今日のテレビを見て思ったこと
事実は小説よりも奇なりと言うが、本当に小説以上に個性的な人間がいるように思えた。
なぜ、そう思うたかというと、とある番組でやっていた、モダンガールなるものを見て、思ったことを書こうと思い、このエッセイに筆をとった。
その方は、今の便利な世の中の流れに逆らって、1920年代の暮らしを体現している人がいる。
その人の生活ぶりには驚かされる。
例えば、冷蔵庫においては、氷で冷やす木製物を使用していたり、昭和初期以後の電化製品はパソコンを除いて、徹底しているらしい。
なので、電話をする際にはスマートフォンは利用せず、公衆電話を使用してるとのこと。
あと、この番組じゃないときに出てたその人は、
自動ドアなるものに対しては、
誰かが通ったときに通るといった徹底ぶりに
私だったら、
その生活は不可能だと考えているので、
その人はあえて、前時代な生活を送ってるのであるから、
すごいと思った。
そのあとに、あってみたい人は誰かと聞かれたら、
ギャルに会ってみたいといっていたので、
有名なギャルモデルを連れてきて、
会わせてみた結果、
なんだか、僕が見た感じ、俗にいう、転移物で出会った、現代人と異世界人があったような感慨を感じてやまない。
もっと、
この世界で例えるなら、外国人と日本人が、であった感じだ。
最初は頭の上にはてなマークを浮かべる仲だとも
言っていいと思う。
そこから、僕が思ったことは、日本のなかにも異文化というものがあり、その分、現実にも異世界なるものが存在してるわけで、
どうしても、人間は、ネットの世界なるもので均一化されてると錯覚しがちだということを、この番組のコーナーの1つを見て、思うたのだった。
また、現代は便利な世の中になって、時短で料理できるミールキットなるものが出来て、私の場合は料理にかかる食材に対する手間も時間も削減できて、いいと思うのだが、それによって、失うことも多いのかもしれない。
例えば、料理をすることで得られる感覚とか、心に変化をもたらせてくれるかもしれないということを、
料理をすることさえ、なくなってしまったら、食材の命さえも考えずに食べてしまうことになる。
ありがたさとか、食べることが当たり前で、食べれることに感謝しなくなるのかもしれないからだ。
もっとひどく言えば、食べ物をおもちゃのようにして、遊んだりしてしまうことだってあるのかもしれない。
そんなことにはならないように願いたいものだ。
現代は確かに便利なもので溢れているのだが、その実、その技術を当然のことのように、技術の作り手の苦労を知らずして、当たり前の常識として享受しているように思える。
私もその中の一人であり、どうすればいいかを考えたら、
やはり、その技術の歴史を学ぶことが必要であるだろう。
たまには、ゲームや音楽、小説にふれるのに手を休めて、
過去の歴史や、スマホが生まれた過程を知る歴史を学ぶのも、
決して無駄ではないことのように思える。
とりあえず、私はモダンガールさんが使っていたとされる、冷蔵庫からたどる歴史を動画や、本やらで見れたらと思った。