の教師と引き合わされたのは、それから更に3日後。
がっしりとした体格の偉丈夫が窮屈そうに膝をつき、更に体をかがめてステファニーの前にいた。
「初めまして、お嬢さん。エドワード・エバンスと申します。今後、お嬢さんの従者としてお側にいることになります。宜しくお願いします」
にこりと笑えば、体付きに似合わず人懐こそうな雰囲気になる。
しかし、従者とは何事か。女家庭教師ではないのか。
「エドワードは先の国境紛争で怪我をして、騎士団を退団する事になっている。腕は確かだし、戦場には出せないだけでお前の護衛には十分な実力だ。教え方もうまい。色々学べるだろう」
男の前で困惑していれば、隣に立つ父が補足するように告げる。
成る程、監視兼ねてと言うことかと、納得した。
「初めまして、エドワード殿。ステファニーです。これからよろしくお願いします」
スカートを摘み上げて一礼すると、彼はますます笑みを深くした。
「エドでもエディでも、簡単にお呼びください」
言うと、音も立てずにスッと立ち上がる。
随分と背の高い、見上げるどころか隣に立てば首を90度曲げなくてはならないのではなかろうか。
背が高いと思っていた父よりも少し背が高い。
「では、私は仕事に戻る。エドワード、後は頼んだ」
「畏まりました」
引き合わせるだけ引き合わせると、父は仕事へと帰っていく。
その後ろ姿を見送る事なくステファニーはエドワードを見上げた。
「…首が痛くなりそう。エディ、今日はお茶をして少しお話ししましょう」
「畏まりました」
言うと、エドワードの腕がステファニーの両脇に入り込む。
そのまま、持ち上げられた。
驚きで声も出せずに固まったステファニーを、彼は右腕だけに乗せるとふむ、とまるで重さを測るように軽く揺すり。
「ステフお嬢さんは少し軽すぎますね。剣術指南の前に基礎体力と筋力をつけましょう」
「失礼です!」
驚きから覚めれば、今度訪れる感情は羞恥だ。誰にもこんなに軽々しく持ち上げられた事はない。
顔を真っ赤にして怒鳴るステファニーに、エドワードはにかりと笑う。
「俺とお嬢さんの足では歩く速さも違います。明日から従者として弁えますので、今日はご容赦ください」
あまりにもあまりな態度だ。
だが、本来従者が主人もお茶をする事などない。にも関わらず、ステファニーは彼をお茶に誘った。それでも弁えるのが普通だが、落ち着いて考えれば、この態度に不快さはない。
突然上がった視線の高さに、愉快さも混ざる。
そう、彼が父から監視を命令されていても、なすべき事をしてくれればいいのだ。
「…庭の奥に東屋があります。そこにいきましょう」
言うと、彼ははい、と応じて歩き出す。
背後に控えていたメイドも、驚きから醒めたようで、お茶の準備にとそれぞれ動き出した。
普段見ている景色とは、違う庭。
「ステフお嬢さんは、どの程度強くなりたいのですか?」
「どの程度?」
歩きながら、唐突とも感じる問いに、少し下にあるエドワードの顔を見返した。
「例えば、戦場に出て生き残れる程度とか、乱闘になっても勝てる程度とか、とりあえず怯ませて逃げる隙を作る程度とか。まぁ、強くなる目的ですかね」
ちなみにお勧めは1番最後です。と彼は言う。
「…出来る限り最大限、強くなりたいわ」
「母上や妹君の盾になれるようにと、将軍には言ったそうですが」
「…そうね、だからお母様たちが逃げる時間を作れる程度に、戦えるくらい、ね」
「では、それにお嬢さんも逃げられる体力を追加しましょう。いずれにせよ、剣を持つ前に基礎体力をと筋力です」
東屋について、椅子に下ろされる。
メイドが既に敷布と膝掛けを用意してくれている。
テーブルには、お菓子と紅茶のセットが。
「エディも座って」
「はい、お邪魔します」
少しすると、香り高い紅茶が2人の前に置かれた。
「先ほども言いましたが、ステフお嬢さんは体重が身長の割に軽い。まずは食事をきちんと取る事。好き嫌いはありませんか?」
「…脂っこいものは苦手です。あと、甘すぎるもの」
「甘いものを避けるのは良いと思いますが、肉は食べて下さい。ただ、お嬢さんの嫌いな脂っこい肉は避けても良いです。後は運動。お嬢さんは外を歩きますか?」
「お庭だけです。それも、2日に1回とか…門の外には事故以来出ていません」
「その辺は少し将軍と話をさせてもらいます。この家の中は運動には向かないので、騎士団の訓練場を使えるようにお願いしましょう」
「え!?」
色々と、驚きの出来事が重なっている。